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第一章 海域
第一話 おはようございます、異世界!
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目を覚ますと、俺は暗い海の中にいた。水深はどのくらいなのだろうか。
転生の影響で俺の身体はかなり小さくなっている。前世の感覚は当てにならないだろう。とにかく暗い。太陽の光は大分弱くなっているようだ。
ちなみに質問攻めの成果から太陽は地球とほぼ同じであることはわかっている。一日は24時間。1年は365.25日。時計の感覚もほぼ同じ。
何とも都合がいい世界があったもんだ。もし地球と公転や自転の周期が少しでも違えば、環境の差は劇的なものだろう。距離的に近いはずの火星と地球の環境を考えてみれば良くわかる。いや、金星の方が分かりやすいか。
転生による苦しみはない。彼の仕事は完璧だった。俺は死んだことすら気づかずにここにいたのだ。いや~ありがたい。死ぬのも痛いのも嫌いだ。
まずは約束通り、彼に最大限の感謝を捧げるとしよう。
俺は感覚の大きく違う両手を合わせて拝んだ。
さて、約束は済んだことだし、まずはこの身体に慣れなければな。
やはりロブスター、手がハサミだ。足は、何本あるんだこれ? 俺も甲殻類の生態なんか詳しくはないが、ちょっと地球のロブスターよりも足が多いか?
特徴的なのはやはり頭の真下にあるこの触覚だろう。鋏の次に太い。これで頭を真下から支えることで、脳の巨大化に成功しているのか。まあロブスターに人間のような『脳』とよべる器官はないが。
触覚は二対。しかし頭の上についている方は少し退化してしまっているようだ。匂いが全然わからん。
それぞれの足もかなり特徴的だ。通常のロブスターやザリガニは足の先端が二股に分かれているが、俺の身体は四股に分かれている。関節の可動域も広い。
人間は物をつまんで捻ることができるから脳が成長したらしい。物をつまんで回転させるということは、ネジを考えてみればわかるように、物質を加工することができるのだ。チンパンジーにいくらペットボトルの蓋を開ける芸を仕込んだところで、身体の構造上不可能である。
しかしこの身体。足が四股に分かれていることで物をつまむことができる。そして関節の可動域も広い。少し知恵がつけば物を回すことができる。これもタイタンロブスターが知能を獲得するに至った原因なのだろう。
それと、奴の言っていた転生時の頭痛はあまり感じない。じっとしていると常に耳鳴りのようなものが聞こえるが、それ以上ではないのだ。
タイタンロブスター族の痛覚が退化しているというのは本当らしい。
最近の研究により、ザリガニやエビなどの水棲甲殻類には痛点、つまり痛みを感じる器官が存在することが分かっている。
バッタなどの陸生甲殻類や魚類は痛みを感じることなどほぼないが、水棲甲殻類は痛みを記憶し嫌がるそぶりを見せるのだと言う。
アメリカではこの研究結果を受けて、エビなどを生きたまま捌くことを禁じる法律があるほどだ。
それもそうだろう。痛みを感じる器官があるということは、その点において哺乳類と何も変わらない。エビを生きたまま捌くというのは、豚を生きたまま解体するのと同じことである。
違うのは悲しそうな声を上げるかどうかという点。豚は痛ければ泣き叫ぶが、エビはそれを嫌がるだけ。特に声を上げたりはしない。動きも鈍く、人間の目には苦しんでいるようには見えないのだろう。
それに人間は、甲殻類に特別かわいそうという感情を抱かないようにできている。今の俺にしてみれば、かわいそうだからやめてほしいね。
しっかし一番しんどいのは視覚と平衡感覚だな。
まず視覚。人間とは大分違う。いわゆる魚眼というやつだ。正面にあるものは水平に見えるが、そこから少しでも外側に注意を向けると湾曲してまっすぐの棒が円を描くように曲がっている。
これは慣れが必要だ。俺が上にあると思っているものは、実は後ろにある。どうにも時間がかかりそうだ。これは想定していなかった。
そして平衡感覚。水中にいるからだろうか。どうにも自分の身体を水平に保つことができない。俺の身体が軽すぎて波に抵抗できていないのも関係しているだろうな。
しかしそれでも異常なほど身体がフラフラする。俺の身体は大きさ以外ほぼ大人の状態。生まれたばかりとは言え、野生動物は赤ちゃんでもかなり動けるはず。危険だらけの異世界ならば尚更だ。
にしてもここは波が強い海域だな。卵産みつけるには向いてないんじゃないですかね。俺が知能のある元人間じゃなかったらとっくにぶっ飛ばされてますよ、マイマザー。
……ん?待てよ。俺は小さいころから田舎に住んでいた。当然ザリガニなんて嫌って程捕まえたし、産卵するのをこの目で見たこともある。今まで分析したところ、このタイタンロブスターという種族はかなりザリガニに近い生態をしている。
と、言うことは! ザリガニの母親はその尾の内側に卵をくっつけて守ったまま生活する。当然生まれたばかりの赤ん坊も自分の腹で受け止めて守るのだ。
ザリガニの親は驚くべきことに子育てをする。小学校のころ毎年自由研究の題材にしていたから良く知っているぞ!
