供養沼奇譚

毒島醜女

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第三部:昭和時代「写真家の顛末」

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赤と黒に包まれた暗室の中、和夫かずおは一枚の写真を手に取った。
緑を湛えた、美しい山々。
開発により失われていく日本古来の自然に、そのノスタルジーに和夫は惹かれていた。
決して多くはないがそう思う人間の多くが彼の顧客となり時折個展を開けるほどとなった。
そんな彼が次に訪ねようと決めたのは、とある沼地であった。
山々を見ながら、和夫は思いにふける。
初夏の沼はそれはそれは美しいだろう。
しかし、そんな彼の思考を邪魔したのが現地の老人の言葉だった。

「供養の沼に入ってはならない」

その沼と言うのは曰く付きであるようだ。
昔はこの地にある沼に娘を捧げる人身御供の風習があり、未だ彼女たちの祟りがこの地に残っていると。

「あの沼に入ったよそ者が沼に消えたのを知っている。あんたにその二の舞になって欲しくない」

そこまで言うと老人は去っていった。
彼らの気持ちもわかるが、どうしても和夫は惹かれていた。まるで導かれるかのように。

「遠くから撮る分には問題ないだろう。そうすれば入ったことにはならないはずだ」

そう思い、彼は愛用のカメラを携え件の沼に赴いた。
街道を逸れた山々は密度が濃く、まるで水の中にいる様に息苦しくなる。
これよりも過酷な環境に赴いたことのある和夫は、それが疲労によるものだけではないと気づく。
元来、こう言った噂のある場所というのは妙な緊張感が漂うものだ。長年人間が抱き続けた信仰の力、というものだろうか。
そしてとうとう、和夫はその沼地を見つけた。
眼下に広がる沼は離れていても泥の香りがして、辺りに漂う霧により曇りガラスのように覆われていた。
和夫にとって、その光景は幽玄の美そのものであった。
つまり、最高の被写体だ。
早速カメラを構え、シャッターを押す。
この土地に住む人々の為、タブーを守りあくまで沼地に入る事はしなかった。
仕事場兼自宅に戻り、現像作業に移る。
一枚、また一枚と生み出した写真を乾かしていく。赤い灯りの中でも、風景の美しさは変わらず和夫は思わず笑みを零した。
ぴちゃん
水の中に何かが落ちる音がする。
音がするままに後ろを振り返る。この暗室に水のある場所は、現像液の入った容器以外ない。
なにか虫でも落ちたのだろうか。そう思い和夫は容器を覗いた。
そこには虫はいなかった。
代わりに泥の付いた朽ちた雑草が浮き、水を汚していた。

「なんだ……?」

和夫は仕事場に余計なものは持ち込まないし、清潔を保っているため、このような異物が入り込むことなどあり得ない。奇妙に思いつつ、液体を入れ替えようと容器を持った。
ぴちゃん
またあの音がする。
いや違う。これは容器を動かしたことで鳴っただけだ。
そう言い聞かせ、和夫は容器に目を移した。
容器から女の手が伸びていた。
まるで苗が地面を割って出てくるかのように。
痩せ細り、血が一滴も入っていないかのように白い、女の手。
その手を見た瞬間、和夫の脳に過去の光景が蘇る。
岡野皐月おかの さつき
学生時代に和夫と恋人同士で会った女性であり、身分の違いから結婚を許されなかった人。

「皐月……君なのか?」

和夫は彼女の色の白い細い腕を思い出す。
そんな皐月の手を掴み、二人で冬の湖に入っていったことも。
冷たい水に浸かる中、彼女の手がひらひらと水面で揺れる姿を美しいと思った事も。

「許してくれ、皐月。君を置いてしまった僕を」

和夫は一歩、また一歩と手に縋る。
気づけば自分は病院に運ばれていた。
両親からは皐月だけが死んだと聞かされ、彼女の家の人間がなにかをする前に逃げろと命じられた。
和夫は放心したまま荷物とわずかな金を渡されて上京し、様々な職に従事して、カメラマンとなった。
それでも、女性と関係を持ったことは無かった。
どんなに世間との折り合いが悪くなろうとも見合いは全て断った。
一度たりとも皐月を忘れたことが無かった。
彼女だけが和夫の心から離れる、唯一の愛だった。

「皐月、君が望むなら、今すぐにでも、僕は――」

その錐の様な二本の指が自身の眼球に伸びる。
それが和夫の最期に見た光景であった。
ぼろぼろと溢れた涙に交じって赤い濁流が流れる。
幸いなことに、自分の視界を奪った手が想った女のものだと信じて疑わなかった和夫は、満面の笑みを浮かべたまま床に倒れた。

「――続いてのニュースです。今日、カメラマンである亀石和夫かめいし かずおさんが○○市の自宅で亡くなっているのを、同僚が発見しました。亀石さんは両目を潰されるという凄惨な亡くなり方をしており、警察は事件の可能性があるとして調査して――」
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