終わりから始まる恋――冷徹公爵に婚約破棄された令嬢は、愛されすぎて逃げられません!

nacat

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第4話 裏切りの夜会、終わりのドレス

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雪解けの季節が訪れる頃、王都では新たな季節を祝う大夜会が開かれた。  
王と王妃が主催するその舞踏会は、貴族にとって一年で最も華やかな社交の場であり、そして最も冷酷な政治の舞台でもある。  
その招待客の中に、バルド商会の代表代理として名を連ねる令嬢――リディア・バートンの姿があった。  

淡い牡丹色のドレス。背には金糸の刺繍が輝く。  
鏡の前に立つ彼女を、同僚のマリアが感嘆の声を上げた。  

「まるで本物の貴族令嬢じゃありませんか、リディアさん!」  

「ええ、昔はそうだったもの。」  
リディアは笑いながら、淡く唇に紅をさした。  
だが心の奥底では、冷たいざわめきが広がっていた。  
王都に戻るのは約一年ぶり――そして、あの夜会の場所こそ、婚約を破棄されたあの舞踏会会場だった。  

「今度は、もう泣かないわ。」  
そう小さく呟くと、自身に言い聞かせるように首を上げた。  

*  

大広間では、音楽と香水の香りが入り混じり、贅沢な布の衣擦れが流れていた。  
多くの貴族たちは彼女を見て驚いたように囁き合い、数人の紳士が挨拶に近づいてくる。  
彼女は柔らかく微笑み、一歩引いた姿勢で言葉を返す。  
完璧な社交の礼、完璧な距離感。誰一人として彼女の心の奥を読めはしない。  

「バートン嬢、お久しぶりですわ。」  
軽やかな声に顔を向ければ、そこにはかつての噂の発端――侯爵令嬢エミリアがいた。  
変わらぬ黄金の髪に宝石を散らし、いかにも幸せそうな笑みを浮かべている。  
だがその笑みは、リディアの胸の奥を静かに刺すものだった。  

「ご機嫌よう、エミリア様。」  
「まあ、まさか商人として招かれるなんて。努力なさったのね。」  
「おかげさまで。こちらもお変わりないようで。」  
エミリアの瞳が一瞬、嫌味を含んだ光を宿す。  
「そういえば、レオンハルト様も今夜お越しになるのよ。懐かしい方に会えるかもしれませんわね。」  
「……そう。お気遣い感謝いたします。」  
それだけ言って、リディアは静かに距離を取った。  
背後で響く含み笑いを無視して、グラスの揺れる音に紛れ込む。

その背中を見つめるエミリアの瞳には、不快そうな影がうっすら浮かんでいた。  
リディアが落ちぶれるどころか、むしろ輝きを増している現実が、気に食わなかったのだ。  
彼女は侍女に小声で命じる。  
「例の件、今夜中に迷子の振りをして“偶然”ぶつかるのよ。宰相閣下の目の前でね。」

*  

しばらくして、リディアは一人でテラスに出た。  
夜風が頬を撫で、遠くに王宮の尖塔が見える。  
そこへ、思いもよらない声がかかった。  

「こんなところにいたのか、リディア。」  

ゆっくりと振り返ると、レオンハルトが立っていた。  
黒の軍礼装に金のモールを飾り、相変わらず隙のない姿。  
だがその瞳には、ほんの僅かなためらいが浮かんでいる。  

「公爵閣下。お久しぶりです。」  
「もう“閣下”と呼ばれるのはやめてくれ。せめて名前で。」  

彼の声のやわらかさに、リディアの喉が詰まった。  
かつてはそれを甘く心地よく感じたこともあった。  
だが今、それは過去の亡霊のように思えた。  

「レオンハルト様。今夜はおめでたい席ですわ。個人的な会話は控えましょう。」  
そう言って背を向けようとしたその瞬間、がしゃん、と大きな音が響いた。  
視線を向けると、近くでワインの瓶が割れ、紅い液体が広がっている。  
倒れたのは、エミリアの侍女だった。  
赤い液の中に、なぜかリディアが持っていたはずの帳簿が転がっている。  

「これは……!」  
あろうことか、侍女は泣きながら叫んだ。  
「この女が、宰相閣下の商談の書類を盗もうとしていたのです!」  

ざわめきが広がる。  
誰かが兵士を呼びに走り、人々は遠巻きに様子を見守った。  
リディアはその場で身動きが取れずにいた。  
確かにあの帳簿は彼女のもので、港取引の記録が書かれた重要なもの。  
だが盗む理由など、あるはずがない。  

「待て。彼女を疑うな。」  
レオンハルトの低い声が響いた。  
だがエミリアが悲劇の令嬢を演じるように彼の腕を掴む。  
「まあ、どうして庇うのです? 証拠は目の前にありますのに。」  
そして周囲の視線が一斉にリディアへと注がれる。  
あの日と、まるで同じ構図――婚約破棄の夜と。

レオンハルトの腕が、微かに震えていた。  
リディアの脳裏に、かつての言葉が蘇る。  
「君は品位がない」「私の名を汚すな」。  
その記憶が、あざ笑うように蘇る。  
息が詰まり、苦しくなっても、リディアは逃げなかった。

「心外ですわ。ですが、弁明をしても信じていただけないでしょうし……。」  
彼女は微笑んだ。  
あのときと同じように、涙は見せないまま。  
「再び誤解されるのはご免です。どうぞ、お好きになさって。」  

その毅然とした言葉に、会場の誰もが息を呑んだ。  
リディアは拾い上げた帳簿をゆっくり抱え、ドレスの裾を翻し、その場を静かに去った。  
まるで、終焉の舞台から降りていく女優のように。  

*  

リディアが去った後、会場には緊張が残った。  
レオンハルトは深く息を吸い、侍女をにらみつけた。  

「……お前がどうしてこの書類を持っていた?」  

侍女は一瞬言葉を詰まらせ、その背後でエミリアが焦ったように扇を握りしめた。  
すぐに近衛たちが調べ、侍女の懐から侯爵家の紋章入り金貨が見つかる。  
それを見た瞬間、周囲の空気が一変した。  

「これは――!」  
「賄賂か?」  
囁きが走るなか、レオンハルトはエミリアを見下ろし、冷めた声で言う。  

「また俺は……君を疑ってしまったな、リディア。」  

けれど、肝心の彼女はもういない。  
彼が言葉を紡ぐ相手は、空っぽのテラスと静かな夜風だけだった。  

***  

夜が明けても、王都はざわついていた。  
“伯爵令嬢を陥れようとした侯爵令嬢”という噂が、城下にまで広がっている。  
一夜にして、立場は逆転した。  
だが、誰よりも胸を痛めているのは、レオンハルト自身だった。  

執務室の窓辺で、彼はひとり呟く。  
「あれほど愚かだとは……まだ赦されないだろうな。」  

その手には、夜会の終わりに床へ落ちていた牡丹色の布の切れ端。  
リディアのドレスのすそが、ひっかけられて裂けたものだ。  
その薄い布地を見つめながら、彼は拳を握った。  

再び失ったものの重さが、ようやく現実としてのしかかってきた。  
そして遠く離れた宿で、リディアもまた、窓の外の夜明けを見つめながら呟いた。  

「やっぱり……私の終わりのドレスは、王都には似合わない。」  

彼女の唇に浮かぶのは、涙にも笑いにも似た、かすかな微笑みだった。  

続く
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