つまりここは母親の腹の下。母親がどこかへ移動していたから波があったのか。なら俺はこの手を離しても母親が足で受け止めてくれる。
な~んだ、安心したぜ。赤ん坊の体力でどの程度しがみついていられるかわからなかったしな。ちょっとこの手を放して休むとするぜ。
にしてもデカい腹だな~。俺が小さいこともあるだろうが、この母親かなり巨大なロブスターだぜ。
俺がタイタンロブスターに転生することを決断した理由も関係してるだろうな。
実は、ロブスターは脱皮をするたび寿命をリセットできるんだそうだ。これには、寿命を決定している染色体を作り替えることが関係しているらしい。
本来染色体は成長するたびに短くなってしまうが、ロブスターの場合これが回復するのだ。
まぁありていに言うと、常に成長し続けてるわけだな。人間は二十歳を越えたら成長が止まるものだが、ロブスターはその手前。18歳を永遠に繰り返しているわけだ。
ちなみに、脱皮の際に内臓を全て作り替えているという説もあるが、こちらは信憑性が低い。
そも、脱皮は身体の外側を拡張しているだけなのに、内臓にまで影響があるというのはどうなのか。
知能を獲得できるうえに、上手くやれば不老ときた。せっかく異世界に来たんだからこの世の隅々まで探検したい。その為には長生きできる身体が必要だ。
沢山卵生むタイプの生物は赤ちゃんが貧弱だから失敗したかとも思ったが、こんなでっかくて頼りがいのある母親がついてるんだ。そうそう死にはしないだろう。
辺りを見渡してみると、俺の他にも沢山卵があった。ロブスターの特徴だな。200個くらいはあるか。この全部を守るお母さんは大変だねぇ。
しかしやったぜ。俺の異世界冒険譚序章はイージーモードだ。このまま身体が大きくなるまでのんびり暮らしていよう。
そしていつか人間の街に行って魔法を教えてもらったり、海中の遺跡を探検したり。グへへ、妄想が膨らむぜ!
……そこまで妄想して、なぜ俺は気づかなかったのだろう。母親が強いから安心だと? 何をバカげたことを。
母親が強くて、生命力の高い種族で、おまけに知能もあるのに、これだけ大量の卵を生む必要があるのだ。
産卵は親にとってはかなり体力を取られるもの。やらなくて良いに越したことはない。ならば何故こんなに沢山卵を産むのか。答えは簡単だ。
母親の足から手を離して波に逆らわずくつろいでいた俺は、唐突にやってきた衝撃に驚きその場から飛び退いた。
いったい何事かと慣れないレンズで見てみると、そこには驚きの光景が広がっていた。
杭だ。杭のような巨大な柱状の物体が、母親の硬い外骨格を貫通していた!
その杭は突如鞭のようにしなったかと思うと、卵をいくつも抱えて外に出て行ってしまった。
俺の目では追うのが精いっぱいで、とてもあとから生まれてくる赤ん坊を守ってやる余裕はなかった。
クソ! 何がイージーモードだ! この海域には、あんな化け物みたいなやつがいるのか! 恐らくタコかイカのような生物だろう。その触手を一部硬化させて武器にしてるんだ。
あんなイカレ天敵がいるから卵をたくさん産むのか。そうしなければタイタンロブスター族は生き残れないというわけだ。
ど、どうすれば良い? 成体である母親の外骨格を一瞬で砕くような奴だぞ。それに、さっきのを見たところ奴の主食は卵。追撃を仕掛けてこないはずはない。
だが俺にあれをどうにかできる手段はあるのか? 無理だ。怖い。あんなのに立ち向かって、せっかく手に入れた異世界ライフを早々に失うのか? 最悪だ!
