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深夜の騎士団本部。窓の外では、欠けた月が静かに地上を照らしていた。
私は一人、医務室の隅にある作業机で、騎士たちの制服のほころびを縫い直していた。
……といっても、もともと「何の取り柄もない」私だ。刺繍や裁縫といった令嬢らしい嗜みは、人並み以下である。
「……あ。また指を刺した。……これで本日五回目。私の血液は、布地に赤い水玉模様を描くために存在しているのかしら」
自分の不器用さに呆れ、ため息をつく。
ふと、昼間にアシュレイ王子が放った言葉が、澱(おり)のように胸の底に沈んでいた。
『何の取り柄もないまま一生を終えるはずだった女』
『婚約者という名の飾り』
……あながち、間違いではない。
リリアンのように人々を癒やす奇跡の力があるわけでも、シリル卿のように国を守る剣技があるわけでもない。
ただ、流れてくるボケに対して反射的に言葉を返しているだけ。
「……私、ここで何をしているんだろう」
針を置き、窓の外を見つめる。
騎士団の皆は優しいし、シリル卿は私のツッコミを喜んでくれるけれど。
それは、珍しい動物を眺めて楽しんでいるようなものではないのだろうか。
「夜更かしは美容の敵だと言わなかったか、ヴェール」
背後から聞こえた低い声に、私は肩を震わせた。
振り返ると、そこには夜警用のマントを羽織ったシリル卿が立っていた。
「……シリル卿。幽霊のように気配を消して現れるのはやめてください。私の心臓は、驚くと口から飛び出す仕様にはなっていないんです」
「すまない。君の部屋の明かりがついていたから、つい足が向いた。……何をしていたんだ?」
シリル卿は机の上の惨状——血のついた布と、ぐちゃぐちゃに絡まった糸——を見て、静かに眉を寄せた。
「……これは、新しいタイプの防護網か? それとも、複雑な結界の魔法陣か何かか?」
「嫌味ですか? 見ての通り、雑な縫い目による絶望の表現ですよ。……騎士の方々の制服を直そうと思ったのですが、どうやら私の手は、布を愛でるよりも破壊する方が得意なようです」
私は自嘲気味に笑い、針を刺した指を隠した。
シリル卿は無言で私の隣に座り、その隠した手を取った。
「……傷だらけじゃないか。君がこんなことをする必要はない。裁縫なら、専門の職人がいる」
「分かっています。でも、何かしたかったんです。……皆さんが命を懸けて戦っている中で、私だけが毎日『バカですね』なんて言ってお腹を抱えて笑っているのが、時々……無性に申し訳なくなるんです」
シリル卿の手が、わずかに強まる。
「……あの王子の言葉を、まだ気にしているのか?」
「……。……。……気にしているというか、事実ですから。私には、女性としての華やかさも、聖女のような力も、騎士のような強さもありません。私のツッコミなんて、所詮はただの『屁理屈』の延長線上にあるものです。それを取り柄だなんて呼んでくれるのは、あなたくらいですよ」
私は俯いた。
視界が少しだけ滲む。シリアスな雰囲気は苦手なのに、一度溢れ出した不安は止まらなかった。
「シリル卿。私は、あなたの『暇つぶし』になっていませんか? 私が面白いことを言うから、珍しがって側に置いているだけじゃ……」
「……ヴェール」
シリル卿が私の肩を掴み、無理やり自分の方を向かせた。
いつもの笑いを堪えたような顔ではない。氷の騎士と恐れられる、あの鋭く、けれど真っ直ぐな瞳。
「いいか、よく聞け。君のその『言葉』が、どれほどこの場所を救っているか。……私は以前、感情を殺して剣を振ることだけが騎士の道だと信じていた。この団の者たちもそうだ。皆、死と隣り合わせの緊張感の中で、心が乾ききっていた」
シリル卿は、そっと私の頬に触れた。
「そこに君が来た。君が『その筋肉は飾りですか?』と言い、『殿下のチャックを閉めてください』と一喝した時、私たちは……初めて、人間として笑うことができたんだ。君は『屁理屈』だと言うが、それは違う」
「……何が違うんですか」
