まひびとがたり

パン治郎

文字の大きさ
上 下
15 / 31

百鬼討伐 その2

しおりを挟む
「あすこが黒鬼の根城ですか」
 愛宕山を見晴るかしながら、安長は言った。
 山城国と丹波国の境にある大きな山(標高924メートル)である。
清滝川きよたきがわを越えた先に修験者の使った道がある。すでに敵陣にあると思え」
 実真は率いている兵士たちに聴こえるように言った。
「ずいぶんとお詳しいですな」
「なに、ここは私の庭のようなものだ」
「そうでしたな……では、黒鬼の居場所も?」
「千里眼でもあれば、わかるかもな」
 戦いの前だというのに、実真も安長も軽い調子で話している。連れて来た兵士たちは若く、すべて京の都の公家に仕えており、ほぼ初めての戦闘とあってみな緊張した面持ちだった。甲冑もいまいち身体に合っていない。
「指示通り、隊列を乱さず進め。規律がお前たちの命を守る」
 山道はけっして広くない。三、四人も並べばふさがってしまう。周囲に警戒しながら、実真たちは進軍した。
 すると、前方の少し拓けた場所に一人きりで老人が佇んでいる。
「いやいや、よくぞお越しくださいました――水野実真様」
 ヒザである。実真は手を挙げて進軍を止めた。
「何者か」
「黒鬼党の者でございます。ヒザ――と申しまする」
「ならば黒鬼と会いたい。案内してもらおう」
「武器を携え会いたいなどと、女房への殺し文句にもなりますまい。それに貴殿の願いはかないませぬ。黒鬼は死にました」
「――何故だ」
「殺しました。帝と剣戈けんかを交える気などございませぬ。行き過ぎた頭領を始末することで、恭順の意を汲んでいただければ幸いでございます」
 安長が実真に近寄り耳打ちする。
「本当でしょうか? いかがなさいます?」
「黒鬼の不在が他の鬼を刺激したのならば、これまでのことは合点は行くが……」
「帝は納得せんでしょうな」
「だろうな――よし、決めた」
 実真は前に進み出た。大きく息を吸う。
「申し開きは帝にするがよい! 京までお連れしよう!」
 その返答に、ヒザは歯抜けの顔でニヤリと笑う。つまりは降伏勧告である。
 しかし、帝にいくら慈悲を乞おうと五体満足ではすむまい。
「それでこそ水野実真……ところで、わしの足が一本しかない理由をお教えいたそう。かれたのですよ、切れ味の悪い鋸でね。帝はそれを命じておきながら、わしの刑を見届けずに、遊びたちと歌舞に興じておったのです」
 ヒザの不気味な調子の声が響き、山がざわめく。
「わしは――日輪を射落としたいのだよ」
 実真はダマスカの剣の柄に手をかけた。その瞳に戦意が浮かぶ。
「安長……来るぞ」
 安長はすぐ背後の兵士に目配せして、臨戦態勢を命じた。
 緊張が走る。空気が重い。歯がカチカチ鳴るのを若い兵士たちは必死に堪えた。
「もう一つ、実真様にお教えいたそう。黒鬼の脳髄は――このわしです」
 ヒザの背後から、いっせいに手下たちが現れる。それぞれの手に綱を持ち、先端は麻布をかぶせた巨大な何かに繋がっている。その数、二十。手下たちは布をいっせいに取り払った。正体は雄の猪だった。興奮状態にあり、急に飛び込んで来た日光に驚いて暴れ回っている。それを複数人で抑え込む。
 ヒザは杖をつきながら、手下たちの背後に隠れた。
「やれ――」
 短い号令とともに猪が放たれる。巨岩が転がるような勢いで、山道を駆け下りる猪の群れ。
 実真はダマスカの剣を構え、吼える。
「剣を放さず押し当たれ! 身体を鋼にせよ!」
 猪の群れと実真の軍が衝突する。凄まじい地響きに、遠い山の鳥さえも空に逃げ出すほどだった。
 兵士たちは命令通り突進にぶつかったものの、何人も山道から突き落とされる。甲冑の隙間を牙で貫かれる者も多数いた。
 悲痛な叫びが空に吸い込まれた。
 混戦の中、実真はダマスカの剣で猪の眉間を一刀で裂き、絶命させる。
 そのとき実真は異変を感じていた。
(何かがおかしい……これは!?)
 後方からさらに大きな悲鳴が聴こえる。振り返ると、斬撃の血飛沫が巻き起こっている。
 なんと猪の毛皮を被った鬼たちが、猪の群れに紛れ込んでいた。
 あたりに濃い血の臭いが立ち込める。
「敵だ! 敵を討て!」
 と、実真の必死な号令が山林にこだました時だった。
 実真に音もなく忍び寄る猪姿の一匹の鬼――疾風のように駆け抜け、実真めがけて一撃を放つ。
 その交差の瞬間、鬼は実真にささやいた。
「甘いな――貴様は」
 鬼の一閃が実真の利き腕である右腕を切り裂いた。実真は左手で傷を抑え、膝が落ちそうになるのを持ち堪える。
 目の前に、鬼が立ちはだかった。