俺は恐怖に負けて動けなかった。そしてあろうことか、まだ生まれてもいない卵たちの下に隠れた。今隠れられる場所はここしかない。兄弟たちには悪いが、俺は俺のことで精いっぱいなんだ。許してくれよぉ。
奴は先ほど持ち去った卵を食べたのか、まだ俺の兄弟たちの残骸が少し残った手で再び母親の外骨格を突き破った。恐ろしい。だけどここにいる限り襲われるのは俺じゃなくこの卵たちだ。大丈夫、俺は生き残れる……。
……。なんだよ、それ。俺が異世界に来てやりたかったことは、こんなに惨めに生き残ろうとすることか? 違うだろ。
知恵と度胸で他者を圧倒し、まだ見ぬ世界へこの足を踏み入れること。それが俺の夢だったじゃないか。
それが何だこのざまは。ありえない。まだ動くこともできない弟、妹たちを盾にして自分だけ生き残るだと? ふざけるな! そんなのは、俺が憧れた異世界冒険譚には書いてなかったぞ!
俺の中で何かが吹っ切れた。もうこの命などどうでも良い。元は一度死んだ身だ。もしここで死んだとしても、今までのことは全て夢か幻だったのだと受け入れられるだろう。
だから俺はもう戦える。そうだろ? 度胸だ、度胸で恐怖を覆すんだ。ここで立ち上がれなきゃ、異世界主人公に笑われてしまう!
決意を固めた瞬間俺は走り出していた。その走りは人間のようなものではない。前に進むのではなく、敵に背を向け、その状態から後ろに泳ぐのである。ほぼ180度視認することのできる魚眼だからこそできる走りだ。
俺のスピードはさほど早くは無かったが、食事を楽しもうとしている触手野郎にたどり着くには十分だった。
俺は奴の触手に抱きつき、決して離さぬよう全身の足と触覚で抱え込んだ。当然鋏で切り付けるのも試みたが、どうにも奴の触手には歯が立たなかった。
しかし、ならば別の選択を取るまで。触手に歯が立たないなら、奴の懐に飛び込んでもっと柔らかい部分を探すんだ。
見ててくれよ、マイマザー。アンタと兄弟は俺が守って見せる!
触手に抱きついた俺を嫌がったのか、そいつは卵を掴むのもそこそこに俺ごと母親の外骨格から引き抜いた。
母親に開いた穴は小さく、俺は母親の硬い外骨格にその身を削られながら進む。生まれたばかりの俺の柔らかい外骨格は変形し、ギシギシと嫌な悲鳴を上げる。痛覚が退化しててよかったぜ。
幸いなことに、奴の触手は母親の側面から入り込んでいたらしく、内臓はほぼ傷ついていない。平衡感覚が掴めていないせいか奴の攻撃が何処から来たのか分かっていなかったが、これは運がいい。
母親の外骨格を抜けた先は、大きな海だった。生まれた直後海だと誤認していたのは母親の青い身体で、これこそが本当の海だ。
太陽の光は相変わらず薄いが、緑色の海藻がユラユラと揺れ、魚たちが泳いでいる。
すごい! 絶体絶命の状況だというのに、俺はこの光景に感動している!