「君のツッコミは、嘘偽りのない『真実』だ。誰もが口を噤(つぐ)むような不条理に対し、真っ向から『それはおかしい』と言える勇気。それは、聖剣を抜くよりもずっと難しく、尊いことなんだ。……少なくとも私は、君のその声に、何度も魂を呼び戻された」
「……。……。……シリル卿」
私は、熱くなる顔を隠すことができなかった。
「……今のセリフ、もし台本があるなら教えてください。今すぐ修正液で消してあげます。……そんな、恥ずかしいことを真顔で言わないでください」
「真実だからな。……ヴェール、君に『取り柄』がないと言う奴がいるなら、そいつの目は節穴だ。君はこの騎士団の……いや、私の『心』の欠かせない一部なんだ」
シリル卿は、そのまま私の額に、優しく自分の額を押し当てた。
心臓の音が、耳元で激しく鳴り響く。
「……シリル卿、一つだけツッコんでもいいですか?」
「……なんだ?」
「……今の雰囲気、最高にロマンチックですけど、あなたの鎧の角が私の胸元に刺さって、物理的に痛いんですけど。……愛を語るなら、まずその金属製の装備をパジャマに着替えてきてからにしてください」
「…………っ、はははは!」
シリル卿は一瞬絶句した後、いつものように爆笑し始めた。
私の不安を、彼の笑い声が吹き飛ばしていく。
「……やはり君には敵わないな。……ああ、痛かったか。すまない」
「分かればよろしい。……ほら、もう寝てください。団長が寝不足で倒れたら、また私が『責任感の欠如した置き物ですか』ってツッコまなきゃいけなくなるんですから」
「ふふ、……ああ、分かった。……おやすみ、ヴェール。私の、世界で一番大切なツッコミ役」
シリル卿は私の指先の傷に一度だけ口づけをして、満足げに去っていった。
一人残された部屋で、私は自分の顔が沸騰しそうなほど赤いのを自覚した。
「……全く。あの人、天然なのか、それとも計算なのか……」
私は、ボロボロになった布地を見つめた。
取り柄なんて、なくてもいい。
あの人が笑ってくれるなら、私は世界中のあらゆる不条理に、一生ツッコミを入れ続けてやる。
そんな、少しだけ強気な決意を胸に、私はようやく明かりを消した。
私は一人、医務室の隅にある作業机で、騎士たちの制服のほころびを縫い直していた。
……といっても、もともと「何の取り柄もない」私だ。刺繍や裁縫といった令嬢らしい嗜みは、人並み以下である。
「……あ。また指を刺した。……これで本日五回目。私の血液は、布地に赤い水玉模様を描くために存在しているのかしら」
自分の不器用さに呆れ、ため息をつく。
ふと、昼間にアシュレイ王子が放った言葉が、澱(おり)のように胸の底に沈んでいた。
『何の取り柄もないまま一生を終えるはずだった女』
『婚約者という名の飾り』
……あながち、間違いではない。
リリアンのように人々を癒やす奇跡の力があるわけでも、シリル卿のように国を守る剣技があるわけでもない。
ただ、流れてくるボケに対して反射的に言葉を返しているだけ。
「……私、ここで何をしているんだろう」
針を置き、窓の外を見つめる。
騎士団の皆は優しいし、シリル卿は私のツッコミを喜んでくれるけれど。
それは、珍しい動物を眺めて楽しんでいるようなものではないのだろうか。
「夜更かしは美容の敵だと言わなかったか、ヴェール」
背後から聞こえた低い声に、私は肩を震わせた。
振り返ると、そこには夜警用のマントを羽織ったシリル卿が立っていた。
「……シリル卿。幽霊のように気配を消して現れるのはやめてください。私の心臓は、驚くと口から飛び出す仕様にはなっていないんです」
「すまない。君の部屋の明かりがついていたから、つい足が向いた。……何をしていたんだ?」
シリル卿は机の上の惨状——血のついた布と、ぐちゃぐちゃに絡まった糸——を見て、静かに眉を寄せた。
「……これは、新しいタイプの防護網か? それとも、複雑な結界の魔法陣か何かか?」
「嫌味ですか? 見ての通り、雑な縫い目による絶望の表現ですよ。……騎士の方々の制服を直そうと思ったのですが、どうやら私の手は、布を愛でるよりも破壊する方が得意なようです」
