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第一章 北州編
遊学
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鄧禹の生まれは新野(河南省新野の南)。後に後漢王朝の帝都となる洛陽の南に位置する土地で、鄧家はこの地の名門だった。
鄧禹は神童だった。少なくとも近隣に住む同年代のすべての少年より賢く、たいていの大人より頭が良かった。十三歳のときに『詩経』を踊し、その学識を買われて当時の帝都・長安へ遊学(留学)したほどである。長安へ遊学する者は数多くいたが、それでも十三歳でとなれば、やはり異例である。
長安は初代皇帝である高祖・劉邦が建てた漢(前漢)王朝の帝都であったが、鄧禹が遊学した頃は違う。いや、帝都としての立場は変わっていない。
だが属する王朝が違った。前漢は臣下である王莽に簒奪され、彼を皇帝とした「新」という王朝に取って代わられたのだ。
この時期の長安は新の帝都とされていたのである。
王莽は極端な復古主義を進め、新を古代国家・周の御代に戻そうと努めたが、周はこの時代からですら八百年も昔の国である。そのような極端な政策がうまくゆくはずもなく、国内は乱れに乱れた。さらに王莽は外交でも極端な中華至上主義を取ったため、諸外国からも悪感情を抱かれる。
新は内外に激しく揺動するまま、西暦でいえば八年から二十三年まで、わずか十五年で滅亡した。後世、史上、正式な王朝と認められることもなく。
だがそれでも新は、鄧禹が長安に学んだ西暦十五年頃はまだ崩壊の兆しを見せておらず、十三歳の少年が学ぶにも危険はなかった。
鄧禹は長安でも学問で年長者に引けを取ることはなかった。むしろ成績では彼らの上位にいくことも珍しくはなかったが、やはり友人と呼べる存在を作るのは難しかった。年少の鄧禹を「生意気だ」と露骨に蔑む者はもちろんだが、やさしく気遣ってくれる者でも、それはあくまで年少者への親切で、対等な友人に対してのものとは言いがたい。
この件はどちらかといえば鄧禹ではなく彼らの方に問題があるのだが、それを責めるのは酷だと聡明な少年は理解していた。
「自身の学問で忙しい上に、私のようなこましゃくれた子供の世話まで押しつけられてはたまったものではないだろうからな」
鄧禹は故郷にいる頃から学問の場では常に異端だった。同年代の子たちの間では突出しており、年上の青年たちの間では敬遠される。場所が長安に移っても、それは変わらなかった。
それゆえ鄧禹は昔から一人で過ごすことに慣れていた。寂寥をおぼえぬでもないが、彼には一つ、特殊な暇つぶしがあったのだ。
人相見である。
といっても占いではない。彼自身そんなものを習ったことはなく、ただ人を見るだけである。それゆえ人相見と言っていいかわからないが、とにかく「人を鑑る目」が幼い頃から図抜けていたのだ。
道行く人を見、対話する人を見、話に聞いた人物を頭の中で鑑る。
そうすると、なぜかその人の真価や能力が見えてくるのだ。
もちろんすべてが当たるわけではない。なんとなくそのように感じたあと、その人物のその後の行動や仕事の成果が、鄧禹の見立てと重なることが多かったのである。
鄧禹の人相見は天与の直感が原点ではあるが、これまでおこなってきた人相見の経験が彼の中で無数に蓄積されてもおり、それらが直感に根拠と基盤を与え、結果に厚みを持たせるようになっていた。それはごく普通の占いに比べれば正確さや具体性は段違いであり、実用的ですらあったのだ。
同年代の友人が少なかった鄧禹は、地元でも一人、道行く人を眺め、人相見をすることが多かった。そして長安は帝都だけに、故郷に比べて人の多さは桁違いであり、少年は毎日街中で人を眺めているだけで飽きることがなかったのである。
そんな中、鄧禹にとって不可解な人物がいた。自分と同じく長安に遊学に来ている学生で、年齢は彼より八歳ほど上。つまり遊学するに一般的な年齢ということである。出身は南陽。鄧禹の故郷である新野と比較的近い。