          ※

 セナは手にした笄で三人の縄を切ってやった。
「器用なものだな。縄抜けとは」
 景平は手首をさすりながら言った。セナは首を横に振る。
「私はバカだ」
「どういうことだ?」と、ホオヅキ。
「もっと早く気付くべきだった。最初からあの部屋にいたんだ。いや、私たちが来た時にはもうそばにいた」
 三人ともセナの言っている意味がわからない。セナは黒い笄を髪に挿した。
「私は刃が首筋に当てられるまで、背後の存在に気付かなかった。きっと一緒に部屋に入って、私たちのすぐ後ろでヒザと顔を合わせていたはず」
「それは……誰なの?」
 静乃の問いに、セナはまっすぐ見つめて答える。
「私の背後を取れる人間は一人しかいない――鬼童丸」
 牢獄の空気が滞留した。セナ以外の三人は思わず視線を合わせる。
「鬼童丸は裏切りに遭って死んだのでは?」
 景平の問いはもっともだった。ホオヅキでさえ、この状況に翻弄されて何が正しいのかわからずにいる。
 静乃がセナの手を取った。
「セナ、確かなのね?」
「理由はわからない。でも、間違いない」
「わかった。じゃあ、すぐにここから出ましょう」
 静乃はすぐに牢獄を見渡し、脱出の方法を探した。しかし洞穴の奥深く。窓もなければ抜け道もない。出入り口は重厚に組まれた格子扉のみである。
「姫様、ここは私が」
 景平が前に進み出た。利き手を開いては閉じて、拳の具合を確かめている。
「ホオヅキ、姫様をお守りしろ」
「アレをやるのか?」
「ああ、破片が飛び散る。もし姫を傷つけたら許さん。それからセナとかいったな、お前は自分で守れ。出来るだろう」
「うん? よくわからないけど、平気」
 セナは小首をかしげた。ホオヅキが静乃に覆いかぶさるように身をかばう。静乃はその中で、何をするのです? と問う。
「我らの師、法眼様に教わった技です。力と気の放出により、一寸の距離さえあれば敵を破壊できます」
 景平は格子扉に拳を当て、腰を深く落とし、大きく息を吸い込んだ。目を閉じて体内の力の流れを読む。
 そして、目を見開いた。
「ハッ――」
 次の瞬間、木製の格子扉は凄まじい衝撃とともに破壊された。破片が牢獄の中にも飛散して、ホオヅキは静乃に当たらないよう頭から抱き締める。セナは顔面に飛んで来た木片をサッと首だけ曲げて回避した。
「こ、この……ヘタクソ!」
 ホオヅキは景平に怒った。景平の利き手の拳が裂け、血が流れている。しばらく刀は持てそうにない。素早く手拭いを巻く。
「やはり不完全か。師のようにはいかんな」
「でも、道は開いた」
 セナはすでにカタチを失った牢獄から出た。
 四人は光を目指して洞穴を抜け、根城の前まで走った。大勢の人の気配が不穏に渦を巻いている。
 その中心で、セナは目撃した。
 腕に傷を負い、膝を落とす実真。
 そして、その目の前に立つ猪の毛皮をかぶった一匹の鬼。
 鬼は毛皮を取った――その鬼こそが鬼童丸だった。
「鬼童丸!」
 セナは思わず叫んだ。山の空気を切り裂いて、一気に沈黙が訪れた。

