え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

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「……寒いですわね」


王都を出発してから3日。

私とアーク様を乗せた馬車は、北の山岳地帯にあるクロウリー辺境伯領へと入っていた。

窓の外は一面の雪景色。

王都では春の陽気が漂っていたというのに、ここは別世界のように凍てついている。


「すまない。北部は年中こんな気候なんだ。……寒くないか?」


アーク様が自分のマントを脱ぎ、私の肩にかけてくれた。

温かい。

宰相の体温と、高級カシミヤの肌触り。

これは市場価格で金貨20枚の価値がある優しさだ。


「ええ、アーク様の『暖房設備』としての機能には満足しております。ですが、この地域の熱効率の悪さは経済的損失ですね。全戸に断熱材を導入するビジネスが成立しそうです」


「……君は、この極寒の中でも商売のことばかりか」


アーク様は苦笑しつつ、窓の外を眺めた。


「もうすぐ着く。……言っておくが、私の家族は少し『特殊』だ。驚かないでくれよ」


「特殊? アーク様のご家族ですもの、どうせ数字に細かいとか、論理的すぎて会話がないとか、そういう類でしょう?」


「……いや。ベクトルが違う」


アーク様が遠い目をした。

その意味を、私は数分後に身をもって知ることになる。


「見えてきました! クロウリー城です!」


御者の声で顔を上げると、雪山の頂に、黒々とした巨大な城塞がそびえ立っていた。

優雅な王城とは違う。

実戦のためだけに作られた、無骨で威圧的な要塞だ。

城壁には無数の傷跡があり、門の前には厳重な警備兵……ではなく、なぜか上半身裸で筋トレをしている男たちが並んでいる。


「……アーク様。あの方々は?」


「父の私兵団だ。……雪の中で乾布摩擦をするのが日課でな」


「正気ですか? 医療費がかさみますよ?」


私が呆れている間に、馬車は城門へと近づいた。

その時だった。


ヒュンッ!!


風を切る鋭い音と共に、城壁の上から何かが飛んできた。

それは、私の頭ほどの大きさがある巨大な鉄球だった。


「なっ!?」


「チッ……挨拶代わりか!」


アーク様が瞬時に反応し、私を抱きかかえて馬車の床に伏せた。


ドゴォォォン!!


