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第二章 長安編
河東制圧
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先に動いたのは王匡軍だった。動いたという表現ではまだ正確でない。
いきなりの全軍突進であった。
これは異常なことだった。どのような軍事行動だろうと予備兵力を残さず初めから全兵力を投入するなど博打が過ぎる。もしこれで敵に押し返されれば反撃する余力もなく潰滅してしまうだろう。
だがこれは王匡にとって、現状における必勝の策だった。
鄧禹軍と比較した時、王匡軍が勝るのは数だけである。休養、補給に関しては勝負にならず、地の利、将兵の質も互角以下。さらに前日のように敵に持久戦を挑まれては、それこそ飢え疲れ、二度と立ち上がれなくなってしまう。
ゆえに王匡は、自軍に圧倒的有利な兵数を前面に押し出し、初手で鄧禹軍を押し込み、覆い潰してしまおうと考えたのだ。
それは長安に迫る赤眉の脅威も理由となっている。
これらすべての要素が王匡を焦らせ、その焦慮が全軍に波及し、彼らを駆り立てていた。
かかり気味の王匡軍の様子から、この常識外れの突撃を、鄧禹は半ば予想していた。
それゆえ対抗策もすでに考えてある。だがそれは意外なものであった。
「動くな!」
鄧禹は全軍にそう命じた。まだ距離はあるが、自分たちの数倍に及ぶ兵数を誇る王匡軍は砂煙を上げて突進してきているのにである。
「そのまま命令あるまで動くな。一歩も前に出てはならん」
鄧禹の厳命は各将を通じて兵へ伝えられたが、それは彼らを混乱させ、愕然とさせる。
この命は兵に耐えがたい恐怖とのせめぎ合いを強制することになるのだから無理もない。
目の前に怒涛のような敵兵の突進が迫りつつあるのだ。自分たちの数倍に及ぶ兵のかたまりと喚声が近づいてくる様は、文字通り津波が徐々に接近する恐怖に酷似していた。
それでも自らも前方へ突進できれば、その恐怖を振り払って無我夢中の狂乱に逃げ込むことができるのに、それすら許されないとあっては。
だが兵は堪えた。前へ進むことも後ろへ逃げることも禁じられた恐怖と圧迫に耐え続ける。
驚愕と混乱は鄧禹軍だけでなく王匡軍の兵にも起こっていた。
正面に対峙しての突進や突撃は、敵軍との暗黙の呼応によってはじめて成立する。
だが敵軍は、こちらの「呼」に対し、「応」を返してこないのだ。彼らの中にあった無意識の気組みがはずされ、頭と心が拠りどころをなくして混乱する。
それでも走り始めた以上、立ち止まることはできない。喚声を困惑に乱れさせながら、王匡兵は懸命に足を動かし、突進を続ける。
この異常事態は王匡兵の頭だけでなく体にも打撃を与えていた。
彼らは突進を始める前から戦場を遠望し、無意識に「あのあたりで敵兵と激突する」との心算を立て、その激突地点を仮想の到達点として走り始めていた。
しかし敵軍が動かない以上、彼らはその到達点を越えてもまだ走り続けなければならない。速度は乱され、もともと欠乏気味だった彼らの体力はさらに消費されてゆく。
敵陣へ近づくにつれ、王匡兵の呼吸は荒くなり、足の動きは鈍くなり、隊伍は乱れ始める。
鄧禹が狙っていたのはこれだった。
彼はすっと右手を上げる。それを見た側近たちも全身を引き締め、各将へ伝達の準備をする。
そして次の刹那、鄧禹は右手を振り下ろした。
「突撃!」
それは敵の鋭気と体力が完全に萎え、味方の圧迫と恐怖が限界に達する寸前だった。
打ち鳴らされた戦鼓の命令に、圧縮されていた戦意を爆発させた鄧禹兵が、喚声とともに整然と、そして猛然と襲いかかる。
「オオオオオッッ!!」
王匡兵の前衛は、反撃どころか防御すらままならぬまま弾き飛ばされた。
それでも鄧禹兵は止まらない。自軍の数倍に及ぶ敵軍を正面から押し返す。