私は自嘲気味に笑い、針を刺した指を隠した。
シリル卿は無言で私の隣に座り、その隠した手を取った。
「……傷だらけじゃないか。君がこんなことをする必要はない。裁縫なら、専門の職人がいる」
「分かっています。でも、何かしたかったんです。……皆さんが命を懸けて戦っている中で、私だけが毎日『バカですね』なんて言ってお腹を抱えて笑っているのが、時々……無性に申し訳なくなるんです」
シリル卿の手が、わずかに強まる。
「……あの王子の言葉を、まだ気にしているのか?」
「……。……。……気にしているというか、事実ですから。私には、女性としての華やかさも、聖女のような力も、騎士のような強さもありません。私のツッコミなんて、所詮はただの『屁理屈』の延長線上にあるものです。それを取り柄だなんて呼んでくれるのは、あなたくらいですよ」
私は俯いた。
視界が少しだけ滲む。シリアスな雰囲気は苦手なのに、一度溢れ出した不安は止まらなかった。
「シリル卿。私は、あなたの『暇つぶし』になっていませんか? 私が面白いことを言うから、珍しがって側に置いているだけじゃ……」
「……ヴェール」
シリル卿が私の肩を掴み、無理やり自分の方を向かせた。
いつもの笑いを堪えたような顔ではない。氷の騎士と恐れられる、あの鋭く、けれど真っ直ぐな瞳。
「いいか、よく聞け。君のその『言葉』が、どれほどこの場所を救っているか。……私は以前、感情を殺して剣を振ることだけが騎士の道だと信じていた。この団の者たちもそうだ。皆、死と隣り合わせの緊張感の中で、心が乾ききっていた」
シリル卿は、そっと私の頬に触れた。
「そこに君が来た。君が『その筋肉は飾りですか?』と言い、『殿下のチャックを閉めてください』と一喝した時、私たちは……初めて、人間として笑うことができたんだ。君は『屁理屈』だと言うが、それは違う」
「……何が違うんですか」
「君のツッコミは、嘘偽りのない『真実』だ。誰もが口を噤(つぐ)むような不条理に対し、真っ向から『それはおかしい』と言える勇気。それは、聖剣を抜くよりもずっと難しく、尊いことなんだ。……少なくとも私は、君のその声に、何度も魂を呼び戻された」
「……。……。……シリル卿」
私は、熱くなる顔を隠すことができなかった。
「……今のセリフ、もし台本があるなら教えてください。今すぐ修正液で消してあげます。……そんな、恥ずかしいことを真顔で言わないでください」
「真実だからな。……ヴェール、君に『取り柄』がないと言う奴がいるなら、そいつの目は節穴だ。君はこの騎士団の……いや、私の『心』の欠かせない一部なんだ」
シリル卿は、そのまま私の額に、優しく自分の額を押し当てた。
心臓の音が、耳元で激しく鳴り響く。
「……シリル卿、一つだけツッコんでもいいですか?」
「……なんだ?」
「……今の雰囲気、最高にロマンチックですけど、あなたの鎧の角が私の胸元に刺さって、物理的に痛いんですけど。……愛を語るなら、まずその金属製の装備をパジャマに着替えてきてからにしてください」
「…………っ、はははは!」
シリル卿は一瞬絶句した後、いつものように爆笑し始めた。
私の不安を、彼の笑い声が吹き飛ばしていく。
「……やはり君には敵わないな。……ああ、痛かったか。すまない」
「分かればよろしい。……ほら、もう寝てください。団長が寝不足で倒れたら、また私が『責任感の欠如した置き物ですか』ってツッコまなきゃいけなくなるんですから」
「ふふ、……ああ、分かった。……おやすみ、ヴェール。私の、世界で一番大切なツッコミ役」
シリル卿は私の指先の傷に一度だけ口づけをして、満足げに去っていった。
一人残された部屋で、私は自分の顔が沸騰しそうなほど赤いのを自覚した。
「……全く。あの人、天然なのか、それとも計算なのか……」
私は、ボロボロになった布地を見つめた。
取り柄なんて、なくてもいい。
あの人が笑ってくれるなら、私は世界中のあらゆる不条理に、一生ツッコミを入れ続けてやる。
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