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天空の檻①
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フロントガラスから見える信号が、赤から青に変わった。
スムーズに走り出した車の後部座席で、俺の視線はぼんやりと霧雨に滲む夜の街を追っていた。
「……牧田。月曜日の午前中のアポだが」
「はい、資料は共有済みです」
桐生部長は俺の隣に腰かけて、膝の上でノートパソコンを開いている。
メールの通知音が、車内に響いた。
淡々とした仕事の話。
運転手には、週末の夜まで熱心に仕事をする上司と部下に見えているだろう。
部長は片手で器用にノートパソコンを操作している。
もう一方の手は、俺の手の甲を覆うように被さっていた。
その重なった皮膚だけが異様に熱くて、心臓の音が聞こえるんじゃないかと怖くなった。
三十分前の自分を殴ってやりたい。
昼間はチャットで『飯を食いに行かないか?』と聞かれて『了解です』と答えたのに、
『ホテルに行くぞ』と言われた時、断るチャンスはあったはずだ。
体が……期待してしまったんだ。
有無を言わせずタクシーに押し込まれる強引さに、どこかほっとしてしまった自分に気づいて、俺は唇を噛んだ。
その間も、彼は俺の手の甲を、包み込むようにぎゅっと握っていた。
視線はノートパソコンに据えたまま、硬い声で資料について話しているのに――手だけは、俺の中指を拾い上げ、そっと撫でてくる。
耳からは冷たい業務連絡。
なのに、指先からは甘くて熱い旋律が、静かに流れ込んでくる。
……俺の脳は、バグっていたのかもしれない。
彼が催促するように、爪の先をきゅっとつまむ。
耐えきれず、俺はそっと手のひらを上に向けた。
その隙を逃さず、彼の指がすべり込み、恋人のように絡んできた。
ぴたりと噛み合った指先――そこだけが、熱を帯びて脈打っているようだった。
運転手がハンドルを切った。
そういえば、やけに遠い。ミルクを飲むだけだから、近くのビジネスホテルかと思っていたのに。
このタクシーに押し込められたとき、行き先を聞き逃してしまった。
車はやがて、都心のど真ん中――煌びやかな高層ビルのロータリーに滑り込んだ。
夜でも煌々と照らされたエントランス。
いかにも格式の高そうな制服を着たドアマンが二人、すぐさまこちらに駆け寄ってくる。
――嘘、だろ……?
無機質なビジネスホテルを想像していた俺は、場違いなスーツ姿のまま立ち尽くした。
吹き抜けのガラスの向こうには、巨大なシャンデリアと大理石の床。
優美なアレンジメントが飾られたエントランスロビーは、映画の中の世界のようだった。
周囲にいるのは高級ブランドに身を包んだ外国人観光客や、モデルのようなカップルばかり。
どう見ても、俺の居場所じゃない。
桐生部長は支払いを済ませてタクシーから降り、ドアマンに軽く会釈を返している。
颯爽と歩く姿は、まるでこの空間の一部みたいに馴染んでいた。
俺が一歩も動けずにいると、後ろからきた彼が、そっと背を支えた。
「行くぞ」
チェックインを済ませて、ベルボーイに案内されてエレベーターに乗った。
廊下には足が沈むほどのふかふかの絨毯。エレベーターはシックで美しく、高級なチョコレートの箱のようだった。
ベルボーイが一番上のボタンを押す。53の数字が煌々と光った。
――こんな場所で……もしかして、ロッカールームの続きを……?
