わたくし、何の取り柄もない悪役令嬢ですが。

小梅りこ

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「……シリル卿。今一度確認しますが、本日の目的は『収穫祭に向けた市場の動向調査』および『不足している食材の調達』で間違いありませんね?」


私は、騎士団の制服ではなく私服——といっても、公爵令嬢時代よりはかなり動きやすい綿のドレス姿で、隣を歩く男を仰ぎ見た。


シリル卿も今日は鎧を脱ぎ、シンプルなシャツにトラウザーズという格好だが、隠しきれない騎士のオーラと無駄に良いガタイのせいで、道ゆく女性たちの視線を独占している。


「ああ、その通りだ。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。祭りの混雑具合と物価を把握しておくことは、騎士団の危機管理体制においても重要だからな」


「……その割には、さっきから私の手首をずっと握っていますが。これも危機管理の一環ですか? 私が人混みに流されて、どこかの異次元にでも消えるとでも?」


「いや。君が他の男にぶつかった拍子に、その鋭いツッコミで相手の精神を破壊してしまわないか心配なだけだ。一種の安全装置だと思ってくれ」


「私が歩く危険物扱いですか。心外ですね。……あと、握るならせめて手袋越しにするか、もう少し力を抜いてください。このままだと私の手首に、王国最強の騎士団長の指紋が鮮明に刻印されますよ」


私がジト目で指摘すると、シリル卿は「あ……」と声を漏らし、慌てて指の力を緩めた。
が、決して離そうとはしない。


「……すまない。つい、訓練の癖で『獲物を逃さない』という力加減になっていた」


「私、獲物だったんですか。今すぐ狩り取られる運命なら、最後に美味しいタルトの一口でも食べさせてください。……あ、あそこの屋台、季節限定のベリータルトですね」


「……食べるか?」


「調査のためです。敵を知るためには、まず敵が提供する甘味のクオリティを把握しなければなりませんから」


シリル卿は真面目な顔で頷くと、流れるような動作でタルトを二つ購入した。
そして、人混みを避けるように路地裏のベンチへと私を誘う。


「ほら、ヴェール。……あーん、というやつをしてみるか?」


「…………は?」


私は耳を疑った。シリル卿は、至って真剣な表情でフォーク(屋台についてきた安っぽいプラスチック製)を私に差し出している。


「……シリル卿。一つお聞きしますが、その行為の意図は何ですか? 私の咀嚼能力を疑っているのか、あるいは私の手が今この瞬間に麻痺したとでも判断されたのでしょうか」


「いや。先日読んだ『騎士と令嬢の恋物語』という本に書いてあった。仲を深めるには、食料を分け合う儀式が有効だと。特に『あーん』は親密度のバロメーターらしい」


「その本のタイトルを教えてください。今すぐ回収して焚書(ふんしょ)処分にします。……大体、私たちは仕事中ですよ? 騎士団長が市場のど真ん中で令嬢にタルトを食べさせている光景が目撃されたら、明日には『騎士団の規律、砂糖漬けになる』という見出しで新聞に載りますよ」


「……それもそうか。新聞の売上に貢献するのも、騎士団の務めではないからな」


「そんな斜め上の納得をしないでください。いいから、普通に食べてください。ほら、口の端にクリームがついていますよ」


私はハンカチを取り出し、シリル卿の頬を拭いた。
その瞬間、彼の動きが止まった。


「……ヴェール」


「なんですか。まだついていますか?」


「……いや。今の君の動作の方が、よほど『親密度のバロメーター』が高い気がするのだが。……心臓が、さっきのタルトの糖分以上に跳ね上がっている」


「それはただの動悸です。騎士団長として、健康診断を受けることをお勧めします」


私は赤くなる顔を隠すように、自分のタルトを口に放り込んだ。
甘酸っぱいベリーの味が広がる。……悔しいけれど、美味しい。


「……しかし、ヴェール。収穫祭当日、もしあの聖女が何か無茶なことを仕掛けてきたら……」


「心配いりませんよ。彼女のボケは、いわば『予測可能な直球』です。私がバット(ツッコミ)を振れば、場外ホームランにする自信があります」


「……そうか。ならば私は、君が打ち上げたボールを回収する役目を引き受けよう。……ヴェール、君が笑っていられる場所は、私が守る」


シリル卿が、ふと真剣な眼差しで私を見た。
冗談抜きの、本物の騎士の誓いの顔。
……さっきまで「あーん」をしようとしていた男と同一人物とは思えない。


「……。……。……シリル卿」


「なんだ?」


「そのセリフ、さっきのベリーのソースがネクタイに一滴垂れている状態で言われても、格好良さが半分以下に目減りしていますよ」


「……。……。……拭いてくれるか?」


「自分で拭いてください! 甘えん坊将軍ですかあなたは!」


「……ふふ、あはははは! 甘えん坊将軍……! それは新しい役職だな!」


シリル卿の爆笑が、市場の喧騒に溶けていく。
デートのような、ロケハンのような、不思議な時間は、私の心に少しずつ「ツッコミ以外の感情」を刻み込んでいた。


(……この人、本当にずるいわ)


自分の鼓動が、市場の雑踏よりも騒がしくなっていることに、私は気づかないふりをした。
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