え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

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「……いち、じゅう、ひゃく、せん……」


決闘から数時間後。

王城の貴賓室で、私は札束と金貨の山に埋もれていた。

決闘の興行収益、賭けのテラ銭、屋台のテナント料、そしてグッズ販売の利益。

すべてを合わせると、その額はアークライト公爵家の年間予算に匹敵するほどの巨額になっていた。


「……ふふ、ふふふ……」


笑いが止まらない。

電卓を叩く指が、喜びのあまり震える。

この金があれば、新しい事業を立ち上げられる。

あるいは、国債を買って安定した利息生活を送るのもいい。

夢は広がるばかりだ。


「……おい、ロゼリア。生きているか?」


そこへ、アーク様が入ってきた。

彼は決闘の事後処理――暴走したジュリアン殿下の拘束や、観客の誘導――を終え、少々お疲れの様子だ。


「生きておりますわ。むしろ、金貨のエネルギーで寿命が延びた気がします」


「……それはよかった。だが、これからが正念場だぞ。陛下への報告書の作成、殿下の処遇に関する会議、そして……ガルド商会への追及。山ほどの仕事が待っている」


アーク様の手には、分厚い書類の束が握られていた。

それを見た瞬間。

私の脳内CPUが、危険信号を発した。


(……危険。これ以上の労働は、労働基準法(自分ルール)に抵触する。それに、決闘の興奮が冷めれば、面倒な責任追及の矢面に立たされる可能性も……)


私は瞬時に計算した。

今、ここで取るべき最善の行動は何か。

真正面から仕事を受け止めるか?

否。

ここは「戦略的撤退」こそが、長期的利益を生む。


「……あ」


私はわざとらしくよろめいた。

手から電卓を滑り落とす(壊れないようにカーペットの上へ)。


「ロゼリア?」


「……なんだか、急に目眩が……。アーク様、視界が……金色の輝きで……」


「それは金貨を見すぎただけだろう」


冷静なツッコミが入るが、私は無視して、さらに演技を重ねる。


「ああ、力が入りません……。これが……貧血? それとも、働きすぎた代償……?」


私は女優ばりのしなやかさで、その場に崩れ落ちた。

もちろん、倒れる方向は計算済みだ。

硬い床ではなく、アーク様の胸の中へ。


「おいっ! ロゼリア!?」


ガシッ。

予想通り、アーク様が私を受け止めた。

逞しい腕。

焦ったような声。

……よし、計画通りだ。


「しっかりしろ! 医者だ! 誰か、医者を呼べ!」


アーク様の叫び声を聞きながら、私は心の中で「ニヤリ」と笑い、意識を手放すフリをした。

これで数日は、優雅なベッドの上で「病欠ライフ」が送れるはずだ。


***


……はずだったのだが。


「……ん」


私が目を覚ますと、そこは病院のベッドではなく、見慣れない天蓋付きの豪華なベッドの上だった。

部屋の内装はシックで落ち着いており、ほのかにコーヒーの香りが漂っている。

ここは……?


「気がついたか」


サイドテーブルの椅子に座っていたアーク様が、読んでいた本を閉じた。

眼鏡をかけている。

レアだ。

普段の鋭い印象が和らぎ、少し知的な色気が増している。

……いや、見惚れている場合ではない。


「……ここは?」


「私の屋敷だ。王城の医務室は、暴れた殿下のせいで満床だったからな」


「……ああ」


そういえば、殿下は決闘の後遺症で「お腹すいたオバケ」になって暴れていたのだった。


「医者に診せたところ、『極度の疲労と睡眠不足』だそうだ。……あと、『栄養失調気味』とも言っていたぞ。君は金のことばかり考えて、食事を抜いていたな?」


アーク様の目が光る。

怒っているようだ。


「……食事をする時間は、利益を生まない時間ですので」


「馬鹿者」


デコピンが飛んできた。

痛い。


「体は資本だ。君が倒れたら、誰が私の補佐をする? 誰があの馬鹿王子の尻拭いをするんだ?」


「……そうですね。私の損失は、国家の損失です」


「自覚があるならよろしい。……ほら、起きろ。食事を用意した」


アーク様が立ち上がり、ワゴンをベッドサイドに寄せた。

そこには、湯気を立てるボウルが置かれている。

中身は……お粥?


「……これは?」


「卵粥だ。消化にいい。……私が作った」


「はい?」


私は耳を疑った。

氷の宰相が?

キッチンに立って?

お粥を?


