10 / 28
10
しおりを挟む
「……セバス。外がうるさいわ。何の祭り? 暴動?」
別荘の寝室。ナターシャは枕を頭に押し付けながら、窓の外から聞こえてくる歓声に眉をひそめた。
水路が完成してからというもの、別荘の周囲には「聖女様を一目見たい」という領民が集まり、朝から晩まで感謝の合唱が止まらない。
「お嬢様、暴動ではございません。『ナターシャ聖女様万歳』という感謝の聖歌でございます。村人たちが自主的に結成した合唱団だそうですよ」
「……お断りよ。その『万歳』のたびに私のレム睡眠が中断されるの。セバス、今すぐ外に出て『聖女は今、死んだように寝ているから静かにしろ』と伝えてきて」
「そのように伝えますと、おそらく『なんと神聖な深い瞑想中なのだ!』とさらに感動を呼ぶかと」
ナターシャが絶望してベッドに沈み込んだ瞬間、例によって扉が爆破されたかのような勢いで開いた。
現れたのは、いつも以上に眼光を鋭く光らせたミハイルである。
「ナターシャ! 大変だ! 貴様の奇跡が王都にまで漏れ聞こえたらしい! 無能なヴィンセント王子が、貴様を連れ戻そうと画策しているとの情報を掴んだ!」
「……えっ。それは困りますわ。あんな面倒な男の顔を見るくらいなら、ここで一生、村人の合唱を聴いている方がマシです」
ナターシャは本気で嫌そうな顔をした。
王都に戻れば、またあの過酷な王妃教育と、空気の読めない王子の相手が待っている。
それだけは、死んでも御免だった。
「案ずるな! 貴様はこの領の、いや、私の……人類の宝だ! 王都のハイエナどもに指一本触れさせはせん! そこでだ、ナターシャ。今日から貴様の護衛として、我が領が誇る精鋭『黒鉄騎士団』をこの別荘に常駐させる!」
「……騎士団? そんな屈強な男たちが家の中にいたら、圧迫感で眠れませんわ」
「気にするな! 彼らは貴様の影となり、呼吸音すら立てずに潜伏するよう命じてある。……おい、入れ!」
ミハイルの号令と共に、十人の黒甲冑の騎士たちが音もなく入室してきた。
彼らは一斉にナターシャの前で膝をつき、地を這うような低い声で唱和した。
「「「聖女様をお守りするため、この命、捧げます!」」」
「……ねえ、セバス。この人たち、さっきから私のこと『聖女』って呼んでるけど、私、何か宗教でも始めたかしら?」
「いいえ、お嬢様。お嬢様が無自覚に撒き散らした『効率化』という名の奇跡が、彼らには神の業に見えているのでしょう」
ナターシャは、目の前でガチガチに緊張して固まっている騎士たちを見渡した。
どいつもこいつも、真面目すぎて肩が凝りそうな顔をしている。
「……あの、騎士の皆様。私を守ってくださるのは結構ですが、一つ条件がありますわ」
「「「何なりと!」」」
「皆様も、交代で寝てください。二十四時間、私の枕元でそんな殺気を出されたら、私が悪夢を見ますの」
騎士たちは顔を見合わせた。
彼らにとって、任務中に眠るなど万死に値する恥辱。
しかし、ミハイルが力強く頷いた。
「……おお! 見ろ! ナターシャ嬢は我ら騎士の健康管理まで、最短ルートで最適化しようとしている! 『休養もまた戦いである』という高度な軍事教義を、我々に授けてくださっているのだ!」
「……はい?」
「いいか、貴様ら! ナターシャ嬢の仰る通り、極限の効率で眠り、最短で回復しろ! これからは『ナターシャ式・超回復護衛術』として、我が軍の正式採用とする!」
騎士たちは感激に震え、再びナターシャを拝んだ。
「……ありがたき幸せ! 我ら、聖女様の教えに従い、全力で、効率的に……寝ます!」
「「「寝ます!」」」
ナターシャは、自分でも何がどうなっているのか分からなくなったが、とりあえず「静かになるならいいか」と納得することにした。
「……セバス。とりあえず、彼らにも『もふもふ絨毯』を支給してあげて。硬い鎧で床を傷つけられたら嫌だもの」
「承知いたしました。これで、家中が眠る騎士と眠る令嬢で埋め尽くされますね。壮観でございます」
ミハイルは満足げに腕を組み、ナターシャを見つめた。
「……ナターシャ。貴様がいれば、この領は無敵だ。王都の連中が何を仕掛けてこようと、私が……このヴォルゴの総力を挙げて貴様の『平穏』を死守してみせる」
「……ええ、お願いしますわ。特に午前中の平穏は、私の美容に関わりますから、厳重にお願いしますね」
ミハイルは彼女の言葉を「美しく平和な世界を維持せよ」という意味に解釈し、再び手帳に熱心にメモを取り始めた。
こうして、ナターシャの別荘は、鉄壁の守護と究極の怠惰が同居する、世にも奇妙な聖域へと変貌を遂げたのである。
王都では、ヴィンセント王子が「ナターシャ、君を許してやるから戻ってこい」という上から目線の招待状を書き始めていたが。
その手紙が、辺境伯の「鉄壁の検閲」を突破できる日は、永遠に来そうになかった。
別荘の寝室。ナターシャは枕を頭に押し付けながら、窓の外から聞こえてくる歓声に眉をひそめた。
水路が完成してからというもの、別荘の周囲には「聖女様を一目見たい」という領民が集まり、朝から晩まで感謝の合唱が止まらない。