劉姓を持っており、正真正銘の「皇族」であるが、高祖(劉邦)が漢を建ててすでに二百年。皇族も幾世代に渡って子孫を増やしており、在野で庶民同様に暮らしている劉氏も珍しくなかった。彼もそのような劉氏の一人なのだが、出自ははっきりしている。第四代皇帝・景帝の子、長沙定王・劉発の血筋で、高祖九世の孫にあたる本物の皇族だった。
だが特別なところと言えばその程度である。雄偉と言っていい体躯を持っているが、そこに頑強さや厳めしさは存在しない。それどころかどこか輪郭が「ゆるく」すら見える。
人となりも同様で、居丈高さは微塵もなく、人当たりも穏やかで、冗談も好きなようだ。人の話もよく聞き、無用に事を荒立てたりもしない。上に兄が二人いる三男坊ということで、そのような属性が身についているのかもしれない。第一人者ではなく、人と人の間の緩衝材となる存在。それだけに人々は警戒心もなく彼に親しみ、談笑している。
他の人々にとってわかりやすく受け入れやすい人物。それが劉秀、字は文叔だった。
そんなわかりやすいはずの劉秀を、鄧禹だけがつかめないでいた。
鄧禹だからこそつかめなかったのだ。
鄧禹の人相見はたいていの人物の真価と行く末を見切ることができた。だが劉秀のそれらが見えない。彼が何者なのか。何者になるのか。どう鑑ても、見えない。
鄧禹とてこれまで鑑てきた人物全員の真価が見えたわけではないし、見えたからといってそれがすべて当たっていたとうぬぼれるつもりもない。しかし劉秀の「見えなさ」は、それらの誰とも種類が違った。いくら鑑ても、見ても、延々と続く雲の中を突き進んでゆくような、深い深い海の底へ際限なく潜っていくような、そんな感覚に襲われるのである。
それゆえ、鄧禹は劉秀に興味を持ち、珍しく自分から声をかけた。鄧禹は自分が壮年の男から持て余されることを知っているため、あまり自分から積極的に交流してこなかったのだ。
が、そこでも劉秀は、他の男と少し違った。
「そうか、仲華は新野から来たのか。私の姉も新野に嫁いでいる。どこかで会ってるかもしれぬな」
そのようにやさしく応じてくれるところは親切な他の学生と変わらない。
が、学問の場では違った。授業で鄧禹が他の学生の思いもよらないような見解を示したり、口頭試験でよどみなく全問正解してみせたときなど、鄧禹を激賞してくれるのだ。
「すごいな仲華。おぬしは真実秀才なのだな!」
中には年少の鄧禹に劣ることを不快に思い、あからさまに嫌がらせをしてくる者もいる。表面は穏やかそうにしていても、内心に不快をためている者もいる。その逆に劉秀と同じように、心から賛嘆してくれる人もいた。
だが劉秀は激賞なのである。
自分が年長だとか、相手が年少などは関係ない。鄧禹という人間が培ってきた実力を、ただ純粋に評価してくれるのだ。
良しにつけ悪しきにつけ、常に年齢という膜を通して能力を評価されてきた鄧禹にとって、これは驚きであり、そして喜びであった。
いささか逆説的だが、鄧禹は初めて「ただの子供」として純粋に誉められたような気がしたのである。
そのようなわけで長安での遊学期間、鄧禹は劉秀につきまとうことが多くなった。情と理、どちらにおいても不可思議であたたかな劉秀に魅了されたと言っていい。また鄧禹自身は自覚していなかったが、真の意味で「子供扱い」をしてくれる劉秀に居心地のよさを感じてもいたのだ。
だが自分のような子供が常にまとわりついては劉秀に迷惑になるとわかるだけに、なるべく意識して距離を取ってもいたのだが、そのようなときは劉秀の方から声をかけ、手招きをしてきてくれた。鄧禹を特別扱いしているからではなく、彼は誰に対してもそうなのだ。劉秀には鄧禹と違う種類の「人を鑑る目」、もう少し正確に言うなら「人の心情を察する能力」があるのかもしれない。彼は寂しさを感じる友人の心情を察し、そのような人にごく自然に手を差し伸べるやさしさと器量があった。
自分を純粋に子供扱いし、それでいて同列にも扱い、心底尊敬もしてくれる人物。劉秀は鄧禹のまだ短い人生の中で、初めて出逢う種類の人間であった。
そんな遊学期間も終わり、鄧禹は故郷の新野へ帰ることとなった。
「いずれまた会いたいものだな」
