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甘い朝
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【Side:侍女ジーン】
早朝。
アレクセイの部屋の前に立ったジーンは、重々しくため息をついた。
この館に雇われて数日。
当主の性格はほとんど知らないが、王の側近である近衛騎士団長という地位と、勇猛な外見は知っていた。
面接の時に一度話しただけだが、何やら殺気立っていた。もうすぐ迎えられる奥方のために急ピッチで準備を進めている最中だということだったが、あの怖い顔は忘れられない。
そして、こんな早朝に、侍女が呼ばれる理由はひとつだけだ。
当主の夜のお相手をして、疲れ切った奥様を部屋にお連れすること。
(メリザンド様はお部屋にいらっしゃらなかった)
十四のときから伯爵家に仕えていたジーンは、女たちがどのような扱いを受けるかを熟知していた。
昼間はどんなに着飾って、贅沢をしていても、夜は道具のように扱われる。
まるでその対価だとでもいうように。
体中が傷だらけになった方もいたし、性器が血だらけになって腫れあがっている方もいた。
首を絞めたり、もっとどぎついプレイも……好き放題やった後始末は、いつも侍女の仕事だった。
(メリザンド様も、きっと……)
ジーンがドアノブを掴んだ手は、微かに震えていた。
今までお仕えしていた方も、気の毒だったけど、なんとかビジネスライクにこなせていた。
それは、女の方も贅沢が好きだったり、我儘や苛立ちをぶつけてきたり、侍女を手足のように使っていたからだ。
(でもあの方は違う気がする)
急にお仕えすることになったメリザンドという名の奥様。
まだ人となりは分からないが、とても素直で可愛らしい方。
(いけない、こんなことでは。早く行って差し上げなければ。苦しんでおられるかもしれない)
ジーンは自分を叱咤して、ドアを素早く開けた。
そこには前室担当のカイが控えていて、顔を真っ赤にしながら俯いている。
こんな若者に、男の欲望の捌け口にされ、ボロ雑巾のようになった奥様の姿を、見せてしまったのだろうか。
カイはジーンを見ると、縋るような視線を向けた。
「現況……自分からの入室は困難です。本日の鍛錬について、ご指示を仰いでいただきたい」
「分かりました」
ある意味、お邸にお仕えする者の宿命ともいえる『洗礼』を受けたであろうカイに同情の視線を向けつつ、ジーンは寝室のドアをノックした。
「入れ」
「失礼します」
短い言葉に、ジーンは息を呑んでドアを開けた。
その、目に飛び込んできたのは――。
床に投げ出され、シーツを被って泣いている女……ではなく、当主の膝の上でうとうとしている奥様……だった。
ジーンは自分の目が信じられなかった。
あの、恐ろしい目つきの男が、愛おしげに奥様を抱きしめて、その髪を撫でている。
奥様は半覚醒といった様子で、むにゃむにゃと安心しきって身を任せていた。
「う~ん……もう、そんなに髪の毛……触らないでぇ……」
「……すまないな、起こしてしまったか?」
「さっきっからずっと触ってるでしょ……まだ眠いのに」
「愛しくて……触らずにはいられなかった……」
「やだ~、眠いの~」
(あれっ、わたくしは何故ここにいるのでしたっけ)
(ああ……アレクセイ様、奥様は眠いっていって仰っているのに、またそんなにキスしたら怒られますよ……じゃなかった)
侍女歴16年のベテランであるジーンは、どんな凄惨なシーンでも、何とかこなしてきた。
しかし、初めてだった。
固まったまま動けないという失態を犯すのは。
一体、この時間は何なのだろう。
自分が呼んだくせに、当主には奥様しか見えていないようだ。
思考が宇宙に飛んで行ってしまったジーンを、低い声が引き戻した。
「……ジーン」
「は、はいっ!」
ジーンは弾かれたように直立不動の姿勢をとった。
当主の不興を買ったかもしれない。背筋に冷たい汗が流れる。
処罰か、それとも怒号か。
ジーンが身構えていると、アレクセイはすっとこちらを見た。
「湯の用意を。それと傷の手当に使う塗り薬だ」
「は、はい。至急、奥様を湯あみにお連れします」
(急いで通用口を通って奥様をお連れして……湯は……)
頭の中で手順を確認しかけたとき、当主の眉が不機嫌そうに寄って、ジーンは背筋が冷たくなった。
「湯の用意はこの寝室の横にしろ。彼女の世話は私がする。どこにも連れて行くな」
なぜか連れていくという言葉に拒否反応があるようだ。
ぎゅっと奥様を抱え込んでしまった。
「は、はい。ではこの寝室の横の浴室に湯の準備をいたします。傷の手当は……」
やはり、この獣みたいな男のことだ、奥様を乱暴に扱ったにちがいない。
「もう~いらないって言ってるでしょ。ただの痕なんだから……」
「だ、だが、その白磁のような肌に俺がつけた痣が……」
当主が撫でているところを注視してみた。
目を凝らさないと見えないが、ほんの少し赤く、鬱血しているようだ。
(あれは……「愛の痕」だわ……)
――そうか、この方……本当に奥様のことを大切になさっているんだわ
それまでバグっていたジーンのプロ意識が、やっと再起動した。
「かしこまりました、お薬と、湯の支度。朝食はどのようになさいますか?」
「ここへ持ってきてくれ。消化にいいものを」
「はい」
ここでジーンは、カイに言われたことを思い出した。
「あ、あの、本日の鍛錬については、いかがいたしましょうか」
「……行けると思うか?」
こちらを向いたアレクセイの表情は、妙に艶っぽくて。
