え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

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「お姉様ー! 大変です、大変ですー!」


息を切らせて飛び込んできたリリィ様の手には、派手な色彩のポスターが握りしめられていた。

彼女はその紙を、ババン! と私のデスクに叩きつける。


「これ! 城下町で配られてました!」


「……何ですの、これ」


私は眉をひそめて、そのポスターを覗き込んだ。

そこには、無駄にキラキラした加工を施されたジュリアン殿下の似顔絵と、その横に合成された私の似顔絵(なぜか微笑んでいる)が描かれていた。

そして、踊るキャッチコピー。


『感動の再会! 真実の愛はここにあった!

 ジュリアン王子&ロゼリア公爵令嬢

 ~涙の復縁・緊急記者会見&結婚発表パーティー開催~

 近日公開! 入場料:銀貨5枚』


「…………」


ブチッ。

私の脳内で、何かの回路が焼き切れる音がした。


「……著作権侵害、肖像権の無断使用、虚偽広告、そして何より……」


私はポスターを握りつぶした。


「私の名前を使って勝手に入場料を取ろうとしている。……あの王子、どこまで私の財布(予定)に手を突っ込めば気が済むのですか」


「そこかよ」


アーク様が呆れたようにツッコミを入れたが、彼もまた、目が笑っていなかった。

ポスターを横から覗き込み、氷のような声で呟く。


「復縁、だと? ……先ほど私が提案し、君が承諾した『契約婚約』を無視して、既成事実を作ろうという魂胆か」


「おそらく。殿下の思考回路は単純です。『先に発表してしまえば、空気の読めないロゼリアでも断れないだろう』という、浅はかな計算でしょう」


「……愚かだ」


アーク様は立ち上がり、窓の外の城下町を見下ろした。


「ロゼリア。この『近日公開』となっているパーティーの日程は?」


「リリィ様、これいつ配っていたの?」


「えっと、今週末の『星降る夜会』でやるって、配ってた人が言ってました!」


「今週末……3日後か」


アーク様が振り返り、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。


「いいだろう。受けて立つぞ、ロゼリア」


「はい?」


「殿下がその『復縁発表』をするつもりなら、我々はその前に『婚約発表』をぶつける。……彼がステージに上がる前に、そのステージごと乗っ取ってやる」


アーク様の瞳が、獲物を狙う狩人のように輝いている。

なるほど。

競合他社(ジュリアン殿下)のプロモーションを、こちらの新製品発表会(アーク様との婚約)で上書きして潰す作戦か。

悪くない。

いや、ビジネスとしては定石かつ最強の一手だ。


「承知いたしました。では、プロジェクト『婚約発表』を始動させます」


私は即座に手帳を開いた。


「まず、会場での演出プラン。殿下の虚偽発表よりもインパクトのある登場が必要です。次に、衣装。公爵令嬢として、そして宰相閣下のパートナーとして恥じない『戦闘服』を用意しなければなりません」


「うむ。予算は私のポケットマネーから出そう。好きなだけ使え」


「言質を取りましたよ? ……では、ドレス代として金貨100枚。アクセサリーレンタル代で50枚。美容代で……」


「……上限は設けようか」


アーク様が少し引きつった顔で訂正したが、私は聞かなかったことにして書き込んだ。

経費は使える時に使うのが鉄則だ。


「リリィ様、貴女にも仕事があります」


「はいっ! 何でもします! また石を割りますか?」


「いいえ。今回は情報操作……いえ、『口コミマーケティング』をお願いします」


私はリリィ様に、新しいビラ(即席で手書きしたもの)を渡した。


「城下の噂好きのご婦人たちに、こう広めてください。『ジュリアン王子のパーティーは、実はただの寄付金集めらしい』『本当のビッグニュースは、もっと別にあるらしい』と」


