邪魔する殿下との婚約破棄、喜んで承ります。

小梅りこ

文字の大きさ
8 / 28

8

しおりを挟む
「お嬢様、王都より速達が届いております。差出人は……クロエ・フォン・男爵令嬢様からです」


窓際の一等席で、新調した「超低反発・人を駄目にするソファ」に深く埋もれていたナターシャは、片方の目だけを薄く開けた。


「……誰? その、名前からして面倒くさそうな人は」


「元婚約者様の、現在の婚約者候補であらせられる、あの方ですよ。お忘れですか?」


「ああ……マカロン泥棒のことね。忘れてたわ。そんなことよりセバス、その手紙、いい匂いがするわね」


セバスが差し出した封筒からは、むせ返るような安っぽいバラの香水が漂っていた。
ナターシャは指先でつまむようにしてそれを受け取ると、中身をパラパラと流し読みした。


『親愛なる、哀れなナターシャ様。辺境での惨めな生活はいかがかしら? 私は今、ヴィンセント様と毎日バラ園でお茶を楽しんでいますの。そうそう、貴女が以前欲しがっていた新作のドレス、殿下が私にプレゼントしてくださったのよ……』


以下、延々と続く自慢と罵倒のパレード。
普通の令嬢なら屈辱に震え、涙を流す場面だろう。


「……セバス。これ、すごくいいわ」


「左様でございますか。お嬢様の精神が、それほどまでに強靭だとは思いませんでした」


「違うわよ。見て、この紙質。厚手で丈夫、しかも表面が滑らか。……ちょうど、このサイドテーブルのガタつきが気になっていたところなの」


ナターシャはソファの横にある、ティーカップを置くための小さなテーブルを指差した。
古い別荘のせいか、脚の長さが数ミリ合わず、置くたびにカタカタと小さな音を立てるのが、彼女の安眠の敵となっていたのだ。


「なるほど。つまり、その手紙を……」


「ええ。四つ折りにして、この脚の下に敷くわ。マカロン泥棒も、少しは世の中の役に立てて本望でしょう」


ナターシャが手紙を丁寧に(物理的に)折り畳み、テーブルの脚の下へ力強く突っ込んだその時。
またしても「ノック? 何それ美味しいの?」と言わんばかりの勢いで、ミハイルが踏み込んできた。


「ナターシャ! 大変だ! 王都の諜報員から報告があった。クロエとかいう女が、貴様に精神攻撃を仕掛けるべく、呪いの書簡を送ったそうではないか!」


ミハイルは血相を変えてナターシャに駆け寄った。
が、彼女は平然とした顔で、安定したテーブルの上の紅茶を啜っている。


「ああ、その件でしたら。今、私の足元で頑張ってくれていますわよ」


「なに!? 足元だと!?」


ミハイルが視線を落とすと、そこには豪華な紋章入りの封筒が、家具の「重り」として踏みつけられている光景があった。


「……こ、これは。王家との繋がりを示す書簡を、テーブルの脚置きにしているのか?」


「ええ。厚みがちょうど良かったんです。おかげで紅茶が溢れなくなりましたわ。クロエ様には感謝しかありません」


ミハイルは、絶句して立ち尽くした。
そして、プルプルと肩を震わせ始めると、バッ!と手帳を取り出した。


「……素晴らしい。なんという精神的優位の誇示だ!」


「……はい?」


「敵からの罵倒を、物理的に踏みつけることで『貴様の言葉など、私の家具の支えにも及ばない』と無言で宣言しているのだな! これこそ、真の強者の振る舞い。ナターシャ嬢、貴様はやはり、ただ者ではない!」


「いえ、ただのDIYです」


「さらに見ろ、この安っぽい香水の匂いを! あえてそれを消さずに放置することで、不快な匂いさえも『自分の支配下にある』と誇示している! ……ナターシャ、貴様の冷徹なまでの合理的判断、私は感動した!」


ミハイルはテーブルの横に跪き、手紙(を敷いた脚)を神聖な儀式の対象のように見つめた。


「この『敵の書簡・有効活用法』、我が軍の若手将校たちにも教えよう! 敵の挑発に乗らず、それを文字通り『踏み台』にして前へ進む。これぞヴォルゴ流の鉄の意志だ!」


「ミハイル様。その鉄の意志で、ついでに私のベッドをもう少し大きくする予算も通してくださいな」


「承知した! 貴様のその揺るぎない精神を支えるためなら、国庫を揺るがしてでも最高の寝具を用意しよう!」


ミハイルが鼻息荒く去っていった後、ナターシャはセバスに小声で尋ねた。


「ねえセバス。あの人、私のこと何だと思ってるのかしら」


「おそらく、覇道を往く沈黙の女帝……といったところでしょうか」


「困ったわね。私はただ、紅茶がこぼれないようにしただけなのに」


ナターシャは、安定したテーブルの上で、二個目のスコーンを口にした。
王都では、クロエが「今頃ナターシャは悔しくて泣いているはずよ!」と高笑いしている頃だろうが。
現実は、彼女の執念がナターシャのティータイムを物理的に支えているだけだった。


(……まあ、いいわ。次はどんな厚手の手紙が届くかしら。次はクロゼットのガタつきを直したいのよね)


ナターシャは、次の「資材」が届くのを少しだけ楽しみにしながら、再び深い眠りへと落ちていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

侯爵家の婚約者に手を出す意味、わかってます?

碧井 汐桜香
恋愛
侯爵令嬢ジョセリアは地味な外見をしている少女だ。いつも婚約者のアランとその取り巻きの少女たちに罵倒されている。 しかし、今日はアランの取り巻きは一人しかおらず、いつも無視を決め込んでいたジョセリアが口を開いた。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

処理中です...