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「……セバス。最近、あごの筋肉が疲れている気がするの」
昼下がりのテラス。ナターシャは、特注の「首を支える専用クッション」に頭を預け、虚空を見つめていた。
セバスは銀のトレイを手に、いつものように涼しげな顔で問い返す。
「それは由々しき事態ですね。お嬢様、何か硬いものでも召し上がりましたか?」
「昨日、村人から頂いたリンゴよ。美味しいんだけど、皮を剥くのも、咀嚼するのも、飲み込むのも……工程が多すぎるわ。もっとこう、努力なしに私の血肉になってくれる甘味はないのかしら」
「咀嚼すら手間でございますか。では、流動食になさいますか?」
「流動食なんて味気ないわ。私が求めているのは、口に入れた瞬間に魂がとろけるような、甘美な怠惰。……そうね、プリンにしましょう。でも、ただのプリンじゃないわ」
ナターシャは、手近にあったナプキンにサラサラと「黄金比」を書き記した。
それは、地元の濃厚な牛乳と、ミハイルが「滋養強壮に」と届けてくれた最高級の卵をふんだんに使ったレシピだった。
「極限まで柔らかくして。スプーンですくう必要さえないわ。ストローで吸えるレベル、いえ、もはや自重で喉の奥に滑り込んでいくような……『飲む宝石』を目指すのよ」
「承知いたしました。……おや、噂をすれば。領地の開発予算を抱えた『氷の辺境伯』が、またしても鼻息荒くやってこられましたよ」
ミハイルは、ナターシャが書いた「プリンの配合表」を奪い取るように覗き込んだ。
「……ナターシャ! これは、何の化学式だ!? 糖分、脂質、そしてタンパク質のバランスが異常なまでに精密だ。これほど高密度なエネルギー体を、貴様は何に使うつもりだ!」
「……ただのプリンのレシピですわ、ミハイル様。最近あごの調子が悪いので、噛まなくていいおやつを作らせようと思いまして」
「『噛まなくていい』……!? そうか! 戦場における非常食か! 負傷して咀嚼もままならない兵士でも、これを流し込めば即座に戦線復帰できるという、魔法の回復薬……!」
「いえ、ただサボりたいだけなんですけど」
「さらに見ろ、この『地元の材料のみを使用』というこだわり! ナターシャ……貴様、王都の高級菓子ギルドに頼らず、辺境の素材だけで王都を跪かせるつもりだな! これは……経済戦争の宣戦布告か!」
ミハイルの瞳に、勝利の火が灯った。
彼は即座に領内の工房に指示を出し、ナターシャのレシピを「極秘の戦略物資」として量産させた。
数週間後。
そのプリンは『辺境の聖女の涙』という、ナターシャが聞いたら卒倒しそうな名前で王都に輸出された。
そして……。
「お嬢様、大変なことになりました。王都で例のプリンが爆発的なブームとなっております」
「……えっ。ただの柔らかい卵液じゃない。何がそんなに珍しいの?」
「王都の貴婦人たちの間で、『噛む必要がないほど繊細で、食べても疲れない究極の癒やし』と絶賛されているようです。昨晩の王宮夜会でも、殿下がクロエ様のために一ダースも買い占めたとか」
「へえ。マカロンの次は私のプリンを買い占めるなんて、あの二人も相変わらず暇なのね」
ナターシャは、自分が考案した「怠惰の産物」が、王都の流行を支配していることに少しだけ呆れた。
しかし、セバスが持ってきた報告はそれだけではなかった。
「売上はすべて、お嬢様の個人口座と領地の発展基金に振り込まれております。ミハイル様が『これでナターシャ嬢の二度寝環境をさらに強化できる』と泣いて喜んでおられました」
「……それはいいわね。セバス、次は『座ったまま全身を洗ってくれる魔法の浴槽』の予算を申請しておいて」
「畏まりました。……ただ、一つ懸念が。プリンがあまりに売れすぎて、王都の商人たちが『聖女様に会いたい』と、この別荘に押し寄せてくる可能性があります」
ナターシャは、手に持っていたプリンのスプーンをポトリと落とした。
「……なんですって? 誰が私の睡眠を邪魔しにくるっていうの?」
「商人の皆様でございます」
「セバス。今すぐ庭に落とし穴を掘って。あと、ミハイル様に言って、別荘の周囲に『猛犬注意』の看板を立てさせて。ただし、犬はうるさいから、ぬいぐるみでいいわ」
「承知いたしました。……ですがお嬢様。ミハイル様のことですから、きっと『敵の偵察を防ぐための要塞化工作だ!』と張り切って、本物の騎士団を百人ほど配置してしまうかと」
「……もう、どうにでもして」
ナターシャは、冷たいプリンを喉に流し込むと、再びクッションの深淵へと沈んでいった。
彼女が「楽をしたい」と思えば思うほど、辺境は潤い、王都は彼女の影を追い求め、ミハイルの勘違いは宇宙の果てまで加速していく。
ナターシャ・フォン・グラムの安眠への道は、皮肉なことに、彼女をますます「有名人」へと押し上げていくのであった。
