夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

文字の大きさ
99 / 348

8-7

しおりを挟む
 創業50年というカフェへ入った。これぞ大人というイメージの店内に流れているのは、ゆったりとしたジャズだ。店内からはお客さん同士の囁き声が聴こえている。

 俺たちが座っている席は、”おとぎの国”というスペースだ。3席のみだ。絵本に出てくるようなテーブルや椅子が置かれていて、そばの壁には風景画が描かれている。しかし、子供向けではなくて、この店内にマッチしている雰囲気だ。

「最初から連れて来てくれるつもりだったんだよね?」
「いや。偶然だ」
「予約席って書いてあったのに」

 旅館にいる間、この辺りの店を調べた。このカフェを見つけて、おとぎの国コーナーで珈琲を飲みたいと思った。こっそり予約するところが黒崎らしい。こういう面も大好きだ。

 黒崎が黙っているから、壁にあるイラストを眺めた。楽器を持った男の子が水辺に立ち、魔法使いのようなマントを着た人と遊んでいる。とても楽しそうだ。

「お待たせしました……」
「わあー。ブリキ製だね~」

 ミルクたっぷりのカフェオレが、レトロなデザインのマグカップに入って運ばれてきた。これもおとぎの国っぽい。

「愛されているね。うへへ」
「何のことだ?」
「大事にされてるなあって、実感したんだよ」
「そうか……」

 黒崎が目を逸らしたままだから、テーブルの下で軽く足を蹴った。いつものように蹴り返されるという、子供っぽい俺たちに戻った。

「イベントまで時間があるよね?お寺を観に行こうよ」
「いや、山の方へ移動しよう。タクシーで数分だ。星空が綺麗に見える場所だそうだ。その後は旅館へ戻る」
「え、なんで~?」
「熱が出ているぞ。自分で気がつかなかったのか?」
「分からなかったよ……」

 せっかくの年末なのにガッカリした。この日のために気をつけていたのに。黒崎も風邪をひいたばかりだ。

「そう沈むな。旅館の部屋でも除夜の鐘が聞こえる。2人で年越ししよう」
「そうだね。去年の春、温泉旅館で泊まったね。まだ2年も経っていないよね。もっと前みたいだよ~」

 あの夜のことを思い出した。言い合いをした結果、迷子になってしまった。そして、カウントダウンイベントの花火を観ながら、黒崎から濃厚なキスをされたことを思い出した。

「あの時、濃厚なキスをしてきたよね?」
「そんなことしたのか?覚えていない」
「したよ。口の中を舐めたから、ビックリしたよ」
「下品な言い方をするな。そうやって唇を尖らせたからだ」
「ふふん、認めたね」
「……したかったからだ」
「え、黒崎さん?」
「そういうことだ。悪かったな」

 優しい力で足を蹴ってきた。愛が込められている。この場所なら、落ちついて話を聞くにはピッタリだ。珈琲を飲みながら、黒崎のことを見つめた。特に変わった様子はない。

「黒崎さん。下の名前で呼ばれたい理由を教えてほしい。出会ったばかりの頃にも同じ事を言っていただろ。あの時は、俺が生意気だったから、いっそのこと呼び捨てにされた方がマシだって言っていたけど。今回の理由は違うだろ?」
「ああ……」
「何かあるんだろ?明日から呼ぶから教えてほしい」
「そうか。……秘書時代が懐かしくなったからだ。当時は深川さんから仕事を教えてもらった。もちろん親父からもだ。あの頃から、人の表と裏を意識するようになった。大学で出来た友人で、俺のことを下の名前で呼んでいるのは裕理だけだ」
「そっか……」
「あの当時は嫌な思い出ばかりだ。それでも懐かしいと思うようになれた」
「沙耶さんは?黒崎君って呼んでいるよね。下の名前は嫌だった?」
「沙耶は中学一年の時から付き合いだ。その頃は人を見ることはしてなかった。たまたま名字で呼んで、それが固定しているだけだ」
「そっか……」
「圭一は、母方の祖父が付けてくれた名前だ。烏丸でも黒崎でも、違和感なく使える名前だと教えてもらった。……大切な名前だ。だから、呼ばせる相手は少ない。お前には呼んでもらいたかった」
「そうだったんだね。明日から練習するよ」
「……今から呼べ」
「今年中は、黒崎さんで呼ばせてよ」
「分かった。たまには、黒崎さんと呼んでもらいたい」
「贅沢だね。バカヤロウ~」

 黒崎の足を蹴ってやった。蹴り返されることはなくて、見つめ合って笑った。名前の呼び方を変えるのは、俺にとっては大きな出来事だ。やっぱり俺は変えたくない。しかし、黒崎はそうしてもらいたがっている。どう言えば納得してもらえるだろう。たまに呼ぶぐらいはどうだろう。黒崎の願いを叶えたいと思いながらも、迷ってしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

王様のナミダ

白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。 端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。 驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。 ※会長受けです。 駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

取り残された隠者様は近衛騎士とは結婚しない

二ッ木ヨウカ
BL
一途な近衛騎士×異世界取り残され転移者 12年前、バハール王国に召喚された形代柚季は「女王の身代わり要員」として半引きこもり生活をしていたが、ある日婚活を始めることに。 「あなたを守りたい」と名乗りを上げてきたのは近衛騎士のベルカント。 だが、近衛騎士は女王を守るための職。恋愛は許されていないし、辞める際にもペナルティがある。 好きだからこそベルカントを選べず、地位目当てのホテル経営者、ランシェとの結婚を柚季は決める。 しかしランシェの本当の狙いは地位ではなく―― 大事だから傷つけたくない。 けれど、好きだから選べない。 「身代わりとなって、誰かの役に立つことが幸せ」そう自分でも信じていたのに。 「生きる」という、柔らかくて甘い絶望を呑み込んで、 一人の引きこもりが「それでもあなたと添い遂げたい」と言えるようになるまで。

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした

天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜

中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」 大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。 しかも、現役大学生である。 「え、あの子で大丈夫なんか……?」 幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。 ――誰もが気づかないうちに。 専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。 「命に代えても、お守りします」 そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。 そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める―― 「僕、舐められるの得意やねん」 敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。 その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。 それは忠誠か、それとも―― そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。 「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」 最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。 極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。 これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。

処理中です...