「……毒見は済んでおりますか?」


「失礼なやつだな。私の料理スキルは、独身生活が長い分、そこらのシェフより上だ。……さあ、口を開けろ」


アーク様がスプーンでお粥をすくい、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。

そして、あろうことか、私の口元に差し出してきた。


「……アーク様。自分で食べられます」


「病人は大人しくしていろ。これは『命令』だ」


拒否権はないらしい。

私は観念して、口を開いた。

パクッ。


「…………」


美味しい。

悔しいけれど、絶品だ。

出汁が効いていて、卵の加減も絶妙。

優しい味が、疲れた体に染み渡っていく。


「……どうだ?」


アーク様が少し不安そうに聞いてくる。


「……計算外です」


「なに?」


「味のクオリティが高すぎます。市場価格で一杯銀貨5枚……いえ、宰相ブランドを付加すれば金貨1枚は取れます」


「……君は、食べている時まで金の計算か」


アーク様は呆れたように笑ったが、その表情はどこか嬉しそうだ。

再びスプーンが差し出される。

私はされるがままに、餌付けされた雛鳥のようにパクパクと食べた。


静かな時間が流れる。

部屋にはスプーンが器に当たる音だけが響く。

仕事の話も、王子の話もしない。

ただ、アーク様が私を世話し、私がそれを受け入れる。

……なんだろう、この感覚は。

胸の奥が、お粥の熱とは違う温度で満たされていくような。


「……ロゼリア」


お粥が半分ほど減ったところで、アーク様が静かに口を開いた。


「君が倒れた時……正直、肝が冷えた」


「アーク様でも焦ることがあるのですか?」


「ああ。……君がいなくなる世界を想像して、計算機能が停止したよ」


彼はスプーンを置き、私の頬に手を添えた。

その手は温かく、少し震えているようにも感じられた。


「……無理をするな。君はもう、一人で戦わなくていい。私の『パートナー』なのだから」


真剣な眼差し。

その瞳に映っているのは、有能な補佐官としての私ではなく、一人の女性としての私だ。

ドキリ、と心臓が跳ねる。

これは演技ではない。

私の「戦略的仮病」など見透かした上での、本音の言葉だ。


「……アーク様」


私は視線を泳がせた。

どう答えるのが正解だ?

『ご心配をおかけしました』?

『愛しています』?

いや、そんなキャラではない。

私はロゼリア・フォン・アークライト。

鉄の女であり、金の亡者だ。


「……そのお言葉、しかと受け取りました」


私はアーク様の手を握り返し、ニヤリと笑った。


「では、その『心配料』と『介護費用』ですが……特別に、私の『完治祝い』のディナー(高級フレンチ)で相殺して差し上げますわ」


「…………」


アーク様は一瞬きょとんとして、それから吹き出した。


「ぶっ……ははは! 相殺か! ここでデレないのが君らしい!」


「当然です。甘い言葉で腹は膨れませんから」


「いいだろう。最高級の店を予約してやる。……ただし、完食できるまで元気になったらな」


アーク様は楽しそうに私の頭を撫でた。

その手つきは優しく、私は心地よさに目を細めた。


……まあ、たまには。

こうして甘やかされるのも、悪くないかもしれない。

これは「必要経費」ではなく、「福利厚生」の一環として処理しておこう。


その時だった。


ドンドンドン!!


扉が激しく叩かれた。

甘い空気は一瞬で霧散する。


「閣下! アーク閣下! 緊急事態です!」


部下の悲鳴のような声。

アーク様が舌打ちをして立ち上がる。


「……なんだ。今は取り込み中だぞ」


「すみません! ですが、ジュリアン殿下が……!」


「殿下がどうした。死んだか?」


「いえ、逆です! 意識を取り戻されたのですが……記憶がおかしくなっておりまして!」


「記憶?」


「はい! ご自身を『伝説の勇者』だと思い込み、城の庭で『魔王討伐』の旅に出ると暴れております! 止めてください!」


「…………」


私とアーク様は顔を見合わせた。

勇者?

魔王討伐?

あの黒い石の副作用か、それとも現実逃避の果てか。


「……ロゼリア」


アーク様が疲れた顔で私を見る。


「悪いが、完治祝いのディナーは少し延期になりそうだ」


「……仕方ありませんね。勇者の装備品代を請求する準備をしておきます」


私はベッドから起き上がろうとした。

しかし、アーク様がそれを制する。


「いや、君は寝ていろ。……勇者の相手くらい、魔王(私)一人で十分だ」


アーク様は私の額にポンと手を置き、優しく微笑んだ。


「おやすみ、私の可愛い共犯者。……目が覚めたら、また金を毟り取ってくれ」


そう言い残し、彼はマントを翻して部屋を出て行った。

残された私は、温かいお粥の余韻を感じながら、少しだけ赤い顔をして呟いた。


「……ずるいですわ、アーク様。そんな顔をされたら……計算が狂ってしまいます」


私の休息はもう少し続きそうだ。

しかし、窓の外からは「我こそは勇者ジュリアン! 魔王アークを倒しに行くぞ!」という間抜けな声が聞こえてくる。

……やっぱり、私の平穏な日々は、まだまだ遠いらしい。
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