婚約破棄?悪役令嬢の定休日を作ろうと思ってたんですが。

小梅りこ

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「ミカルお姉さま! 大変ですわ、一大事です!」


早朝、私の寝室のドアが、ノックもなしに勢いよく開け放たれた。


飛び込んできたのは、レースを過剰にあしらったネグリジェ姿のセシル様だ。
その手には、何やら分厚い本が握られている。


「……セシル様。貴女、私の『爆速二度寝スケジュール』を妨害するとは、いい度胸をしていますわね。今の私は、一分間で一日の活力を百分率で十パーセント回復させている最中なんですのよ」


「そんなこと言っている場合ではありませんわ! これを見てください! 『全米……いえ、全大陸が泣いた! 愛され令嬢のモテしぐさ百選』ですわ!」


セシル様は、私のベッドの上にその本をバサリと広げた。


「お姉さま。お姉さまは有能で、美しくて、爆速ですけれど、一つだけ足りないものがあります。それは『守ってあげたい感』ですわ! 殿下に婚約破棄されたのも、きっとお姉さまのオーラが強すぎて、殿下が委縮してしまったせいですのよ!」


「……委縮? それは単に殿下の器が、私の器のサイズに適合していなかっただけですわ。規格外のものを無理に収めるのは、設計上のミスというものです」


「そういう可愛くないことを言わないでくださいまし! ほら、第十七項目。『小首を十五度傾けて、潤んだ瞳で見つめる』。これを練習しましょう! さあ、お姉さま!」


セシル様は、自らお手本を見せるように、あざとい角度で首を傾けた。


「……セシル様。そのポーズ、首の筋肉に不自然な負荷がかかっていますわよ? そのまま一分間維持すれば、肩こりの原因になります。それに『潤んだ瞳』にするために涙腺を意図的に刺激するのは、体液の無駄な放出ですわ。非合理的極まりありません」


「お姉さま! 恋は合理性を捨てた先にあるものですわ! さあ、やってみて!」


「……はぁ。一回だけですからね。これで満足して、私の寝室から退去してくださいませ」


私は仕方なく、セシル様の指示通り、首を少しだけ傾けて彼女を見つめた。
……もちろん、眼球の乾燥を防ぐための最小限の瞬きを計算に入れながら。


「……っ!?」


セシル様が、自分の胸を押さえてその場にへたり込んだ。


「ど、どうしましたの? やはり、角度が十三度くらいでしたかしら」


「ち、違います……。お姉さま、そのお顔でそのポーズは……破壊力が『ギガ』ですわ……! 可憐すぎて、国が三つくらい滅びますわ!」


「大袈裟ですわね。三つの国を滅ぼすには、もっと軍事的なコストがかかるはずですわ」


「お姉さま! そのまま、そのままギルバート様にもやってあげてくださいな! あの仕事中毒の宰相様も、きっと書類を放り出して跪きますわよ!」


「なぜ、あの方が……。あの方は私の『効率』を愛していると言ったのですわよ? こんな非効率な首の傾きを見せたら、きっと『頸椎の異常ですか』と心配されるのがオチですわ」


そこへ、着替えの準備を整えたニーナが部屋に入ってきた。


「お嬢様、セシル様。朝から何をして……あら、お嬢様。その首の角度。もしかして寝違えましたか? 今すぐ湿布を持ってきますね」


「ほらご覧なさい、セシル様。これが現実ですわ」


私はピシリと首を元の位置に戻した。


「いいですか、セシル様。貴女が言う『モテしぐさ』とやらは、相手の判断力を鈍らせるための視覚的ハッキングに過ぎません。私には必要ありませんわ。私は私の『速さ』で、相手を圧倒して見せます」


「お姉さま……。でも、お姉さまがたまに、難しい顔をして書類をめくりながら、無意識に髪を耳にかける仕草。あれ、村の若い衆が三人は気絶していましたわよ?」


「それは、髪が邪魔で作業効率が落ちるのを防いでいるだけですわ! 気絶した彼らには、体調管理の徹底を促す通知文を送っておきなさい!」


セシル様は、溜息をついて本を閉じた。


「お姉さまには、ヒロインの教科書は通用しませんわね。……でも、そんなお姉さまと一緒にいると、私までなんだか『テキパキ』したくなってきましたわ。昨日、お姉さまに教わった通り、靴を履く時間を三秒短縮できましたの!」


「素晴らしいですわ、セシル様! その三秒を一生分積み重ねれば、貴女は一冊の本を余分に読める時間を手に入れたことになります! これぞ、真の成長ですわ!」


「はい! お姉さま! 私、もっと爆速なヒロインを目指しますわ!」


……どうやら、セシル様を「更生」させるつもりが、私の「効率教」に完全に取り込んでしまったようだ。
ニーナが遠い目をしながら、私に地味な外出着を着せていく。


「……お嬢様。セシル様が、王都にいた頃のふわふわした妖精さんから、だんだん『女傑』に進化している気がするのですが、気のせいでしょうか」


「気のせいですわ、ニーナ。彼女はただ、生命活動の無駄を削ぎ落としているだけです。さあ、朝食は五分で済ませますわよ! 今日は隣領の視察を兼ねた、爆速ハイキングの日ですからね!」


「お姉さま! 私、おにぎりを秒速で握る練習をしておきましたわ!」


「よくやりましたわ、セシル様!」


こうして、私とセシルの奇妙な同居生活は、優雅な令嬢の暮らしとは程遠い、アスリートの合宿のような様相を呈し始めていた。


しかし、そんな私たちの前に、またしても計算外の事態が転がり込んできた。


「……ミカル様。至急、相談したいことがあります」


屋敷の門前に、馬を飛ばしてやってきたらしい、泥だらけのギルバート様が立っていたのだ。
その表情は、いつになく険しい。


「どうしましたの、ギルバート様。そんなに慌てて……。まさか、王都の予算書に致命的なミスでも見つけましたの?」


「いえ。……殿下が、こちらに向かっています」


「……は?」


「『ミカルに直接会って、復縁の交渉を、プレゼン形式で行う』と仰って、近衛兵を二十人引き連れて王宮を飛び出しました。到着まで……あと一時間です」


私は、持っていた扇を地面に落とした。


「一時間……!? プレゼン!? あの殿下が!? ……ニーナ、セシル様! 緊急事態ですわ! 今すぐ、殿下を追い返すための『防衛プレゼン』の資料を作成しますわよ!」


私の「定休日」は、元婚約者という名の、最も非効率な敵の襲来によって、最大の危機を迎えることになった。
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