婚約破棄、感謝いたしますわ!節約狂いの悪役令嬢、浮いた婚約維持費で領地を救う

小梅りこ

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領地の復興は、もはや「成功」という二文字では足りないほどの黒字を叩き出していた。
私は執務室で、最終四半期の収支報告書に目を通し、満足げに鼻歌を漏らす。

「ふふ、利益剰余金が当初の予測を三割も上回っていますわ。これなら、来期は領民全員に特別配当(ボーナス)を出せますわね」

そこへ、ノックもなしにカシアン様が入ってきた。
いつもなら「不法侵入(コスト増)」と叱るところだが、今日の彼の表情は、戦場へ向かう時よりも硬く、真剣だった。

「……ウリエル。少し、帳簿を置いてくれないか」

「カシアン様? 急ぎの案件でしょうか。私の時給は現在、領地の生産性向上に伴ってさらに跳ね上がっておりますけれど」

「……。金の話ではない。いや、ある意味では金の話なのだが……。これを、見てほしい」

カシアン様が机の上に置いたのは、かつて見せてくれたあの「秘密の貯金ノート」ではなかった。
もっと古く、使い込まれた、皮表紙の小さな一冊だ。

私は首を傾げながら、そのページを捲った。
そこには、数字ではなく、日付と共に短いメモが記されていた。

『八月一三日。彼女が初めて領地に来た。泥だらけの屋敷を見て、絶望するどころか「資産価値がある」と笑った。その笑顔に、一目惚れした』
『九月二日。徹夜で計算をする彼女の横顔。私の領地のために、そこまで削ってくれるのか。……。彼女を守るための『国防費』なら、いくらでも積めると確信した』
『一〇月一五日。彼女が私の手を握った。心拍数が跳ね上がり、呼吸が乱れた。……。この感情の維持費は、一生かけても払い切れないだろう』

「……。カシアン様、これは?」

私は、顔が熱くなるのを感じながら、震える声で尋ねた。
カシアン様は、気恥ずかしそうに視線を逸らし、けれどもしっかりとした足取りで私に近づいた。

「……。私の『本当の秘密貯金』だ。貴様と出会ってから、貴様に対する私の想いを、一ペニーずつ積み立てるつもりで書き溜めてきた。……。今の私の胸の内にある『愛』という名の残高は、もはやこの国の全財産を合わせても足りないほどに膨れ上がっている」

「……。カシアン様。愛を資産に換算するのは、計算不能(エラー)が生じる原因になりますわよ。……。そんな不確かなものに、全財産を賭けるなんて、貴方らしくありませんわ」

私は必死に、いつもの「計算狂い」の仮面を被ろうとした。
しかし、カシアン様は私の両手を優しく、けれど逃がさないように力強く包み込んだ。

「……。エラーでも構わない。不確かな投資だからこそ、私は一生をかけて、貴様というパートナーを支え続けると決めたんだ。……。ウリエル。貴様は私を『資産価値が高い』と言ってくれた。ならば、その価値をすべて貴様に捧げさせてくれ」

「……。捧げる、ですか」

「ああ。私の全人生を、貴様に委ねる。……。ウリエル、私と結婚してほしい。ビジネスパートナーとしてではなく、一人の男として……。貴様を、世界一裕福で、世界一幸せな女にしてみせる」

カシアン様の蒼い瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
そこには、一円の誤差も、一ミリの嘘もなかった。

私の脳内にあるそろばんが、激しく音を立てる。
リスク、リターン、機会損失、将来価値。
あらゆる数値を弾き出そうとしたが、最後に出た答えは、たった一つのシンプルな結論だった。

「……。カシアン様。貴方は、本当におバカな投資家ですわね。……。こんな、可愛げもなくて数字のことしか考えない女を、全財産で買い取るなんて」

「……。ああ、自覚はある。だが、この投資だけは、絶対に損はしないと確信しているんだ」

私は、彼の胸に顔を埋めた。
鎧の冷たさではなく、その奥にある鼓動の熱さが、私の心に直接「配当」を届けてくれる。

「……。いいでしょう。その契約、謹んでお引き受けいたしますわ。……。ただし、カシアン様。私の愛の利息は、年利一〇〇パーセントを超えますわよ? 一生かけても、返しきれないほどに」

「……。望むところだ。毎日、利息の支払いに追われる人生も、貴様となら悪くない」

カシアン様が私の腰を引き寄せ、深い口づけを落とした。
執務室に差し込む夕日は、まるで金貨の山のように輝き、私たちの「黒字」に満ちた婚約を祝福していた。

「……。カシアン様。一つだけ、確認してもよろしい?」

「……。なんだ? 追加の契約条項か?」

「いいえ。……。この愛のノート、もし私が売却(オークション)に出したら、どれほどの値がつくかしらと思って」

「……。貴様、これだけ感動させておいて、まだそんなことを! これは非売品だ! 一生、我が家の金庫に厳重保管だ!」

「あら、残念。……。ふふ、嘘ですわよ。……。これは、私の『最高機密資産』として、心の中に永久保存させていただきますわ」

私たちは、笑い合いながら、新しい人生の「事業計画書」を共に描き始めた。
愛は裏切るかもしれない。
けれど、二人で積み上げる未来という名の「富」は、永遠に目減りすることはないのだ。
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