華甲二年の再会

有嶺哲史

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第二章  華甲二年の再会(後半)

選挙

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 十一月上旬、選挙は告示され、立候補者の公開討論会があった。
全医療スタッフの過半数が集まった。
病院自慢の大会議室は多数のディスプレイパネルに囲まれ、形だけは軍艦の戦闘指揮所のような雰囲気があった。
そこで人々はだいたい両陣営に分かれて座った。
布沢をうっとり眺める若いナースも大勢いた。

 二人の公約はまるで方向違いだった。
対立候補の布沢は最先端医療の拠点病院になることを目指す、大きな投資を伴う企画などを訴えた。
見たことの無い未来を見せるようなプレゼンに彼の才が光り、かっこよかった。
医療用加速器の説明では聴衆に解るはずのない量子物理学の数式を見せた。
比良野は布沢の演説を、吐き気がするほど素晴らしいと誉めながら、この病院に財務危機と不明朗な金や物資の流れが隠れていること、それを一掃し病院全体で統一的な情報管理システムを構築し不正を根絶しなければ未来は無いと主張した。
ヤジが飛んだ。

 布沢の主張は未来に向かって皆をぐいぐい引っ張ってゆく本命候補に相応しい政策であるが比良野の主張は売名目的の泡沫候補がよくやるような隠れた危機を強調して有権者を驚かす真偽不明の扇動のようにも聞こえた。
司会はテーマを絞ろうと努力したが布沢の論と比良野の論は全くかみ合わなかった。
ごく最近病院にやってきた人は当然布沢だろうと思った。

 候補者二人の顔が並んで周囲のディスプレイに表示されていた。
写真の布沢にはまるで家族写真のような穏やかさがあるのに対し、比良野の顔はむすっとした原始人に見えた上コントラストが弱くて影が薄かった。
しばらくすると手違いだったとして比良野の写真が口を大きく開けて明るく笑うものにさしかえられた。
どっと笑いがおこった。

 しかし以前から病院に怪しい噂はあった。
そして比良野はここに長くいる副院長である。
軽々しい泡沫候補ではない。
裏を知っているかも知れない。
人々は迷った。
質疑応答が進むうちに布沢陣営は当初優勢だと思っていたのに微妙になってきて焦った。

 議論もたけなわのころ突然布沢に陣営の一番後ろからヤジが飛んだ。
口の悪いフリーター女医だった。

「若いんだから年寄りに席譲りなよ」

一瞬、水を打ったような静寂になった。
皆の眼が集中した。
女医の微笑は全員の視線を堂々と受け止めるあでやかさだった。
布沢は思わず立ち上がった。

「なんだと、お前はどっちの味方なんだっ?」

「今すぐ出なくても院長の椅子は数年後に必ずアンタ、一反木綿にまわるじゃないの」

裏で悪いことをしているからだと正直に言えないので個人攻撃で反論した。

「一反木綿だと? おれを誰だと思っている! フリーターのくせにっ!」

止めるつもりで司会が言った。

「静粛に! 布沢先生と女医先生は別室でやってください」

「私とやるか?! すぐ出る早漏男って、さぁーいてい。ハァーッ、ハッ、ハッ、ハ」

布沢をうっとり見ていた若い看護師たちの顔が真っ赤になった。

 興奮に火がついた。
皆口々に発言し始め罵詈雑言の嵐になった。
討論会は崩壊し、この病院に新しく入った人々を驚かせた。



 これから一週間、大っぴらに選挙活動ができる。
有権者に対面で会うことも許され感触が判る。
選挙の活動を利用していろいろな人の本心が分るだろう。
若干危ないこと、その他いろいろあるだろう。

 有権者と対面できる少ないチャンスを求めて運動員の動きが激しくなってきた。
有権者を挟んで情報の取り合いにもなった。
篤子の組織も選挙運動体に変わり、怪しい組織を母体とする布沢の運動部隊と互いに相手を意識しはじめた。
相手が演説会をやれば対抗陣営もやり、一方がチラシを配っていると聞けば対抗して急いで自分達もチラシを作って配った。
比良野を告発するという文書がばら撒かれた。
しかしすぐに根拠のない怪文書だという別のチラシが配られた。
選挙運動が爽快だという運動員もいた。
普段陰気な篤子の活動は目立った。
高岡医師らの活動は対面中心で忍者のように潜行して浸透を図っていた。



 期間中、あの美人ナースによる誘惑以外に陰謀らしいことは何も起こらなかった、そして堅物でよかったと比良野は思った。
彼には弓美子の秘術に掛かった自覚は無く、検査の始めに寝てしまったことは変だが陰謀とは思っていなかった。
もう陰謀は無いのか。
比良野は肩透かしを食らった気分だった。
しばらく有嶺は顔を出していない。
心は選挙運動に奪われて陰謀など忘れてしまった。



 十一月中旬、選挙結果は理事長から発表された。
理事長は直前まで膝の上に置いた月間少年漫画雑誌を読みふけりながらせんべいをバリバリ食べていたが、促されて立ち上がりかわいい声で比良野の当選を宣言した。
比良野が深々お辞儀をし、それまで理事長がこどもだったことを知らなかった病院スタッフはみんな呆然とした。
ランドセル姿はちょくちょく見かけていたが、まさかそれが最高権力者の理事長だと? 
しばらくざわついていた。

 選管代表者とこども理事長と二人の候補者が記念撮影をした。
僅差だった。
布沢の演説でぶち上げられた未来の投資構想は彼の専門分野である脳神経外科をやや偏重していたので関係ない部署の人々を不愉快にした。
比良野をさしおいて若い布沢を先に院長にしなければならない絶対的理由もない。
フリーター女医のヤジも影響したのかもしれない。

 負けて悔しいはずの布沢なのに、まるで正々堂々の勝負の後みたいにさっぱりした笑顔で写真に写った。
何も知らない人々は布沢の態度に好感を持った。
次々期院長は彼で間違いないと多くが思った。

 正式に新しい院長の辞令が出るのはまだ先の十二月中旬になるそうで、それまで比良野は事実上院長代行という立場になる。

「これでこの病院は立ち直ることが出来る」

比良野の喜びは随所で思わず声に出て人目を引いた。

 当選祝賀の宴はささやかな中にも大好物のカニが並んでいた。
宴の後比良野は外に出た。
晩秋の夜風が運んでくる憂いは寒さ以上に身に沁みて、社会に出たばかりだった過ぎ去った昔がしみじみと恋しく偲ばれた。
あのころの会社の若い人々の忙しく働く光景、楽しそうに笑いながら仕事をしている若いOL弓美子達の姿がしきりに思い出された。
あのころは誰もが目前の仕事で頭が一杯で、凝った策謀など思いもよらなかった。
長い年月の先にいる自分が白髪交じりになっても今と変わらぬ仕事をさせられて、台車を押して人通りの多い地下街を好奇の目にさらされながら行く姿を想像して嫌だったものだ。

 有嶺は比良野の当選を聞いた。
それは嬉しかったが陰謀の中心であると思われた告訴騒ぎが起こらなかったのはなぜだろう、彼らは動画編集に失敗したのかもしれないと思った。

 激しい選挙運動を思い出して誰かが言った。

「何かえげつない選挙だったなあ」

えげつなさの本番は実はこれからだった。
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