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「……それで? 昨夜の続きをわざわざ個室でやる必要があるのですか、殿下」
私は王宮の一室で、豪華な椅子にふんぞり返るアシュレイ王子を冷めた目で見つめていた。
昨夜の夜会で華麗に婚約破棄を言い渡されたはずなのだが、なぜか私は翌朝、王宮へと呼び戻されていた。
王子の隣には、今日も今日とて「私は被害者です」と言わんばかりの顔をした聖女リリアンが座っている。
「当たり前だ! 昨夜はお前の口車に乗せられてしまったが、罪状はまだ山ほどあるのだ!」
「口車ではなく正論です。で、今度は何ですか? 私の顔が地味すぎて王宮の美観を損ねた罪とか、そのあたりですか?」
「それはもう昨夜言った! いいか、今回は言い逃れできんぞ。これを見ろ!」
王子が机の上に叩きつけたのは、一通の報告書……ではなく、なんだか汚れた布切れだった。
「これはリリアンが大切にしていた聖なる儀式用のヴェールだ! お前はこれに、あろうことか毒を塗ったな!」
「毒、ですか」
私は手袋をはめた手で、その布切れをそっとつまみ上げた。
鼻を突くのは、なんとも言えない芳醇で……スパイシーな香り。
「リリアン様、これに触れた時、どのような症状が出ましたか?」
「え、ええ……。顔が、こう、カァーッと熱くなって、涙が止まらなくて……。鼻水まで出てきて、もう死ぬかと思いましたわっ!」
リリアンがわざとらしく胸を押さえて身を震わせる。
王子は鬼の首を取ったような顔で私を指差した。
「聞いたか! これは猛毒の徴候だ! お前は聖女を暗殺しようとしたのだ!」
「……殿下。これ、毒じゃなくて『激辛デスソース』ですよね?」
「は?」
「ほら、よく見てください。布の端に唐辛子の種らしきものが付着しています。あと、この独特の酸味がある香りは、間違いなくハバネロベースのソースです」
私は布を鼻に近づけて、確信を持って断言した。
「昨日の昼食時、リリアン様が『刺激が足りない』と言って、私のカバンから勝手に持ち出した私物のソースじゃないですか。それをヴェールで拭いたんでしょう?」
「えっ……。あ、あれ、そういえば……サンドイッチを食べた後に口を拭くものがなくて……」
リリアンが気まずそうに目を逸らす。
王子の顔が、昨夜と同じように急速に赤くなっていく。
「そ、それにしたって! お前は私の愛馬のたてがみを、無惨にも三つ編みにしただろう! 馬が恥ずかしがって外に出たがらなくなったんだぞ!」
「あ、それは私です。すみません、あまりに毛並みが綺麗だったので、つい手が動いてしまいました。でも、そのおかげで馬術大会では『おしゃれな馬』として注目を浴びていたと聞きましたが?」
「……たしかに、観客からは好評だったが……。いや、論点はそこではない!」
王子は必死に頭を抱え、次なる罪状を探しているようだった。
「そうだ! お前は昨夜、私の大事な執務室の書類を、すべて『紙飛行機』にして飛ばしたな! 窓から中庭に向かって、編隊を組ませて!」
「ああ、あれですか。殿下があまりに仕事をしなくて、机の上がゴミの山になっていたので。有効活用して差し上げたんですよ」
「有効活用!? 国の重要機密が中庭に散らばったんだぞ!」
「大丈夫です。すべて『殿下が書いたラブレター(没)の山』でしたから。機密どころか、中庭を掃除していた庭師のおじいさんが、あまりのポエムっぷりに読み耽って作業が止まっていましたよ」
「貴様ぁぁぁ!!」
王子の叫び声が部屋に響く。
もはや断罪劇ではなく、単なる「私の事後処理報告会」と化していた。
その時、部屋の隅で控えていた影が、またしても「くくく……」と震え出した。
「……シリル卿。そこにいるなら出てきてください。昨夜から笑いすぎですよ」
カーテンの影から、騎士団長シリルが姿を現した。
彼は相変わらずの鉄面皮だが、肩が小刻みに揺れている。
「……すまん。あまりに内容がガバガバすぎて、騎士としての理性が崩壊しそうになった」
