終わりから始まる恋――冷徹公爵に婚約破棄された令嬢は、愛されすぎて逃げられません!

nacat

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第15話 後悔を知った公爵

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夜の港町に、低い波音と風の唸りが混じっていた。  
契約署名を終えてから二日後、レオンハルトは王国の使節団と共に船へ戻り、帰路につこうとしていた。  
だが甲板に立つ彼の顔は、どこか沈んでいた。  

「閣下、出航の準備が整いました。」  
部下の報告に頷きながらも、レオンハルトの目は遠くの海を見つめて離れない。  
暗い海面に月の光がにじみ、波の揺らぎがまるで記憶を掬い上げるように輝いていた。  

リディアの横顔が思い浮かぶ。  
冷静で、強く、そして微笑みの奥にどこか寂しさを含んだ彼女。  
もう彼女を泣かせてはならないと、何度も心に誓っていたのに、あの握手のあと、再びその瞳には淡い光が宿っていた。  

それが喜びだったのか、未練だったのか、彼には分からない。  
ただ一つ、確かなのは“あの頃のリディア”を完全に理解できぬまま手放した自分の罪だ。  

「後悔しているのですか?」  
いつの間にか背後に立っていたのは、側近のカインだった。  
彼は静かに片膝をつき、主の様子を伺う。  

「後悔……それが適切な言葉かもな。」  
「珍しいことを仰る。」  
「そうか?」  
レオンハルトは苦笑した。「俺は誤りを犯さないように育てられた。常に冷静であれと叩き込まれたが、結局その冷静さが彼女を傷つけた。」  

「リディア様は、貴方をもう恨んではいませんよ。」  
その言葉に、彼の眉がわずかに揺れた。  
「恨んでいないのなら、それはそれで救いだが……同時に、それが一番苦しい。」  
「苦しい、ですか。」  
「ああ。何も感じていないということだからな。」  

レオンハルトはポケットから一通の紙片を取り出した。  
そこには彼女の署名があった。契約書の署名欄、小さな文字。  
その一筆に込められた重さを、彼はようやく理解していた。  
もし己が彼女にもう少しでも敬意を示し、信じることを恐れなければ——結果は全く違っただろう。  

「君は俺に、涙を残して去っていった。あの時のあの瞳、今でも忘れられない。」  
レオンハルトの声は低く、夜風にかき消されるほどだった。  
「もし運命が許すなら、もう一度だけ君の涙ではなく笑顔を見たい。」  

船が大きく揺れ、鐘が鳴った。  
出航の合図だ。  

しかし彼の足はその場から離れない。  
海へと流れる光を見つめながら、彼はそっと呟いた。  
「彼女のいない国に、いつまで誇りを感じられるのだろうな。」  

カインが少しの沈黙の後、言葉を選びながら言う。  
「閣下、リディア様は貴方のおかげでここまで強くなられた。そのことを後悔と呼ぶのは、彼女に失礼というものです。」  
「……わかっている。しかしカイン、理解していることと納得することは違う。」  

その言葉に、カインは目を伏せた。  
風に乗って遠くの港の鐘がもう一度響く。  

*  

翌日、王国の首都セレスタに船が着いた。  
石畳の港には、待ち構えていた政務官たちが列を成していた。  
「お帰りなさいませ、公爵閣下。ルディアン会議の成功、誠に見事でございます。」  
「……成功か。」  
レオンハルトは短く答え、馬車へ乗り込む。  

車輪が回るたびに、彼の頭の中ではリディアとの会話が何度も反芻されていた。  
“愛ではなく、努力を誇りに思う人間でいたい”  
あの言葉が耳に残っていた。  

王都の景色は変わらない。白い石造りの建物、街を行き交う人々、社交の声。  
それら全てが、過去の幻のように感じられた。  
今やこの場所では、リディアのように誇りを自分の手で掴もうとする者は稀だ。  
それを思うと、胸がどこか寂しくなる。  

屋敷に戻ると、彼の書斎には積み上げられた報告書が並んでいた。  
視線を流しながらも、手元の手紙箱に目が止まる。  
そこには彼がかつてリディアに宛てて出せなかった書簡の束が眠っていた。  

“信じるという言葉を、君に伝えたかった。”  
“君を疑ったあの瞬間を、何度も悔やんでいる。”  
文字にすればするほど、彼はその紙を破り捨て、書き直し、再び破ってきた。  

彼は筆を取った。  
静かに、新しい便箋を広げる。  
そして、短く一文を書いた。  

“君の成功を、心から祝福する。”  

それだけを書き終えると、封をして火を灯した蝋を落とす。  
封蝋には、家の紋章ではなく王国の貿易局の印章を用いた。  
個人ではなく、同じ目線の協力者として——それが今の彼にできる精一杯のことだった。  

*  

夜。  
屋敷の庭に出て空を見上げる。  
薄雲の切れ間に、蒼く澄んだ月が浮かんでいた。  
レオンハルトの胸中に、ふとリディアの声が蘇る。  

“私は自由を怖れない。恐れを超えたとき、人は強くなれる。”  

あの言葉が彼の心に再び灯をともす。  
「彼女はもう、誰の庇護もいらない。だからこそ、俺は……」  

彼は拳を握り、静かに呟いた。  
「俺も変わらなければならない。」  

その夜更け、彼は執筆室に戻り、多くの改革案にサインをし始めた。  
政治家として、貴族として、そして一人の人間として。  
彼女に恥じぬような国を作るために。  

──もし再び会える日が来るなら、誇りを胸に彼女の横に立てるように。  

月は静かに輝き、窓辺の机に置かれたインクの瓶を淡く照らしていた。  

続く
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