劉秀は寂しさと笑顔を混ぜてそう言い、鄧禹の肩を叩いた。叩かれた肩に痛みはなく、しかし重みはあって、鄧禹の全身に染みた。
鄧禹は神童だった。少なくとも近隣に住む同年代のすべての少年より賢く、たいていの大人より頭が良かった。十三歳のときに『詩経』を踊し、その学識を買われて当時の帝都・長安へ遊学(留学)したほどである。長安へ遊学する者は数多くいたが、それでも十三歳でとなれば、やはり異例である。
長安は初代皇帝である高祖・劉邦が建てた漢(前漢)王朝の帝都であったが、鄧禹が遊学した頃は違う。いや、帝都としての立場は変わっていない。
だが属する王朝が違った。前漢は臣下である王莽に簒奪され、彼を皇帝とした「新」という王朝に取って代わられたのだ。
この時期の長安は新の帝都とされていたのである。
王莽は極端な復古主義を進め、新を古代国家・周の御代に戻そうと努めたが、周はこの時代からですら八百年も昔の国である。そのような極端な政策がうまくゆくはずもなく、国内は乱れに乱れた。さらに王莽は外交でも極端な中華至上主義を取ったため、諸外国からも悪感情を抱かれる。
新は内外に激しく揺動するまま、西暦でいえば八年から二十三年まで、わずか十五年で滅亡した。後世、史上、正式な王朝と認められることもなく。
だがそれでも新は、鄧禹が長安に学んだ西暦十五年頃はまだ崩壊の兆しを見せておらず、十三歳の少年が学ぶにも危険はなかった。
鄧禹は長安でも学問で年長者に引けを取ることはなかった。むしろ成績では彼らの上位にいくことも珍しくはなかったが、やはり友人と呼べる存在を作るのは難しかった。年少の鄧禹を「生意気だ」と露骨に蔑む者はもちろんだが、やさしく気遣ってくれる者でも、それはあくまで年少者への親切で、対等な友人に対してのものとは言いがたい。
この件はどちらかといえば鄧禹ではなく彼らの方に問題があるのだが、それを責めるのは酷だと聡明な少年は理解していた。
「自身の学問で忙しい上に、私のようなこましゃくれた子供の世話まで押しつけられてはたまったものではないだろうからな」
鄧禹は故郷にいる頃から学問の場では常に異端だった。同年代の子たちの間では突出しており、年上の青年たちの間では敬遠される。場所が長安に移っても、それは変わらなかった。
それゆえ鄧禹は昔から一人で過ごすことに慣れていた。寂寥をおぼえぬでもないが、彼には一つ、特殊な暇つぶしがあったのだ。
人相見である。
といっても占いではない。彼自身そんなものを習ったことはなく、ただ人を見るだけである。それゆえ人相見と言っていいかわからないが、とにかく「人を鑑る目」が幼い頃から図抜けていたのだ。
道行く人を見、対話する人を見、話に聞いた人物を頭の中で鑑る。
そうすると、なぜかその人の真価や能力が見えてくるのだ。
もちろんすべてが当たるわけではない。なんとなくそのように感じたあと、その人物のその後の行動や仕事の成果が、鄧禹の見立てと重なることが多かったのである。
鄧禹の人相見は天与の直感が原点ではあるが、これまでおこなってきた人相見の経験が彼の中で無数に蓄積されてもおり、それらが直感に根拠と基盤を与え、結果に厚みを持たせるようになっていた。それはごく普通の占いに比べれば正確さや具体性は段違いであり、実用的ですらあったのだ。
同年代の友人が少なかった鄧禹は、地元でも一人、道行く人を眺め、人相見をすることが多かった。そして長安は帝都だけに、故郷に比べて人の多さは桁違いであり、少年は毎日街中で人を眺めているだけで飽きることがなかったのである。
そんな中、鄧禹にとって不可解な人物がいた。自分と同じく長安に遊学に来ている学生で、年齢は彼より八歳ほど上。つまり遊学するに一般的な年齢ということである。出身は南陽。鄧禹の故郷である新野と比較的近い。
劉姓を持っており、正真正銘の「皇族」であるが、高祖(劉邦)が漢を建ててすでに二百年。皇族も幾世代に渡って子孫を増やしており、在野で庶民同様に暮らしている劉氏も珍しくなかった。彼もそのような劉氏の一人なのだが、出自ははっきりしている。第四代皇帝・景帝の子、長沙定王・劉発の血筋で、高祖九世の孫にあたる本物の皇族だった。