「シ、シリル! お前は私の味方だろう! この不届きな女を今すぐ捕らえろ!」
王子が命じると、シリル卿はスッと表情を引き締めた。
そして、私の方へと歩み寄る。
「殿下、残念ながら彼女を捕らえることはできません。なぜなら、彼女は本日付で、我が騎士団の『特別相談役』に就任することが決まっているからです」
「はぁ!? 相談役だと!? 何の相談に乗るというのだ!」
シリル卿は私の横に立ち、王子の目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「騎士たちの『精神修行』です。彼らの弛んだ根性と、筋肉に支配された脳みそを、彼女のキレ味鋭い言葉で叩き直していただくことにしました」
「……初耳なんですけど、シリル卿」
私がジト目で彼を見上げると、彼は私だけに聞こえるような低い声で囁いた。
「頼む、ヴェール嬢。我が騎士団にはボケを放置しすぎて収拾がつかなくなっている小隊があるんだ。君なら……君なら救える」
「私を救世主みたいに呼ばないでいただけます? ただのツッコミですよ?」
「そのツッコミが、今のこの国には必要なんだ」
シリルの目は、驚くほど真剣だった。
笑いのツボが浅いくせに、こういう時だけ騎士らしい熱を帯びるから困る。
「……分かりました。どうせ実家も追い出される予定ですし、騎士団の宿舎があるならそこで手を打ちましょう」
「決定だな。では殿下、彼女の身柄は私が預かります」
「待て! 勝手に決めるな! 私の婚約破棄はどうなるんだ!」
「勝手になさってください。書類はすでに私の手元にあります。あとはサインするだけですよ、お・ば・か・な殿下」
私は最後の最後で特大の毒を吐き、シリル卿と共に部屋を出た。
「お、おば……!? 今、私をバカと言ったか!? ヴェール! 戻れ! ツッコんでから行けぇぇぇ!!」
背後で聞こえる王子の声を無視して、私は新しい一歩を踏み出した。
前途多難。けれど、あのバカ王子のお世話をするよりは、筋肉バカたちを相手にする方がいくらかマシな気がした。
私は王宮の一室で、豪華な椅子にふんぞり返るアシュレイ王子を冷めた目で見つめていた。
昨夜の夜会で華麗に婚約破棄を言い渡されたはずなのだが、なぜか私は翌朝、王宮へと呼び戻されていた。
王子の隣には、今日も今日とて「私は被害者です」と言わんばかりの顔をした聖女リリアンが座っている。
「当たり前だ! 昨夜はお前の口車に乗せられてしまったが、罪状はまだ山ほどあるのだ!」
「口車ではなく正論です。で、今度は何ですか? 私の顔が地味すぎて王宮の美観を損ねた罪とか、そのあたりですか?」
「それはもう昨夜言った! いいか、今回は言い逃れできんぞ。これを見ろ!」
王子が机の上に叩きつけたのは、一通の報告書……ではなく、なんだか汚れた布切れだった。
「これはリリアンが大切にしていた聖なる儀式用のヴェールだ! お前はこれに、あろうことか毒を塗ったな!」
「毒、ですか」
私は手袋をはめた手で、その布切れをそっとつまみ上げた。
鼻を突くのは、なんとも言えない芳醇で……スパイシーな香り。
「リリアン様、これに触れた時、どのような症状が出ましたか?」
「え、ええ……。顔が、こう、カァーッと熱くなって、涙が止まらなくて……。鼻水まで出てきて、もう死ぬかと思いましたわっ!」
リリアンがわざとらしく胸を押さえて身を震わせる。
王子は鬼の首を取ったような顔で私を指差した。
「聞いたか! これは猛毒の徴候だ! お前は聖女を暗殺しようとしたのだ!」
「……殿下。これ、毒じゃなくて『激辛デスソース』ですよね?」
「は?」
「ほら、よく見てください。布の端に唐辛子の種らしきものが付着しています。あと、この独特の酸味がある香りは、間違いなくハバネロベースのソースです」
私は布を鼻に近づけて、確信を持って断言した。
「昨日の昼食時、リリアン様が『刺激が足りない』と言って、私のカバンから勝手に持ち出した私物のソースじゃないですか。それをヴェールで拭いたんでしょう?」
