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王宮から公爵邸への帰路、馬車の中。
私は膝の上に広げた帳簿に、羽ペンを走らせていた。
「馬車の維持費、御者の残業代、夜会用のドレスの減価償却費……ふむ。やはり早めに切り上げて正解でしたわね」
婚約破棄されたショックなど、一ミリも湧いてこない。
それどころか、今まで「将来の王妃」という立場を守るために投じてきたサンクコスト(埋没費用)を、いかにして回収するかに全神経を集中させていた。
公爵邸の門をくぐると、玄関先には父であるグロスタ公爵が、今にも倒れそうな顔で立っていた。
「ウリエル! ああ、私の可哀想な娘よ! 王宮から知らせが届いたぞ! 婚約破棄だなんて……我がグロスタ家の名誉はボロボロだ!」
父はハンカチを噛み締めながら、大仰に嘆いてみせる。
私は馬車を降りるなり、父の隣にある巨大な大理石の彫像に目を留めた。
「お父様、名誉の心配をする前に、まずこの悪趣味な彫像の購入価格を教えていただけますか?」
「なっ、なんだいきなり! これは古代帝国の名匠が彫ったという『嘆きの乙女』だぞ! 五〇〇万ゴールドもしたんだ!」
「五〇〇万……。お父様、今の我が家の当座預金残高、ご存知ですの?」
私は手帳をパチンと閉じて、父を冷ややかな目で見つめた。
「知り合いの商人から聞いた話では、お父様は先月も『幻の青いバラの種』とかいう怪しげなものに大金を投じたとか。名誉がボロボロなのは、婚約破棄のせいではなく、お父様のザル勘定のせいではなくて?」
「う、うるさい! 私はお前の将来を心配して……!」
「私の心配は無用です。それより、こちらをご覧ください」
私は父の手に、先ほど馬車の中でまとめ上げた『婚約破棄に伴う損害賠償および資産返還請求予定リスト』を押し付けた。
「な、なんだこれは……。ページ数が多すぎて重いのだが」
「クロード殿下へ贈った品々の目録、および、彼との交際によって私が逸失した利益の算定書ですわ。ついでに、そこの彫像は明日、私が馴染みの古物商に売却しておきます」
「ええっ!? 私のお気に入りの乙女が!」
「乙女を眺めても金貨は降ってきませんわ、お父様」
私は父を無視して、邸内へと足を踏み入れた。
そこには、主人の帰還を待っていた使用人たちが不安げな表情で並んでいる。
「皆様、注目なさい。本日、私は第一王子殿下より婚約破棄を言い渡されました」
使用人たちの間に動揺が走る。
「お嬢様が……」「なんてお労しい……」という声が漏れる中、私はパンと手を叩いた。
「ですので、本日をもって『王妃教育用』に雇っていた講師陣、および、不必要に増えていた装飾係の皆様には、本日付で契約を終了させていただきます」
「え、エグゼクティブ・リストラ!?」
執事のセバスが、驚きでモノクルを落としそうになった。
「言葉が過ぎますわよ、セバス。適正な人員配置(リサイジング)と言いなさい。あ、貴方の給与も来月から一割カットです。その代わり、私の資産運用を手伝ってくれたらインセンティブを出しましょう」
「お、お嬢様……。なんだか、以前よりさらに数字にシビアになられていませんか?」
「当然ですわ。これまでは『公爵令嬢としての見栄』という経費を認めざるを得ませんでしたが、今はもうただの独身女性。無駄な見栄はすべて、ただの負債です」
私は階段を上がりながら、廊下に飾られた金の燭台を指差した。
「セバス、それも売却リストへ。あと、晩餐会のメニューも変更よ。スープ、パン、メイン、以上。デザートは週に一度で十分です」
「そ、そんな! 公爵家の食卓が平民並みになってしまう!」
父が後ろから追いかけてくるが、私は足を止めない。
「お父様、いいですか。婚約破棄された私には、今や『慰謝料』という名の臨時収入の見込みがあります。しかし、それをそのまま浪費しては意味がないのです」
「臨時収入……。だが、王子相手に本当に取れるのか?」
「取りますわ。毟り取れるだけ。殿下がルルナ様に貢いだ宝石の領収書はすべて控えてありますし、王宮の維持費の一部を我が家が肩代わりしていた証拠もあります。これらを盾に、有利な条件で和解に持ち込みますわ」
私は自室の前で立ち止まり、不敵な笑みを浮かべた。
「愛が消えたあとに残るのは、思い出ではありません。残高(数字)です」
「……ウリエル。お前、本当に可愛げがないな。殿下が怖気づくのも、少しだけわかる気がするぞ」
「あら、最高の褒め言葉ですわ。殿下に私を養うだけの『支払い能力』がなかった。それだけのことですわ」
私は部屋に入ると、すぐにデスクに向かった。
次なる仕事は、領地の収支報告書の精査だ。
王都での生活費をカットした分を、いかにして領地の生産性向上に回すか。
「婚約破棄……。なんて素晴らしいコストカットのチャンスかしら。神様に感謝(黒字決済)しなくては」