昼下がりのテラス。ナターシャは、特注の「首を支える専用クッション」に頭を預け、虚空を見つめていた。
セバスは銀のトレイを手に、いつものように涼しげな顔で問い返す。
「それは由々しき事態ですね。お嬢様、何か硬いものでも召し上がりましたか?」
「昨日、村人から頂いたリンゴよ。美味しいんだけど、皮を剥くのも、咀嚼するのも、飲み込むのも……工程が多すぎるわ。もっとこう、努力なしに私の血肉になってくれる甘味はないのかしら」
「咀嚼すら手間でございますか。では、流動食になさいますか?」
「流動食なんて味気ないわ。私が求めているのは、口に入れた瞬間に魂がとろけるような、甘美な怠惰。……そうね、プリンにしましょう。でも、ただのプリンじゃないわ」
ナターシャは、手近にあったナプキンにサラサラと「黄金比」を書き記した。
それは、地元の濃厚な牛乳と、ミハイルが「滋養強壮に」と届けてくれた最高級の卵をふんだんに使ったレシピだった。
「極限まで柔らかくして。スプーンですくう必要さえないわ。ストローで吸えるレベル、いえ、もはや自重で喉の奥に滑り込んでいくような……『飲む宝石』を目指すのよ」
「承知いたしました。……おや、噂をすれば。領地の開発予算を抱えた『氷の辺境伯』が、またしても鼻息荒くやってこられましたよ」
ミハイルは、ナターシャが書いた「プリンの配合表」を奪い取るように覗き込んだ。
「……ナターシャ! これは、何の化学式だ!? 糖分、脂質、そしてタンパク質のバランスが異常なまでに精密だ。これほど高密度なエネルギー体を、貴様は何に使うつもりだ!」
「……ただのプリンのレシピですわ、ミハイル様。最近あごの調子が悪いので、噛まなくていいおやつを作らせようと思いまして」
「『噛まなくていい』……!? そうか! 戦場における非常食か! 負傷して咀嚼もままならない兵士でも、これを流し込めば即座に戦線復帰できるという、魔法の回復薬……!」
「いえ、ただサボりたいだけなんですけど」
「さらに見ろ、この『地元の材料のみを使用』というこだわり! ナターシャ……貴様、王都の高級菓子ギルドに頼らず、辺境の素材だけで王都を跪かせるつもりだな! これは……経済戦争の宣戦布告か!」
ミハイルの瞳に、勝利の火が灯った。
彼は即座に領内の工房に指示を出し、ナターシャのレシピを「極秘の戦略物資」として量産させた。
数週間後。
そのプリンは『辺境の聖女の涙』という、ナターシャが聞いたら卒倒しそうな名前で王都に輸出された。
そして……。
「お嬢様、大変なことになりました。王都で例のプリンが爆発的なブームとなっております」
「……えっ。ただの柔らかい卵液じゃない。何がそんなに珍しいの?」
「王都の貴婦人たちの間で、『噛む必要がないほど繊細で、食べても疲れない究極の癒やし』と絶賛されているようです。昨晩の王宮夜会でも、殿下がクロエ様のために一ダースも買い占めたとか」
「へえ。マカロンの次は私のプリンを買い占めるなんて、あの二人も相変わらず暇なのね」
ナターシャは、自分が考案した「怠惰の産物」が、王都の流行を支配していることに少しだけ呆れた。
しかし、セバスが持ってきた報告はそれだけではなかった。
「売上はすべて、お嬢様の個人口座と領地の発展基金に振り込まれております。ミハイル様が『これでナターシャ嬢の二度寝環境をさらに強化できる』と泣いて喜んでおられました」
「……それはいいわね。セバス、次は『座ったまま全身を洗ってくれる魔法の浴槽』の予算を申請しておいて」
「畏まりました。……ただ、一つ懸念が。プリンがあまりに売れすぎて、王都の商人たちが『聖女様に会いたい』と、この別荘に押し寄せてくる可能性があります」
ナターシャは、手に持っていたプリンのスプーンをポトリと落とした。
「……なんですって? 誰が私の睡眠を邪魔しにくるっていうの?」
「商人の皆様でございます」
「セバス。今すぐ庭に落とし穴を掘って。あと、ミハイル様に言って、別荘の周囲に『猛犬注意』の看板を立てさせて。ただし、犬はうるさいから、ぬいぐるみでいいわ」
「承知いたしました。……ですがお嬢様。ミハイル様のことですから、きっと『敵の偵察を防ぐための要塞化工作だ!』と張り切って、本物の騎士団を百人ほど配置してしまうかと」
「……もう、どうにでもして」
ナターシャは、冷たいプリンを喉に流し込むと、再びクッションの深淵へと沈んでいった。
彼女が「楽をしたい」と思えば思うほど、辺境は潤い、王都は彼女の影を追い求め、ミハイルの勘違いは宇宙の果てまで加速していく。
ナターシャ・フォン・グラムの安眠への道は、皮肉なことに、彼女をますます「有名人」へと押し上げていくのであった。
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