え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

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「……ふぅ。やっと終わりましたわね」


王城からの帰り道。

宰相家の家紋が入った豪華な馬車の中で、私は大きく息を吐きながら、ハイヒールを脱ぎ捨てた。

行儀が悪い?

構わない。

ここは密室だし、目の前にいるのは「婚約者」という名のビジネスパートナーだ。

私は凝り固まった足を揉みながら、対面に座るアーク様を見上げた。


「お疲れ様でした、アーク様。本日の成果は上々です。バロン伯爵の横領疑惑の確証を得ましたし、何よりジュリアン殿下の集金活動を阻止し、王家の威信(と私の財布)を守り抜きました」


「……ああ。完璧な仕事ぶりだった」


アーク様は頬杖をつき、窓の外を流れる夜景を眺めていたが、ゆっくりと視線を私に戻した。

その瞳は、パーティー会場での鋭い光とは違い、どこか熱を帯びた、甘い色をしている。


「だが、ロゼリア。君は少し働きすぎだ。……今は二人きりだぞ? もう少し、肩の力を抜いてもいいのではないか?」


「力を抜いたら、揺れで酔ってしまいますわ。馬車のサスペンション構造上、体幹を維持することが最も効率的な疲労軽減策ですので」


「……そういう意味ではない」


アーク様は苦笑し、席を移動して私の隣に座った。

ソファが沈む。

距離が近い。

彼の整った顔が、至近距離に迫る。


「……アーク様? 距離感がバグっておられますが?」


「婚約者だぞ? これくらい許されるはずだ」


「契約書第5条第3項。『公衆の面前における過度な身体接触は、演出としてこれを認める』。……現在は『公衆の面前』ではありません。よって、この距離は契約違反の可能性があります」


私は冷静に条文を引用して抗議した。

しかし、アーク様は引かない。

それどころか、私の髪をひと房すくい上げ、唇を寄せた。


「……では、追加契約を結ぼうか。『プライベートにおける身体接触は、双方の合意があれば無制限とする』……どうだ?」


「却下です。メリットが不明瞭です」


「メリットか……。私のキスには、市場価値がないと?」


「希少価値は高いでしょうが、換金性がありません。質屋に入れても『宰相のキス』では銅貨一枚にもなりませんので」


「……くっ、ははは!」


アーク様が堪えきれずに吹き出した。

私の髪を離し、お腹を抱えて笑っている。


「換金性がない、か! 君らしい答えだ。……世界広しといえど、私を前にして『質屋で売れないから要らない』と言う女は君くらいだろうな」


「事実ですので。……ですが」


私は少しだけ視線を逸らした。


「……その、疲労回復効果という意味での『癒し』としての価値なら……多少は、認めて差し上げてもよろしくてよ?」


「……ほう?」


アーク様の笑い声が止まった。

空気が変わる。

しまった、余計なことを言ったか。

彼が再び顔を近づけてくる。

今度は、冗談めかした雰囲気ではなく、本気の瞳で。


「では、その効果を検証してみようか。……ロゼリア」


彼の指が私の顎に触れる。

心臓が跳ねた。

これは計算できない。

このドキドキは、不整脈か? それともカフェインの過剰摂取か?

唇が触れそうになった、その時。


ガタンッ!!


