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「……セバス。外が地響きのようにうるさいわ。山が怒っているの? それとも、巨大な魔物の大群でも押し寄せてきたのかしら」
別荘のバルコニー。ナターシャは、ミハイルが特注した「四方をもふもふの壁で囲った防音ブース」の中から、迷惑そうに声を絞り出した。
「お嬢様、山が怒っているのでも魔物でもございません。本日は、ヴォルゴ領の収穫祭当日でございます。領民たちは、お嬢様が引いた水路で育った豊かな作物を祝い、狂喜乱舞しているのです」
「狂喜乱舞……。なぜ人間は、嬉しい時にわざわざエネルギーを消費して踊るのかしら。私なら、嬉しい時こそ静かに横たわり、喜びを細胞一つ一つに染み渡らせるけれど」
ナターシャが再びブースの奥へ引っ込もうとしたその時、バァン!とバルコニーの扉が開かれた。
そこには、正装の軍服に身を包み、マントをなびかせたミハイルが立っていた。
「ナターシャ! 迎えに来たぞ! 祭りの主役である君がいなくては、この収穫祭は始まらない!」
「ミハイル様、何度でも言いますが、私は主役ではなく『隠居人』です。祭りの喧騒は、私の耳にとって有害な騒音でしかありませんわ」
「わかっている! だから、君のために『動く観覧席』を用意した!」
ミハイルが指差した先には、四人の屈強な騎士たちが担ぐ、豪華な装飾が施された「天蓋付きの寝椅子」があった。
椅子の上には、山のような最高級クッションが積み上げられている。
「……あら。あれに乗ったまま、移動できるのですか?」
「当然だ! 君は指一本動かす必要はない。私が横で護衛を務め、君はただ、その上で領民たちの感謝を受け取ればいい。……どうだ、これなら文句はあるまい?」
ナターシャは、しばし考えた。
(……自力で歩かなくていい。しかも、外の新鮮な空気を吸いながら、揺りかごのような振動で二度寝ができる……。悪くないわね)
「……分かりましたわ。そこまで仰るなら、付き合ってあげます」
ナターシャが優雅に(セバスに支えられながら)移動式の寝椅子に横たわると、騎士たちが一斉にそれを持ち上げた。
祭りの会場へ入ると、地鳴りのような歓声が沸き起こった。
「「「聖女様万歳!」「ナターシャ様、ありがとうございます!」」」
領民たちは、水路の恩恵で実った野菜や果物を高く掲げ、寝椅子の上のナターシャを拝んでいる。
ナターシャは、あまりの眩しさと騒がしさに、顔に扇を当てて目を閉じた。
「……セバス。この人たち、私に向かって何を投げているの?」
「お花でございます、お嬢様。お嬢様の行く道を、香りで満たそうとしているのですよ」
「面倒だわ、後で掃除するのがセバスでしょうに。……あ、でもこの花の香り、少し眠気を誘うわね……」
ナターシャは、激しい喧騒の中で、逆に深い眠りへと落ち始めた。
寝椅子がゆっくりと揺れるたび、彼女の意識は遠のいていく。
一方、隣を歩くミハイルは、その様子を見て胸を熱くしていた。
「……見ろ。この騒乱の中で、微塵も動じず、目を閉じて瞑想に耽る姿を。彼女は、捧げられる賞賛に溺れることなく、ただ静かにこの地の平和を噛み締めているのだな……」
ミハイルは、そっとナターシャの手に自分の手を重ねようとした。
しかし、ナターシャは寝返りを打って、その手をスルリと避けた。
「……んぅ……もっと……もふもふを……」
ナターシャの小さな寝言。
ミハイルは、それを聞き逃さなかった。
「……『もっと平和を』だと? ああ、ナターシャ! 君は自分の幸せなど二の次で、常にこの地の、世界の平穏を願っているのか!」
ミハイルは、独り言のように感動を噛み締め、夜空を見上げた。
ちょうどその時、祭りのクライマックスである大輪の打ち上げ花火が、夜空に弾けた。
ドンッ、という大きな音に、ナターシャはビクッと肩を揺らして目を開けた。
「……な、何!? 爆発!? 敵襲!?」
「ナターシャ、落ち着け! 花火だ! 君の功績を祝う、祝福の光だよ!」
