聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 早瀬には別のバージョンができたと思う。仕事で何かあったのだろうか。そう思いふけった時に、近くからボディーソープの匂いがした。早瀬しかいない。

 おはようと挨拶すると、お玉を持ったままで唇を奪われた。長くてしつこいから押し返した。新しいバージョンとは、この行動のことを指す。束縛と独占欲の塊だ。本人が認めているから、二の句がつげない。

「悠人。今日は2時限目で終わりだったな」
「うん。量子学だけ。図書館に寄ってから帰るよ」
「何に使う資料だ?」

 どんな資料か?何時に帰る?そういう質問がされると思いきや、不意を突くようなものだ。他の場所へ行くのかと疑っているかのようだ。本人は否定している。気になるからだと言い直された。

「”量子論を楽しむ”だよ。最先端の物理学が分かるものだよー」
「一緒に買いに行こう。新刊だろう?」
「借りるから……」
「必要なものは用意すると言ったはずだ。帰っておいで。返事は ”はい” だ」
「はーい」

 島川さんと連絡を取り合う代わりに、束縛させてもらうと条件を出された。NOと言うまでもない。決められてしまった。

 カタカタ……。

 朝食づくりを再開させた。今度は腹まわりに腕が回された。怒っているのか?と、耳元で呟かれた。くすぐったくて背中が痺れた。

「呆れているんだよ。大学と家の往復だよ。あとはスタジオか……」
「来月からコンサートだね。5月17日からから3日間だ。練習は送り迎えをする」
「それは助かるよ。ご飯を食べて帰れるし」
「その他で困っていないか?」
「あるよ」
「どんなことだ?」
「束縛だよー。打ち合わせの時は、IKUから人が来るよ?二人きりにはならないよ……」
「そうか。束縛が困っているのか。俺はそうしたい。嫌われてもいい」

 顎を持ち上げられた。グリーンの瞳に吸い寄せられた。優しい眼差しをしている。その通りに、優しさの塊だったのに、今では怖い雰囲気がある。

(でも、今の裕理さん、好きだな。けっこう俺には遠慮がちにしていたし……)

 俺のことを優先するがあまりに、お伺いを立てられていた。今となって分かることだ。こっちの方が自然体に思える。困った人になった。強引かつ優しい人だ。本当の姿なのではないか?普段の早瀬の会話を思い出した。優しく話しかけられて、微笑まれていた。

(悠人君。田中屋へ行く前に食事をしないか?先に食べなさい。嫌なのか?どうしてだ?困った子だね。こうすればいい。どうだ?)

 自分の希望を口にする前に、早瀬の方から聞かれていた。これからは、彼の意見を聞きたい。

「裕理さん。もうすぐで出来るよー」
「分かった。君の方からキスを貰ってからだ」
「もう……。はーい」

 口元へキスをすると、さらに腕の力が込められた。離してもらえそうにもない。顔のあちこちにキスをされた。俺が朝ご飯になった気分だ。

 さすがに間に合わなくなると文句を言うと、すぐに手伝うと言い返された。すると、普段の姿に戻っていた。優しくて面白い人だ。ますます分からなくなった。どれが本当の早瀬なのかと。
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