【完結】欠損アルファは、実験体のオメガを愛しすぎている

Marine

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# act2 最初の実験

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等級Ⅳとうきゅうよん 研究協力者』の契約を交わしたあと、セシル先生とメッセージアプリのIDを交換した。
 個人的なメッセージは送らないから、と言われた通り、彼からの最初のメッセージは事務的だった。

Cecilセシル:ユウくん、実験の日が決まったよ》

 それなのに、先生の声が近くで聞こえたような気がして、ぞくっと首筋が震えた。
 契約の時に感じた彼の体温が、心臓の奥に戻ってきたみたいだ。


 そして、実験の日。
 中扉の奥の試験室には、たくさんの器具が運び込まれていた。
 そこはいつも採血の後に休憩していた部屋なのに――ベッドの上に座り、モニタリング機材を付けられると、自分が本当に実験動物にでもなってしまったかのような心細さを感じる。

 セシル先生と一緒に入って来たのは、遊んでいる風の見た目の、長身のアルファだった。
 その男が入ってきた瞬間、空気中にローズウッドとバニラが混ざったような芳香が漂った。

「ラゼルだ、よろしく」
「よ、よろしくお願いします。ユウです」

 ラゼルは距離を気にせずに、すぐ隣に座っていた。
 ぎしっと診察台が沈み、香りと体温が近くなった。
 この香りはヤバイ。甘いようでいて、重い。
 呼吸するたびに腹の奥に澱のように溜まっていく。

「……緊張してる? 大丈夫、すぐ慣れるよ。オメガって、大体そうだから」

――ちょっとムカつく。
 よくいるアルファを少し……いや、だいぶ上から目線にしたような感じの……。

「働いてんの? ユウは」
「カフェの店員を……」
「へぇ、偉いじゃん。どこ?」
「アロマダイブって店で」
「おお、よく行く。あそこ、コーヒーにアロマショットを追加できるじゃん。あれガツンときていいんだよな」
「人気ですよね」

 僕達の様子を、椅子に座ったセシル先生は静かに見ていた。
 モニターがピっと音を立てる。

「空気中のフェロモン濃度は19 nAfナノアフ。ギリギリ基準内だ。
 ユウくん、気分はどうかな」
「ふつう……だと思います」
「ラゼル、ゆっくりとフェロモン濃度を上げてほしい」
「おう」

 まるで水道の蛇口をひねるかのように、ラゼルは気軽に笑った。
 途端、ふわっと甘い香りが強くなる。
 まるで香水……こんなにはっきりした香りは初めてだ。
 それは濃度を増すごとに、ゆっくりと体内で燃え始めた。

「少し距離を開けて……そう、そのまま話し続けて」

 なるべくラゼルの方を見ないようにしているのに、気づくと目が追っている。
 日に焼けた肌、男らしく整った顎や鼻梁。筋肉質な腕……。
 その筋肉の質感が、目の奥にちらちらとゆれる。

――あのたくましい腕に、おもいきり抱きしめられたら……。

 コツコツ
 ボールペンの音が鳴り、はっとしてセシル先生を見た。
 彼はいつものようにメモを取っていたが、一瞬、鋭い視線が横切った……気がした。
 僕は重くなってきた頭を振った。

「……俺のフェロモン、ちょっと強いのかもな。
 昔からさ、近くにいりゃ大体……そうなるんだよ。オメガはな」

 僕は返事をしなかった。
 それが自慢じゃなくて、なんだか悲しそうな……諦念ていねんのため息のような含みを感じたからだ。

「恋人はいるのか?」
「今は……特には」
「そうなんだ、かわいいのにな」

 話しかけてくるラゼルの顔……もともとイケメンではあるが、ふとした表情に胸がときめく。
 そう、なんというか少女漫画の擬音のように、どんどん鼓動が――上がっていく。
 甘い、香りが強くて、息をするのが怖い。

「濃度27 nAf。心拍数、体温共に上昇、発汗あり。ユウくん、気分は」
 セシル先生の冷静な声が、現実に引き戻してくれる。それがなければ、自然な恋愛だと錯覚しそうだ。

「……どきどきします。ラゼルさんが……格好良く見えてきて」
「おいおい、俺はもともと格好いいだろ?」

 ――セシル先生の前でこんなこと……本当は言いたくない。
 他のアルファに心を奪われているなんて。
 だけど、これは実験で、彼は正確なデータを欲している。

 僕は、ただのモルモットに徹しなければ、彼の役には立たない。

 そのうちに、ラゼルの声が耳に入らなくなってきた。
 会話を続けなければと思うのに、集中しないと流し聞きしてしまう。
 ただ、自分の息だけが異様に熱をもっていた。
 体の感覚があまりないのに、節々が痛くて、風邪をひいているようだ。

「46 nAf。警戒域だ。
 ユウくん、これ以上やると発情誘発域に入る」

 不思議と、セシル先生の声はぼんやりした頭にもスッと入ってきた。
「……っ、大丈夫です。続けてください……」

 荒い息をつきながら、なんとか返事をすることはできた。
 意思とは関係なく、体内に酒を流し込まれているみたいで怖かった。
 身も心も、ラゼルに無理やり酔わされている。