ミハイルが、慌てて彼女の肩を抱き寄せた。
花火の光に照らされ、ミハイルの端正な顔が至近距離でナターシャを見つめている。
周囲は歓声で溢れ、二人の距離は、毛布一枚分の隙間もないほどに近い。
「……ナターシャ。私は、君に出会ってから、世界がこれほどまでに明るいものだと知った。……君が守りたいこの平穏を、私は、この命に代えても守り抜くと誓おう」
ミハイルの瞳には、紛れもない愛の色が宿っていた。
ロマンチックなシチュエーション。普通の令嬢なら、顔を赤らめて頷く場面だ。
しかし、ナターシャの第一声は。
「……ミハイル様。暑いですわ」
「……えっ?」
「貴方の体温、高すぎますわ。せっかく夜風が涼しくて心地よかったのに、そんなに密着されたら、私の快適温度が崩れてしまいます。……あと、花火がうるさいです。もう少し、ミュート機能のついた花火は開発できませんの?」
ミハイルは一瞬、呆然とした。
しかし、すぐに彼は「ハッ」とした顔になり、深く感銘を受けた。
「……そうか! 私は、浮かれていた! 君は、目先の華やかさに惑わされるなと、私を嗜めてくれたのだな! 密着という身体的な快楽よりも、自然との調和……! さすがだ、ナターシャ。君のストイックさには、またしても教えられたよ!」
「……あの、ミハイル様。ただ単に、離れてほしいだけなのですが」
「分かっている! 君のその『照れ(無私の精神)』、重々理解した! 騎士たち、もっとゆっくり歩け! 聖女様の安眠のテンポを乱すな!」
ナターシャは、再び溜息をついてクッションに顔を埋めた。
花火の下で、二人の想い(?)はかつてないほど高まっていたが、その方向性は、地球の裏側ほども離れていた。
「……セバス。早く帰ってお風呂に入りたいわ」
「お嬢様、もうすぐお城へ到着いたしますよ。そこで、ミハイル様が『ナターシャ様の夢を守るための騎士団』の設立を宣言なさる予定です」
「……余計なことしないでほしいわ、本当に」
ナターシャの「収穫祭」は、彼女が指一本動かさないうちに、伝説的な「聖女の沈黙」として領地の歴史に深く刻まれることとなった。
別荘のバルコニー。ナターシャは、ミハイルが特注した「四方をもふもふの壁で囲った防音ブース」の中から、迷惑そうに声を絞り出した。
「お嬢様、山が怒っているのでも魔物でもございません。本日は、ヴォルゴ領の収穫祭当日でございます。領民たちは、お嬢様が引いた水路で育った豊かな作物を祝い、狂喜乱舞しているのです」
「狂喜乱舞……。なぜ人間は、嬉しい時にわざわざエネルギーを消費して踊るのかしら。私なら、嬉しい時こそ静かに横たわり、喜びを細胞一つ一つに染み渡らせるけれど」
ナターシャが再びブースの奥へ引っ込もうとしたその時、バァン!とバルコニーの扉が開かれた。
そこには、正装の軍服に身を包み、マントをなびかせたミハイルが立っていた。
「ナターシャ! 迎えに来たぞ! 祭りの主役である君がいなくては、この収穫祭は始まらない!」
「ミハイル様、何度でも言いますが、私は主役ではなく『隠居人』です。祭りの喧騒は、私の耳にとって有害な騒音でしかありませんわ」
「わかっている! だから、君のために『動く観覧席』を用意した!」
ミハイルが指差した先には、四人の屈強な騎士たちが担ぐ、豪華な装飾が施された「天蓋付きの寝椅子」があった。
椅子の上には、山のような最高級クッションが積み上げられている。
「……あら。あれに乗ったまま、移動できるのですか?」
「当然だ! 君は指一本動かす必要はない。私が横で護衛を務め、君はただ、その上で領民たちの感謝を受け取ればいい。……どうだ、これなら文句はあるまい?」
ナターシャは、しばし考えた。
(……自力で歩かなくていい。しかも、外の新鮮な空気を吸いながら、揺りかごのような振動で二度寝ができる……。悪くないわね)
「……分かりましたわ。そこまで仰るなら、付き合ってあげます」
ナターシャが優雅に(セバスに支えられながら)移動式の寝椅子に横たわると、騎士たちが一斉にそれを持ち上げた。