高速エレベーターが動き出す。急上昇に耳がツンとなった。
ふと、強い視線に顔を上げると、桐生部長がこちらを見ている。
目が合うと、ほこりを取るかのような仕草で、髪をつまんだ。
顔がぐっと近づき、低い声が耳元で囁く。
「何を考えている? ……部屋で俺に抱かれることか?」
その瞬間、首筋にきゅうんっと痛みが走った。
そして、熱い……フェロモンが染み出す感覚。
彼の鼻が、すん、と鳴った。
「……匂いは正直だな。気づかれるぞ」
ベルボーイの背を見ながら、俺は駆け上がっていく鼓動を、どうしようもできないでいた。
スムーズに走り出した車の後部座席で、俺の視線はぼんやりと霧雨に滲む夜の街を追っていた。
「……牧田。月曜日の午前中のアポだが」
「はい、資料は共有済みです」
桐生部長は俺の隣に腰かけて、膝の上でノートパソコンを開いている。
メールの通知音が、車内に響いた。
淡々とした仕事の話。
運転手には、週末の夜まで熱心に仕事をする上司と部下に見えているだろう。
部長は片手で器用にノートパソコンを操作している。
もう一方の手は、俺の手の甲を覆うように被さっていた。
その重なった皮膚だけが異様に熱くて、心臓の音が聞こえるんじゃないかと怖くなった。
三十分前の自分を殴ってやりたい。
昼間はチャットで『飯を食いに行かないか?』と聞かれて『了解です』と答えたのに、
『ホテルに行くぞ』と言われた時、断るチャンスはあったはずだ。
体が……期待してしまったんだ。
有無を言わせずタクシーに押し込まれる強引さに、どこかほっとしてしまった自分に気づいて、俺は唇を噛んだ。
その間も、彼は俺の手の甲を、包み込むようにぎゅっと握っていた。
視線はノートパソコンに据えたまま、硬い声で資料について話しているのに――手だけは、俺の中指を拾い上げ、そっと撫でてくる。
耳からは冷たい業務連絡。
なのに、指先からは甘くて熱い旋律が、静かに流れ込んでくる。
……俺の脳は、バグっていたのかもしれない。
彼が催促するように、爪の先をきゅっとつまむ。
耐えきれず、俺はそっと手のひらを上に向けた。
その隙を逃さず、彼の指がすべり込み、恋人のように絡んできた。
ぴたりと噛み合った指先――そこだけが、熱を帯びて脈打っているようだった。
運転手がハンドルを切った。
そういえば、やけに遠い。ミルクを飲むだけだから、近くのビジネスホテルかと思っていたのに。
このタクシーに押し込められたとき、行き先を聞き逃してしまった。
車はやがて、都心のど真ん中――煌びやかな高層ビルのロータリーに滑り込んだ。
夜でも煌々と照らされたエントランス。
いかにも格式の高そうな制服を着たドアマンが二人、すぐさまこちらに駆け寄ってくる。
――嘘、だろ……?
無機質なビジネスホテルを想像していた俺は、場違いなスーツ姿のまま立ち尽くした。
吹き抜けのガラスの向こうには、巨大なシャンデリアと大理石の床。
優美なアレンジメントが飾られたエントランスロビーは、映画の中の世界のようだった。
周囲にいるのは高級ブランドに身を包んだ外国人観光客や、モデルのようなカップルばかり。
どう見ても、俺の居場所じゃない。
桐生部長は支払いを済ませてタクシーから降り、ドアマンに軽く会釈を返している。
颯爽と歩く姿は、まるでこの空間の一部みたいに馴染んでいた。
俺が一歩も動けずにいると、後ろからきた彼が、そっと背を支えた。
「行くぞ」
チェックインを済ませて、ベルボーイに案内されてエレベーターに乗った。
廊下には足が沈むほどのふかふかの絨毯。エレベーターはシックで美しく、高級なチョコレートの箱のようだった。
ベルボーイが一番上のボタンを押す。53の数字が煌々と光った。
――こんな場所で……もしかして、ロッカールームの続きを……?
高速エレベーターが動き出す。急上昇に耳がツンとなった。
ふと、強い視線に顔を上げると、桐生部長がこちらを見ている。
目が合うと、ほこりを取るかのような仕草で、髪をつまんだ。
顔がぐっと近づき、低い声が耳元で囁く。
「何を考えている? ……部屋で俺に抱かれることか?」
その瞬間、首筋にきゅうんっと痛みが走った。
そして、熱い……フェロモンが染み出す感覚。
彼の鼻が、すん、と鳴った。
「……匂いは正直だな。気づかれるぞ」
ベルボーイの背を見ながら、俺は駆け上がっていく鼓動を、どうしようもできないでいた。
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