私は羽ペンを走らせながら、まだ見ぬ領地の豊かな未来――いや、豊かな収益グラフを思い描き、独りごちた。
私は膝の上に広げた帳簿に、羽ペンを走らせていた。
「馬車の維持費、御者の残業代、夜会用のドレスの減価償却費……ふむ。やはり早めに切り上げて正解でしたわね」
婚約破棄されたショックなど、一ミリも湧いてこない。
それどころか、今まで「将来の王妃」という立場を守るために投じてきたサンクコスト(埋没費用)を、いかにして回収するかに全神経を集中させていた。
公爵邸の門をくぐると、玄関先には父であるグロスタ公爵が、今にも倒れそうな顔で立っていた。
「ウリエル! ああ、私の可哀想な娘よ! 王宮から知らせが届いたぞ! 婚約破棄だなんて……我がグロスタ家の名誉はボロボロだ!」
父はハンカチを噛み締めながら、大仰に嘆いてみせる。
私は馬車を降りるなり、父の隣にある巨大な大理石の彫像に目を留めた。
「お父様、名誉の心配をする前に、まずこの悪趣味な彫像の購入価格を教えていただけますか?」
「なっ、なんだいきなり! これは古代帝国の名匠が彫ったという『嘆きの乙女』だぞ! 五〇〇万ゴールドもしたんだ!」
「五〇〇万……。お父様、今の我が家の当座預金残高、ご存知ですの?」
私は手帳をパチンと閉じて、父を冷ややかな目で見つめた。
「知り合いの商人から聞いた話では、お父様は先月も『幻の青いバラの種』とかいう怪しげなものに大金を投じたとか。名誉がボロボロなのは、婚約破棄のせいではなく、お父様のザル勘定のせいではなくて?」
「う、うるさい! 私はお前の将来を心配して……!」
「私の心配は無用です。それより、こちらをご覧ください」
私は父の手に、先ほど馬車の中でまとめ上げた『婚約破棄に伴う損害賠償および資産返還請求予定リスト』を押し付けた。
「な、なんだこれは……。ページ数が多すぎて重いのだが」
「クロード殿下へ贈った品々の目録、および、彼との交際によって私が逸失した利益の算定書ですわ。ついでに、そこの彫像は明日、私が馴染みの古物商に売却しておきます」
「ええっ!? 私のお気に入りの乙女が!」
「乙女を眺めても金貨は降ってきませんわ、お父様」
私は父を無視して、邸内へと足を踏み入れた。
そこには、主人の帰還を待っていた使用人たちが不安げな表情で並んでいる。
「皆様、注目なさい。本日、私は第一王子殿下より婚約破棄を言い渡されました」
使用人たちの間に動揺が走る。
「お嬢様が……」「なんてお労しい……」という声が漏れる中、私はパンと手を叩いた。
「ですので、本日をもって『王妃教育用』に雇っていた講師陣、および、不必要に増えていた装飾係の皆様には、本日付で契約を終了させていただきます」
「え、エグゼクティブ・リストラ!?」
執事のセバスが、驚きでモノクルを落としそうになった。
「言葉が過ぎますわよ、セバス。適正な人員配置(リサイジング)と言いなさい。あ、貴方の給与も来月から一割カットです。その代わり、私の資産運用を手伝ってくれたらインセンティブを出しましょう」
「お、お嬢様……。なんだか、以前よりさらに数字にシビアになられていませんか?」
「当然ですわ。これまでは『公爵令嬢としての見栄』という経費を認めざるを得ませんでしたが、今はもうただの独身女性。無駄な見栄はすべて、ただの負債です」
私は階段を上がりながら、廊下に飾られた金の燭台を指差した。
「セバス、それも売却リストへ。あと、晩餐会のメニューも変更よ。スープ、パン、メイン、以上。デザートは週に一度で十分です」
「そ、そんな! 公爵家の食卓が平民並みになってしまう!」
父が後ろから追いかけてくるが、私は足を止めない。
「お父様、いいですか。婚約破棄された私には、今や『慰謝料』という名の臨時収入の見込みがあります。しかし、それをそのまま浪費しては意味がないのです」
「臨時収入……。だが、王子相手に本当に取れるのか?」
「取りますわ。毟り取れるだけ。殿下がルルナ様に貢いだ宝石の領収書はすべて控えてありますし、王宮の維持費の一部を我が家が肩代わりしていた証拠もあります。これらを盾に、有利な条件で和解に持ち込みますわ」
私は自室の前で立ち止まり、不敵な笑みを浮かべた。
「愛が消えたあとに残るのは、思い出ではありません。残高(数字)です」
「……ウリエル。お前、本当に可愛げがないな。殿下が怖気づくのも、少しだけわかる気がするぞ」
「あら、最高の褒め言葉ですわ。殿下に私を養うだけの『支払い能力』がなかった。それだけのことですわ」
私は部屋に入ると、すぐにデスクに向かった。
次なる仕事は、領地の収支報告書の精査だ。
王都での生活費をカットした分を、いかにして領地の生産性向上に回すか。
「婚約破棄……。なんて素晴らしいコストカットのチャンスかしら。神様に感謝(黒字決済)しなくては」
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