邪魔する殿下との婚約破棄、喜んで承ります。

小梅りこ

文字の大きさ
18 / 28

18

しおりを挟む
「……セバス。この『全自動・寝返り支援ベッド』、少し回転速度が速すぎるわ。私はバターになりたいわけじゃないの」


別荘の寝室。ナターシャは、ミハイルが技術の粋を集めて作らせた新型ベッドの上で、不満げに声を漏らした。
セバスは手元のリモコン(魔法具)を操作し、微調整を加える。


「失礼いたしました。遠心力で睡眠の質を高めるというミハイル様の理論に基づいた設定でしたが、少々過激でしたね」


「ええ。三回転半したところで、三途の川が見えかけたわ。……おや、セバス。窓の外に、今にも力尽きそうな伝書鳩が。……いえ、人間かしら?」


ナターシャが指差す先、庭の「もふもふ防衛線」に顔を埋めて動かなくなっている男が一人。
王宮の正装を着た使者だった。


セバスが回収してきた使者は、リビングの床に転がされるなり、這うようにしてナターシャの足元へ手を伸ばした。


「な、ナターシャ様……お願いです……どうか、どうか一度だけでいい、王宮へ戻って書類に目を通してください……!」


「嫌よ。そんな呪いの言葉、聞きたくないわ」


「殿下が……ヴィンセント殿下が、ついに過労でお倒れになったのです! 積み上がった領地予算案の山に埋もれ、『ナターシャ、この五ページ目の数字が合わないんだ……助けてくれ……』とうわ言を仰りながら!」


使者の悲痛な叫び。しかし、ナターシャは無慈悲にプリンを口へ運んだ。


「あら、五ページ目? あそこはいつも隣国の物価指数を掛け合わせて、平方根で割るだけの簡単な作業じゃない。……殿下、算数もできなくなってしまわれたの?」


「殿下にとっては死活問題なのです! 今や王宮の廊下は書類で埋まり、歩くこともままなりません! 大臣たちは責任をなすりつけ合い、クロエ様は『文字を見ると頭が痛くなる』と言ってバラ園から出てこられず……国が、国が止まってしまったのです!」


「勝手に止まってればいいじゃない。私は今、自分の『脈拍』という名の時計だけで生きてるんですもの」


ナターシャが冷たく突き放した瞬間、部屋の扉が力強く……しかし彼女の安眠を阻害しない絶妙な静かさで開いた。
ミハイルが、怒りに震えながら入ってきた。


「ナターシャ、聴いたぞ! 王都の連中、まだ君という『至高の知性』を無償の労働力としてこき使うつもりか!」


「ミハイル様。いいところに来てくださいましたわ。この使者の方、声が大きくて困るんです」


ミハイルは使者の襟首を掴み上げ、氷のような冷徹な声で言い放った。


「貴様。殿下の過労など、ナターシャ嬢の午後の微睡みに比べれば塵に等しい。……いいか、王都へ帰って伝えろ。『ナターシャ嬢は今、全人類を救うための究極の脱力理論を完成させようとしている。邪魔する者は、このヴォルゴの鉄騎兵が粉砕する』とな!」


「ミ、ミハイル様……! しかし、このままでは国家予算が……!」


「予算など私が個人的に補填してやろうか! ただし、その代わり二度と彼女の平穏を乱すな! ……行け!」


ミハイルによって庭のクッション材の方へ放り投げられた使者は、そのまま涙を流しながら王都へと走り去っていった。


「……ナターシャ。大丈夫か、精神的苦痛は受けていないか? 今すぐ、君の心を癒やすための『羊肉のフルコース』を用意させよう」


「ありがとうございます、ミハイル様。……でも、一つだけ気になることが」


「なんだ! 何でも言ってくれ!」


「……殿下が倒れたってことは、もう私に嫌がらせの手紙を書く体力もないってことですよね? サイドテーブルのガタつきが再発したら困るわ……。予備の『資材』を確保しておかないと」


ナターシャは、安定したテーブルを撫でながら、心底残念そうに呟いた。
ミハイルは、その言葉を再び自分流に翻訳した。


「……っ! なんという慈悲深さだ……! 自分を追放した男の安否を、家具の心配を装って気にかけるとは。……ナターシャ、君はどこまで……どこまで深い愛の持ち主なのだ!」


「……あの、ミハイル様。目が怖いですわよ」


「分かっている! 君のその『ツンデレ(神聖なる博愛)』、このミハイル、生涯をかけて支え続けよう!」


ナターシャは、ミハイルの熱すぎる視線から逃げるように、再びベッドへと潜り込んだ。
王都が機能停止しようが、殿下が書類に埋もれようが。
彼女の平和を揺るがすものは、もう何一つ残っていなかった。


ただ一つ、セバスが静かに囁くまでは。


「お嬢様。……ミハイル様、感激のあまり、明日の朝食に『王都の予算案を模したケーキ』を百個ほど作らせるようです。……胃もたれにはご注意くださいね」


「……それ、食べるのが一番の重労働だわ」


ナターシャの「快適生活」は、他人の勘違いという名のスパイスによって、ますます濃厚なものへと変化していくのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

侯爵家の婚約者に手を出す意味、わかってます?

碧井 汐桜香
恋愛
侯爵令嬢ジョセリアは地味な外見をしている少女だ。いつも婚約者のアランとその取り巻きの少女たちに罵倒されている。 しかし、今日はアランの取り巻きは一人しかおらず、いつも無視を決め込んでいたジョセリアが口を開いた。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

処理中です...