婚約破棄?悪役令嬢の定休日を作ろうと思ってたんですが。

小梅りこ

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「……ふぅ。これで現王政における不透明な資金の流れは、九十八パーセントまで捕捉完了いたしましたわ。残りの二パーセントは誤差の範囲内……いえ、明日の午前中には完全にシュレッダーの塵にして差し上げますわ」


喧騒が遠のいた王宮のバルコニー。
私は手帳を閉じ、冷たい夜風に火照った顔を晒した。


パーティー会場では、今もセシル様が「反省文の書き方講座(上級編)」を貴族たちに叩き込んでいる。
その熱気はここまでは届かないが、私の心拍数は先ほどから、激しい計算を行った後特有の「高止まり」を続けていた。


「お疲れ様です、ミカル様。……実に、史上稀に見る爆速の国家浄化劇でした」


背後から、聞き慣れた整った足音が聞こえる。
振り返らなくてもわかる。ギルバート様だ。


彼は私の隣に並び、手すりに軽く肘をついた。
いつもは完璧に整えられている彼の髪が、夜風に少しだけ乱れている。


「ギルバート様。……貴方も、少しはお休みになったらどうかしら。貴方の現在の眼精疲労、蓄積された疲労物質は、明日の業務効率を十五パーセントは低下させますわよ」


「貴女に言われたくありませんね。……ですが、ミカル様。一つ、訂正させてください」


ギルバート様が、ゆっくりと私の方へ体を向けた。


「私は貴女を、この国のシステムを修復するための『有能な部品』として求めているわけではありません」


「……なんですの、急に。さっきのプロポーズでも、私の能力を最大限に活用できると言ったではありませんか。それが一番のメリット(利得)でしょう?」


私は動揺を隠すように、早口で論理を固めた。


「効率的であること。有能であること。それは貴女の輝かしい属性の一つに過ぎない。……私が本当に惹かれているのは、そんな計算の先にある、貴女という存在そのものです」


「存在、そのもの……?」


「ええ。……例えば、貴女が今、私の隣で少しだけ寒そうに肩を竦めていること。計算が思い通りに進んだときに、無意識に左の眉が少し上がる癖。……そんな、何の生産性もない、数値化できない貴女の断片が、私の心を激しく乱すのです」


ギルバート様の手が、私の頬にそっと伸びてきた。
逃げようと思えば、三通りの退避ルートが脳内に浮かんだ。
だが、私の体は、まるで強力な磁石に吸い寄せられたかのように、その場に縫い付けられていた。


「……効率なんて、どうでもいい」


「えっ……?」


「今は、一秒でも長く貴女を眺めていたい。この時間は、国家にとっても、私にとっても、何の経済的付加価値も生み出さないでしょう。……ですが、私の魂は、今この瞬間、これまでの人生で最も満たされている」


ギルバート様の指先が、私の肌に触れた。
熱い。
その熱は、物理的な伝導率を超えて、私の心臓の深部(コア)まで一気に到達した。


「ミカル。……私は、貴女が好きだ。効率抜きで、ただの男として、貴女の隣にいたいと願っている」


「…………っ!!」


私の脳内が、真っ白にオーバーヒートした。
今までどんな難解な予算書も、複雑な陰謀も、コンマ数秒で解読してきた私の頭脳が、初めて「エラー:解なし」という表示を出して停止(フリーズ)した。


「な、ななな……何を仰るの! 効率を抜いたら、私たちに何が残ると言うのですか! 私たちは、共にこの国を最適化するために出会った、ビジネスパートナーでしょう!?」


私は必死に反論しようとした。
だが、声が震えている。視界が、ギルバート様の真摯な瞳に射抜かれて、歪んでいく。


「残るものは……たった一つです。……愛、ですよ」


「あ、あ、あ……愛!? そんな、定義も曖昧で、定量化もできない概念を、この私に信じろというのですか!? 非科学的ですわ! 非論理的ですわ! オーホッホッホ……ホ?」


高笑いすら途中で掠れ、私は顔を両手で覆った。
指の間から漏れる吐息が、信じられないほど熱い。


「……心拍数が、一分間に百二十回を超えましたわ。これは……これは、酸素供給効率を高めるための、身体的な緊急避難反応に過ぎませんの! 貴方の告白のせいで、私の自律神経がバグを起こしているだけですわ!」


「バグなら、一生かけて私がデバッグして差し上げましょう。……ミカル、貴女のそんな、論理で感情を隠そうとして失敗している姿が、たまらなく愛おしい」


ギルバート様は、私の手を優しく取り、その甲にそっと唇を寄せた。


「…………っ!!」


私は、生まれて初めて「敗北」を認めた。
どんなに言葉を尽くしても、どんなに数式を並べても、目の前の男から放たれる「熱」を否定することはできない。


「……ずるいですわ。貴方のような有能な男が、そんな……そんな非効率な武器(感情)を持ち出すなんて……」


「貴女に勝つには、これしかないと思いまして」


ギルバート様は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
その顔は、冷徹な宰相でも、仕事中毒のパートナーでもない、ただの恋する男の顔だった。


月明かりに照らされたバルコニーで、私は自分の人生において、最も「無駄」で、最も「幸せ」な一分間を過ごしていた。


「……今日だけですわよ。……今日だけ、その非効率な『好き』という定義を、私の辞書に仮登録してあげてもよろしくてよ」


「ええ。……明日からは、本登録に書き換えるためのアプローチを、爆速で開始しますので覚悟しておいてください」


私の「定休日」は、いつの間にか「恋の集中講座」へと、私の意志を置き去りにして加速し始めていた。
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