23 / 28
23
しおりを挟む
王都の端、かつての華やかさが嘘のような薄暗い共同住宅。
そこが、元男爵令嬢ルルナ・ルフォールの「新しい領地」となった。
広さは畳三畳分ほど。窓は建付けが悪く、すきま風が容赦なく入り込む。
ルルナは、安物の麻袋を繋ぎ合わせたような寝床で、声を上げて泣いていた。
「ひどいわ……。お水が勝手に出てこないなんて! 喉が渇いたら、外の共同井戸まで歩かなきゃいけないなんて、人の住む場所じゃありませんわぁ……っ!」
そこへ、不似合いなほど優雅なノックの音が響いた。
扉が開き、日の光を背負って現れたのは、私、ウリエルである。
「ごきげんよう、ルルナ様。……あ、失礼。今はただのルルナさん、でしたわね」
私は鼻をハンカチで押さえながら、部屋の中を一瞥した。
隣には、相変わらずカシアン様が、不機嫌そうな顔で私の背後を守っている。
「ウリエル様ぁ! 助けて、助けてくださいまし! 私、もう三日もコンソメスープを飲んでいないんですの! このままだと、お肌のキメが死んでしまいますわ!」
「スープより先に、貴女の家計が死んでいますわよ。……セバス、彼女の現状の収支報告書を読み上げて」
私の影から、セバスが音もなく現れ、一枚の紙を広げた。
「はい。現在、ルルナ氏の所有財産は現金三五〇ゴールド。未払いの家賃が一〇〇〇ゴールド。……差し引き六五〇ゴールドの債務超過状態でございます」
「な……。ルルナさん、貴女、私が渡した『一ヶ月分の最低生活費』を、三日で使い果たしたのですか?」
「だってぇ! 通りがかりの物売りが、とっても可愛いリボンを売っていたんですもの! 『真実の愛』を失った私には、せめてそれくらいの癒やしが必要だと思って……」
私は、頭痛をこらえるように額を押さえた。
この女、底なしの赤字製造機である。
「リボンで腹は膨れません。いいですか、ルルナさん。今日から貴女が生き残るための『生存戦略(サバイバル・プラン)』を伝授して差し上げますわ。……カシアン様、その『救援物資』を」
カシアン様が、嫌そうに、けれど私の指示通りに一袋の包みをルルナの前に放り投げた。
「……。中身はパンの耳だ。それも昨日の売れ残りだ」
「パンの耳……。これ、馬の餌じゃありませんの?」
「いいえ。これは『高密度な炭水化物の塊』ですわ。ルルナさん、街の西通りにあるベーカリー『ピエール』では、夕方五時を過ぎると、このパンの耳が三〇ゴールドで袋いっぱいに買えます。これに市場で拾ってきた……いえ、譲り受けた野菜の屑を煮込めば、立派な一汁一菜の完成ですわ」
「野菜の屑だなんて……! 私、そんなの食べたことありませんわ!」
「なら、今日が記念すべき初めての『コストカット記念日』ですわね。……あ、それから。ルルナさん、貴女のその無駄に長い髪、少し切りなさいな」
ルルナが、悲鳴を上げて自分の髪を抱え込んだ。
「嫌ですわ! 髪は女の命ですもの!」
「命を維持するためのシャンプー代、および乾燥させるための薪代が、今の貴女には『不良債務』になっていますの。短くすれば、水道代も薪代も三割はカットできますわよ」
私は冷徹に、そろばんを弾いた。
「いいですか。貴女の今の時給は、街の洗濯屋でのアルバイトで時給一五ゴールド。リボン一つ買うために、何時間腰を曲げて働かなければならないか、計算しなさい。……。はい、今この話を聞いている間にも、貴女の寿命という資産が消費されていますわよ」
「……。ウリエル。貴様の教育は、相変わらず容赦がないな」
カシアン様が呆れたように呟く。
私は彼に向き直り、きっぱりと言い放った。
「カシアン様。慈悲とは、甘やかすことではありません。自立できるだけの『経済観念』を植え付けることこそが、真の救済です。……ルルナさん、明日までに、その部屋にある不要な家具をすべて売り払って、家賃の滞納分に充てなさい。できなければ、明後日には貴女、橋の下で野宿(ホームレス)になりますわよ」
「そんなぁ……。クロード様、クロード様はどこにいらっしゃるの? 助けてくださらないの?」
「あの方なら、今ごろ王都の地下水路で、泥にまみれてネズミと追いかけっこをしていますわ。……あ、彼も自給自足の精神を学んでいる最中ですので、お互い様ですわね」
私は、部屋の片隅に落ちていた、まだタグの付いたままの派手なリボンを拾い上げ、ゴミ箱へ捨てた。
「愛はタダですが、生活には維持費がかかります。ルルナさん。貴女がいつか『パンの耳』の本当の価値に気づいた時、私の言ったことが理解できるでしょう。……。さあ、カシアン様。不採算物件の巡回は終わりです。次は、領地の新しい醸造所の利益配分を決めなくては」