祭りの会場へ入ると、地鳴りのような歓声が沸き起こった。
「「「聖女様万歳!」「ナターシャ様、ありがとうございます!」」」
領民たちは、水路の恩恵で実った野菜や果物を高く掲げ、寝椅子の上のナターシャを拝んでいる。
ナターシャは、あまりの眩しさと騒がしさに、顔に扇を当てて目を閉じた。
「……セバス。この人たち、私に向かって何を投げているの?」
「お花でございます、お嬢様。お嬢様の行く道を、香りで満たそうとしているのですよ」
「面倒だわ、後で掃除するのがセバスでしょうに。……あ、でもこの花の香り、少し眠気を誘うわね……」
ナターシャは、激しい喧騒の中で、逆に深い眠りへと落ち始めた。
寝椅子がゆっくりと揺れるたび、彼女の意識は遠のいていく。
一方、隣を歩くミハイルは、その様子を見て胸を熱くしていた。
「……見ろ。この騒乱の中で、微塵も動じず、目を閉じて瞑想に耽る姿を。彼女は、捧げられる賞賛に溺れることなく、ただ静かにこの地の平和を噛み締めているのだな……」
ミハイルは、そっとナターシャの手に自分の手を重ねようとした。
しかし、ナターシャは寝返りを打って、その手をスルリと避けた。
「……んぅ……もっと……もふもふを……」
ナターシャの小さな寝言。
ミハイルは、それを聞き逃さなかった。
「……『もっと平和を』だと? ああ、ナターシャ! 君は自分の幸せなど二の次で、常にこの地の、世界の平穏を願っているのか!」
ミハイルは、独り言のように感動を噛み締め、夜空を見上げた。
ちょうどその時、祭りのクライマックスである大輪の打ち上げ花火が、夜空に弾けた。
ドンッ、という大きな音に、ナターシャはビクッと肩を揺らして目を開けた。
「……な、何!? 爆発!? 敵襲!?」
「ナターシャ、落ち着け! 花火だ! 君の功績を祝う、祝福の光だよ!」
ミハイルが、慌てて彼女の肩を抱き寄せた。
花火の光に照らされ、ミハイルの端正な顔が至近距離でナターシャを見つめている。
周囲は歓声で溢れ、二人の距離は、毛布一枚分の隙間もないほどに近い。
「……ナターシャ。私は、君に出会ってから、世界がこれほどまでに明るいものだと知った。……君が守りたいこの平穏を、私は、この命に代えても守り抜くと誓おう」
ミハイルの瞳には、紛れもない愛の色が宿っていた。
ロマンチックなシチュエーション。普通の令嬢なら、顔を赤らめて頷く場面だ。
しかし、ナターシャの第一声は。
「……ミハイル様。暑いですわ」
「……えっ?」
「貴方の体温、高すぎますわ。せっかく夜風が涼しくて心地よかったのに、そんなに密着されたら、私の快適温度が崩れてしまいます。……あと、花火がうるさいです。もう少し、ミュート機能のついた花火は開発できませんの?」
ミハイルは一瞬、呆然とした。
しかし、すぐに彼は「ハッ」とした顔になり、深く感銘を受けた。
「……そうか! 私は、浮かれていた! 君は、目先の華やかさに惑わされるなと、私を嗜めてくれたのだな! 密着という身体的な快楽よりも、自然との調和……! さすがだ、ナターシャ。君のストイックさには、またしても教えられたよ!」
「……あの、ミハイル様。ただ単に、離れてほしいだけなのですが」
「分かっている! 君のその『照れ(無私の精神)』、重々理解した! 騎士たち、もっとゆっくり歩け! 聖女様の安眠のテンポを乱すな!」
ナターシャは、再び溜息をついてクッションに顔を埋めた。
花火の下で、二人の想い(?)はかつてないほど高まっていたが、その方向性は、地球の裏側ほども離れていた。
「……セバス。早く帰ってお風呂に入りたいわ」
「お嬢様、もうすぐお城へ到着いたしますよ。そこで、ミハイル様が『ナターシャ様の夢を守るための騎士団』の設立を宣言なさる予定です」
「……余計なことしないでほしいわ、本当に」
ナターシャの「収穫祭」は、彼女が指一本動かさないうちに、伝説的な「聖女の沈黙」として領地の歴史に深く刻まれることとなった。
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