          ※

「甘いな――貴様は」
 そう言って自らの毛皮を取った男の顔を見て、実真は言葉を失った。
「お前は……」
 そのとき、根城のほうから声がした――鬼童丸!
 実真と鬼童丸はセナを視界に捉える。
「ちっ、セナめ……牢から出やがったか」
「そうか……セナはお前の」
 鬼童丸は崩れ落ちそうな実真に太刀の切っ先を向けた。
「天涯孤独のみなしごだ。珍しくもねえ、どこにでもいる普通の餓鬼だ……。わからねえか。お前には少し難しすぎたか?」
「……何の事だ」
 実真様――と、安長や兵士たちが駆け寄ろうとする。それをヒザたち鬼童丸の手下たちが弓で威嚇した。
 よせ、安長――と言って、実真は腕を上げて部下たちを制止する。
「立て、水野実真! ここからが本当の戦いだ」
「私と一騎打ちでもする気か」
「ああ、今日この瞬間のために、俺の長い歳月があった。お前をこうして引きずり出し、腕に一撃を喰らわせるためにな!」
「その一撃で殺せたものを」
「はっ、それで何になる? お前の喉元に刃を突き立て、絶望のうちに殺してこそ意味があるんじゃねえか! 立て! 実真!」
 実真は荒い呼吸で肩を上下させながら、立ち上がった。
「そうだ、いいぞ。お前の強さは俺が誰より知っている。万全のお前と戦う無謀さもな。ハハハ! 鬼になったかいがあったというものだ」
来世らいせ……」
「その名で呼ぶな!」
 鬼童丸は何度も激しく斬りつけた。実真は懸命にダマスカの剣で受けるが、嵐のような攻撃に体力が奪われるばかりである。右腕から血が噴き出し、ついには数太刀浴びてしまう。が、鬼童丸は加減をしていた。
「痛いか? 死にてえか? 楽になりてえか? だがそうはさせねえ。浮世の受けた苦しみの、ほんのひとカケラにも達してねえからな!」
「お前は、浮世を……」
 その時、セナが二人の戦いの間に駆け出した。
「セナ!」
 静乃が後を追おうとするも、景平とホオヅキの両名に同時に止められる。
「姫、どうかご勘弁を。あの間には俺らでも入れません」
「佐門……でも、セナが」
「姫様、見えませぬか。この場にいる数多の鬼、そして兵たちが、彼らの放つ闘気に中てられてすくんでいるのを」
 静乃は景平がこれほどまでに緊張しているのを初めて見た。
 鳥は鳴くのをやめ、獣は姿を消し、山は死んだように静まり返っている。
 静乃はかつて感じたことのない戦慄に襲われた。まるで臓腑が震えるような――。
「鬼童丸!」
 セナは二人の戦場に躍り出た。鬼童丸の背中に呼びかける。
 鬼童丸は実真から意識を離さず、チラと後ろに目を配る。
「セナ、死にてぇのか。男の戦いに割って入るとは」
「すでに決着はついている。こんなの戦いじゃない」
「コイツは首さえ自由なら人を食い殺せるバケモノだ。首を斬り落として潰して焼いて、ようやく死ねる!」
「これが……鬼童丸の望みなの?」
「望み? いいや違うな、渇望だ。この男の血で喉を潤せないうちは渇いて仕方ねえ。わかったらお前の笄をよこせ。こいつをヤるには武器も毒も足りねぇ」
 セナは鬼童丸と実真を交互に見た。鬼童丸の命令は絶対である。