俺の視力は意外にも人間並みらしい。様々な色がこの目に映っている。RGBがはっきりしている。地球のロブスターやザリガニもこんなに視力が良い物なのだろうか。
っと、そんなことは言っていられない。奴と戦わなければ! あれを倒せなければ、俺も、母も、兄弟たちも、皆やられてしまうんだ。母は刺されたショックからか動けていない。でもあれは致命傷にはなっていないはずだ。すぐにこいつをどうにかすれば助かる。
そう思って、俺は触手の先端に目線を向けた。イカだ。間違いない。足は十本。俺が掴んでいるのは特に長い二本のうちの一本。頭が巨大化している。足の先端は吸盤が多く、物を掴むことができる形状だ。
もしも地球の大陸から主要な生物が消えたら、次に地球を支配するのはイカだと言われている。イカは水生生物の中でも特に脳細胞が多く、しかも人間の手と似た働きのできる触手を持っている。
それはイカが知的生命体に進化する可能性を示しており、条件次第でイカは世界の支配者となっていてもおかしくはないのだ。
ここは異世界。何があるかは分からない。もしかしたらこのイカが突如喋り出すかもしれない。このイカが知能を獲得していたら、体格で大きく劣る俺に勝ち目は薄い。そもそもあの巨大な母親をあそこまで追い詰める存在なのだ。真正面からやり合っても死ぬだけ。
クソ! 気合入れて飛び出してきたは良いものの、ここから先のことを全く考えていなかった! 外に出てこの鋏が通る弱点を探すつもりだったが、かなり厳しそうだぞ。
まず一番に考えていた網膜。つまり目は不可能と言える。あそこは大量の触手があってガードが堅いし、イカの目は意外と固い。
次に考えていたのは口。しかしイカの口は実は鳥の嘴と似た形状をしている。あんなところに手を突っ込んだら、若くて柔らかい俺の鋏は簡単に食い破られてしまう。
……手詰まりか。一か八か奴の口に飛び込み鋏を失うのを覚悟で斬撃を仕掛けるかと思ったその時、俺の母よりもなお大きい青の塊がイカを押しつぶした!
『ほう、今日生まれたばかりの赤子がこの巨大イカ、ペアーに挑むか。気に入った。お前はこの我が直々に育ててやろう。感謝すると良い』
そいつは聴覚とは違う感覚の言葉を発した。
そいつは見事な鋏を持ち、母親よりも、巨大イカよりもなお大きい身体を有していた。
そいつの攻撃はたった一撃でそのイカを撃ち倒し、絶命させて見せた。
強い。タイタンロブスター族はこんなにも大きく、こんなにも強くなれるのか!
俺は彼の雄姿を目に焼き付け、一層この世界、この身体への期待を高めていた。
転生の影響で俺の身体はかなり小さくなっている。前世の感覚は当てにならないだろう。とにかく暗い。太陽の光は大分弱くなっているようだ。
ちなみに質問攻めの成果から太陽は地球とほぼ同じであることはわかっている。一日は24時間。1年は365.25日。時計の感覚もほぼ同じ。
何とも都合がいい世界があったもんだ。もし地球と公転や自転の周期が少しでも違えば、環境の差は劇的なものだろう。距離的に近いはずの火星と地球の環境を考えてみれば良くわかる。いや、金星の方が分かりやすいか。
転生による苦しみはない。彼の仕事は完璧だった。俺は死んだことすら気づかずにここにいたのだ。いや~ありがたい。死ぬのも痛いのも嫌いだ。
まずは約束通り、彼に最大限の感謝を捧げるとしよう。
俺は感覚の大きく違う両手を合わせて拝んだ。
さて、約束は済んだことだし、まずはこの身体に慣れなければな。
やはりロブスター、手がハサミだ。足は、何本あるんだこれ? 俺も甲殻類の生態なんか詳しくはないが、ちょっと地球のロブスターよりも足が多いか?
