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「お嬢様、王都より速達が届いております。差出人は……クロエ・フォン・男爵令嬢様からです」
窓際の一等席で、新調した「超低反発・人を駄目にするソファ」に深く埋もれていたナターシャは、片方の目だけを薄く開けた。
「……誰? その、名前からして面倒くさそうな人は」
「元婚約者様の、現在の婚約者候補であらせられる、あの方ですよ。お忘れですか?」
「ああ……マカロン泥棒のことね。忘れてたわ。そんなことよりセバス、その手紙、いい匂いがするわね」
セバスが差し出した封筒からは、むせ返るような安っぽいバラの香水が漂っていた。
ナターシャは指先でつまむようにしてそれを受け取ると、中身をパラパラと流し読みした。
『親愛なる、哀れなナターシャ様。辺境での惨めな生活はいかがかしら? 私は今、ヴィンセント様と毎日バラ園でお茶を楽しんでいますの。そうそう、貴女が以前欲しがっていた新作のドレス、殿下が私にプレゼントしてくださったのよ……』
以下、延々と続く自慢と罵倒のパレード。
普通の令嬢なら屈辱に震え、涙を流す場面だろう。
「……セバス。これ、すごくいいわ」
「左様でございますか。お嬢様の精神が、それほどまでに強靭だとは思いませんでした」
「違うわよ。見て、この紙質。厚手で丈夫、しかも表面が滑らか。……ちょうど、このサイドテーブルのガタつきが気になっていたところなの」
ナターシャはソファの横にある、ティーカップを置くための小さなテーブルを指差した。
古い別荘のせいか、脚の長さが数ミリ合わず、置くたびにカタカタと小さな音を立てるのが、彼女の安眠の敵となっていたのだ。
「なるほど。つまり、その手紙を……」
「ええ。四つ折りにして、この脚の下に敷くわ。マカロン泥棒も、少しは世の中の役に立てて本望でしょう」
ナターシャが手紙を丁寧に(物理的に)折り畳み、テーブルの脚の下へ力強く突っ込んだその時。
またしても「ノック? 何それ美味しいの?」と言わんばかりの勢いで、ミハイルが踏み込んできた。
「ナターシャ! 大変だ! 王都の諜報員から報告があった。クロエとかいう女が、貴様に精神攻撃を仕掛けるべく、呪いの書簡を送ったそうではないか!」
ミハイルは血相を変えてナターシャに駆け寄った。
が、彼女は平然とした顔で、安定したテーブルの上の紅茶を啜っている。
「ああ、その件でしたら。今、私の足元で頑張ってくれていますわよ」
「なに!? 足元だと!?」
ミハイルが視線を落とすと、そこには豪華な紋章入りの封筒が、家具の「重り」として踏みつけられている光景があった。
「……こ、これは。王家との繋がりを示す書簡を、テーブルの脚置きにしているのか?」
「ええ。厚みがちょうど良かったんです。おかげで紅茶が溢れなくなりましたわ。クロエ様には感謝しかありません」
ミハイルは、絶句して立ち尽くした。
そして、プルプルと肩を震わせ始めると、バッ!と手帳を取り出した。
「……素晴らしい。なんという精神的優位の誇示だ!」
「……はい?」
「敵からの罵倒を、物理的に踏みつけることで『貴様の言葉など、私の家具の支えにも及ばない』と無言で宣言しているのだな! これこそ、真の強者の振る舞い。ナターシャ嬢、貴様はやはり、ただ者ではない!」
「いえ、ただのDIYです」
「さらに見ろ、この安っぽい香水の匂いを! あえてそれを消さずに放置することで、不快な匂いさえも『自分の支配下にある』と誇示している! ……ナターシャ、貴様の冷徹なまでの合理的判断、私は感動した!」
ミハイルはテーブルの横に跪き、手紙(を敷いた脚)を神聖な儀式の対象のように見つめた。
「この『敵の書簡・有効活用法』、我が軍の若手将校たちにも教えよう! 敵の挑発に乗らず、それを文字通り『踏み台』にして前へ進む。これぞヴォルゴ流の鉄の意志だ!」
「ミハイル様。その鉄の意志で、ついでに私のベッドをもう少し大きくする予算も通してくださいな」
「承知した! 貴様のその揺るぎない精神を支えるためなら、国庫を揺るがしてでも最高の寝具を用意しよう!」
ミハイルが鼻息荒く去っていった後、ナターシャはセバスに小声で尋ねた。
「ねえセバス。あの人、私のこと何だと思ってるのかしら」
「おそらく、覇道を往く沈黙の女帝……といったところでしょうか」
「困ったわね。私はただ、紅茶がこぼれないようにしただけなのに」
ナターシャは、安定したテーブルの上で、二個目のスコーンを口にした。
王都では、クロエが「今頃ナターシャは悔しくて泣いているはずよ!」と高笑いしている頃だろうが。
現実は、彼女の執念がナターシャのティータイムを物理的に支えているだけだった。
(……まあ、いいわ。次はどんな厚手の手紙が届くかしら。次はクロゼットのガタつきを直したいのよね)
ナターシャは、次の「資材」が届くのを少しだけ楽しみにしながら、再び深い眠りへと落ちていった。