だが特別なところと言えばその程度である。雄偉と言っていい体躯を持っているが、そこに頑強さや厳めしさは存在しない。それどころかどこか輪郭が「ゆるく」すら見える。
人となりも同様で、居丈高さは微塵もなく、人当たりも穏やかで、冗談も好きなようだ。人の話もよく聞き、無用に事を荒立てたりもしない。上に兄が二人いる三男坊ということで、そのような属性が身についているのかもしれない。第一人者ではなく、人と人の間の緩衝材となる存在。それだけに人々は警戒心もなく彼に親しみ、談笑している。
他の人々にとってわかりやすく受け入れやすい人物。それが劉秀、字は文叔だった。
そんなわかりやすいはずの劉秀を、鄧禹だけがつかめないでいた。
鄧禹だからこそつかめなかったのだ。
鄧禹の人相見はたいていの人物の真価と行く末を見切ることができた。だが劉秀のそれらが見えない。彼が何者なのか。何者になるのか。どう鑑ても、見えない。
鄧禹とてこれまで鑑てきた人物全員の真価が見えたわけではないし、見えたからといってそれがすべて当たっていたとうぬぼれるつもりもない。しかし劉秀の「見えなさ」は、それらの誰とも種類が違った。いくら鑑ても、見ても、延々と続く雲の中を突き進んでゆくような、深い深い海の底へ際限なく潜っていくような、そんな感覚に襲われるのである。
それゆえ、鄧禹は劉秀に興味を持ち、珍しく自分から声をかけた。鄧禹は自分が壮年の男から持て余されることを知っているため、あまり自分から積極的に交流してこなかったのだ。
が、そこでも劉秀は、他の男と少し違った。
「そうか、仲華は新野から来たのか。私の姉も新野に嫁いでいる。どこかで会ってるかもしれぬな」
そのようにやさしく応じてくれるところは親切な他の学生と変わらない。
が、学問の場では違った。授業で鄧禹が他の学生の思いもよらないような見解を示したり、口頭試験でよどみなく全問正解してみせたときなど、鄧禹を激賞してくれるのだ。
「すごいな仲華。おぬしは真実秀才なのだな!」
中には年少の鄧禹に劣ることを不快に思い、あからさまに嫌がらせをしてくる者もいる。表面は穏やかそうにしていても、内心に不快をためている者もいる。その逆に劉秀と同じように、心から賛嘆してくれる人もいた。
だが劉秀は激賞なのである。
自分が年長だとか、相手が年少などは関係ない。鄧禹という人間が培ってきた実力を、ただ純粋に評価してくれるのだ。
良しにつけ悪しきにつけ、常に年齢という膜を通して能力を評価されてきた鄧禹にとって、これは驚きであり、そして喜びであった。
いささか逆説的だが、鄧禹は初めて「ただの子供」として純粋に誉められたような気がしたのである。
そのようなわけで長安での遊学期間、鄧禹は劉秀につきまとうことが多くなった。情と理、どちらにおいても不可思議であたたかな劉秀に魅了されたと言っていい。また鄧禹自身は自覚していなかったが、真の意味で「子供扱い」をしてくれる劉秀に居心地のよさを感じてもいたのだ。
だが自分のような子供が常にまとわりついては劉秀に迷惑になるとわかるだけに、なるべく意識して距離を取ってもいたのだが、そのようなときは劉秀の方から声をかけ、手招きをしてきてくれた。鄧禹を特別扱いしているからではなく、彼は誰に対してもそうなのだ。劉秀には鄧禹と違う種類の「人を鑑る目」、もう少し正確に言うなら「人の心情を察する能力」があるのかもしれない。彼は寂しさを感じる友人の心情を察し、そのような人にごく自然に手を差し伸べるやさしさと器量があった。
自分を純粋に子供扱いし、それでいて同列にも扱い、心底尊敬もしてくれる人物。劉秀は鄧禹のまだ短い人生の中で、初めて出逢う種類の人間であった。
そんな遊学期間も終わり、鄧禹は故郷の新野へ帰ることとなった。
「いずれまた会いたいものだな」
劉秀は寂しさと笑顔を混ぜてそう言い、鄧禹の肩を叩いた。叩かれた肩に痛みはなく、しかし重みはあって、鄧禹の全身に染みた。
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