特徴的なのはやはり頭の真下にあるこの触覚だろう。鋏の次に太い。これで頭を真下から支えることで、脳の巨大化に成功しているのか。まあロブスターに人間のような『脳』とよべる器官はないが。
触覚は二対。しかし頭の上についている方は少し退化してしまっているようだ。匂いが全然わからん。
それぞれの足もかなり特徴的だ。通常のロブスターやザリガニは足の先端が二股に分かれているが、俺の身体は四股に分かれている。関節の可動域も広い。
人間は物をつまんで捻ることができるから脳が成長したらしい。物をつまんで回転させるということは、ネジを考えてみればわかるように、物質を加工することができるのだ。チンパンジーにいくらペットボトルの蓋を開ける芸を仕込んだところで、身体の構造上不可能である。
しかしこの身体。足が四股に分かれていることで物をつまむことができる。そして関節の可動域も広い。少し知恵がつけば物を回すことができる。これもタイタンロブスターが知能を獲得するに至った原因なのだろう。
それと、奴の言っていた転生時の頭痛はあまり感じない。じっとしていると常に耳鳴りのようなものが聞こえるが、それ以上ではないのだ。
タイタンロブスター族の痛覚が退化しているというのは本当らしい。
最近の研究により、ザリガニやエビなどの水棲甲殻類には痛点、つまり痛みを感じる器官が存在することが分かっている。
バッタなどの陸生甲殻類や魚類は痛みを感じることなどほぼないが、水棲甲殻類は痛みを記憶し嫌がるそぶりを見せるのだと言う。
アメリカではこの研究結果を受けて、エビなどを生きたまま捌くことを禁じる法律があるほどだ。
それもそうだろう。痛みを感じる器官があるということは、その点において哺乳類と何も変わらない。エビを生きたまま捌くというのは、豚を生きたまま解体するのと同じことである。
違うのは悲しそうな声を上げるかどうかという点。豚は痛ければ泣き叫ぶが、エビはそれを嫌がるだけ。特に声を上げたりはしない。動きも鈍く、人間の目には苦しんでいるようには見えないのだろう。
それに人間は、甲殻類に特別かわいそうという感情を抱かないようにできている。今の俺にしてみれば、かわいそうだからやめてほしいね。
しっかし一番しんどいのは視覚と平衡感覚だな。
まず視覚。人間とは大分違う。いわゆる魚眼というやつだ。正面にあるものは水平に見えるが、そこから少しでも外側に注意を向けると湾曲してまっすぐの棒が円を描くように曲がっている。
これは慣れが必要だ。俺が上にあると思っているものは、実は後ろにある。どうにも時間がかかりそうだ。これは想定していなかった。
そして平衡感覚。水中にいるからだろうか。どうにも自分の身体を水平に保つことができない。俺の身体が軽すぎて波に抵抗できていないのも関係しているだろうな。
しかしそれでも異常なほど身体がフラフラする。俺の身体は大きさ以外ほぼ大人の状態。生まれたばかりとは言え、野生動物は赤ちゃんでもかなり動けるはず。危険だらけの異世界ならば尚更だ。
にしてもここは波が強い海域だな。卵産みつけるには向いてないんじゃないですかね。俺が知能のある元人間じゃなかったらとっくにぶっ飛ばされてますよ、マイマザー。
……ん?待てよ。俺は小さいころから田舎に住んでいた。当然ザリガニなんて嫌って程捕まえたし、産卵するのをこの目で見たこともある。今まで分析したところ、このタイタンロブスターという種族はかなりザリガニに近い生態をしている。
と、言うことは! ザリガニの母親はその尾の内側に卵をくっつけて守ったまま生活する。当然生まれたばかりの赤ん坊も自分の腹で受け止めて守るのだ。
ザリガニの親は驚くべきことに子育てをする。小学校のころ毎年自由研究の題材にしていたから良く知っているぞ!
つまりここは母親の腹の下。母親がどこかへ移動していたから波があったのか。なら俺はこの手を離しても母親が足で受け止めてくれる。
な~んだ、安心したぜ。赤ん坊の体力でどの程度しがみついていられるかわからなかったしな。ちょっとこの手を放して休むとするぜ。
にしてもデカい腹だな~。俺が小さいこともあるだろうが、この母親かなり巨大なロブスターだぜ。
俺がタイタンロブスターに転生することを決断した理由も関係してるだろうな。
実は、ロブスターは脱皮をするたび寿命をリセットできるんだそうだ。これには、寿命を決定している染色体を作り替えることが関係しているらしい。
本来染色体は成長するたびに短くなってしまうが、ロブスターの場合これが回復するのだ。
まぁありていに言うと、常に成長し続けてるわけだな。人間は二十歳を越えたら成長が止まるものだが、ロブスターはその手前。18歳を永遠に繰り返しているわけだ。
ちなみに、脱皮の際に内臓を全て作り替えているという説もあるが、こちらは信憑性が低い。
そも、脱皮は身体の外側を拡張しているだけなのに、内臓にまで影響があるというのはどうなのか。
知能を獲得できるうえに、上手くやれば不老ときた。せっかく異世界に来たんだからこの世の隅々まで探検したい。その為には長生きできる身体が必要だ。
沢山卵生むタイプの生物は赤ちゃんが貧弱だから失敗したかとも思ったが、こんなでっかくて頼りがいのある母親がついてるんだ。そうそう死にはしないだろう。
辺りを見渡してみると、俺の他にも沢山卵があった。ロブスターの特徴だな。200個くらいはあるか。この全部を守るお母さんは大変だねぇ。
しかしやったぜ。俺の異世界冒険譚序章はイージーモードだ。このまま身体が大きくなるまでのんびり暮らしていよう。
そしていつか人間の街に行って魔法を教えてもらったり、海中の遺跡を探検したり。グへへ、妄想が膨らむぜ!