恐怖と圧迫からの解放により、鄧禹兵も一種の狂乱状態にあったのだ。
ただただ目の前の敵を撃砕し、押し返し、屠り去ってゆく。
その統率された戦意と、純化された狂気と殺意に、心も体も折れかけていた王匡兵は完全に呑み込まれた。
高く堅牢な堤に跳ね返された津波が逆流し、後方の波濤に激突してゆく。
堤もそこで止まることなくさらに押し上げてゆく。
「ひいいいっ!」
王匡軍の後方の兵も敵へ向けて全力で駆け疲労しきっている。考える余地も耐えて持ちこたえる余裕もなく、前衛の兵が感じた恐怖を、乾いた海綿のように無防備に吸収するしかなかった。
王匡軍という大波は混濁し荒れ狂い、そして元来た方向へ奔流と化して逆流する。
「ひいいいっ!!」
戦いは王匡の願望どおり短期で決した。彼の望みと真逆の結果で。
初手に全戦力を投入した王匡軍は無力化し、すべての兵が逃走兵と化した。
結果も、そして経過も鮮やかな用兵だったが、実は最初鄧禹はこの戦術を採るつもりはなかった。
なにしろかなり際どい策だったのだ。
まず王匡軍突進の圧迫に何もせず命令を待つには、相当の精神力が要る。弱兵であれば耐えきれず、暴発する可能性は充分あった。
この場合、恐怖に駆られて逃げ出すことはもちろん、こらえきれず制止命令を無視し、先走って突撃を開始しても同様である。それでは王匡兵の疲労と困惑を誘うことができず単純な正面激突となり、鄧禹軍は数の不利のまま押し潰されていただろう。
だが鄧禹は自兵の鋭気に確信していた。この兵なら耐え切ってくれるだろうと。
そして兵をこのように鍛え上げた各将軍の統率力も同様に信じた。
また鄧禹は斥候を放ち、前日、前々日と、王匡軍の様子を探らせていた。
完全に把握することはさすがに難しかったが、それでも連日の疲労を回復しきれていないことは確認できた。
であるなら王匡はどのような戦い方を採ってくるか。
前々日、自分は持久戦を仕掛け、王匡兵の疲労を誘った。様々な理由から王匡にとってこれを再現させるわけにはいかないはずで、ならば短期での決戦を挑んでくる可能性が高い。
戦場で敵兵の気の萎えぐあいを確認し、開戦直後の全軍突進から王匡の企図を確信した鄧禹は、危険ながらも成功すれば一撃で勝利を得られるこの用兵を採択したのである。
余談だが、中華史にはこれと似た戦法で勝利した将軍がいる。
鄧禹の時代から七百年をさかのぼる春秋時代、紀元前684年に起こった「長勺の戦い」で、当時最強だった斉軍を破った魯の曹劌である。
博識の鄧禹がこの故事を参考にした可能性はある。あるいはそうではなく、彼が独自に発案した戦術が偶然似通っただけかもしれないが、どちらにせよ鄧禹の非凡さがあらためて証明されたことに変わりはない。
全軍挙げての潰走となった以上、王匡たち首脳陣も逃げ出す以外にできることはなかった。
王匡軍の潰走が羊敗ではないことを確認すると、鄧禹はすかさず追撃を放つ。
「軽騎隊、敵将を一人でも多く捕えよ。それが叶わなくば斬れ!」
この展開を予想していた鄧禹の手配りは早かった。
鄧禹は常に「敵兵もいずれは殿下の兵」との考えがあるため、心のどこかになるべく殺したくない思いを残しているが、今回は追撃に手を抜くつもりはなかった。たとえ鄧禹軍が全力で追撃を仕掛けようと、彼らの全員を殺せるはずもない。
それに手ひどく叩かれた王匡兵は、長安への道すがら、ぼろぼろの敗残兵としての姿を各地の太守や民に見せつけることになる。それはこれから先、西進して長安を目指す鄧禹軍にとって、効果的な示威と宣伝になるだろう。
ゆえに鄧禹は追撃に全力を注いだ。
その甲斐あって、更始帝の将軍である劉均、河東太守・楊宝、持節中郎将・弭彊を捕斬、さらに節を六、印綬を五百、そして敵兵が遺棄した兵器を数えきれないほど収得するという大戦果を得る。
またあれだけ攻めあぐねていた安邑も楊宝が主力をひきいて参戦していたため、残っている守備兵は微々たるもので、またこれ以上の援軍が得られないことも痛感させられただけあって、ほぼ不戦で降伏、開城した。
