婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

文字の大きさ
27 / 28

27

しおりを挟む
「……ああ、カイト様。聞こえるかしら。この、船体がミシミシと悲鳴を上げる、愛の調べが」

「ええ、ラブカ様。水圧一千百トン。我々は今、世界のどん底……マリアナの最深部に到達しました。この、死ぬか生きるかの瀬戸際の圧迫感、これこそが新婚旅行(ハネムーン)に相応しい刺激ですな」

潜水艇『リュウグウ・マークIII・改(ルビ:ハネムーン号)』の艦内。
私たちは、一万一千メートルという人類未踏の極限世界で、肩を寄せ合って計器を眺めていた。

窓の外は、もはや「光」という概念を拒絶する、純粋な漆黒。
しかし、私たちのサーチライトが捉えたのは、砂地から噴き出す巨大な「熱水噴出孔」の森だった。

「見て、カイト様! あそこの熱水の揺らめきの中に……あれは、伝説の『深淵の白き龍(ルビ:シンカイアナゴ・ゴッド)』じゃないかしら!?」

「なんと! 全身が透明な水晶のように輝き、鱗の一枚一枚が魔力結晶と化している……。
ああっ、抱きしめたい! あの神々しいまでにヌメり散らした身体に、私も取り込まれたい!」

「カイト様、それは私の嫉妬心を煽るわ。……でも、確かにあの流線型は完璧だわ。
あの子の粘液を採取して、私たちの新居のワックスにするのはどうかしら?」

「最高の発案です、艦長! さあ、マジックアームを起動して……」

二人が最高潮に盛り上がっていた、その時。
突如、艇内に緊急警報のブザーが鳴り響いた。

『お嬢様ぁぁ! 緊急事態ですわ! 一刻も早く浮上……いえ、逃げてくださいまし!』

通信機から、地上のアンナの絶叫が届く。
その声には、かつてないほどの恐怖と、そして深い「呆れ」が混じっていた。

「アンナ、うるさいわよ。今、神の鱗に触れようとしているところなの。
騎士団が来たなら、主(ぬし)様のゲップで追い払えばいいじゃない」

『そんなレベルじゃないんですのよ! ……アルベルト王子が、ナマコ島から「最終兵器」を携えて戻ってきたんですわ!
……あのお方、あざとい聖女……じゃなかった、ミィニャ様の商才を利用して、とんでもないものを造り上げましたのよ!』

「最終兵器? ナマコの弾丸でも飛ばすのかしら」

『……「超巨大ナマコ型・ドリル潜水艦」ですわ!
「ラブカを救い出し、一万メートルの底でナマコ帝国を建国する」とか叫びながら、今、一気にそちらへ降下していますの!』

「…………は?」

私は、のぞき窓から上空を見上げた。
すると、暗闇の向こうから、不気味にピンク色に発光する、巨大な「何か」が猛スピードで迫ってくるのが見えた。

それは、ミィニャ様がブランド化した「食用ナマコ」をモチーフにした、趣味の悪い装飾が施された巨大な鋼鉄の塊だった。
先端のドリルが回転し、周囲の水温を無駄に上昇させている。

「モゴ……モゴモゴ、モゴォォォォ!!(訳:ラブカァァ! 迎えに来たぞ、僕の愛しいナマコ姫ぇぇ!!)」

スピーカーから、聞き覚えのある、そして絶望的に頭の悪い声が響き渡る。

「……カイト様。……あそこに、世界で一番不味そうな巨大ナマコが降ってきたわ」

「……左様ですな。……しかも、あのドリルの回転。
この繊細な熱水噴出孔の生態系を、一瞬で破壊しかねない乱暴な動きです」

カイト様の瞳から、光が消えた。
彼は、愛する深海生物の平穏を乱す者に対しては、国王であっても容赦しない男だ。

「カイト様、どうしましょうか。
あんなものにぶつかられたら、私たちのロマンチックなハネムーンが台無しよ」

「……ラブカ様。……大叔父様からお借りした『一万メートル専用・強制排除魚雷(ルビ:ヌメリ・ボム)』を使う時が来たようです」

「あら、あれ? 一度当てると、対象が一生『深海魚の腐敗臭』を放ち続けるという、あの恐ろしい兵器?」

「ええ。……王子のナルシズムを、物理的な臭いで上書きしてあげましょう。
……さあ、照準セット。……ターゲット、ナマコ型不法投棄物」

潜水艇のハッチから、ヌメヌメとした質感の魚雷が射出された。

ドォォォォォン!!

魚雷は王子のナマコ潜水艦のど真ん中に命中。
爆発の衝撃と共に、超高濃度の「深海エッセンス」が王子の艦内へと逆流していった。

「モ……モゴォォ!? クサイ! 鼻が、僕の気高い鼻が死ぬぅぅぅ!!」

「ああっ、私の高級ドレスに臭いがぁぁぁ! アルベルト様、やっぱりこの計画は無理ですわぁぁ!」

通信機から漏れ聞こえる、王子とミィニャ様の断末魔。
ナマコ潜水艦は、その猛烈な臭いに驚いた巨大イカの群れに絡みつかれ、再び海面へと強引に引きずり戻されていった。

「……ふぅ。これでまた、静寂が戻ったわね」

私は、遠ざかっていくピンク色の光を見送った。

「……ラブカ様。……王子、おそらく王都へ戻っても、一カ月は誰にも近づかれないでしょうね。……文字通り、住む世界が違うことを思い知ったはずです」

「そうね。……さあ、カイト様。邪魔者は消えたわ。
……一万一千メートルの主(ぬし)に、私たちの結婚の報告を続けましょう」

私たちは再び、サーチライトを熱水噴出孔へと向けた。
そこには、騒動などどこ吹く風で、悠然と泳ぐ銀色の魚の姿があった。

「カイト様。……私、幸せだわ。
婚約破棄されて、本当に、本当に良かった」

「私もです、ラブカ様。……あなたの隣で、この暗闇を見つめられることが、私の人生最大の発見です」

私たちは、深海の底で、再び固く手を握り合った。

しかし、私たちはまだ知らなかった。
この「深海魚の腐敗臭」を放つようになった王子が、後に王都で『臭いの聖者』として、またしても斜め上の崇められ方を始めることを。

……だが、それは地上の話。
一万一千メートルの底にいる私たちには、もう、関係のない物語だった。

「さあ、カイト様! 次は、あの魚の『鱗の硬度』を測りに行くわよ!」

「了解しました、艦長! ……一生、あなたに付いていきます!」

私たちのハネムーンは、まだ始まったばかり。
深淵の先には、まだ見ぬ未知と、終わらない愛が待っているのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です

由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。 婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。 ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。 「君を嫌ったことなど、一度もない」 それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。 勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

処理中です...