「……。ああ。……。ルルナ、死なない程度に頑張れ。葬儀代もバカにならないからな」
カシアン様の無慈悲な励まし(?)と共に、私たちはそのボロ部屋を後にした。
「ウリエル様ぁぁ! せめて、せめてお砂糖を……! お砂糖を分けてくださいませぇぇ!」
背後で響く絶叫を無視し、私は馬車に乗り込んだ。
私の人生に、もはや「赤字」という文字は存在しない。
たとえそれが、かつてのライバルであろうとも、数字の帳尻が合わない不純物は徹底的に排除(リストラ)する。
それが、私の提唱する「真実の経営」なのだから。
そこが、元男爵令嬢ルルナ・ルフォールの「新しい領地」となった。
広さは畳三畳分ほど。窓は建付けが悪く、すきま風が容赦なく入り込む。
ルルナは、安物の麻袋を繋ぎ合わせたような寝床で、声を上げて泣いていた。
「ひどいわ……。お水が勝手に出てこないなんて! 喉が渇いたら、外の共同井戸まで歩かなきゃいけないなんて、人の住む場所じゃありませんわぁ……っ!」
そこへ、不似合いなほど優雅なノックの音が響いた。
扉が開き、日の光を背負って現れたのは、私、ウリエルである。
「ごきげんよう、ルルナ様。……あ、失礼。今はただのルルナさん、でしたわね」
私は鼻をハンカチで押さえながら、部屋の中を一瞥した。
隣には、相変わらずカシアン様が、不機嫌そうな顔で私の背後を守っている。
「ウリエル様ぁ! 助けて、助けてくださいまし! 私、もう三日もコンソメスープを飲んでいないんですの! このままだと、お肌のキメが死んでしまいますわ!」
「スープより先に、貴女の家計が死んでいますわよ。……セバス、彼女の現状の収支報告書を読み上げて」
私の影から、セバスが音もなく現れ、一枚の紙を広げた。
「はい。現在、ルルナ氏の所有財産は現金三五〇ゴールド。未払いの家賃が一〇〇〇ゴールド。……差し引き六五〇ゴールドの債務超過状態でございます」
「な……。ルルナさん、貴女、私が渡した『一ヶ月分の最低生活費』を、三日で使い果たしたのですか?」
「だってぇ! 通りがかりの物売りが、とっても可愛いリボンを売っていたんですもの! 『真実の愛』を失った私には、せめてそれくらいの癒やしが必要だと思って……」
私は、頭痛をこらえるように額を押さえた。
この女、底なしの赤字製造機である。
「リボンで腹は膨れません。いいですか、ルルナさん。今日から貴女が生き残るための『生存戦略(サバイバル・プラン)』を伝授して差し上げますわ。……カシアン様、その『救援物資』を」
カシアン様が、嫌そうに、けれど私の指示通りに一袋の包みをルルナの前に放り投げた。
「……。中身はパンの耳だ。それも昨日の売れ残りだ」
「パンの耳……。これ、馬の餌じゃありませんの?」
「いいえ。これは『高密度な炭水化物の塊』ですわ。ルルナさん、街の西通りにあるベーカリー『ピエール』では、夕方五時を過ぎると、このパンの耳が三〇ゴールドで袋いっぱいに買えます。これに市場で拾ってきた……いえ、譲り受けた野菜の屑を煮込めば、立派な一汁一菜の完成ですわ」
「野菜の屑だなんて……! 私、そんなの食べたことありませんわ!」
「なら、今日が記念すべき初めての『コストカット記念日』ですわね。……あ、それから。ルルナさん、貴女のその無駄に長い髪、少し切りなさいな」
ルルナが、悲鳴を上げて自分の髪を抱え込んだ。
「嫌ですわ! 髪は女の命ですもの!」
「命を維持するためのシャンプー代、および乾燥させるための薪代が、今の貴女には『不良債務』になっていますの。短くすれば、水道代も薪代も三割はカットできますわよ」
私は冷徹に、そろばんを弾いた。
「いいですか。貴女の今の時給は、街の洗濯屋でのアルバイトで時給一五ゴールド。リボン一つ買うために、何時間腰を曲げて働かなければならないか、計算しなさい。……。はい、今この話を聞いている間にも、貴女の寿命という資産が消費されていますわよ」
「……。ウリエル。貴様の教育は、相変わらず容赦がないな」
カシアン様が呆れたように呟く。
私は彼に向き直り、きっぱりと言い放った。
「カシアン様。慈悲とは、甘やかすことではありません。自立できるだけの『経済観念』を植え付けることこそが、真の救済です。……ルルナさん、明日までに、その部屋にある不要な家具をすべて売り払って、家賃の滞納分に充てなさい。できなければ、明後日には貴女、橋の下で野宿(ホームレス)になりますわよ」
「そんなぁ……。クロード様、クロード様はどこにいらっしゃるの? 助けてくださらないの?」
「あの方なら、今ごろ王都の地下水路で、泥にまみれてネズミと追いかけっこをしていますわ。……あ、彼も自給自足の精神を学んでいる最中ですので、お互い様ですわね」
