え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

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「……なるほど。状況は理解しました」


翌日。

すっかり体力を回復した私は、宰相執務室ではなく、王城の中庭に立っていた。

目の前に広がっているのは、平和な庭園……ではない。

掘り返された花壇。

なぎ倒された植木。

そして、「ダンジョン入り口」と書かれた段ボールの看板。

そこはまさに、魔王に滅ぼされた村のような惨状だった。


「我こそは勇者ジュリアン! 出でよ魔王! この『聖剣エクスカリ……棒』で成敗してくれるわ!」


庭の中央で、ボロボロのマント(カーテン)を羽織り、木の棒を振り回している金髪の男。

ジュリアン殿下だ。

昨日の決闘で使用した「バーサーカー・ストーン」の副作用で記憶が飛び、幼児退行……もとい、勇者妄想に取り憑かれているらしい。


「……ひどい有様だな」


隣でアーク様がげんなりした顔をしている。

目の下には濃いクマ。

どうやら一晩中、この「勇者ごっこ」に付き合わされていたらしい。


「アーク様、お疲れ様です。……なぜ止めなかったのですか?」


「止めたさ。だが、『魔王の手下め、結界を張りやがったな!』と言って聞く耳を持たん。物理的に沈めようとすると『イベント戦闘だ!』と喜ぶ始末でな」


「……面倒くさいですね」


私は電卓を取り出した。

被害総額の算定だ。

植木の弁償代、庭師の精神的慰謝料、アーク様の残業代。

締めて金貨50枚。


「おい、そこの女! 貴様は魔王の秘書官だな!」


私に気づいた勇者(笑)が、木の棒を突きつけてきた。


「秘書官ではない。……これを見ろ、勇者よ」


私はズイと前に出て、電卓の画面を見せつけた。


「これは魔王軍からの『請求書』だ。貴様が破壊した自然の代償だ」


「なっ、請求書だと!? 魔王軍がそんな世知辛いものを……!」


「当然だ。世界征服にもコストがかかる。……支払いができぬなら、この場から即刻退場せよ」


「くっ……! 金で解決しようとは、さすが汚い魔王軍! だが、勇者に金はない!」


殿下は胸を張った。

威張ることではない。


「金がないなら、労働で払え。……そこの『薬草畑(ただの雑草)』の草むしりを完遂すれば、特別に経験値を与えてやろう」


「け、経験値!? 本当か!?」


「ああ。レベルが上がれば、新しい装備(ゴム手袋)が手に入るぞ」


「やる! やります!」


ジュリアン殿下は目を輝かせ、一心不乱に雑草を抜き始めた。

チョロい。

幼児並みの知能に低下している分、扱いやすさは向上しているかもしれない。


「……すごいな、ロゼリア」


アーク様が感嘆の声を漏らす。


「あんなに暴れていた勇者を、一瞬で庭師に変えるとは」


「彼が欲しいのは『目的』と『報酬』です。それを適切に提示してやれば、労働力として活用できます」


私はふふんと鼻を鳴らした。

これで庭の整備費も浮いた。


「さて、アーク様。これで少しは休めますか?」


「ああ、助かった。……だが」


アーク様は私の顔をじっと見た。


「君こそ、もう大丈夫なのか? 昨日は倒れていたのに」


「ええ。アーク様のお粥……いえ、『スペシャルポーション』のおかげで全快しましたわ」


私は少し照れ隠しに、視線を逸らした。


「ですので、その……お礼と言ってはなんですが。この騒動が片付いたら、私がアーク様の肩揉みくらいはサービスして差し上げてもよろしくてよ? 10分銅貨1枚の特別価格で」