この大勝により、鄧禹は河東郡を完全に掌握することに成功した。
いきなりの全軍突進であった。
これは異常なことだった。どのような軍事行動だろうと予備兵力を残さず初めから全兵力を投入するなど博打が過ぎる。もしこれで敵に押し返されれば反撃する余力もなく潰滅してしまうだろう。
だがこれは王匡にとって、現状における必勝の策だった。
鄧禹軍と比較した時、王匡軍が勝るのは数だけである。休養、補給に関しては勝負にならず、地の利、将兵の質も互角以下。さらに前日のように敵に持久戦を挑まれては、それこそ飢え疲れ、二度と立ち上がれなくなってしまう。
ゆえに王匡は、自軍に圧倒的有利な兵数を前面に押し出し、初手で鄧禹軍を押し込み、覆い潰してしまおうと考えたのだ。
それは長安に迫る赤眉の脅威も理由となっている。
これらすべての要素が王匡を焦らせ、その焦慮が全軍に波及し、彼らを駆り立てていた。
かかり気味の王匡軍の様子から、この常識外れの突撃を、鄧禹は半ば予想していた。
それゆえ対抗策もすでに考えてある。だがそれは意外なものであった。
「動くな!」
鄧禹は全軍にそう命じた。まだ距離はあるが、自分たちの数倍に及ぶ兵数を誇る王匡軍は砂煙を上げて突進してきているのにである。
「そのまま命令あるまで動くな。一歩も前に出てはならん」
鄧禹の厳命は各将を通じて兵へ伝えられたが、それは彼らを混乱させ、愕然とさせる。
この命は兵に耐えがたい恐怖とのせめぎ合いを強制することになるのだから無理もない。
目の前に怒涛のような敵兵の突進が迫りつつあるのだ。自分たちの数倍に及ぶ兵のかたまりと喚声が近づいてくる様は、文字通り津波が徐々に接近する恐怖に酷似していた。
それでも自らも前方へ突進できれば、その恐怖を振り払って無我夢中の狂乱に逃げ込むことができるのに、それすら許されないとあっては。
だが兵は堪えた。前へ進むことも後ろへ逃げることも禁じられた恐怖と圧迫に耐え続ける。
驚愕と混乱は鄧禹軍だけでなく王匡軍の兵にも起こっていた。
正面に対峙しての突進や突撃は、敵軍との暗黙の呼応によってはじめて成立する。
だが敵軍は、こちらの「呼」に対し、「応」を返してこないのだ。彼らの中にあった無意識の気組みがはずされ、頭と心が拠りどころをなくして混乱する。
それでも走り始めた以上、立ち止まることはできない。喚声を困惑に乱れさせながら、王匡兵は懸命に足を動かし、突進を続ける。
この異常事態は王匡兵の頭だけでなく体にも打撃を与えていた。
彼らは突進を始める前から戦場を遠望し、無意識に「あのあたりで敵兵と激突する」との心算を立て、その激突地点を仮想の到達点として走り始めていた。
しかし敵軍が動かない以上、彼らはその到達点を越えてもまだ走り続けなければならない。速度は乱され、もともと欠乏気味だった彼らの体力はさらに消費されてゆく。
敵陣へ近づくにつれ、王匡兵の呼吸は荒くなり、足の動きは鈍くなり、隊伍は乱れ始める。
鄧禹が狙っていたのはこれだった。
彼はすっと右手を上げる。それを見た側近たちも全身を引き締め、各将へ伝達の準備をする。
そして次の刹那、鄧禹は右手を振り下ろした。
「突撃!」
それは敵の鋭気と体力が完全に萎え、味方の圧迫と恐怖が限界に達する寸前だった。
打ち鳴らされた戦鼓の命令に、圧縮されていた戦意を爆発させた鄧禹兵が、喚声とともに整然と、そして猛然と襲いかかる。
「オオオオオッッ!!」
王匡兵の前衛は、反撃どころか防御すらままならぬまま弾き飛ばされた。
それでも鄧禹兵は止まらない。自軍の数倍に及ぶ敵軍を正面から押し返す。
恐怖と圧迫からの解放により、鄧禹兵も一種の狂乱状態にあったのだ。
ただただ目の前の敵を撃砕し、押し返し、屠り去ってゆく。
その統率された戦意と、純化された狂気と殺意に、心も体も折れかけていた王匡兵は完全に呑み込まれた。
