わたくし、何の取り柄もない悪役令嬢ですが。

小梅りこ

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「……シリル卿、落ち着いてください。今、あなたの背後から立ち上がっているのはオーラというより、物理的な『熱気』です。鎧が赤熱して、私の袖が焦げそうなんですけど」


私は、一歩前に出たシリルの背中に声をかけた。


視察という名の「コント発表会」は、アシュレイ王子のあまりの身勝手さによって、ついに騎士団の空気を氷点下まで凍りつかせようとしていた。


アシュレイ王子は、折れたパンのブーツを投げ捨て、裸足のまま仁王立ちになって叫ぶ。


「シリル! その女を離せ! ヴェールは公爵令嬢として、何の取り柄もないまま一生を終えるはずだった女だ。それを拾い上げ、婚約者という『飾り』を与えてやったのはこの私だぞ!」


「飾り……ですか」


私が呟くより早く、シリル卿の肩が大きく跳ねた。
彼がゆっくりと振り返り、王子を見下ろす。その瞳には、今まで見たこともないような「静かな怒り」が宿っていた。


「殿下。今、この女性を『飾り』と仰いましたか?」


「そうだ! ただのツッコミがうるさいだけの地味な女だ! それを騎士団で特別扱いするなど、税金の無駄遣いも甚だしい。そんな暇があるなら、新しいリリアンのドレスの綿代にでも回すべきだ!」


王子の言葉に、周囲の騎士たちが一斉にざわめいた。
彼らは知っている。ヴェールが来てから、彼らの胃袋が救われ、壊滅的だった生活環境が改善され、そして何より……「生きる喜び(笑い)」が増えたことを。


シリル卿が、一歩、また一歩と王子に詰め寄る。
王子の護衛騎士たちが剣の柄に手をかけたが、シリル卿の発する威圧感に気圧され、誰一人として動けない。


「……殿下。あなたは、このヴェール・ローゼライトという女性の価値を、致命的なまでに履き違えている」


「なんだと? 私の審美眼を疑うのか!?」


「審美眼以前に、あなたの脳の構造を疑っている。……いいか、よく聞け。彼女の放つ言葉、それは単なる『文句』ではない。それは、混沌とした世界を正す『一筋の光』であり、全人類の魂を浄化する『至高の芸術』だ!」


「……えっ。シリル卿、今、何て言いました?」


私は思わず、彼のマントの端を引っ張った。
話の方向性が、妙な雲行きになってきている。


「彼女のツッコミは、一音一音が黄金の比率で構成されている! あの絶妙な間、相手のボケの急所を的確に射抜くキレ味、そして最後には不思議と納得させてしまう包容力! あれを『取り柄がない』などと抜かすのは、国宝をドブに捨てるに等しい愚行だ!」


シリル卿は、王子を指差して朗々と宣言した。


「我が騎士団にとって、彼女の言葉はもはや戦術の一部だ! 彼女が『バカですか』と言えば、兵士たちは己の愚かさを恥じて奮起し、彼女が『死ぬまで掃除してなさい』と言えば、どんな強敵よりも恐ろしい速さで戦場を清めるだろう! 彼女こそが、この国の真の守護聖女(ツッコミ担当)なのだ!」


「……あの、シリル卿。褒めてくれているのは分かりますが、内容が誇張されすぎて、私の背中のあたりが痒くなっているんですけど」


「ヴェール、黙っていろ。私は今、最高に真面目だ。……殿下! 彼女を王宮へ戻せと言うなら、まず私の首を刎ねてからにするがいい! ただし、私の首が飛んだ瞬間に、私のツッコミを継承した副団長たちが、一斉にあなたの『パンの靴』を物理的に批判し始めることになるがな!」


「ひ、ひぃっ……!」


王子の腰が引けた。
無表情で淡々と「芸術だ」「国宝だ」と熱弁を振るうシリル卿は、ある意味でアシュレイ王子よりもずっと「狂気」に満ちていた。


「あ、あしゅれい様ぁ……シリル様が怖いですわ……。私の羽根も、彼の熱気でチリチリに燃えて……っ!」


リリアンが泣きつくが、シリル卿の怒りは収まらない。


「殿下。二度と彼女を『何の取り柄もない』などと呼ばないでいただきたい。彼女には、あなたには一生理解できないであろう『世界を修正する力』がある。……お引き取りを。これ以上彼女を侮辱するなら、私は騎士団長を辞し、全財産を投じて『ヴェール様ツッコミ全集』を出版し、王宮の前で毎朝朗読会を開く所存だ」


「そ、そんな恥晒しなことをされてたまるか! 分かった、もういい! ヴェールなど、くれてやる! お前ら、帰るぞ! 新しいパンを用意しろ!」


アシュレイ王子は、裸足のまま、半泣きで馬車へと逃げ込んでいった。
リリアンも羽根を振り乱しながら、慌てて後を追う。


嵐のような視察が終わり、騎士団本部の入り口には、しんと静まり返った空気が流れた。


シリル卿は、ようやく肩の力を抜き、私の方へと向き直った。
その顔は、先ほどまでの烈火のような表情が嘘のように、いつもの穏やかな……けれど少し照れたような無愛想さに戻っていた。


「……ヴェール。すまない、取り乱した。君を傷つける言葉を、どうしても看過できなかったんだ」


「……取り乱し方が特殊すぎますよ、シリル卿。なんですか『ツッコミ全集』って。私は死んでもそんな羞恥プレイ本、出版させませんからね」


「……ダメか? 名著になると思ったのだが」


「なるわけないでしょう。……でも」


私は、彼の鎧の胸当てに、ぽんと手を置いた。
熱を帯びた銀色の装甲越しに、彼の鼓動が伝わってくる。


「……守ってくれて、ありがとうございました。私のツッコミを『芸術』なんて呼んでくれたのは、世界中であなただけです」


私が少しだけ俯いてお礼を言うと、シリル卿は一瞬絶句した。
そして、顔を真っ赤にして、視線を右往左往させた。


「……あ、ああ。……その、当然のことをしたまでだ。……君の、その……今の『ありがとう』も、非常に……音響学的に優れた……」


「無理やりツッコミの文脈に繋げなくていいですよ。恥ずかしいんですから」


「……。……。……ぷっ、あはははは!」


シリル卿は突然笑い出した。
今までの「我慢していた笑い」ではなく、心の底から溢れ出たような、朗らかな笑い。


「そうだな。君は君のままでいい。……さあ、食堂へ行こうか。今日は君のツッコミを肴に、騎士たちと盛大に食事をしたい気分だ」


「私は肴(さかな)じゃありません。……でも、メンチカツなら作ってあげてもいいですよ」


私たちは、夕日に照らされた廊下を歩き始めた。
アシュレイ王子の襲来は、皮肉にも、私たちの絆をより「斜め上の方向」へと強固なものにしてしまったようだった。
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