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第二部:明治時代「測量士の失踪」
しおりを挟む箱物はいい。
あればあるだけ金になる。
測量士である藤次郎はそんな恵まれた時代に生まれたことを感謝した。
その流れは最早東京だけに留まらない。
「村の連中、相変わらずか?」
「ん、相も変わらずだ」
同僚と共に溜め息を吐きながら、分厚い蕎麦を啜る。
彼らの目下の悩みは、仕事の邪魔をする現地の村人であった。曰く、「供養の沼に近づくな。災いが起こる」らしい。
馬鹿らしくて笑えて来る。
明治という時代になって、神というものの存在が軽視されるようになってもう何年にもなる。近代化を目指す政府のお膝元にいる自分らから見れば、未だにそんな世迷言を信じる彼らは滑稽だ。
「この時代に信仰すべきなのは科学だ。それがわかんねえ連中は野垂れ死んじまえばいいのさ」
蕎麦屋を出ると、爪楊枝を咥えながら藤次郎は同僚の肩を抱いた。そして彼の耳元で言うのだ。
「いい事思いついた。お前らが明日の朝、派手に振る舞って連中の注意を引く。その間に俺が沼の測量をする」
「それはいいが、一人で出来るか? 結構な広さだって聞くぜ?」
「全部やろうとは思わねえよ。大事なのは沼に入ったってことさ。そこにいって何とも無きゃ、連中の出鼻を挫けるだろ?」
我ながらいい作戦だと、藤次郎はほくそ笑む。
翌朝、というよりも朝日が昇るまえに藤次郎は同僚たちと別れ、機器を抱えて沼へと向かった。
わざと大声を出して村人に威圧的に接する仲間の姿を、木々に隠れて見守る。彼の予想通り、村人は彼らに集中していく。
「しめた」
そして彼は静かに沼の方に向かった。
早朝の沼原は霧こそ出ているがここに杭なり標石を置けば、御の字だ。それはあの未開人どもの神域を汚し、彼らが間違っていると証明したことに繋がるからだ。
そして自身の荷物から道具を広げようとした、その時だ。
「ん……?」
霧の中に人影を見た。ちょうど沼を挟んだ先に、それはいた。
村人かと思ったが違う。いつも自分らに噛みついてきた男達よりも、その影は細い。
無理かもしれないと思いつつ、目を凝らす。
女だった。
真白い着物を纏った、白塗りの女。
一瞬鳥肌が立ったが、すぐに藤次郎は冷静さを取り戻した。
あれは演技だ。村人たちが自分達を脅すために女衆を化けされたのだろう。
よく見れば遠くでゆらゆらと揺れるだけで何もしてこない。見世物小屋の連中のほうがよほどマシだ。
「おい!!」
出来る限り声を張り上げ、女に向かって怒鳴る。
「そんなとこに突っ立ってないでこっちに来い! ツラを拝ませろよ!」
並みの女ならばここでいそいそと逃げていくだろう。だが女はずっと立ったままだ。
「……舐めやがって!」
藤次郎は傍にあった拳大の石を握る。それをよく見えるように掲げると、女の足元に向かって投げつけた。
ここからでは届きはしないが、女一人を脅すには十分だと思った。
藤次郎からすればそれで逃げると思っていたのだ。だが石は沼の泥の中に沈み、女はそこに立ったままだった。
その全てが不気味で仕方なかった。
舌打ちを一つして、早々に杭を打って帰る事にした。
恐らくあの女は頭のどこかが馬鹿になっており、恐怖を感じることが出来ないのだろう。
それを村の連中により使われ、幽霊役としてここに立たされているのだ。
いつだって弱者は利用されるのだ。そうならないようにして来た自分を、藤次郎は誇りに思っている。
「俺は違うんだ。あんな奴らとは」
跡継ぎ以外は口が利ける家畜として扱う農家の次男として生まれ、着の身着のまま同然で逃げて、必死に働いた。
殴られ罵倒されても、それでも立ち上がって来た。
一人の人間となって肩で風切って、今まで自分を見下してきた人間を足蹴にする為に。
金槌を振り下ろし、杭を穿つ。
カン、カン、カン
無我夢中で作業をする。その耳元で、女の声がした。
「おまえもこい」
背後にいるであろう女に手に持った金槌がぶつかる事も厭わずに、藤次郎は振り返る。
そこには誰もいない。遠くにいるはずの女の影も、もう無かった。
あり得ない。
いくらぬかるんだ土地だろうと足音くらいするはずだ。
それに先程声をかけてきた女は誰だ?
女の足ではあの一瞬で自分の後ろに回れるはずがない。
いいや。藤次郎は自分の頭に浮かんだ答えを否定する。これはきっと村人の策だ。なにか手品を使って俺を帰らそうとしているのだ、と思うことにした。
そして再び作業に戻った。
その足首を、何かが掴んだ。
「あ!?」
藤次郎は地面に顔を打ちつけた。
痛みに浸る間も無く、自分の足首を見る。
そこには霧の中から手が伸びていた。女の手だった。
爪の中にびっしりと土の入った、湿った匂いのするか細い手で。
その力で、見た目で、藤次郎はようやく自分の見ているものが現実にいる、現実にいてはいけないものだと理解した。
禁忌に触れられた藤次郎の体は、そのまま沼へと引きずられていった。
その叫びに気づいた仲間が沼に来た時には、藤次郎の道具が散らばっているだけで、藤次郎本人は何処にも見当たらなかった。
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