鄧禹

橘誠治

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第一章 北州編

休息

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 鄧禹とうう蓋延こうえんへの使者が鉅鹿きょろくを出発したのはこのすぐ後で、これ以後のことはわからない。それでも使者がたずさえてきた、劉秀の二人へ対する新たな命令は聞かずともわかっていた。
「銅馬を退けたのち本隊へ合流。場合によっては別動隊として倪・劉をやくせ、とのことです」
 使者の言は予想通りで、鄧禹と蓋延もそろってうなずく。
「銅馬を撃退しておけてよかったな」
「ええ、まったくです」
 蓋延が太い息とともに言うことに、鄧禹も素直に賛意を示す。
 もしいまだ銅馬軍と対峙している状況ならば、そちらを放って本隊をたすけにゆくことはできない。それでは鄧禹と蓋延の騎馬隊が銅馬に後背を突かれて大打撃を喰らいかねないし、そうでなくとも彼らに倪・劉の迎撃に向かった本隊の動きを知られれば、今度はそちらを襲われ、当初の懸念が鉅鹿と別の場所で現実化するだけである。
 かといって銅馬攻略に時間を取られれば、本隊は鄧・蓋の騎馬隊が抜けた分、戦力を減殺された状態で倪・劉の大軍と戦わねばならず、それだけで充分不利になってしまう。
 銅馬撃破の後で使者を迎えられたのは、鄧禹と蓋延にとって僥倖ぎょうこうであった。


 また大胆な方針変更だが、鄧禹も蓋延も鉅鹿での苦戦を体験している。それゆえ膠着した戦況を転換させるに、耿純の進言に理も見たのだ。
「耿将軍がおっしゃるのであれば否やはありませぬ。我らもすぐに行動に移りましょう」
「おお、そうだな。しかし将軍、まずはどうする」
「そうですな。まずは当初の予定通り、兵に酒と食事をふるまいましょう」
 蓋延は今後の方針を鄧禹に尋ねる。これは蓋延が一人の将や兵としては優秀でも、大局を見て戦略を建てるのは苦手だと自覚しているためだが、それでも若年の同僚へ丸投げしてしまうあたり、鄧禹がいかに劉秀陣営で信頼されているかの証とも言えよう。
 それだけに蓋延は鄧禹の言にいささか驚いた。
「おいおい、将軍。なにをのんきな」
「いえ、今は銅馬との一戦を終えたばかりで兵は疲れ切っています。そんな彼らをいきなり進発させたとて、途中で動けなくなるに相違ありません。まずは兵の慰労と回復。出撃はそれからです」
「なるほど、確かにそうだな」
「その間に偵騎を放ち、今現在、明公とのや倪・劉の軍がどこにいるかを確認し、それによって我らの方針も決定いたしましょう。蓋将軍の突騎兵の中に疲労の少ない者が幾人かおりませぬでしょうか」
 劉秀たちがすでに進発しているのにいささか迂遠うえんにも思えるが、現状を正確に知らなければ、そもそもどこへ向かえばいいかすらわからない。倪・劉の軍は本拠地から南下、劉秀軍は鉅鹿から北上と大まかな動きはわかるが、それぞれがどの道を通り、どこで遭遇するかによって、蓋・鄧の目的地も変わってくる。
 またこのまま劉秀軍本隊へ合流すべきか、あるいは別動隊として独自に行動した方がいいのか、それも状況・状勢を確認しなければ決められない。
 とにかくまずは、なるべく豊富で正確な情報が必要だった。


 そのような鄧禹の思考を理解した蓋延は力強くうなずいて答える。
「おお、任せよ。今回はおぬしのおかげで勝ち戦であったからな。疲労も少ない。頑強な者を幾人か見つくろおう」
「感謝します。私の騎馬隊も突騎兵の後ろで楽をしておりましたから同様です」
 自分たち主導の戦いであれば精神的にも肉体的にも疲労は少ない。まして短時間で終わった戦いである。もともとが精鋭ぞろいの突騎兵ならば余力を残している者も多いだろう。
 偵察に出る以上戦勝の宴には参加できないが、事態が事態である。他の兵より報奨を弾むと約束して我慢してもらうしかなかった。
「では蓋将軍、よろしく」
 二人ですべての相談を終えると、鄧禹と蓋延は急ぎそれぞれの仕事にかかった。


 清陽城内はにわかになごやかに、そしてにぎやかになった。戦勝祝いの宴である。蓋延の突騎兵や鄧禹の騎馬隊だけでなく、清陽城内の兵たちにも酒食はふるまわれ、この数日の籠城による労をねぎらいあった。城内の民にまでふるまう余裕はなかったが、彼らにしてみても、城門が開いて自由に出入りができるようになっただけ解放感が違う。籠城期間が比較的短かったこともあって、今の清陽城内にいる人間の大部分は満足であった。


 そんな中、数少ない例外も存在した。鄧禹や蓋延、清陽城主などの首脳陣や、偵察に出発した騎兵十数騎、さらに偵騎が帰ってきてすぐに出発となった場合でもとどこおりなく行動できるよう準備に駆り出された兵站兵などである。
 鄧禹たちは、劉秀軍が方針を変更して鉅鹿から進発したことを他の兵たちに伝えていない。偵騎や兵站兵には事態が切迫していることを実感させるため事実を話したが、その他の兵は何の憂慮もなく楽しみ、心身から完全に疲労を抜いてもらうことが必要だったからだ。


 それらの処置を終えてから鄧禹と蓋延も何事もなかったように祝宴に参加し、兵たちと歓談し、喜びを分かち合った。が、それが終わった後は二人で地図をながめながら様々に検討しあう。偵騎が帰ってきて情報を得なければ決定はできないが、それ以前に可能な限りの状況を想定して、いくつもの模擬方針を考えておく必要があるのだ。それによりあらかじめ様々な事柄が整理でき、情報がやってきたときにあらためて検討する時間や手間が省略できる。
 といってもほとんどは鄧禹が考え、蓋延はうなずくだけだったが、それでも時に鄧禹の不備を突くことはあったし、二人の将ができるだけ考えを共有しておくのは重要なことだった。
明公とのはこのような事態も考えて、おぬしをわしにつけてくれたのかもしれぬな」
 討論が一段落したところで、蓋延は腕を組みながら深く息をつきつつ、そんなことも口にした。
 確かに銅馬との戦いと勝敗をわきに置いておいても、このような不測の事態が起きたとき蓋延だけではどうすればいいかわからず、闇雲に劉秀本隊への合流を目指し、結果それすら間に合わず、遊兵として敗因の一つになってしまう可能性も高かった。
 鄧禹は蓋延の矜持きょうじをおもんぱかってその意見に返答しなかったが、「明公ならありえる」と考えてもいた。
 当初、鄧禹は自分ではなく呉漢を蓋延補佐の騎馬隊指揮官に推したのだが、それを彼に変更したのが劉秀だった。呉漢は単純な武辺ではなく応変の才も持つ優秀な将だったが、その柔軟さは戦略の部門ではなく、どちらかといえば戦場そのもの、戦術の領域で発揮されることが多い。それゆえこのような事態ではやや心もとないところもあるのだ。事態がこうなってくると呉漢より鄧禹を同道させたことは正解だったが、いかに劉秀でもそこまで見越してのこととはさすがに思えない。しかし時に劉秀は常人では見通せない未来や事態まで看破してしまうところがあり、今回もその神眼が発揮された可能性はあった。
「どちらにせよ、明公とのの信頼には応えねばな」
 鄧禹はこの危難において自らと蓋延を「無駄遣い」するつもりはなかった。


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