馬車が大きく跳ねた。


「きゃっ!?」


「っと……!」


私たちは勢いよくぶつかり、私はアーク様の胸に飛び込む形になった。

硬い胸板。

男性用香水の香り。

そして、私の頭を支えてくれる大きな手。


「……大丈夫か?」


「は、はい……。道路整備局にクレームを入れなければ……」


私は真っ赤になりながら、アーク様の腕から抜け出した。

アーク様も少しバツが悪そうに咳払いをする。


「……どうやら、今日のところは『お預け』のようだな」


「そ、そうですわね。続きは……また、見積もりを出してからということで」


私たちは互いに顔を見合わせ、ふっと笑い合った。

甘い雰囲気は霧散したが、代わりに心地よい共犯者としての空気が流れる。

馬車はそのまま、アークライト公爵邸へと滑り込んだ。


***


翌朝。

私はいつものように宰相執務室に出勤した。

昨夜の「検証実験」のせいで少し寝不足だが、プロとして顔には出さない。

……はずだったが。


「お姉様ー! 大変ですー!」


本日もまた、リリィ様が絶叫しながら飛び込んできた。

デジャヴも3回目となると、もはや様式美である。


「何ですか、リリィ様。またジュリアン殿下が奇行に走りましたか?」


「違います! ジュリアン様は今、庭でダンゴムシを突っついていじけてます!」


「……放置でいいわ。で、何が大変なの?」


「これ! これを見てください!」


リリィ様が差し出したのは、一通の手紙だった。

封筒には、昨夜の怪しい商人、ベネディクトの「ガルド商会」の刻印がある。

宛先は『宰相閣下およびロゼリア様』。


「……嫌な予感がしますね」


アーク様が横から手紙をひったくり、開封した。

中から出てきたのは、一枚の羊皮紙と、そして……。

『請求書』と書かれた紙だった。


「……なんだこれは」


アーク様が読み上げる。


『拝啓 アーク宰相閣下、ロゼリア様。

 昨夜は私の商談を無碍にお断りいただき、大変傷つきました。

 つきましては、私の傷ついた心への慰謝料、および……

 貴殿らが違法に奪取したとされる国宝『蒼竜の壺』に関する口止め料として、

 金貨1万枚を請求いたします。

 お支払いがなき場合、この事実を国王陛下、および隣国皇帝へ通報し、

 国際問題として提訴させていただきます。

                  ガルド商会 ベネディクト』


「……脅迫状ですね」


私は淡々と事実を述べた。

金貨1万枚。

国家予算並みの金額だ。

昨夜の「国宝の件を知っている」という捨て台詞は、ハッタリではなかったらしい。


「あの野郎……。完全に喧嘩を売ってきやがったな」


アーク様が手紙を握りつぶす。

執務室の温度が氷点下まで下がる。


「どうします、アーク様? 衛兵を送って逮捕しますか?」


「証拠がない。奴は『口止め料』とは書いているが、直接的に壺を持っているとは書いていない。あくまで『噂を流すぞ』という脅しだ。下手に動けば、逆にこちらが『証拠隠滅を図った』と騒ぎ立てられる」


「……なるほど。厄介な相手です」


私はこめかみを押さえた。

あのベネディクトという男、ただの商人ではない。

法律の抜け穴と、貴族のメンツという弱点を熟知している。

「国宝横流し事件」が公になれば、一番ダメージを受けるのは王家だ。

ジュリアン殿下の廃嫡はもちろん、管理責任を問われるアーク様の失脚、そして事件に関与した(回収した)私たちもタダでは済まない。


「金貨1万枚なんて払えません! 私のおやつがなくなっちゃう!」


リリィ様が悲痛な声を上げる。

彼女の心配はそこか。


「……払う必要はありませんわ」


私はニヤリと笑った。


「相手が金で脅してくるなら、こちらも金で戦うまで。……アーク様、ガルド商会の経営実態を調査する権限をいただけますか?」


「ああ、もちろんだ。……何をする気だ?」


「逆買収……とまではいきませんが、兵糧攻めです。奴らの資金源を断ち、逆にこちらが『迷惑料』を請求してやります」


私は電卓を叩いた。

戦闘開始だ。


「リリィ様、出番です」


「はいっ! 今度は何を壊せばいいですか!?」


「壊すのではありません。……スパイ活動です」


「すぱい?」


「ええ。貴女のその『無害そうな見た目』と『誰とでも仲良くなれる(一方的に)』才能を活かして、ガルド商会の倉庫に潜入し、在庫リストを盗み……いえ、書き写してきてください」


「わーい! 潜入捜査! 忍者ごっこですね!」


「そうです。見つかったら『迷子になっちゃった、テヘッ☆』で誤魔化しなさい。貴女なら100%信じてもらえます」


「任せてください! 行ってきまーす!」


リリィ様は窓から飛び降り……る勢いで駆け出していった。


「……大丈夫か? 相手は国際的な犯罪組織に近いぞ」


アーク様が心配そうに言う。


「リリィ様に関しては心配無用です。彼女を捕まえられる檻など、この世に存在しません(物理的に破壊されるので)」


「……それもそうか」


「それよりアーク様。私たちは『表』から攻めましょう」


私は筆を取り、一枚の書類を作成し始めた。

『特別監査通知書』。

ガルド商会に対し、商品の安全性および輸入手続きに関する抜き打ち検査を行うという通達だ。


「彼らが『国際問題』にするというなら、こちらも『法的手続き』で徹底的に干渉します。……ベネディクトさん、貴方が喧嘩を売った相手が悪かったことを、骨の髄まで後悔させて差し上げますわ」


私の目は、アーク様が「おお、怖い」と引くほど冷徹に輝いていたことだろう。

愛の囁きはお預けだが、敵を追い詰めるための作戦会議なら、いくらでも付き合える。

こうして、私たち「最強の婚約者チーム」対「悪徳商人」の、仁義なき経済戦争が幕を開けたのである。
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