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無知なりの防衛本能 2
しおりを挟む目を開けると、そこは自分の部屋だった。
体中の節々が痛む。呻き声にばあやが気づき世話をしてくれたが、その目元は真っ赤だ。
「…母様、は?」
その言葉にばあやはびくりと体を強張らせ、顔を覆いながら泣き崩れてしまった。
まだ六歳だったウルスナだが、記憶が少しずつ戻ってきてスルタナがウルスナを抱え込んだところまでを思い出す。
大きな何かを無理やり止めようとする耳をつんざく音と、馬の嘶く声にウルスナを抱えたスルタナを通して感じたとてつもない衝撃。
それ以上の記憶は曖昧だ。
だけどウルスナがこれだけ体中が痛む。きっとスルタナはもっと痛かったはずだ。
ウルスナはばあやに何度も母のことを聞くが、まずは体を休めてくださいの一点張りで出て行ってしまった。
部屋から出たくても体中が痛み、腕や膝には包帯が巻かれている。そして何故か父も会いに来てくれない。
不安な気持ちを誰も和らげてくれる人が居らず、痛む体でたった一人で夜の暗い部屋の中にいることに耐えられず蹲りながらウルスナは何とか眠りについた。
その日から五日間。ウルスナは一歩も部屋から出られなかった―――いや、出してもらえなかった。
翌々日にはようやくある程度体が動けるようになり、母に会いに行きたかったのにばあやに止められ、何故か扉の前には使用人が常時張っているような状態で何度願っても聞き入れてくれなかったのだ。
ずっと会えない両親にウルスナは日々泣きながら暮らしていた。
そして五日後の夜だった。
突然バタンと扉が開けられ、そこには今までに見たことがないような無表情で窶れてしまった父、リチャードの姿が。
「と、父様!母様は―――」
「お前のせいでスルタナは死んだ」
突然の言葉にウルスナは衝撃を受ける。
まだ六歳のウルスナだが、死ぬという言葉は本の読み聞かせで覚えていた。
死ぬともう一緒に居られなくなって違う場所へ行ってしまうこと。
死というものがまだ理解しきれなかったウルスナだが、スルタナと居られなくなると言う意味だけは理解した。
そして父は今何と言ったのか。
ウルスナのせいで死んだ、と言った。
スルタナが死んだのは、ウルスナのせいだと。
「わ、私―――」
「お前を庇ってスルタナは死んだ―――お前は母殺しだ」
ハハゴロシ
凍えるような低い声にウルスナはビクリと体を強張らせた。父はそれだけ言って部屋を出て行った。
ウルスナは今聞いたことが信じられなかった。
あの時の記憶の前後がどうしても思い出せない。
そして父はウルスナをただの一度も抱き締めてくれることもなく、憎悪を向ける視線を投げていた。
その後聞かされたこと。
ウルスナが出られなかった五日間の間にスルタナの葬儀は既に済まされていた。
ウルスナは最期まで母に会わせてもらえなかった。父が会わせなくしたのだろうことは後になってわかった。
母の眠る墓地すら教えてもらえず、一度も――――ウルスナが拉致されるまで場所は知らされないままだった。
それ以降屋敷は火が消えたように静かになった。ウルスナですら常にピリピリするような空気がわかるくらいだ。
父が会いにくることは一度もなく、たまに遭遇してもまるで存在しないような態度をとられ、ウルスナは幼いながら嫌でも理解せざるを得なくなっていた。
ウルスナのせいでスルタナが死んでしまった。
母を愛していた父はウルスナを憎んでいるのだ、と。
それからウルスナは極力リチャードと会わないように心がけた。
ばあや始め使用人もウルスナによそよそしくなり、それもこれもウルスナが母を殺めたからなのだと幼心に重く伸し掛かる。
何一つ我儘を言わずに、一日中本を読み、母の部屋に行き楽譜を見て過ごした。
ピアノはリチャードが居ない時だけに弾いた。
一度ウルスナが良く母が弾いてくれた曲を拙い技巧であるが覚えたくて一生懸命弾いていた時、バタンっと大きな扉の開く音と大きな足音、同時にウルスナの体が吹っ飛んだのだ。
何が起きたか分からず、頬が異常に熱く痛かった。頬を押さえながら父を見ると、まるでゴミを見るような目で「お前が何故のうのうと弾いている。スルタナは二度と弾けないのに」と言い捨てて出て行き、ウルスナはぼろぼろと涙を知らぬ間に流していた。
その日からウルスナは父を見ると怯えるようになり、ピアノも彼がいる時に弾くことは一切しなかった。
それでもどうしても弾きたい時は楽譜を部屋に持ち込んで机を鍵盤代わりにしてひたすら弾く真似をしていた。
父の恐ろしい形相と、とてもではないが我が子に向けるものではない冷酷な視線。
もう優しく頭を撫でてくれる父には二度と会えないのだと思った。
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