ニコチンを死守せよ

沢麻

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曽根

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 「いやぁー面白い講演でしたねぇー」
 田巻が嬉しそうに言うと、皆次々に頷いた。今日はつまり老人会で、皆で『高齢化社会とどう向き合う』とかいう講演会に訪れたのである。地域のケースワーカーやら、ケアマネージャーやら、よくわからない介護に関する職種の人々が次々にスライドを用いて発表するわけだが、俺はどうにも眠くて大変だった。だいたいどう向き合うとか言われてもこちとら高齢者そのもの、あんたらに教えを請う必要などないという前提があったし、もともと子供の頃から授業中には眠くなるタイプでつまり俺には不向きなイベントだったわけだ。しかしうちの老人会は熱心な老人が多く、大人向け大学とか言う老人向けの講座にもよく出向いている奴らが指揮をとっていて何しろ強引なものだから断りづらい。そもそも老人会だって興味がなかったが、連れ合いを亡くして一人身で自分も糖尿がある俺は隣人の田巻に狙われて参加させられているようなものだった。
 「灰皿はねぇかなぁ」
 俺がぼそっと呟くと、田巻がすかさず「ほら、曽根さんも煙草をやめないと」と言う。
 「僕だって六十まで吸ってたけど、やめたらごはんもおいしいし、その後大きな病気もしてないよ。案外平気なもんだよ」
 「いやぁ」
 俺は誤魔化す。理屈でやり合うと田巻には勝てない。田巻は胃癌で禁煙したはずだ。俺にはそのような重大な動機がない。無理だ。
 俺はこっそり集団の最後尾に移動し、そしてカレー喫茶『しま』の前で同じく最後尾にいた千代川に「すまん、抜ける」と声をかけるとささっと入店した。ここは以前来たことがあるが、喫煙オッケーの店だったはずだ。
 カウベルが鳴り、いらっしゃいませと声がかかる。
 「喫煙席でよろしいですか?」
 「はい」
 ここも分煙したのかな、と思った。入ってすぐの空間は明るく曇っていない。しかし、その奥のビニールカーテンを隔てたあたりは人間が密集し、コーヒーの湯気と煙草の煙がひどい。
 「待って待って、俺も」
 千代川が後を追ってきた。俺たちは奥の曇っているエリアに座った。
 「あれ? あのビニールの中の人達も煙草を吸ってるな」
 「ほんとだ」
 しかしそこにいる人達は皆小綺麗で若く、煙草と思われるものは機械のようで、煙もすぐ消える。一方こちら側は、中年以降の枯れた人間が多い。
 「加熱式ブースを作ってみたんですよ」
 店主と思われる男性が説明した。俺は何を言っているのか解らず、とりあえずコーヒーを注文した。
 「加熱式ってあれかい? アイコスとかいう」
 「そうそう、その類いね。加熱式に乗り換えたお客さんが来てくれなくなっちゃって」
 「どうしてだい」
 「紙巻き煙草は臭くて、一緒に居られないって言うんだよ」
 「へぇー。加熱式はにおいがしないってのはほんとなんだね。でも吸った感じがしないって聞いたことあるよ」
 「どうなんだろうねー。私も紙巻き派だからわからないけどね」
 千代川もコーヒーをオーダーした。店主はすぐに持ってきてくれた。千代川はミルクと砂糖をたっぷり投入しているが、俺は糖尿なので遠慮してブラックだ。
 「なんだか、時代は変わるもんだねぇ……」
 千代川がしんみりと言う。
 「新しいものが開発されても、高齢者と共によくわからん制度が増えても、俺らは俺らだっていうのにさ」
 千代川も俺も、時代の流れについていけない。田巻たちのようにはなれないのに、結局一人は寂しく、頑固に生きられるほど強くない。
 「ほんとだよなぁ。禁煙して何年か長生きしたって、誰の得にもならねぇならなぁ」
 さっきの講演では、医療や介護にかかる莫大な費用の話もあった。俺たちが長生きすることでそんなに国に迷惑をかけるなら、煙草を買って税金を余分に払ってやったほうが国のためだろうと思う。
 「子供も少ないしなぁ。うちのボンズも一人っ子、貧乏だから孫も一人っ子」
 「うちなんて子供いねぇしなぁ」
 俺と千代川が世を儚んでいると、隣の男性がしきりに頷いているのに気付いた。俺たちより少し若いが、子供世代よりは上に見える。
 「あれぇ? あんたさっき講演してた大学教授さんじゃないかい?」
 「えっ」
 隣の男性はこちらを見て、すかさず煙草を揉み消した。半分寝ていた俺は思い出せないが、千代川は顔を覚えていたようだ。灰皿には三本ほど吸殻がある。
 「あぁ、先程いらしてくれた方ですか。ありがとうございました」
 男性は営業スマイルを浮かべた。大学教授に見えなくもないが、くたびれたおじさんという形容のほうがしっくりくる。
 「ほら曽根さん、生活習慣病の成り立ちってやつをやってた、医学部の先生だよ。糖尿の話もしていたじゃない」
 「ああ」
 「なんだい、教授先生も煙草を吸うんじゃないか」
 千代川はゲラゲラ笑って某教授の肩をポンと叩いた。
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