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創業50年というカフェへ入った。これぞ大人というイメージの店内に流れているのは、ゆったりとしたジャズだ。店内からはお客さん同士の囁き声が聴こえている。
俺たちが座っている席は、”おとぎの国”というスペースだ。3席のみだ。絵本に出てくるようなテーブルや椅子が置かれていて、そばの壁には風景画が描かれている。しかし、子供向けではなくて、この店内にマッチしている雰囲気だ。
「最初から連れて来てくれるつもりだったんだよね?」
「いや。偶然だ」
「予約席って書いてあったのに」
旅館にいる間、この辺りの店を調べた。このカフェを見つけて、おとぎの国コーナーで珈琲を飲みたいと思った。こっそり予約するところが黒崎らしい。こういう面も大好きだ。
黒崎が黙っているから、壁にあるイラストを眺めた。楽器を持った男の子が水辺に立ち、魔法使いのようなマントを着た人と遊んでいる。とても楽しそうだ。
「お待たせしました……」
「わあー。ブリキ製だね~」
ミルクたっぷりのカフェオレが、レトロなデザインのマグカップに入って運ばれてきた。これもおとぎの国っぽい。
「愛されているね。うへへ」
「何のことだ?」
「大事にされてるなあって、実感したんだよ」
「そうか……」
黒崎が目を逸らしたままだから、テーブルの下で軽く足を蹴った。いつものように蹴り返されるという、子供っぽい俺たちに戻った。
「イベントまで時間があるよね?お寺を観に行こうよ」
「いや、山の方へ移動しよう。タクシーで数分だ。星空が綺麗に見える場所だそうだ。その後は旅館へ戻る」
「え、なんで~?」
「熱が出ているぞ。自分で気がつかなかったのか?」
「分からなかったよ……」
せっかくの年末なのにガッカリした。この日のために気をつけていたのに。黒崎も風邪をひいたばかりだ。
「そう沈むな。旅館の部屋でも除夜の鐘が聞こえる。2人で年越ししよう」
「そうだね。去年の春、温泉旅館で泊まったね。まだ2年も経っていないよね。もっと前みたいだよ~」
あの夜のことを思い出した。言い合いをした結果、迷子になってしまった。そして、カウントダウンイベントの花火を観ながら、黒崎から濃厚なキスをされたことを思い出した。
「あの時、濃厚なキスをしてきたよね?」
「そんなことしたのか?覚えていない」
「したよ。口の中を舐めたから、ビックリしたよ」
「下品な言い方をするな。そうやって唇を尖らせたからだ」
「ふふん、認めたね」
「……したかったからだ」
「え、黒崎さん?」
「そういうことだ。悪かったな」
優しい力で足を蹴ってきた。愛が込められている。この場所なら、落ちついて話を聞くにはピッタリだ。珈琲を飲みながら、黒崎のことを見つめた。特に変わった様子はない。
「黒崎さん。下の名前で呼ばれたい理由を教えてほしい。出会ったばかりの頃にも同じ事を言っていただろ。あの時は、俺が生意気だったから、いっそのこと呼び捨てにされた方がマシだって言っていたけど。今回の理由は違うだろ?」
「ああ……」
「何かあるんだろ?明日から呼ぶから教えてほしい」
「そうか。……秘書時代が懐かしくなったからだ。当時は深川さんから仕事を教えてもらった。もちろん親父からもだ。あの頃から、人の表と裏を意識するようになった。大学で出来た友人で、俺のことを下の名前で呼んでいるのは裕理だけだ」
「そっか……」
「あの当時は嫌な思い出ばかりだ。それでも懐かしいと思うようになれた」
「沙耶さんは?黒崎君って呼んでいるよね。下の名前は嫌だった?」
「沙耶は中学一年の時から付き合いだ。その頃は人を見ることはしてなかった。たまたま名字で呼んで、それが固定しているだけだ」
「そっか……」
「圭一は、母方の祖父が付けてくれた名前だ。烏丸でも黒崎でも、違和感なく使える名前だと教えてもらった。……大切な名前だ。だから、呼ばせる相手は少ない。お前には呼んでもらいたかった」
「そうだったんだね。明日から練習するよ」
「……今から呼べ」
「今年中は、黒崎さんで呼ばせてよ」
「分かった。たまには、黒崎さんと呼んでもらいたい」
「贅沢だね。バカヤロウ~」
黒崎の足を蹴ってやった。蹴り返されることはなくて、見つめ合って笑った。名前の呼び方を変えるのは、俺にとっては大きな出来事だ。やっぱり俺は変えたくない。しかし、黒崎はそうしてもらいたがっている。どう言えば納得してもらえるだろう。たまに呼ぶぐらいはどうだろう。黒崎の願いを叶えたいと思いながらも、迷ってしまった。