高く堅牢な堤に跳ね返された津波が逆流し、後方の波濤に激突してゆく。
堤もそこで止まることなくさらに押し上げてゆく。
「ひいいいっ!」
王匡軍の後方の兵も敵へ向けて全力で駆け疲労しきっている。考える余地も耐えて持ちこたえる余裕もなく、前衛の兵が感じた恐怖を、乾いた海綿のように無防備に吸収するしかなかった。
王匡軍という大波は混濁し荒れ狂い、そして元来た方向へ奔流と化して逆流する。
「ひいいいっ!!」
戦いは王匡の願望どおり短期で決した。彼の望みと真逆の結果で。
初手に全戦力を投入した王匡軍は無力化し、すべての兵が逃走兵と化した。
結果も、そして経過も鮮やかな用兵だったが、実は最初鄧禹はこの戦術を採るつもりはなかった。
なにしろかなり際どい策だったのだ。
まず王匡軍突進の圧迫に何もせず命令を待つには、相当の精神力が要る。弱兵であれば耐えきれず、暴発する可能性は充分あった。
この場合、恐怖に駆られて逃げ出すことはもちろん、こらえきれず制止命令を無視し、先走って突撃を開始しても同様である。それでは王匡兵の疲労と困惑を誘うことができず単純な正面激突となり、鄧禹軍は数の不利のまま押し潰されていただろう。
だが鄧禹は自兵の鋭気に確信していた。この兵なら耐え切ってくれるだろうと。
そして兵をこのように鍛え上げた各将軍の統率力も同様に信じた。
また鄧禹は斥候を放ち、前日、前々日と、王匡軍の様子を探らせていた。
完全に把握することはさすがに難しかったが、それでも連日の疲労を回復しきれていないことは確認できた。
であるなら王匡はどのような戦い方を採ってくるか。
前々日、自分は持久戦を仕掛け、王匡兵の疲労を誘った。様々な理由から王匡にとってこれを再現させるわけにはいかないはずで、ならば短期での決戦を挑んでくる可能性が高い。
戦場で敵兵の気の萎えぐあいを確認し、開戦直後の全軍突進から王匡の企図を確信した鄧禹は、危険ながらも成功すれば一撃で勝利を得られるこの用兵を採択したのである。
余談だが、中華史にはこれと似た戦法で勝利した将軍がいる。
鄧禹の時代から七百年をさかのぼる春秋時代、紀元前684年に起こった「長勺の戦い」で、当時最強だった斉軍を破った魯の曹劌である。
博識の鄧禹がこの故事を参考にした可能性はある。あるいはそうではなく、彼が独自に発案した戦術が偶然似通っただけかもしれないが、どちらにせよ鄧禹の非凡さがあらためて証明されたことに変わりはない。
全軍挙げての潰走となった以上、王匡たち首脳陣も逃げ出す以外にできることはなかった。
王匡軍の潰走が羊敗ではないことを確認すると、鄧禹はすかさず追撃を放つ。
「軽騎隊、敵将を一人でも多く捕えよ。それが叶わなくば斬れ!」
この展開を予想していた鄧禹の手配りは早かった。
鄧禹は常に「敵兵もいずれは殿下の兵」との考えがあるため、心のどこかになるべく殺したくない思いを残しているが、今回は追撃に手を抜くつもりはなかった。たとえ鄧禹軍が全力で追撃を仕掛けようと、彼らの全員を殺せるはずもない。
それに手ひどく叩かれた王匡兵は、長安への道すがら、ぼろぼろの敗残兵としての姿を各地の太守や民に見せつけることになる。それはこれから先、西進して長安を目指す鄧禹軍にとって、効果的な示威と宣伝になるだろう。
ゆえに鄧禹は追撃に全力を注いだ。
その甲斐あって、更始帝の将軍である劉均、河東太守・楊宝、持節中郎将・弭彊を捕斬、さらに節を六、印綬を五百、そして敵兵が遺棄した兵器を数えきれないほど収得するという大戦果を得る。
またあれだけ攻めあぐねていた安邑も楊宝が主力をひきいて参戦していたため、残っている守備兵は微々たるもので、またこれ以上の援軍が得られないことも痛感させられただけあって、ほぼ不戦で降伏、開城した。
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