 だが、何故か従う気になれない。こんなことは初めてだ。
 本当にこれで、実真を殺してしまっていいのだろうか――。
「どうした。何を迷ってやがる。俺の命令が聞けねぇのか」
 すると、実真がセナに頷いた。私なら大丈夫――目がそう言っていた。
 セナは、ゆっくりと束ねた髪から黒い笄を抜き、鬼童丸に放り投げる。
「……だから言ったろ、死にてぇのかって」
 次の瞬間、セナの胸に黒い笄が突き立っていた。セナはカッと目を見開き、瞳を震わせ、信じられぬ様子で視線を胸に下ろす。衣にじわりと鮮血がにじむ。
 鬼童丸が放ったのだ。あまりの早業でそれを捉えている者は少ない。
「セナ――そこで死んでろ」
 鬼童丸は自分の髪に挿していた黒い笄を抜き、それもセナの胸に放つ。
 同時に三本もの笄が無惨にもセナの胸に突き刺さった。
 セナは糸の切れた傀儡のようにその場に崩れ落ちた。
「セナ! セナぁぁ!」
 静乃がセナに駆け寄ろうとするも、それを景平が押し留める。ホオヅキはギリギリと奥歯を噛み、震えて動けぬ自分に腹を立てていた。
「血迷ったか」
 実真の声が一段と低くなり、乱れていた呼吸がピタリとやんだ。
「こいつを拾って育てたのは俺だ。どうしようが俺の勝手だ」
「来世……」
「その名で呼ぶな」
「来世――」
「その名で呼ぶなよ! 人殺しが!」
 鬼童丸が太刀を振り降ろした。ガッという衝撃音が走る。鬼童丸は口元に不快を浮かべた。見ると、実真が頭上からの斬撃を手甲で受け止めていた。刃が肉に食い込んで流血しているものの、傷は浅い。太刀筋の淀みを瞬時に見切って、闘気が太刀にこもる前に防いでみせたのだった。
 実真はゆっくりとした動作でダマスカの剣を振り上げた。
 鬼童丸の太刀が、竹でも切ったようにすっぱり切断された。
「剣で剣を……斬っただと……? あの剣速で……!?」
 その様子を見ていた景平は驚嘆の声を漏らす。
「腕一本じゃ足りねえってのか。じゃあコッチはどうだ!」
 鬼童丸はほぼ柄だけになった太刀を実真の顔面目がけて投げつけた。しかし実真は避けずに受ける。額から血が流れた。そして実真は凄まじい気迫で鬼童丸を見据える。その瞳は凍えそうなほど強い。
「この、バケモノめ……」
 鬼童丸は引きつった笑みを浮かべる。
「来世ェェェ!!!」
 実真はダマスカの剣を大地に突き立てた。鬼童丸に向かって駆け出し、跳躍したかと思うと一瞬で鬼童丸を組み伏せる。そして素手で何度も殴りつけた。
 無言で、何度も。何度も。
 辺りはすっかり沈黙していた。木々の間を抜け、高い空に向かって拳が肉体を激しく打つ音が響き渡っては虚しく消えた。
「おい、佐門」
 景平がぼそりとつぶやく。ホオヅキは応えない。
「鬼ってヤツは、非道の道で力に溺れた者を指す。じゃあ、道理の道で力を振るう者を何というか知ってるか?」
 ホオヅキはゆっくり景平に振り向き、静乃もまた顔を上げた。
「鬼神だ――」
 鬼童丸を打ち続ける実真の右目には、額から流れた血が。
 そして左目には、ひと筋の涙が流れていた。
しおりを挟む

処理中です...