鉄球が馬車の屋根をかすめ、すぐ横の雪原に着弾した。

爆発のような音と振動。

馬車が大きく揺れる。


「……テロですか? ガルド商会の残党?」


「いいや。……父上だ」


アーク様が顔を引きつらせて起き上がる。


「ガハハハハ! 避けたかアーク! 腕は鈍っておらんようだな!」


豪快な笑い声と共に、城門が開いた。

そこから現れたのは、熊のような大男だった。

身長2メートル超。

丸太のような腕。

顔には古傷。

そして、背中には身の丈ほどの巨大な戦斧を背負っている。


「……あれが、お父様?」


「ああ。クロウリー辺境伯、ギガン・フォン・クロウリーだ。……通称『北の破壊神』」


「破壊神……」


父親の二つ名としては物騒すぎる。

ギガン伯爵はズシンズシンと地響きを立てて近づいてくると、馬車から降りたアーク様の肩をバシッと叩いた。


「帰ったか、軟弱息子! 王都の温室育ちになって、筋肉が落ちたんじゃないか?」


「父上。私は文官だと言っているでしょう。それに、いきなり鉄球を投げるのはやめてください。婚約者が乗っているのです」


「婚約者ぁ? ああ、手紙に書いてあったな。どこの馬の骨とも知れぬ小娘が……」


ギガン伯爵の鋭い眼光が、私に向けられた。

獲物を品定めする猛獣の目だ。

普通の令嬢なら、この威圧感だけで失神しているだろう。

だが、私はロゼリア・フォン・アークライト。

金と権力以外に怖いものはない。


「……お初にお目にかかります、お義父様」


私はスカートの裾をつまみ、完璧なカーテシーを披露した。


「アーク様の婚約者、ロゼリアと申します。……先ほどの鉄球による馬車の修繕費、および精神的苦痛への慰謝料ですが、後ほど請求させていただきますね」


「……あん?」


ギガン伯爵が目を丸くした。


「慰謝料だと? ガハハハ! 面白い! 俺に金を請求した女は、母さん以来だ!」


彼は面白がっているようだが、目は笑っていない。


「だがな、嬢ちゃん。クロウリー家に嫁ぐには『資格』がいる。……金計算ができるだけじゃ、ここでは生きていけんぞ?」


「資格、ですか?」


「そうだ! 力だ! 我が家の嫁になるなら、最低でも素手で熊の一匹くらい倒せなくてどうする!」


「……野蛮な家訓ですね」


「口答えするなら、実力で示してみせろ!」


ギガン伯爵がいきなり背中の戦斧を抜き放った。

ブンッ!

空気が震える。

刃先が私の鼻先数センチで止まる。


「ロゼリア!」


アーク様が剣に手をかけるが、私が手で制した。

私は微動だにしなかった。

いや、正確には「値踏み」していたのだ。


「……ふむ」


私は戦斧の刃を見つめ、懐からルーペを取り出した。


「……素晴らしい」


「あ?」


「この戦斧。……素材は北の山脈特産の『黒魔鋼』ですね? しかも、この輝き……純度90%以上の最高級品。柄の部分には、魔物の革……これはSランクモンスター『エンシェント・ベア』の革を使用していますね」


「お、おう……よくわかったな」


伯爵が気圧されたように斧を下ろす。


「市場価格で……推定金貨3000枚。素晴らしい資産価値です。ですが、メンテナンスが行き届いていませんね。刃こぼれが3箇所、柄の革が乾燥しています。これでは資産価値が2割減ですわ」


「な、なんだと!?」


「私が紹介する鍛冶屋なら、市場の半額でメンテナンスが可能です。さらに、この黒魔鋼を使った新しい武器の量産ラインを確立すれば、辺境伯領の収益は倍増します」


私はニヤリと笑った。


「お義父様。腕っぷしの強さはアーク様に任せればよろしい。私に必要なのは、この領地の『潜在能力』を金に変える知恵です。……熊を倒すより、熊の毛皮を高値で売る方が、よほど建設的だと思いませんか?」


「…………」


ギガン伯爵はポカンと口を開けた。

そして、しばらく私とアーク様を交互に見比べた後、


「ガハハハハハ!!」


腹を抱えて大爆笑した。


「気に入った! 面白い! 熊を倒すより売る、か! 確かにその通りだ! アーク、お前いい女を捕まえたな!」


「……だから言ったでしょう。彼女は猛獣使いだと」


アーク様がため息をつく。

どうやら、第一関門(物理)は突破したようだ。


「よし、入れ! 歓迎の宴だ! 今日はとっておきの『ドラゴンステーキ』を出してやる!」


ギガン伯爵は私に背中を叩き(衝撃で肺が潰れるかと思った)、城の中へと案内した。


城内は、外観同様に無骨だった。

飾り気のない石造りの廊下には、剥製や武器が飾られている。

そして、大広間に通されると、そこには……。


「あらあら~。いらっしゃい、アークちゃん」


優雅にお茶を飲んでいる女性がいた。

年齢不詳の美貌。

緩くウェーブのかかった銀髪に、アーク様と同じ氷のような青い瞳。

しかし、その手元にあるのはティーカップではなく、なぜか手入れ中の『投げナイフ』だった。


「……母上」


アーク様が少し緊張した面持ちで呼ぶ。

彼女こそが、アーク様の母君、マリア・フォン・クロウリー夫人だ。


「お久しぶりね、アークちゃん。王都で随分と悪い顔になったわねぇ」


マリア夫人はふふっと笑い、投げナイフをシュッとテーブルに突き立てた。

深々と刺さる。


「そちらが、噂の婚約者さん? ……ふうん」


彼女は私を見た。

ギガン伯爵のような圧力はない。

しかし、背筋が凍るような、冷たく静かな観察眼を感じる。

これは……アーク様の「氷の宰相」としての資質は、母親譲りということか。


「初めまして、お義母様。ロゼリアです」


「ええ、聞いているわ。……あの悪徳商人ベネディクトを破産させ、王族からふんだくった金で豪遊している悪女だって」


「……人聞きの悪い噂ですね。正当な報酬を得て、経済を回しているだけです」


「あら、否定しないのね。……嫌いじゃないわよ、そういう図太い子」


マリア夫人は手招きをした。


「こっちにいらっしゃい。……貴女の手を見せて」


私は警戒しながら近づき、手を差し出した。

彼女は私の手を握り、じっと見つめる。

手相占いでもするのだろうか?