「……金を取るのか」


アーク様は苦笑したが、すぐに優しい目になった。


「いいだろう。予約しておこうか」


二人の間に、穏やかな空気が流れる。

勇者が雑草を抜くシュールな音をBGMに、私たちはつかの間の平和を享受していた。


しかし。

物語には、必ず「残酷な現実」という名のボスキャラが現れるものだ。


「あ、ジュリアン様だー! なにしてるんですかー?」


能天気な声と共に、中庭にリリィ様が現れた。

その隣には、粉まみれのエプロンをつけた長身の青年――パン屋のハンス君がいる。

二人は手を繋いでいた。

しかも、恋人繋ぎで。


「お、リリィか! 待っていたぞ、我がパーティの僧侶よ!」


雑草を抜いていたジュリアン殿下が顔を上げ、満面の笑みで駆け寄ろうとする。


「見てくれ! レベル上げ中だ! これで魔王を倒して、君と結婚……」


そこまで言って、殿下の足が止まった。

視線が、リリィ様とハンス君の繋がれた手に釘付けになる。


「……え?」


殿下の目が点になった。

勇者モードの魔法が、急速に解けていく。


「リ、リリィ……? その男は……誰だ?」


「あ、紹介しますね! ハンス君です!」


リリィ様は悪びれもなく、にっこりと笑った。


「私、決めちゃいました! ハンス君のお嫁さんになって、世界一のパン屋さんを目指します!」


「……は?」


「だからジュリアン様、婚約破棄してください! 今までありがとうございました! 楽しかったです!」


あまりにも軽快な、お別れの言葉。

ドガァァァン!!

殿下の頭上で、見えない雷が落ちたような音がした。


「う、嘘だ……。リリィ……君は僕の天使……僕のすべて……」


殿下は膝から崩れ落ちた。

木の棒がカランと音を立てて転がる。


「ごめんね、ジュリアン様。でも、ハンス君の焼くクロワッサンの方が、ジュリアン様の詩より魅力的だから!」


リリィ様は残酷な真実を告げ、ハンス君の腕にぎゅっと抱きついた。

ハンス君も「えへへ、どうも」と頭をかいている。

爽やかカップルだ。

しかし、その光景はジュリアン殿下にとっては地獄絵図でしかなかった。


「……あ、あぁ……あぁぁぁ……」


殿下が呻く。

その瞳から、「勇者」の輝きが消え、代わりにドス黒い「怨念」の炎が宿り始める。

副作用が切れ、現実に戻ったショック。

そして、二度目の婚約破棄(今度は振られる側)。


「……ロゼリア」


殿下が、ゆらりと立ち上がった。

その顔は、泣き笑いのような、壊れた表情をしていた。


「……貴様のせいだ」


「はい?」


「貴様が……貴様がリリィをそそのかしたんだろう!? あのパン屋をけしかけて、僕からリリィを奪ったんだ!」


「言いがかりです。リリィ様は食欲に従っただけです」


「うるさい! 黙れ黙れ黙れ!」


殿下は頭を抱えて絶叫した。


「僕から何もかも奪いやがって! 金も、名誉も、そして愛も! 全部、全部貴様の計算通りか!?」


「……私の計算外の行動をするのは、いつも殿下の方ですが」


「許さない……。絶対に許さないぞ、ロゼリア・フォン・アークライト!」


殿下は私を指差し、血を吐くような呪詛を吐いた。


「僕が味わったこの屈辱……倍にして返してやる! 地獄の底まで道連れにしてやるからな!」


殿下はマントを翻し、ふらふらと去っていった。

その背中は、先ほどの滑稽な勇者とは違う、本物の「悪意」を纏っているように見えた。


「……まずいな」


アーク様が険しい顔で呟く。


「完全に闇落ちしたぞ。……失うものがなくなった男ほど、厄介なものはない」


「ええ。プライドの塊だった殿下が、プライドを粉々にされたのですから」


私は冷静に分析したが、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

これは、ただの八つ当たりでは終わらない。

彼は必ず、何か仕掛けてくる。


「お姉様? ジュリアン様、怒っちゃいましたね?」


リリィ様がきょとんとしている。

「貴女のせいですよ」と言いたいところだが、彼女に悪気がないのが最大の問題だ。


「……アーク様。警戒レベルを引き上げましょう」


「ああ。……私の婚約者に手出しはさせんが、念のためだ」


アーク様は私の肩を抱き寄せた。

その温かさに安心しつつも、私は新たな計算を始めていた。

次に殿下が打ってくる手は何か。

そして、それをどうやって叩き潰し、さらに利益に変えるか。


嵐の前の静けさ。

……いや、嵐はもう、すぐそこまで迫っていた。

数日後。

国王主催の「建国記念パーティー」にて、ジュリアン殿下の最後の、そして最大の「復讐劇」が幕を開けることになる。
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