私は、部屋の片隅に落ちていた、まだタグの付いたままの派手なリボンを拾い上げ、ゴミ箱へ捨てた。
「愛はタダですが、生活には維持費がかかります。ルルナさん。貴女がいつか『パンの耳』の本当の価値に気づいた時、私の言ったことが理解できるでしょう。……。さあ、カシアン様。不採算物件の巡回は終わりです。次は、領地の新しい醸造所の利益配分を決めなくては」
「……。ああ。……。ルルナ、死なない程度に頑張れ。葬儀代もバカにならないからな」
カシアン様の無慈悲な励まし(?)と共に、私たちはそのボロ部屋を後にした。
「ウリエル様ぁぁ! せめて、せめてお砂糖を……! お砂糖を分けてくださいませぇぇ!」
背後で響く絶叫を無視し、私は馬車に乗り込んだ。
私の人生に、もはや「赤字」という文字は存在しない。
たとえそれが、かつてのライバルであろうとも、数字の帳尻が合わない不純物は徹底的に排除(リストラ)する。
それが、私の提唱する「真実の経営」なのだから。
0
あなたにおすすめの小説
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
婚約お断り令嬢ですわ ~奇行で縁談を潰していたら本命騎士に再会しました~
鍛高譚
恋愛
婚約話? 結構ですわ。
私には――子供の頃に命を救ってくれた“黒髪の騎士”がいるのですから。
公爵令嬢アンネローゼ・フォン・グレイシアは、才色兼備の完璧令嬢……だった。
だが、ある日から突如“奇行”に走り始める。正座で舞踏会に参加? スープにストロー? 謎のポエム朗読?
そう、それはすべて――望まぬ婚約をぶち壊すため!
王族、貴族、策略家、演技派……次々と舞い込む政略結婚の話。
アンネローゼはあの手この手で縁談をぶった斬り、恋も名誉も自由も手に入れる!
すべての婚約破棄は、たった一人の人に出会うため――
「破談のアンネローゼ様」が貫く、“本当の婚約”とは?
痛快!恋愛ざまぁ×ラブコメディ×ハッピーエンド!
破談上等のお嬢様が、本物の愛を掴むまでの逆転劇が今、始まりますわ!
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
前世の私は重い女だったので、今世は恋なんてしません。
ありま氷炎
恋愛
前世は余りにも夫が大好きで、愛が重すぎた。
だから捨てられた。
なので生まれ変わった今は、恋なんてするつもりはなかったのだけど……。
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。
さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。
聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。
だが、辺境の村で暮らす中で気づく。
私の力は奇跡を起こすものではなく、
壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。
一方、聖女として祭り上げられた彼女は、
人々の期待に応え続けるうち、
世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』
ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」
そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。
さらに王太子は宣言する。
「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。
履行履歴も整えず、契約も軽視し、
新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。
――ですが。
契約は宣言では動きません。
信用は履歴の上にしか立ちません。
王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、
やがて止まったのは王太子の未来でした。
自ら押した承認印が、
自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。
公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。
救済なし。
やり直しなし。
契約通りに処理しただけですのに――
なぜか王太子が廃嫡されました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる