海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

文字の大きさ
223 / 259

16-15(早瀬視点)

しおりを挟む
 12時。

 黒崎製菓のオフィスにいる。明日で役職が変わるため、それに伴った準備をしている。課長以上を集めた全体会議でのスピーチと営業企画部内でのスピーチが必要なため、原稿を作成し終えたところだ。

 さらに昇進祝いという名の飲み会が数件ある。忘年会への出席、取引先との会食、今回に関しての挨拶メール等、やることが多い。ある程度は秘書室に依頼しているが、今までに培ったものが活用できる。黒崎の秘書として鍛えられてきた分、段取りよく運べている。

「ふう……。終わった。悠人に連絡しよう。さすがに起きているだろう」

 やっとひと段落できた。スマホを手に取ると、予想どおりに悠人からのメッセージが入っていた。トラのユーリのスタンプがあり、気持ちが和らいだ。

「『久田悠人 10:20 気にしないで。ご飯、ありがとう。今から食べるよ。熱は平熱になった。トラのユーリのスタンプ』か。可愛いなあ……。早く帰りたい」

 この時間に起きたなら、昼食はもっと後だろう。今日は定時で退社するが、夕食はテイクアウトで済ませるつもりだ。さすがに疲れてきている。 

「……鋭くなってきたからなあ。見破られる」

 やっと、悠人が叱ってくれるようになった。あの子の心の中にはドアが存在している。それをノックしても、ほんの少しだけ開いて顔を出すだけしかしていない。遠慮というものだろう。

 俺にかけられた呪いを解いたというのに、肝心の本人が外に出てこない。そのドアを乱暴にノックして外に出させたとして、何になるのか?あの子の方から出てきてほしい。ドアの外に立っているのは、大した人間ではない。ヒーロー、クランという衣装を着て身を守っていた、臆病な男だ。

「どうしたら、ドアを開けてくれるかな……」
「誰のことだ?」

 いつの間にか、黒崎がそばに立っていた。これからミーティングがあるため、声を掛けてくれたのだろう。

「常務。独り言です」
「はっきりした独り言だ。例のものはどうした?店は決めてあるんだろう」
「決めたよ。明日、連れて行く。でも、風邪を引いているからなあ」
「夏樹から聞いた。遊びに出かけるのをやめさせようか?」
「いや、夏樹君に悪い。悠人は意地っ張りで強情だよ。弱気なのか強気なのか……」
「学生時代のお前と似ている。悠人君を見ていると重なる。あの子のほうがずっと元気で、天真爛漫だ」
「そうだろう?本来はそういう子だ。なかなかドアを開けて出てきてもらえない。圭一さんは覚えがあるだろう?夏樹君と……」
「ああ。土足で踏み込んできたと言われた」

 黒崎と夏樹にも、心にドアが存在した。出会った初日に黒崎が夏樹の優等生の仮面を見破り、叩き割り、夏樹のドアをこじ開け、手を差し出した。そして、その手を取った夏樹が外に出てきた。しかし、黒崎自身にもドアが存在し、夏樹が根気強く呼びかけて、開かれた。

「悠人の部屋のドアを開ける方法を探している。少しだけ顔だけ出すんだよ。可愛いだろう?……ちょっかいをかけたら、足だけ出して蹴って来る。その後はパタンって、閉められるんだ」
「ドアから出てきたのが、ヒーローよりいいだろう。そのままの本人だ」
「そうだね。クランが出てきて茶化して、また戻っていくよりもね。……もういないけど」
「……俺の前では本人しか出てきたことがない。どういう違いだ?」

 黒崎が言ったことは本当だ。この人の前では衣装は着ていない。それはどういう理由なのか、はっきりと口にしよう。

「圭一さんが、せっかちだからだ。それを脱げって言われたからだよ」
「……脱げと言った覚えはないぞ」
「たとえ話だよ。部屋に逃げようともさせなかっただろう」
「……追いかけたことは認める」
「夏樹君ほどは乱暴にされていない。ふーっ、よかった」
「……お前にとっては、不本意な状況になる」
「どうしたんだ?」
「よかったな」
「おい……」

 黒崎の視線の先には、俺たちを見て顔を赤くしている社員たちがいた。男女問わず、凝視されている。やっとデキているという噂がおさまったのに、これでは元の木阿弥だ。さっきの会話からすると、誤解を招くのは自然なことだと気づいた。しかし、遅かったようだ。ミーティングに向かっている間も、視線が向けられていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

恋人はメリーゴーランド少年だった~永遠の誓い編

夏目奈緖
BL
「恋人はメリーゴーランド少年だった」続編です。溺愛ドS社長×高校生。恋人同士になった二人の同棲物語。束縛と独占欲。。夏樹と黒崎は恋人同士。夏樹は友人からストーカー行為を受け、車へ押し込まれようとした際に怪我を負った。夏樹のことを守れずに悔やんだ黒崎は、二度と傷つけさせないと決心し、夏樹と同棲を始める。その結果、束縛と独占欲を向けるようになった。黒崎家という古い体質の家に生まれ、愛情を感じずに育った黒崎。結びつきの強い家庭環境で育った夏樹。お互いの価値観のすれ違いを経験し、お互いのトラウマを解消するストーリー。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

回転木馬の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖
BL
包容力ドS×心優しい大学生。甘々な二人。包容力のある攻に優しく包み込まれる。海のそばの音楽少年~あの日のキミの続編です。 久田悠人は大学一年生。そそっかしくてネガティブな性格が前向きになれればと、アマチュアバンドでギタリストをしている。恋人の早瀬裕理(31)とは年の差カップル。指輪を交換して結婚生活を迎えた。悠人がコンテストでの入賞等で注目され、レコード会社からの所属契約オファーを受ける。そして、不安に思う悠人のことを、かつてバンド活動をしていた早瀬に優しく包み込まれる。友人の夏樹とプロとして活躍するギタリスト・佐久弥のサポートを受け、未来に向かって歩き始めた。ネガティブな悠人と、意地っ張りの早瀬の、甘々なカップルのストーリー。 <作品時系列>「眠れる森の星空少年~あの日のキミ」→「海のそばの音楽少年~あの日のキミ」→本作「回転木馬の音楽少年~あの日のキミ」

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

ミルクと砂糖は?

もにもに子
BL
瀬川は大学三年生。学費と生活費を稼ぐために始めたカフェのアルバイトは、思いのほか心地よい日々だった。ある日、スーツ姿の男性が来店する。落ち着いた物腰と柔らかな笑顔を見せるその人は、どうやら常連らしい。「アイスコーヒーを」と注文を受け、「ミルクと砂糖は?」と尋ねると、軽く口元を緩め「いつもと同じで」と返ってきた――それが久我との最初の会話だった。これは、カフェで交わした小さなやりとりから始まる、静かで甘い恋の物語。

想いの名残は淡雪に溶けて

叶けい
BL
大阪から東京本社の営業部に異動になって三年目になる佐伯怜二。付き合っていたはずの"カレシ"は音信不通、なのに職場に溢れるのは幸せなカップルの話ばかり。 そんな時、入社時から面倒を見ている新人の三浦匠海に、ふとしたきっかけでご飯を作ってあげるように。発言も行動も何もかも直球な匠海に振り回されるうち、望みなんて無いのに芽生えた恋心。…もう、傷つきたくなんかないのに。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

処理中です...