「わっかりました! 匂わせですね! 得意です!」


リリィ様は元気よく敬礼し、再び風のように去っていった。

……本当に彼女は、使いようによっては最強のユニットだ。


「さて、アーク様。私たちは衣装合わせに行きましょうか。……貴方の隣に立つ以上、中途半端な姿は見せられませんので」


「ああ。……期待しているぞ、私の『共犯者』」


***


3日後。

王宮の大広間で開催される『星降る夜会』。

本来は貴族たちが親睦を深めるための定期的な舞踏会だが、今日は異様な熱気に包まれていた。

原因はもちろん、城下で撒かれた怪文書(ジュリアン殿下のポスター)のせいだ。


「おい、聞いたか? 今日、王子がロゼリア様との復縁を発表するらしいぞ」


「まさか。あんなに派手に婚約破棄したのに?」


「でも、入場料を取るって書いてあったし……何かサプライズがあるんじゃ……」


会場のあちこちで、そんな囁きが交わされている。

そして、その中心にいるのは、白いタキシードでキメたジュリアン殿下だ。

彼はステージ脇で、招待客に向かって手を振りまいている。


「やあやあ、みんな! よく来てくれたね! 今日の主役は僕だ! もうすぐ歴史的な瞬間を見せてあげるから、ハンカチの用意をしておきたまえ!」


自信満々だ。

自分が「主役」だと信じて疑っていない。

……哀れな。


「……準備はいいか、ロゼリア」


会場の入り口、大扉の向こう側。

私はアーク様のエスコートを受け、静かに待機していた。


「はい、いつでも」


今日の私は、いつもの地味な仕事着ではない。

アーク様の金……もとい、潤沢な予算で購入した、深紅のイブニングドレス。

背中は大胆に開いているが、決して下品ではなく、むしろ見る者を圧倒するような高貴さと攻撃性を兼ね備えたデザインだ。

髪は高く結い上げ、アーク様から贈られたダイヤモンド(本物)のネックレスが、シャンデリアの光を受けて輝いている。

メイクも「仕事のできる女」から「国を傾ける悪女」モードへと切り替えてある。


「完璧だ。……正直、君を他の男の目に晒したくないくらいだ」


アーク様が私の耳元で囁く。

お世辞だとわかっていても、悪い気はしない。

……いや、これは「商品価値が高い」という評価だと受け取っておこう。


「参りましょう、アーク様。……あのステージ、私たちが頂きます」


「御意」


アーク様が合図を送ると、重厚な扉がゆっくりと開かれた。


ギィィィ……。


会場のざわめきが一瞬止まる。

そして、衛兵が高らかに告げた。


「宰相、アーク・フォン・クロウリー閣下! ならびに……アークライト公爵令嬢、ロゼリア様、ご入場!!」


そのアナウンスと共に、私たちは会場へと足を踏み入れた。

コツ、コツ、とヒールの音が響く。

私はアーク様の腕に手を添え、背筋を伸ばし、会場全体を見下すような視線を向けた。

その瞬間、空気が変わった。


「なっ……!?」


「宰相閣下と……ロゼリア様?」


「なんだあのドレスは……美しい……」


「二人が並んでいると、まるで絵画のようだ……」


どよめきが、先ほどとは違う質のものへと変わる。

好奇心ではなく、圧倒的な「格」への畏怖と称賛。

私たちはゆっくりと、優雅に、レッドカーペットの上を歩いた。

視線の先には、ステージ脇で口をポカンと開けているジュリアン殿下の姿がある。


「な、ななな……ロゼリア!? なんでアークと!?」


殿下が駆け寄ろうとする。

しかし、アーク様は私を庇うように一歩前に出て、その鋭い視線で殿下を射抜いた。


「……近寄るな、殿下」


「あ、アーク? 何をしているんだ、僕のロゼリアを離せ!」


「『君の』ではない」


アーク様は私の腰をぐっと引き寄せた。

密着する体温。

会場中の視線が、その一点に集中する。


「皆様、お騒がせしております」


アーク様はよく通る声で、会場全体に語りかけた。


「本日は、ある誤解を解くために参りました。巷では、ジュリアン殿下とロゼリア嬢の復縁などという『たちの悪いジョーク』が流布しているようですが……」


彼は鼻で笑った。

完全に、殿下を小馬鹿にした嘲笑だ。


「そのような事実は一切ございません。彼女は……」


アーク様は私の手を取り、その指に嵌められた指輪――契約の証として渡された、巨大なサファイアの指輪――を高々と掲げた。


「ロゼリア・フォン・アークライトは、本日をもって、私アーク・フォン・クロウリーの正式な婚約者となりました」


シーン……。

一瞬の静寂の後。


「「「えええええええーーーーっ!?」」」


会場が揺れた。

悲鳴にも似た歓声と驚愕の声。

その中で、ジュリアン殿下だけが「へ?」と間抜けな声を漏らして固まっている。


「こ、婚約……? アークと……ロゼリアが……?」


「そうですわ、殿下」


私は扇子を開き、殿下に向かって優雅に微笑んだ。


「ビジネス……いえ、愛の形は人それぞれ、と申し上げましたよね? 私にとって、アーク様こそが最高のパートナーなのです」


「嘘だ! 金か! 金で買ったのか!」


殿下が叫ぶ。

核心を突いているが、公の場でそれを認めるわけにはいかない。


「失礼な。……確かにアーク様は経済観念がしっかりしておられますし、将来性も抜群ですが、それだけではありません」


私はアーク様を見上げた。

彼は悪戯っぽく私を見返している。


「アーク様は、私の『計算』を唯一理解し、楽しんでくださる方ですから」


それは、半分以上本音だった。

私の守銭奴ぶりを引くことなく、むしろ面白がってくれる男性など、この世に彼しかいないだろう。


「……というわけだ、殿下。彼女は私のものだ。……指一本触れさせない」


アーク様が低い声で宣言し、私の肩を抱いた。

その瞬間、会場からは「きゃあぁぁ!」「宰相閣下、男らしい!」「お似合いすぎる!」という黄色い声が上がった。

勝負あり。

ジュリアン殿下の「復縁茶番劇」は、私たちの圧倒的なパフォーマンスの前に消し飛んだのだ。


「ち、ちくしょおおおーーっ!!」


殿下はその場に崩れ落ちた。

「入場料……返金しなきゃ……」と呟いているあたり、やはり金目当てだったらしい。


「行きましょう、ロゼリア」


「ええ、アーク様」


私たちは敗者を尻目に、会場の中央へと進んだ。

音楽が始まる。

ファーストダンスの時間だ。

「……踊れるか? 計算ばかりしていて、ステップを忘れたのではないか?」


「侮らないでください。ダンスのステップ数と移動距離の最適化は、すでに計算済みです」


「ふっ……。ならば、ついてこい」


アーク様が私の手を取り、リードする。

私たちは光の中で踊り始めた。

周囲の視線を独占し、元婚約者を絶望の淵に叩き落とし、そして新たな「最強のカップル」の誕生を印象付けるための、完璧なダンスを。


ただ、一つだけ誤算があったとすれば。

アーク様の手が、思っていたよりもずっと優しく、そして力強かったこと。

そして、私の心臓が、金貨を数える時よりも少しだけ速く脈打っていたこと。

……これは計算外のエラーだ。

後で修正しなければ。

私は赤くなりそうな頬を隠すように、アーク様の胸に顔を埋めた。


この夜、ロゼリアとアークの婚約は国中の話題となり、同時にジュリアン殿下の「入場料返金騒動」もまた、別の意味で伝説となったのである。
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