「お嬢様、暴動ではございません。『ナターシャ聖女様万歳』という感謝の聖歌でございます。村人たちが自主的に結成した合唱団だそうですよ」
「……お断りよ。その『万歳』のたびに私のレム睡眠が中断されるの。セバス、今すぐ外に出て『聖女は今、死んだように寝ているから静かにしろ』と伝えてきて」
「そのように伝えますと、おそらく『なんと神聖な深い瞑想中なのだ!』とさらに感動を呼ぶかと」
ナターシャが絶望してベッドに沈み込んだ瞬間、例によって扉が爆破されたかのような勢いで開いた。
現れたのは、いつも以上に眼光を鋭く光らせたミハイルである。
「ナターシャ! 大変だ! 貴様の奇跡が王都にまで漏れ聞こえたらしい! 無能なヴィンセント王子が、貴様を連れ戻そうと画策しているとの情報を掴んだ!」
「……えっ。それは困りますわ。あんな面倒な男の顔を見るくらいなら、ここで一生、村人の合唱を聴いている方がマシです」
ナターシャは本気で嫌そうな顔をした。
王都に戻れば、またあの過酷な王妃教育と、空気の読めない王子の相手が待っている。
それだけは、死んでも御免だった。
「案ずるな! 貴様はこの領の、いや、私の……人類の宝だ! 王都のハイエナどもに指一本触れさせはせん! そこでだ、ナターシャ。今日から貴様の護衛として、我が領が誇る精鋭『黒鉄騎士団』をこの別荘に常駐させる!」
「……騎士団? そんな屈強な男たちが家の中にいたら、圧迫感で眠れませんわ」
「気にするな! 彼らは貴様の影となり、呼吸音すら立てずに潜伏するよう命じてある。……おい、入れ!」
ミハイルの号令と共に、十人の黒甲冑の騎士たちが音もなく入室してきた。
彼らは一斉にナターシャの前で膝をつき、地を這うような低い声で唱和した。
「「「聖女様をお守りするため、この命、捧げます!」」」
「……ねえ、セバス。この人たち、さっきから私のこと『聖女』って呼んでるけど、私、何か宗教でも始めたかしら?」
「いいえ、お嬢様。お嬢様が無自覚に撒き散らした『効率化』という名の奇跡が、彼らには神の業に見えているのでしょう」
ナターシャは、目の前でガチガチに緊張して固まっている騎士たちを見渡した。
どいつもこいつも、真面目すぎて肩が凝りそうな顔をしている。
「……あの、騎士の皆様。私を守ってくださるのは結構ですが、一つ条件がありますわ」
「「「何なりと!」」」
「皆様も、交代で寝てください。二十四時間、私の枕元でそんな殺気を出されたら、私が悪夢を見ますの」
騎士たちは顔を見合わせた。
彼らにとって、任務中に眠るなど万死に値する恥辱。
しかし、ミハイルが力強く頷いた。
「……おお! 見ろ! ナターシャ嬢は我ら騎士の健康管理まで、最短ルートで最適化しようとしている! 『休養もまた戦いである』という高度な軍事教義を、我々に授けてくださっているのだ!」
「……はい?」
「いいか、貴様ら! ナターシャ嬢の仰る通り、極限の効率で眠り、最短で回復しろ! これからは『ナターシャ式・超回復護衛術』として、我が軍の正式採用とする!」
騎士たちは感激に震え、再びナターシャを拝んだ。
「……ありがたき幸せ! 我ら、聖女様の教えに従い、全力で、効率的に……寝ます!」
「「「寝ます!」」」
ナターシャは、自分でも何がどうなっているのか分からなくなったが、とりあえず「静かになるならいいか」と納得することにした。
「……セバス。とりあえず、彼らにも『もふもふ絨毯』を支給してあげて。硬い鎧で床を傷つけられたら嫌だもの」
「承知いたしました。これで、家中が眠る騎士と眠る令嬢で埋め尽くされますね。壮観でございます」
ミハイルは満足げに腕を組み、ナターシャを見つめた。
「……ナターシャ。貴様がいれば、この領は無敵だ。王都の連中が何を仕掛けてこようと、私が……このヴォルゴの総力を挙げて貴様の『平穏』を死守してみせる」
「……ええ、お願いしますわ。特に午前中の平穏は、私の美容に関わりますから、厳重にお願いしますね」
ミハイルは彼女の言葉を「美しく平和な世界を維持せよ」という意味に解釈し、再び手帳に熱心にメモを取り始めた。
こうして、ナターシャの別荘は、鉄壁の守護と究極の怠惰が同居する、世にも奇妙な聖域へと変貌を遂げたのである。
王都では、ヴィンセント王子が「ナターシャ、君を許してやるから戻ってこい」という上から目線の招待状を書き始めていたが。
その手紙が、辺境伯の「鉄壁の検閲」を突破できる日は、永遠に来そうになかった。
7
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
侯爵家の婚約者に手を出す意味、わかってます?
碧井 汐桜香
恋愛
侯爵令嬢ジョセリアは地味な外見をしている少女だ。いつも婚約者のアランとその取り巻きの少女たちに罵倒されている。
しかし、今日はアランの取り巻きは一人しかおらず、いつも無視を決め込んでいたジョセリアが口を開いた。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる