ニコチンを死守せよ

沢麻

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岡部

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 診察室に入ってきた妊婦から嗅ぎ慣れたにおいがした。アイコスだ。
 以前は喫煙妊婦はすぐに発見できたものだが、最近は加熱式という隠れ蓑があるためわからない医師が多い。前回の時は感じなかったのに、悪阻が治まって喫煙を復活させたに違いない。こういう患者はよくいる。初産の場合より経産のほうが「このくらい大丈夫でしょ」というわけのわからない余裕があって言うことを聞かない。飲酒と喫煙は連動することが多く、そのような患者は妊娠中なのに酒も飲み続けている場合がある。
 「赤ちゃんは元気ですね」
 腹にエコーをあてて、妊婦を安心させる。アイコスなら大丈夫なんだと思っているかもしれない。
 「お煙草は、吸わないですよね?」
 「えっ……はい」
 脅しをかけておく。ニコチンは血管を収縮させるので、アイコスであろうと良くないのは誰でもわかる。まったくやりきれない。
 そんな私も今日確かめるしかない。私は同僚の古里に股を開くのは少々気が引けたが、それでも上司にやってもらうよりいいような気がして外来がはけたらお願いした。自分でも出来なくはないような気もするが、モニターや機器の操作の難易度は高いだろう。
 「おおー、おめでただよ岡部先生」
 古里はモニターで胎児を拡大した。
 「なんだよ、避妊してなかったんじゃないか。てことは、お互いにいつ結婚してもいいって思ってたってわけか」
 賢一のことを言っている。私はいつも、いつプロポーズされるか待っていた。結婚してもいいと思っているなんて、あの仕事人間で大学病院に残った賢一が考えていたとは思えないが。
 「七週いったか、ってとこだな」
 「だね」
 私は服を元に戻すといかにも他人のエコーを見るかのように古里の横に並んだ。
 「……アイコスもしばらくお預けだな。菊菜先生にあげたら」
 「……うん」
 「人がいない中、院長には言いづらいなぁ。でも、味方になってやるから」
 「……うん」
 私に中絶という選択肢はない。だって三十五だし。でもまず賢一に言わなくては。まさかのシングル、なんてこともありうるか?
 「悪阻は?」
 「耐えられるよ。私逆流性食道炎だったときに後期研修一度も休まなかったし」
 「それ、同じ感じなのか?」
 古里は笑った。悪阻は一般的に七週頃からひどくなる。今のところは逆流性食道炎風だが、この先はもっと辛いのかもしれない。
 「……仕事好きだし、ここで産むから、産まれるまで働くかな」
 私は最後の一服をしに、古里と外に出た。逆流性食道炎の時ですらやめられなかった煙草が、なんだかやめられそうな気がした。
 
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