……そこまで妄想して、なぜ俺は気づかなかったのだろう。母親が強いから安心だと? 何をバカげたことを。
母親が強くて、生命力の高い種族で、おまけに知能もあるのに、これだけ大量の卵を生む必要があるのだ。
産卵は親にとってはかなり体力を取られるもの。やらなくて良いに越したことはない。ならば何故こんなに沢山卵を産むのか。答えは簡単だ。
母親の足から手を離して波に逆らわずくつろいでいた俺は、唐突にやってきた衝撃に驚きその場から飛び退いた。
いったい何事かと慣れないレンズで見てみると、そこには驚きの光景が広がっていた。
杭だ。杭のような巨大な柱状の物体が、母親の硬い外骨格を貫通していた!
その杭は突如鞭のようにしなったかと思うと、卵をいくつも抱えて外に出て行ってしまった。
俺の目では追うのが精いっぱいで、とてもあとから生まれてくる赤ん坊を守ってやる余裕はなかった。
クソ! 何がイージーモードだ! この海域には、あんな化け物みたいなやつがいるのか! 恐らくタコかイカのような生物だろう。その触手を一部硬化させて武器にしてるんだ。
あんなイカレ天敵がいるから卵をたくさん産むのか。そうしなければタイタンロブスター族は生き残れないというわけだ。
ど、どうすれば良い? 成体である母親の外骨格を一瞬で砕くような奴だぞ。それに、さっきのを見たところ奴の主食は卵。追撃を仕掛けてこないはずはない。
だが俺にあれをどうにかできる手段はあるのか? 無理だ。怖い。あんなのに立ち向かって、せっかく手に入れた異世界ライフを早々に失うのか? 最悪だ!
俺は恐怖に負けて動けなかった。そしてあろうことか、まだ生まれてもいない卵たちの下に隠れた。今隠れられる場所はここしかない。兄弟たちには悪いが、俺は俺のことで精いっぱいなんだ。許してくれよぉ。
奴は先ほど持ち去った卵を食べたのか、まだ俺の兄弟たちの残骸が少し残った手で再び母親の外骨格を突き破った。恐ろしい。だけどここにいる限り襲われるのは俺じゃなくこの卵たちだ。大丈夫、俺は生き残れる……。
……。なんだよ、それ。俺が異世界に来てやりたかったことは、こんなに惨めに生き残ろうとすることか? 違うだろ。
知恵と度胸で他者を圧倒し、まだ見ぬ世界へこの足を踏み入れること。それが俺の夢だったじゃないか。
それが何だこのざまは。ありえない。まだ動くこともできない弟、妹たちを盾にして自分だけ生き残るだと? ふざけるな! そんなのは、俺が憧れた異世界冒険譚には書いてなかったぞ!
俺の中で何かが吹っ切れた。もうこの命などどうでも良い。元は一度死んだ身だ。もしここで死んだとしても、今までのことは全て夢か幻だったのだと受け入れられるだろう。
だから俺はもう戦える。そうだろ? 度胸だ、度胸で恐怖を覆すんだ。ここで立ち上がれなきゃ、異世界主人公に笑われてしまう!
決意を固めた瞬間俺は走り出していた。その走りは人間のようなものではない。前に進むのではなく、敵に背を向け、その状態から後ろに泳ぐのである。ほぼ180度視認することのできる魚眼だからこそできる走りだ。
俺のスピードはさほど早くは無かったが、食事を楽しもうとしている触手野郎にたどり着くには十分だった。
俺は奴の触手に抱きつき、決して離さぬよう全身の足と触覚で抱え込んだ。当然鋏で切り付けるのも試みたが、どうにも奴の触手には歯が立たなかった。
しかし、ならば別の選択を取るまで。触手に歯が立たないなら、奴の懐に飛び込んでもっと柔らかい部分を探すんだ。
見ててくれよ、マイマザー。アンタと兄弟は俺が守って見せる!