「……ペンだこがあるわね」


「ええ。計算と書類作成の職業病です」


「それに、指先が少し荒れている。……紙幣を数えすぎたのかしら?」


「ご明察です。昨夜も金貨3万枚を数えましたので」


マリア夫人は私の顔を見て、ニッコリと、しかし凄みのある笑顔を見せた。


「いい手ね。……武器を握る手ではないけれど、国を握る手だわ」


「……過分なお言葉です」


「合格よ。……ギガンは単純な筋肉ダルマだけど、この家の財布の紐を握るのは私なの。貴女なら、この赤字垂れ流しの軍事費を何とかできそうね」


「お任せください。無駄な武器購入、兵士の食費ロス、全て見直して黒字化してみせます」


「頼もしいわぁ。……アークちゃん、いいお嫁さんをもらったわね」


「……母上まで」


アーク様が頭を抱えた。

どうやら、この家では「強さ(物理)」か「強さ(経済力)」のどちらかがあれば認められるらしい。

実に合理的で、私好みの家風だ。


「さあ、座りなさい。ご飯にしましょう」


マリア夫人が手を叩くと、次々と料理が運ばれてきた。

だが、その量が異常だった。

山盛りの肉、肉、肉。

野菜が見当たらない。


「……これが、ドラゴンステーキ?」


目の前に置かれたのは、座布団のようなサイズの肉塊だった。


「そうだ! 北の山で獲れたての地竜だ! 精がつくぞ!」


ギガン伯爵が骨付き肉にかぶりつく。


「さあ、食えロゼリア! これを完食できなければ、北の冬は越せんぞ!」


「……アーク様。これ、私の体重と同じくらいありますが」


「頑張れ。……残すと父上が泣く(物理的に暴れる)」


私はフォークとナイフを手に取り、肉塊と睨み合った。

これも商談の一部だ。

完食すれば、さらなる信頼(と投資)を勝ち取れるはず。


「……いただきます」


私は覚悟を決めて肉にナイフを入れた。

意外にも柔らかい。

そして、口に入れると濃厚な旨味が広がる。


「……美味しい」


「だろう!? ガハハハ!」


宴は続いた。

筋肉ダルマの義父と、元暗殺者(?)のような義母、そして氷の宰相。

一見すると恐怖の食卓だが、飛び交う会話は「次の遠征費はどうする」「武器の相場が上がった」という、極めて現実的な金の話ばかりだった。

私は水を得た魚のように、コスト削減案や新ビジネスの提案をし、義父母を唸らせた。


こうして、私は「生命保険」を使うことなく、無事にクロウリー家に受け入れられた。

……かに思えた。

しかし、宴の終わり際。

ギガン伯爵が酔っ払って、とんでもないことを口走ったのである。


「そうだ! 結婚式といえば……我が家の伝統行事があるのを忘れていた!」


「伝統行事……?」


嫌な予感がする。


「ああ。『花嫁奪還戦』だ!」


「……はい?」


「花嫁を雪山の頂上に置き去りにし、花婿が魔物の群れを突破して助けに行く! これをクリアして初めて、一人前の夫婦と認められるのだ!」


「……アーク様。却下です。リスクが高すぎます」


「……父上。それは30年前に廃止されたはずでは?」


「何を言う! 俺とマリアもやったぞ! マリアが寒がっていたから、俺がドラゴンを素手で殴り倒して暖を取った思い出が……」


「それはお父様の武勇伝です。私を巻き込まないでください」


「決定だ! 明日の朝、ロゼリアを山頂へ連行する!」


「衛兵! 父上を取り押さえろ!」


アーク様の叫びも虚しく、酔っ払った「破壊神」は暴走を始めた。

私の「義実家ライフ」は、どうやら平穏にはほど遠いものになりそうだった。
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