俺たちが座っている席は、”おとぎの国”というスペースだ。3席のみだ。絵本に出てくるようなテーブルや椅子が置かれていて、そばの壁には風景画が描かれている。しかし、子供向けではなくて、この店内にマッチしている雰囲気だ。
「最初から連れて来てくれるつもりだったんだよね?」
「いや。偶然だ」
「予約席って書いてあったのに」
旅館にいる間、この辺りの店を調べた。このカフェを見つけて、おとぎの国コーナーで珈琲を飲みたいと思った。こっそり予約するところが黒崎らしい。こういう面も大好きだ。
黒崎が黙っているから、壁にあるイラストを眺めた。楽器を持った男の子が水辺に立ち、魔法使いのようなマントを着た人と遊んでいる。とても楽しそうだ。
「お待たせしました……」
「わあー。ブリキ製だね~」
ミルクたっぷりのカフェオレが、レトロなデザインのマグカップに入って運ばれてきた。これもおとぎの国っぽい。
「愛されているね。うへへ」
「何のことだ?」
「大事にされてるなあって、実感したんだよ」
「そうか……」
黒崎が目を逸らしたままだから、テーブルの下で軽く足を蹴った。いつものように蹴り返されるという、子供っぽい俺たちに戻った。
「イベントまで時間があるよね?お寺を観に行こうよ」
「いや、山の方へ移動しよう。タクシーで数分だ。星空が綺麗に見える場所だそうだ。その後は旅館へ戻る」
「え、なんで~?」
「熱が出ているぞ。自分で気がつかなかったのか?」
「分からなかったよ……」
せっかくの年末なのにガッカリした。この日のために気をつけていたのに。黒崎も風邪をひいたばかりだ。
「そう沈むな。旅館の部屋でも除夜の鐘が聞こえる。2人で年越ししよう」
「そうだね。去年の春、温泉旅館で泊まったね。まだ2年も経っていないよね。もっと前みたいだよ~」
あの夜のことを思い出した。言い合いをした結果、迷子になってしまった。そして、カウントダウンイベントの花火を観ながら、黒崎から濃厚なキスをされたことを思い出した。
「あの時、濃厚なキスをしてきたよね?」
「そんなことしたのか?覚えていない」
「したよ。口の中を舐めたから、ビックリしたよ」
「下品な言い方をするな。そうやって唇を尖らせたからだ」
「ふふん、認めたね」
「……したかったからだ」
「え、黒崎さん?」
「そういうことだ。悪かったな」
優しい力で足を蹴ってきた。愛が込められている。この場所なら、落ちついて話を聞くにはピッタリだ。珈琲を飲みながら、黒崎のことを見つめた。特に変わった様子はない。
「黒崎さん。下の名前で呼ばれたい理由を教えてほしい。出会ったばかりの頃にも同じ事を言っていただろ。あの時は、俺が生意気だったから、いっそのこと呼び捨てにされた方がマシだって言っていたけど。今回の理由は違うだろ?」
「ああ……」
「何かあるんだろ?明日から呼ぶから教えてほしい」
「そうか。……秘書時代が懐かしくなったからだ。当時は深川さんから仕事を教えてもらった。もちろん親父からもだ。あの頃から、人の表と裏を意識するようになった。大学で出来た友人で、俺のことを下の名前で呼んでいるのは裕理だけだ」
「そっか……」
「あの当時は嫌な思い出ばかりだ。それでも懐かしいと思うようになれた」
「沙耶さんは?黒崎君って呼んでいるよね。下の名前は嫌だった?」
「沙耶は中学一年の時から付き合いだ。その頃は人を見ることはしてなかった。たまたま名字で呼んで、それが固定しているだけだ」
「そっか……」
「圭一は、母方の祖父が付けてくれた名前だ。烏丸でも黒崎でも、違和感なく使える名前だと教えてもらった。……大切な名前だ。だから、呼ばせる相手は少ない。お前には呼んでもらいたかった」
「そうだったんだね。明日から練習するよ」
「……今から呼べ」
「今年中は、黒崎さんで呼ばせてよ」
「分かった。たまには、黒崎さんと呼んでもらいたい」
「贅沢だね。バカヤロウ~」
黒崎の足を蹴ってやった。蹴り返されることはなくて、見つめ合って笑った。名前の呼び方を変えるのは、俺にとっては大きな出来事だ。やっぱり俺は変えたくない。しかし、黒崎はそうしてもらいたがっている。どう言えば納得してもらえるだろう。たまに呼ぶぐらいはどうだろう。黒崎の願いを叶えたいと思いながらも、迷ってしまった。
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