触手に抱きついた俺を嫌がったのか、そいつは卵を掴むのもそこそこに俺ごと母親の外骨格から引き抜いた。
母親に開いた穴は小さく、俺は母親の硬い外骨格にその身を削られながら進む。生まれたばかりの俺の柔らかい外骨格は変形し、ギシギシと嫌な悲鳴を上げる。痛覚が退化しててよかったぜ。
幸いなことに、奴の触手は母親の側面から入り込んでいたらしく、内臓はほぼ傷ついていない。平衡感覚が掴めていないせいか奴の攻撃が何処から来たのか分かっていなかったが、これは運がいい。
母親の外骨格を抜けた先は、大きな海だった。生まれた直後海だと誤認していたのは母親の青い身体で、これこそが本当の海だ。
太陽の光は相変わらず薄いが、緑色の海藻がユラユラと揺れ、魚たちが泳いでいる。
すごい! 絶体絶命の状況だというのに、俺はこの光景に感動している!
俺の視力は意外にも人間並みらしい。様々な色がこの目に映っている。RGBがはっきりしている。地球のロブスターやザリガニもこんなに視力が良い物なのだろうか。
っと、そんなことは言っていられない。奴と戦わなければ! あれを倒せなければ、俺も、母も、兄弟たちも、皆やられてしまうんだ。母は刺されたショックからか動けていない。でもあれは致命傷にはなっていないはずだ。すぐにこいつをどうにかすれば助かる。
そう思って、俺は触手の先端に目線を向けた。イカだ。間違いない。足は十本。俺が掴んでいるのは特に長い二本のうちの一本。頭が巨大化している。足の先端は吸盤が多く、物を掴むことができる形状だ。
もしも地球の大陸から主要な生物が消えたら、次に地球を支配するのはイカだと言われている。イカは水生生物の中でも特に脳細胞が多く、しかも人間の手と似た働きのできる触手を持っている。
それはイカが知的生命体に進化する可能性を示しており、条件次第でイカは世界の支配者となっていてもおかしくはないのだ。
ここは異世界。何があるかは分からない。もしかしたらこのイカが突如喋り出すかもしれない。このイカが知能を獲得していたら、体格で大きく劣る俺に勝ち目は薄い。そもそもあの巨大な母親をあそこまで追い詰める存在なのだ。真正面からやり合っても死ぬだけ。
クソ! 気合入れて飛び出してきたは良いものの、ここから先のことを全く考えていなかった! 外に出てこの鋏が通る弱点を探すつもりだったが、かなり厳しそうだぞ。
まず一番に考えていた網膜。つまり目は不可能と言える。あそこは大量の触手があってガードが堅いし、イカの目は意外と固い。
次に考えていたのは口。しかしイカの口は実は鳥の嘴と似た形状をしている。あんなところに手を突っ込んだら、若くて柔らかい俺の鋏は簡単に食い破られてしまう。
……手詰まりか。一か八か奴の口に飛び込み鋏を失うのを覚悟で斬撃を仕掛けるかと思ったその時、俺の母よりもなお大きい青の塊がイカを押しつぶした!
『ほう、今日生まれたばかりの赤子がこの巨大イカ、ペアーに挑むか。気に入った。お前はこの我が直々に育ててやろう。感謝すると良い』
そいつは聴覚とは違う感覚の言葉を発した。
そいつは見事な鋏を持ち、母親よりも、巨大イカよりもなお大きい身体を有していた。
そいつの攻撃はたった一撃でそのイカを撃ち倒し、絶命させて見せた。
強い。タイタンロブスター族はこんなにも大きく、こんなにも強くなれるのか!
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しかし貴族令嬢としてダメの烙印をおされた卒業パーティーで、彼女は本当の自分を取り戻す!
領地改革にいそしむ充実した日々のその裏で、乙女ゲームは着々と進行していくのである。
「……なんなのこれは。意味がわからないわ」
乙女ゲームのシナリオはこわい。
*注*誰にも前世の記憶はありません。
ざまぁが地味だと思っていましたが、オーバーキルだという意見もあるので、優しい結末を期待してる人は読まない方が良さげ。
性格悪いけど自覚がなくて自分を優しいと思っている乙女ゲームヒロインの心理描写と因果応報がメインテーマ(番外編で登場)なので、叩かれようがざまぁ改変して救う気はない。
作者の趣味100%でダンジョンが出ました。
大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います
町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
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