窓際の一等席で、新調した「超低反発・人を駄目にするソファ」に深く埋もれていたナターシャは、片方の目だけを薄く開けた。
「……誰? その、名前からして面倒くさそうな人は」
「元婚約者様の、現在の婚約者候補であらせられる、あの方ですよ。お忘れですか?」
「ああ……マカロン泥棒のことね。忘れてたわ。そんなことよりセバス、その手紙、いい匂いがするわね」
セバスが差し出した封筒からは、むせ返るような安っぽいバラの香水が漂っていた。
ナターシャは指先でつまむようにしてそれを受け取ると、中身をパラパラと流し読みした。
『親愛なる、哀れなナターシャ様。辺境での惨めな生活はいかがかしら? 私は今、ヴィンセント様と毎日バラ園でお茶を楽しんでいますの。そうそう、貴女が以前欲しがっていた新作のドレス、殿下が私にプレゼントしてくださったのよ……』
以下、延々と続く自慢と罵倒のパレード。
普通の令嬢なら屈辱に震え、涙を流す場面だろう。
「……セバス。これ、すごくいいわ」
「左様でございますか。お嬢様の精神が、それほどまでに強靭だとは思いませんでした」
「違うわよ。見て、この紙質。厚手で丈夫、しかも表面が滑らか。……ちょうど、このサイドテーブルのガタつきが気になっていたところなの」
ナターシャはソファの横にある、ティーカップを置くための小さなテーブルを指差した。
古い別荘のせいか、脚の長さが数ミリ合わず、置くたびにカタカタと小さな音を立てるのが、彼女の安眠の敵となっていたのだ。
「なるほど。つまり、その手紙を……」
「ええ。四つ折りにして、この脚の下に敷くわ。マカロン泥棒も、少しは世の中の役に立てて本望でしょう」
ナターシャが手紙を丁寧に(物理的に)折り畳み、テーブルの脚の下へ力強く突っ込んだその時。
またしても「ノック? 何それ美味しいの?」と言わんばかりの勢いで、ミハイルが踏み込んできた。
「ナターシャ! 大変だ! 王都の諜報員から報告があった。クロエとかいう女が、貴様に精神攻撃を仕掛けるべく、呪いの書簡を送ったそうではないか!」
ミハイルは血相を変えてナターシャに駆け寄った。
が、彼女は平然とした顔で、安定したテーブルの上の紅茶を啜っている。
「ああ、その件でしたら。今、私の足元で頑張ってくれていますわよ」
「なに!? 足元だと!?」
ミハイルが視線を落とすと、そこには豪華な紋章入りの封筒が、家具の「重り」として踏みつけられている光景があった。
「……こ、これは。王家との繋がりを示す書簡を、テーブルの脚置きにしているのか?」
「ええ。厚みがちょうど良かったんです。おかげで紅茶が溢れなくなりましたわ。クロエ様には感謝しかありません」
ミハイルは、絶句して立ち尽くした。
そして、プルプルと肩を震わせ始めると、バッ!と手帳を取り出した。
「……素晴らしい。なんという精神的優位の誇示だ!」
「……はい?」
「敵からの罵倒を、物理的に踏みつけることで『貴様の言葉など、私の家具の支えにも及ばない』と無言で宣言しているのだな! これこそ、真の強者の振る舞い。ナターシャ嬢、貴様はやはり、ただ者ではない!」
「いえ、ただのDIYです」
「さらに見ろ、この安っぽい香水の匂いを! あえてそれを消さずに放置することで、不快な匂いさえも『自分の支配下にある』と誇示している! ……ナターシャ、貴様の冷徹なまでの合理的判断、私は感動した!」
ミハイルはテーブルの横に跪き、手紙(を敷いた脚)を神聖な儀式の対象のように見つめた。
「この『敵の書簡・有効活用法』、我が軍の若手将校たちにも教えよう! 敵の挑発に乗らず、それを文字通り『踏み台』にして前へ進む。これぞヴォルゴ流の鉄の意志だ!」
「ミハイル様。その鉄の意志で、ついでに私のベッドをもう少し大きくする予算も通してくださいな」
「承知した! 貴様のその揺るぎない精神を支えるためなら、国庫を揺るがしてでも最高の寝具を用意しよう!」
ミハイルが鼻息荒く去っていった後、ナターシャはセバスに小声で尋ねた。
「ねえセバス。あの人、私のこと何だと思ってるのかしら」
「おそらく、覇道を往く沈黙の女帝……といったところでしょうか」
「困ったわね。私はただ、紅茶がこぼれないようにしただけなのに」
ナターシャは、安定したテーブルの上で、二個目のスコーンを口にした。
王都では、クロエが「今頃ナターシャは悔しくて泣いているはずよ!」と高笑いしている頃だろうが。
現実は、彼女の執念がナターシャのティータイムを物理的に支えているだけだった。
(……まあ、いいわ。次はどんな厚手の手紙が届くかしら。次はクロゼットのガタつきを直したいのよね)
ナターシャは、次の「資材」が届くのを少しだけ楽しみにしながら、再び深い眠りへと落ちていった。
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