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# Act15. 日記
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朝食が終わると、アレクセイは王宮に出仕していった。
出ていくときに、この邸のものは何でも好きにしていい。買い物も自由にしていいと言われていた。
部屋がノックされて、家令のヴァルトが入ってきた。
「当主より、メリザンド様には同じようにお仕えするようにとの命令を受けておりますので、これより邸をご案内いたします」
邸は広く、鍵のかかった扉が多かったが、ヴァルトは持っている鍵で全て開けて見せてくれた。
「ここは?」
「執務室でございます。ご覧になりますか?」
(仕事部屋ってことね。どんなところでお仕事しているのか見たい!)
「はい、お願いします」
「かしこまりました」
ヴァルトは鍵を開けると、深く頭を下げてその場を離れた。
まるで、そこから先は「聖域」でもあるかのように。
私はその重厚な扉をゆっくりと押した。そこに充満していたのは、冷たいインクの匂いと、微かな――けれど確かな、昨日の夜に私の肌をなぞった彼の熱と同じ匂いだった。
扉が静かに閉まった。
ヴァルトを廊下に残したまま、私はアレクセイの空間に一人で立っていた。
部屋は広く、立派な机とたくさんの本棚、書類の山、地図。隅の方に勲章やトロフィーが埃を被って重なっている。
机の目立つ場所には、小さなフワフワの帽子が乗っていた。
それはには強烈に見おぼえがあった。
手に取ると、鼻腔の奥に微かに「冷たい雪と、焚き火の匂い」がした気がした。
――「アレク、これ、うさぎみたいでしょ?」
自分がいつ、誰にそう言ったのか。
思い出せないはずの記憶が、指先から熱となって流れ込んでくる。
「なんで……アレクセイ様が持っているのよ……」
こんな、机のよく見える位置に……ずっと仕事しながら眺めていたみたいに。
その帽子は昔と同じくふわふわで、生地の痛みも劣化も見られなかった。
(これは……何なの?)
不気味な感情がのしかかってくるのを振り払うように、私は本棚を探した。
保存魔法の本、時を遡る伝説の本、獣のフェロモンや番に関する本、そして伝説の聖石に関する本が多数あった。
その中で、背表紙に何も書かれていない本が並んでいるのを見つけた。
みな同じ装丁だが、明らかに年代が違うようで、一番向こうは日に焼けて色が薄くなっている。
私は一番手前の本を手に取った。
それはきちんと装丁されたノートだった。
日付の下に騎士らしくカッキリした字で、日記が認められていた。
『メル……会いたい』
『毎晩あの日のことを思い出す』
『俺の中の獣を殺したい』
『後宮の中で泣いていないだろうか』
『メル、メル、メル、メル、メル、メル』
ページをめくるたびに、手が震えて紙がかさかさと音を立てる。
その全ての手書きの文字は、私のことで埋め尽くされていた。
所々、インクの滲みがあった。まるで水滴を落としたかのように。
強く書きなぐられている時もあれば、穴が開くほど強い筆跡の時もあった。
後悔、葛藤、懺悔、叫びや苦痛。そして、抑えきれない私への恋情が綿々と書き綴られていた。
それは普通のインクで書かれたものだったが、私には血で書かれているように見えた。
めくりながら、彼の息遣いや体温まで感じるようだ。
震えながらめくった最後のページには次のように書かれていた。
『ようやく明日、メルをこの手に取り戻せる』
『彼女の声を忘れないように、何度も頭の中で再現している。でもそれが本当にメルの声なのか、もう分からなくなってしまった』
『やっと本当のメルの声を聴くことができる』
最新の日記から読み始めた私は、次のノートを手に取った。
それも同じだった。私は次々とノートを手に取っては恐怖に駆られながら、狂ったようにページをめくった。
それは彼が「待っていた」年月を物理的な厚みとして突きつけてくる。
『愛している』『絶対に迎えに行く』
読み進めるほどに、一文字一文字から執着が溢れ出していた。
(どういうこと? 分からない。ここに書かれている「メル」というのは私のことなの? それとも別の誰かなの?)
耐えきれなくなった私は、一気に一番古い日記を手に取った。
それはある日を起点に書き始められた、彼の聖域の記録だった。
『あのとき、なぜメルを手放してしまったのだろう』
『馬車に押し込まれるメルの泣き顔と叫び声が、ずっと頭に焼き付いている』
『このままメルを俺の邸に連れ去ってしまえたら……ずっとメルと暮らせたら』
『俺の全ての時間を犠牲にして聖石を探し出す。どんな汚いことをしても、金と地位を手に入れる。そして必ず迎えに行く』
『この誓いが破られたときは、私は自身に死を与える』その一文をなぞった指先が小さく震えた。
(怖い……普通なら、そう思うはずなのに)
(どうしてだろう。私の目から、涙が止まらないのは)
(この狂気じみた文字の羅列を、どうしようもなく……愛おしいと思ってしまうのは)
彼が十年間、何を殺し、何を奪ってここに辿り着いたのか。
その暗い情熱の全てが私という一点に注がれている事実に、肌に粟が立つ。
けれど、その毒のような執着が、私の中の「空っぽだった部分」を、驚くほどぴったりと埋めていくのを感じていた。
外はもうすぐ、日が沈もうとしていた。
出ていくときに、この邸のものは何でも好きにしていい。買い物も自由にしていいと言われていた。
部屋がノックされて、家令のヴァルトが入ってきた。
「当主より、メリザンド様には同じようにお仕えするようにとの命令を受けておりますので、これより邸をご案内いたします」
邸は広く、鍵のかかった扉が多かったが、ヴァルトは持っている鍵で全て開けて見せてくれた。
「ここは?」
「執務室でございます。ご覧になりますか?」
(仕事部屋ってことね。どんなところでお仕事しているのか見たい!)
