邪魔する殿下との婚約破棄、喜んで承ります。

小梅りこ

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「……セバス。今、空から大きなゴミが降ってきたような音がしたけれど。この別荘の屋根、耐久テストでも行っているのかしら?」


別荘のサンルーム。ナターシャは、ミハイルが最新の魔導技術を注ぎ込んで作らせた「全自動・読書ページ捲り機」の前で、欠伸をしながら呟いた。


「お嬢様、ゴミではございません。……正確には、ゴミのような執念を纏った『元婚約者様』が、天窓を割って不法侵入してこられた音でございます」


「……天窓を? わざわざ階段を使わずに? 王族の方々というのは、そんなに重力と戦うのがお好きなんですの?」


ナターシャが視線を向けると、割れたガラスの破片が散らばる床の上に、埃まみれのヴィンセント王子が、何やら縄のようなものを持って立ち上がっていた。


「ナターシャ……! ついに見つけたぞ! 君がどんなにこの要塞に引きこもろうと、私の想いは……そして私の執務の山は、君を逃しはしない!」


「……あの、殿下。お言葉ですが、そこ、私が昨日ワックスをかけたばかりの特製『もふもふ床』なんです。ガラスを散らかされると、私の素足の安全が脅かされますわ」


「そんな些細なことはどうでもいい! ナターシャ、君を連れ戻しに来た! 嫌だと言っても無駄だ、この『絶対に解けない魔法の縄』で君を縛り、馬車へ押し込んで王都へ拉致……ゴホン、帰還させてやる!」


ヴィンセントは、縄を振り回しながらナターシャへ歩み寄った。
その目は、睡眠不足と過労のせいで血走り、もはや正気を失っているように見える。


「ナターシャ、観念しろ! 君さえ戻れば、私の食卓には再び美味しい朝食が並び、領地予算の計算ミスはなくなり、私はお昼寝をしながら王妃教育を受ける君を眺めることができるんだ!」


「……殿下。それ、誘い文句としては最低ランクですわよ。要約すると『私の奴隷に戻れ』ということでしょう?」


ナターシャは溜息をつき、手元のレバーを引いた。
すると、ソファが時速三キロの低速で後退し、ヴィンセントとの距離を物理的に保つ。


「無駄だ! 逃がさんぞ!」


ヴィンセントが縄を投げようとしたその時、背後の壁が「隠し扉」として音もなく開き、そこから氷の吐息を纏ったミハイルが現れた。


「……そこまでだ、不法侵入者。我が領の女神に、その薄汚れた縄を近づけるな」


「ミハイル・ヴォルゴ! また貴様か! これは王室のプライベートな問題だ、辺境伯風情が口を出すな!」


「プライベート? 君がやろうとしているのは、我が領の最高顧問に対する『拉致および公務執行妨害』だ。……ナターシャ、許可を。この愚か者を、今すぐ新設した『地下もふもふ独房』へ叩き込んでもいいか?」


ミハイルは剣を抜かず、ただ指を鳴らした。
すると、天井からいくつもの「巨大なクッション」が、ヴィンセントの周囲に降り注ぎ、彼の動きを封じ込めた。


「うわっ!? なんだ、この柔らかさは! 出られない、沈んでいく……!」


「……それは、ナターシャ嬢が考案した『強制安息システム(捕縛用)』だ。抵抗すればするほど、その心地よさに身体が吸い込まれ、戦意を喪失するようになっている」


ナターシャは、クッションの山に埋もれてもがくヴィンセントを見下ろした。


「殿下。拉致なんて、体力を使うことを考えたのが間違いですわ。……そんなに私を連れ戻したいなら、まずは私よりも有能な事務官を百人ほど育成してから、ここへ『履歴書』を持ってきてくださる? もちろん、面接は私が寝ながら行いますけれど」


「な……ナターシャ……! 君は、君はそんなに冷たい女だったのか……!」


「冷たいのではなく、合理的なのです。……セバス、この方を外へ。あ、せっかくですから、さっきの『魔法の縄』で、彼自身を縛っておいてちょうだい。自業自得という言葉を、全身で学んでもらうために」


「畏まりました、お嬢様」


セバスとミハイルの部下たちによって、巨大なクッションごと梱包されたヴィンセントは、芋虫のような姿で別荘の外へと運び出されていった。


「離せ! 私は王子だぞ! ナターシャ、覚えているがいい! ……ああっ、このクッション、なんて座り心地がいいんだ……眠気が……」


ヴィンセントの声が遠ざかっていく。
ミハイルは、ナターシャの隣に跪き、その手をそっと取った。


「……ナターシャ。不快な思いをさせたな。私の警備が甘かった。……次からは、屋根の上にも騎士を寝かせておくことにしよう」


「それはいい案ですね、ミハイル様。ただし、いびきがうるさくない人を選んでくださいね。……あと、ヴィンセント殿下が置いていったあの縄、丈夫そうだから、私の『洗濯物干し(自動乾燥機)』の予備パーツに使いましょうか」


「……!! なんと……。王族の魔法具を、家事の効率化のために転用するとは! ナターシャ、君のその、権威に屈しない実用主義……やはり、君こそが真の統治者だ!」


ミハイルは、再び感動の嵐に包まれていた。
ナターシャは「ただの有効活用なのに……」と思いながら、ようやく静かになったサンルームで、三度目の昼寝の準備を始めた。


王都では、ヴィンセントが「クッションに包まれたまま街道に放置されている」という衝撃のニュースが届くことになるだろうが。
ナターシャにとって、それは明日のおやつの献立よりも、ずっと重要度の低い出来事であった。
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