 ラゼルはそんな僕を見つめてきた。
「やっぱ、お前もそうなるんだな……まあ、そうだよな」
 嬉しいような、それでいて空虚くうきょな笑みだった。

 下半身が……切なくて、たまらない。
 
――恥ずかしい、セシル先生に見られてるのに。

 自分でもどうにもならなくて――いや、誰に動かされているかのように。
 セシル先生の視線に貫かれたまま、腰が勝手に揺れていた。

「65 nAf、発情反応確認。
 ラゼル、中止だ」
 ひっ迫した声と共に、換気システムがゴオッと音を立てる。

 セシル先生はモニタを見つめながら、下がっていくフェロモン濃度を読み上げていた。


 ※  ※  ※

――セシルside――

「えーと、初期ケアをやったほうがいいか?」
 ラゼルの声に、セシルは頷いた。
「ああ。発情を誘発したアルファからすぐに離すと、パニックを起こす恐れがある」
「どうやるんだっけ……昔にやったきりだから忘れた」
「まずは肩で頭を支え、片手は背に、そのほかの……特に性的な部分には絶対に触らないこと。
 刺激を与えないことが大切だ」

 言いながら歩み寄っていくと、ユウはラゼルにしなだれかかるようにしていた。
 目は閉じているが、おそらく意識はある。呼吸も安定している。ただ、濃い上質な誘発フェロモンに酔っているだけだ。

「……くったりしてんな。抱き枕みたいだ」

 抱きしめながら愛おしそうな目をするラゼルに、なぜか胸が重くなっていく。
 手を取って素早く中和剤を打った刹那、ユウの目がぱちりと開いた。

「や……セシル先生せ……じゃなきゃ」

 ユウは必死に体を起こそうともがいた。
 ラゼルの表情に、一瞬、愕然とした影が差し……すぐに消えた。

「へえ……こんなになってるのに、そっちにいくんだ。
 恋人同士……じゃないんだろ?」

 ラゼルの声も、何もかもが耳に入ってこなかった。
 ただ、この現象を理解するだけで精一杯だった。
 
――ユウくんが……ラゼルじゃなく……私を……。

「おい」

――発情させたアルファがいるのに……私を選んで……。

「おい」

――求めて……手を伸ばして。

「おいっ!」

 ラゼルはユウを支えながら、片手を伸ばして白衣を掴んできた。
「こら、戻ってこい」
 
 システムが全て初期化されてしまって――やっと起動した〝自分〟が、ゆっくりと対象を認識した。
 
「……ラゼル」
「ったく、どうしたんだ。ほら、お姫様がお前をご所望なんだろ」

 ラゼルがユウの脇の下を両手で支えて、差し出してくる。
 こちらを見ながら手を伸ばしてくる少年を。
 ウェーブがかかった亜麻色の髪は、卵型の輪郭を縁取って肩まで垂れている。
 下から見上げてくる瞳はとろんとしていて、表情は熱っぽく溶けている。
 ごくりと喉が動いた。
 それが生理反応だと自分でもわかって、冷や汗が滲んだ。

「ほら、どうしたんだ。ケアだろ」
「ああ、そうだ……〝ケア〟だった……」

 恐る恐る伸ばした手に、ユウの体温と重みが伝わってくる。
 全身の力が抜けた体が崩れ落ちそうになる寸前――支えるより前に、しっかりとその体を抱きしめてしまった。

「おい、安定保定……ま、いっか」

 ラゼルは何かを感じたように、それ以上の言葉を呑み込んだ。

 ユウの体はふにゃふにゃで、まるで現実感が無い。
 反射的に何度もぎゅっと力を入れて、返ってきた弾力を確かめた。
 その顔を覗き込んで、ラゼルがつぶやいた。

「他の男に抱かれていても、かわいいなあ」

 ラゼルは立ち上がり、ジーンズの尻ポケットからタブレットを取り出して口に入れた。

「……恋人でもないのに、あんなふうに名指しされるって、ちょっとズルいな」
「…………」
「こんな子、昔だったら、絶対、俺に落ちてた」
「…………」

 そんなことを言いながらも、ラゼルの視線は優しかった。

「次はいつだっけ?」

 それに答えずに、小さく息をついた。

「……いまは、なにしてるんだ?」
「ふらふらしてるよ。ご存じの通り、医者にはなれなかったからな」
「適性が無かっただけだ。フェロモンが強すぎても、それを生かす職場はたくさんある」
「軍とか娼館とか、あとはホストやモデルか? そういうの、キライなんだよね」

 学生の頃から変わっていないところが嬉しくもあり、悲しくもあった。
 フェロモンという資質に恵まれすぎていたために、かりそめの関係しか築けない。
 そんな彼が心から欲したのが、努力しないと就けない、医者という職業だった。
 学生の頃のラゼルは本当に生き生きとしていたから、そこから前に進めなくなってしまった気持ちは――痛いほど、よくわかる。

「いいな、お前は。匂い出ないから、真っすぐ診れるんだもんな」
 ……俺が触れると、大体、歪むからさ。感情も、関係も」

 試験室の扉が閉まっても、セシルはユウを抱いたまま、身じろぎすらできなかった。


【観察記録:No.001】
対象:ユウ(オメガ/21歳)誘発フェロモン耐性値540
協力者 ラゼル(アルファ/32歳)誘発フェロモン強度ティアB
状況:ラゼルとのフェロモン接触実験
経過:
・フェロモン濃度19 nAf~65 nAfにて有意反応
・平均心拍数:122 bpm、最大:136 bpm
・視線の集中傾向:ラゼルの上腕・喉仏・口唇
補足:
・被験体は自身の性的反応に羞恥を示しつつも、継続を希望
・最終的に、発情状態にて私(セシル)を求める言動あり
→ 研究計画外の情動反応。再調査必要。
【END】


 ユウのからだはしっとりと重たく、抱きしめているだけで何かが通じていると錯覚しそうな温かさを持っていた。
 ふと、彼の腕に付いているバイタルモニターに視線を落とした。

「ユウくん、心拍高い……。
……私もか」

 静かな試験室。
 冷たい機械に囲まれて、二人の鼓動だけが熱く、重なるように互いの皮膚を叩いていた。
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