「えっ……。あ、あれ、そういえば……サンドイッチを食べた後に口を拭くものがなくて……」
リリアンが気まずそうに目を逸らす。
王子の顔が、昨夜と同じように急速に赤くなっていく。
「そ、それにしたって! お前は私の愛馬のたてがみを、無惨にも三つ編みにしただろう! 馬が恥ずかしがって外に出たがらなくなったんだぞ!」
「あ、それは私です。すみません、あまりに毛並みが綺麗だったので、つい手が動いてしまいました。でも、そのおかげで馬術大会では『おしゃれな馬』として注目を浴びていたと聞きましたが?」
「……たしかに、観客からは好評だったが……。いや、論点はそこではない!」
王子は必死に頭を抱え、次なる罪状を探しているようだった。
「そうだ! お前は昨夜、私の大事な執務室の書類を、すべて『紙飛行機』にして飛ばしたな! 窓から中庭に向かって、編隊を組ませて!」
「ああ、あれですか。殿下があまりに仕事をしなくて、机の上がゴミの山になっていたので。有効活用して差し上げたんですよ」
「有効活用!? 国の重要機密が中庭に散らばったんだぞ!」
「大丈夫です。すべて『殿下が書いたラブレター(没)の山』でしたから。機密どころか、中庭を掃除していた庭師のおじいさんが、あまりのポエムっぷりに読み耽って作業が止まっていましたよ」
「貴様ぁぁぁ!!」
王子の叫び声が部屋に響く。
もはや断罪劇ではなく、単なる「私の事後処理報告会」と化していた。
その時、部屋の隅で控えていた影が、またしても「くくく……」と震え出した。
「……シリル卿。そこにいるなら出てきてください。昨夜から笑いすぎですよ」
カーテンの影から、騎士団長シリルが姿を現した。
彼は相変わらずの鉄面皮だが、肩が小刻みに揺れている。
「……すまん。あまりに内容がガバガバすぎて、騎士としての理性が崩壊しそうになった」
「シ、シリル! お前は私の味方だろう! この不届きな女を今すぐ捕らえろ!」
王子が命じると、シリル卿はスッと表情を引き締めた。
そして、私の方へと歩み寄る。
「殿下、残念ながら彼女を捕らえることはできません。なぜなら、彼女は本日付で、我が騎士団の『特別相談役』に就任することが決まっているからです」
「はぁ!? 相談役だと!? 何の相談に乗るというのだ!」
シリル卿は私の横に立ち、王子の目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「騎士たちの『精神修行』です。彼らの弛んだ根性と、筋肉に支配された脳みそを、彼女のキレ味鋭い言葉で叩き直していただくことにしました」
「……初耳なんですけど、シリル卿」
私がジト目で彼を見上げると、彼は私だけに聞こえるような低い声で囁いた。
「頼む、ヴェール嬢。我が騎士団にはボケを放置しすぎて収拾がつかなくなっている小隊があるんだ。君なら……君なら救える」
「私を救世主みたいに呼ばないでいただけます? ただのツッコミですよ?」
「そのツッコミが、今のこの国には必要なんだ」
シリルの目は、驚くほど真剣だった。
笑いのツボが浅いくせに、こういう時だけ騎士らしい熱を帯びるから困る。
「……分かりました。どうせ実家も追い出される予定ですし、騎士団の宿舎があるならそこで手を打ちましょう」
「決定だな。では殿下、彼女の身柄は私が預かります」
「待て! 勝手に決めるな! 私の婚約破棄はどうなるんだ!」
「勝手になさってください。書類はすでに私の手元にあります。あとはサインするだけですよ、お・ば・か・な殿下」
私は最後の最後で特大の毒を吐き、シリル卿と共に部屋を出た。
「お、おば……!? 今、私をバカと言ったか!? ヴェール! 戻れ! ツッコんでから行けぇぇぇ!!」
背後で聞こえる王子の声を無視して、私は新しい一歩を踏み出した。
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