「はい、お願いします」
「かしこまりました」
ヴァルトは鍵を開けると、深く頭を下げてその場を離れた。
まるで、そこから先は「聖域」でもあるかのように。
私はその重厚な扉をゆっくりと押した。そこに充満していたのは、冷たいインクの匂いと、微かな――けれど確かな、昨日の夜に私の肌をなぞった彼の熱と同じ匂いだった。
扉が静かに閉まった。
ヴァルトを廊下に残したまま、私はアレクセイの空間に一人で立っていた。
部屋は広く、立派な机とたくさんの本棚、書類の山、地図。隅の方に勲章やトロフィーが埃を被って重なっている。
机の目立つ場所には、小さなフワフワの帽子が乗っていた。
それはには強烈に見おぼえがあった。
手に取ると、鼻腔の奥に微かに「冷たい雪と、焚き火の匂い」がした気がした。
――「アレク、これ、うさぎみたいでしょ?」
自分がいつ、誰にそう言ったのか。
思い出せないはずの記憶が、指先から熱となって流れ込んでくる。
「なんで……アレクセイ様が持っているのよ……」
こんな、机のよく見える位置に……ずっと仕事しながら眺めていたみたいに。
その帽子は昔と同じくふわふわで、生地の痛みも劣化も見られなかった。
(これは……何なの?)
不気味な感情がのしかかってくるのを振り払うように、私は本棚を探した。
保存魔法の本、時を遡る伝説の本、獣のフェロモンや番に関する本、そして伝説の聖石に関する本が多数あった。
その中で、背表紙に何も書かれていない本が並んでいるのを見つけた。
みな同じ装丁だが、明らかに年代が違うようで、一番向こうは日に焼けて色が薄くなっている。
私は一番手前の本を手に取った。
それはきちんと装丁されたノートだった。
日付の下に騎士らしくカッキリした字で、日記が認められていた。
『メル……会いたい』
『毎晩あの日のことを思い出す』
『俺の中の獣を殺したい』
『後宮の中で泣いていないだろうか』
『メル、メル、メル、メル、メル、メル』
ページをめくるたびに、手が震えて紙がかさかさと音を立てる。
その全ての手書きの文字は、私のことで埋め尽くされていた。
所々、インクの滲みがあった。まるで水滴を落としたかのように。
強く書きなぐられている時もあれば、穴が開くほど強い筆跡の時もあった。
後悔、葛藤、懺悔、叫びや苦痛。そして、抑えきれない私への恋情が綿々と書き綴られていた。
それは普通のインクで書かれたものだったが、私には血で書かれているように見えた。
めくりながら、彼の息遣いや体温まで感じるようだ。
震えながらめくった最後のページには次のように書かれていた。
『ようやく明日、メルをこの手に取り戻せる』
『彼女の声を忘れないように、何度も頭の中で再現している。でもそれが本当にメルの声なのか、もう分からなくなってしまった』
『やっと本当のメルの声を聴くことができる』
最新の日記から読み始めた私は、次のノートを手に取った。
それも同じだった。私は次々とノートを手に取っては恐怖に駆られながら、狂ったようにページをめくった。
それは彼が「待っていた」年月を物理的な厚みとして突きつけてくる。
『愛している』『絶対に迎えに行く』
読み進めるほどに、一文字一文字から執着が溢れ出していた。
(どういうこと? 分からない。ここに書かれている「メル」というのは私のことなの? それとも別の誰かなの?)
耐えきれなくなった私は、一気に一番古い日記を手に取った。
それはある日を起点に書き始められた、彼の聖域の記録だった。
『あのとき、なぜメルを手放してしまったのだろう』
『馬車に押し込まれるメルの泣き顔と叫び声が、ずっと頭に焼き付いている』
『このままメルを俺の邸に連れ去ってしまえたら……ずっとメルと暮らせたら』
『俺の全ての時間を犠牲にして聖石を探し出す。どんな汚いことをしても、金と地位を手に入れる。そして必ず迎えに行く』
『この誓いが破られたときは、私は自身に死を与える』その一文をなぞった指先が小さく震えた。
(怖い……普通なら、そう思うはずなのに)
(どうしてだろう。私の目から、涙が止まらないのは)
(この狂気じみた文字の羅列を、どうしようもなく……愛おしいと思ってしまうのは)
彼が十年間、何を殺し、何を奪ってここに辿り着いたのか。
その暗い情熱の全てが私という一点に注がれている事実に、肌に粟が立つ。
けれど、その毒のような執着が、私の中の「空っぽだった部分」を、驚くほどぴったりと埋めていくのを感じていた。
外はもうすぐ、日が沈もうとしていた。
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