当主は二度寝を始めた奥様の蜂蜜色の髪に、ふわりとキスを落とした。
早朝。
アレクセイの部屋の前に立ったジーンは、重々しくため息をついた。
この館に雇われて数日。
当主の性格はほとんど知らないが、王の側近である近衛騎士団長という地位と、勇猛な外見は知っていた。
面接の時に一度話しただけだが、何やら殺気立っていた。もうすぐ迎えられる奥方のために急ピッチで準備を進めている最中だということだったが、あの怖い顔は忘れられない。
そして、こんな早朝に、侍女が呼ばれる理由はひとつだけだ。
当主の夜のお相手をして、疲れ切った奥様を部屋にお連れすること。
(メリザンド様はお部屋にいらっしゃらなかった)
十四のときから伯爵家に仕えていたジーンは、女たちがどのような扱いを受けるかを熟知していた。
昼間はどんなに着飾って、贅沢をしていても、夜は道具のように扱われる。
まるでその対価だとでもいうように。
体中が傷だらけになった方もいたし、性器が血だらけになって腫れあがっている方もいた。
首を絞めたり、もっとどぎついプレイも……好き放題やった後始末は、いつも侍女の仕事だった。
(メリザンド様も、きっと……)
ジーンがドアノブを掴んだ手は、微かに震えていた。
今までお仕えしていた方も、気の毒だったけど、なんとかビジネスライクにこなせていた。
それは、女の方も贅沢が好きだったり、我儘や苛立ちをぶつけてきたり、侍女を手足のように使っていたからだ。
(でもあの方は違う気がする)
急にお仕えすることになったメリザンドという名の奥様。
まだ人となりは分からないが、とても素直で可愛らしい方。
(いけない、こんなことでは。早く行って差し上げなければ。苦しんでおられるかもしれない)
ジーンは自分を叱咤して、ドアを素早く開けた。
そこには前室担当のカイが控えていて、顔を真っ赤にしながら俯いている。
こんな若者に、男の欲望の捌け口にされ、ボロ雑巾のようになった奥様の姿を、見せてしまったのだろうか。
カイはジーンを見ると、縋るような視線を向けた。
「現況……自分からの入室は困難です。本日の鍛錬について、ご指示を仰いでいただきたい」
「分かりました」
ある意味、お邸にお仕えする者の宿命ともいえる『洗礼』を受けたであろうカイに同情の視線を向けつつ、ジーンは寝室のドアをノックした。
「入れ」
「失礼します」
短い言葉に、ジーンは息を呑んでドアを開けた。
その、目に飛び込んできたのは――。
床に投げ出され、シーツを被って泣いている女……ではなく、当主の膝の上でうとうとしている奥様……だった。
ジーンは自分の目が信じられなかった。
あの、恐ろしい目つきの男が、愛おしげに奥様を抱きしめて、その髪を撫でている。
奥様は半覚醒といった様子で、むにゃむにゃと安心しきって身を任せていた。
「う~ん……もう、そんなに髪の毛……触らないでぇ……」
「……すまないな、起こしてしまったか?」
「さっきっからずっと触ってるでしょ……まだ眠いのに」
「愛しくて……触らずにはいられなかった……」
「やだ~、眠いの~」
(あれっ、わたくしは何故ここにいるのでしたっけ)
(ああ……アレクセイ様、奥様は眠いっていって仰っているのに、またそんなにキスしたら怒られますよ……じゃなかった)
侍女歴16年のベテランであるジーンは、どんな凄惨なシーンでも、何とかこなしてきた。
しかし、初めてだった。
固まったまま動けないという失態を犯すのは。
一体、この時間は何なのだろう。
自分が呼んだくせに、当主には奥様しか見えていないようだ。
思考が宇宙に飛んで行ってしまったジーンを、低い声が引き戻した。
「……ジーン」
「は、はいっ!」
ジーンは弾かれたように直立不動の姿勢をとった。
当主の不興を買ったかもしれない。背筋に冷たい汗が流れる。
処罰か、それとも怒号か。
ジーンが身構えていると、アレクセイはすっとこちらを見た。
「湯の用意を。それと傷の手当に使う塗り薬だ」
「は、はい。至急、奥様を湯あみにお連れします」
(急いで通用口を通って奥様をお連れして……湯は……)
頭の中で手順を確認しかけたとき、当主の眉が不機嫌そうに寄って、ジーンは背筋が冷たくなった。
「湯の用意はこの寝室の横にしろ。彼女の世話は私がする。どこにも連れて行くな」
なぜか連れていくという言葉に拒否反応があるようだ。
ぎゅっと奥様を抱え込んでしまった。
「は、はい。ではこの寝室の横の浴室に湯の準備をいたします。傷の手当は……」
やはり、この獣みたいな男のことだ、奥様を乱暴に扱ったにちがいない。
「もう~いらないって言ってるでしょ。ただの痕なんだから……」
「だ、だが、その白磁のような肌に俺がつけた痣が……」
当主が撫でているところを注視してみた。
目を凝らさないと見えないが、ほんの少し赤く、鬱血しているようだ。
(あれは……「愛の痕」だわ……)
――そうか、この方……本当に奥様のことを大切になさっているんだわ
それまでバグっていたジーンのプロ意識が、やっと再起動した。
「かしこまりました、お薬と、湯の支度。朝食はどのようになさいますか?」
「ここへ持ってきてくれ。消化にいいものを」
「はい」
ここでジーンは、カイに言われたことを思い出した。
「あ、あの、本日の鍛錬については、いかがいたしましょうか」
「……行けると思うか?」
こちらを向いたアレクセイの表情は、妙に艶っぽくて。
当主は二度寝を始めた奥様の蜂蜜色の髪に、ふわりとキスを落とした。
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