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第1話 婚約破棄の宣告
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「クラウディア・エルンスト公爵令嬢。ここに、王太子ハロルド・グランデールとの婚約は、正式に破棄とする。」
静かな謁見の間に、国王代行の文官の声が響いた。その場に居合わせた貴族たちが一斉に息をのむ。広間の中央、真紅の絨毯の上にはふたりの姿。ひとりは蒼い軍服をまとった王太子ハロルド、金髪に碧眼、誰もが憧れる容姿をもつ青年。そして対するは、白いドレスを身にまとった公爵令嬢クラウディア。長く整った栗色の髪が陽光を受け、静かに揺れた。
「……婚約、破棄……ですか?」
その声は震えていなかった。ただ冷静に事実を確かめるような調子で、クラウディアは静かに問い返す。目を閉じ、薄く笑う。その仕草は、どこか諦めにも似て、誇り高い。
「そうだ。」ハロルドは腕を組み、冷ややかに告げた。「おまえの行動は妃としてふさわしくない。身分を笠に着て他の令嬢を見下し、侍女を泣かせたと聞く。そんな女を妃にはできぬ。」
「そんなこと……」
否定しかけた彼女を遮るように、ハロルドの隣に立つ少女が口を開いた。淡い桃色の髪、儚げな瞳。辺境子爵家出身の令嬢セリーヌ。いま王宮で“慈愛の天使”と呼ばれる令嬢であり、王太子の寵愛を一身に受けていると噂される娘だ。
「クラウディア様、わたし、本当につらかったんですの……。『平民上がりの分際で』って……お言葉が……」
そう言ってセリーヌが泣き真似をすると、周囲の令嬢たちは一斉にハロルドを見た。王太子は苛立ったように唇を歪める。
「見苦しい。クラウディア、おまえはもう退廷してよい。」
クラウディアはしばらく沈黙した。瞳の奥で、何かが静かに壊れる音がした。だが彼女は涙を見せなかった。代わりにゆっくりと一礼し、静かに口を開いた。
「承知いたしました、殿下。」
その一言だけを残し、彼女は踵を返した。大広間の視線が背中に突き刺さる。誰もが興味本位の目を向け、同情や嘲笑が入り混じる空気が、背後に渦巻いていた。
だがクラウディアは歩みを止めなかった。肩を張り、顔を上げ、扉の外へと進む。そこには春の陽射しが降り注ぎ、城の白壁がまぶしく輝いていた。
一歩外に出た瞬間、彼女は深く息を吸い込む。
その胸の奥に、遠く懐かしい幻のような声が蘇った。
――泣かないで。あなたはもう、一度愛に裏切られたことがあるのだから。
それは夢の断片か、記憶か。クラウディアは思わず目を細める。彼女の中で眠っていた「前世の記憶」が、いま静かに目を覚まそうとしていた。
***
夕刻。公爵邸の私室。大理石の床に差し込む西陽が、金色に染めたカーテンを揺らしていた。クラウディアはドレスを脱ぎ、鏡の前に立つ。映るのは、整った容姿の令嬢。しかしその瞳はどこか遠く虚ろだった。
「……これで、本当に終わったのね。」
小さく呟く。鏡の中で唇が震えた瞬間、彼女の胸の奥に再び疼くものがある。前世――それは、かつて別の国で公爵令嬢として生き、同じように愛した男に裏切られ、婚約破棄された過去。死の間際に、彼女はこう誓ったのだった。
――二度と、裏切る人を愛さない。
その誓いを、きっと女神は聞いてくれたのだろう。もう一度、この世界に生まれ直す機会を得たのだから。
「でも、皮肉ね。前世と同じ相手を、またも婚約者に選ぶなんて。」
クラウディアは自嘲気味に微笑んだ。きっと、この運命は試練なのだ。
けれど、今度こそ“運命”には従わない。泣くよりも前に、立ち上がってみせる。
コンコン、と扉が叩かれた。
侍女のマーサが入ってくる。彼女は幼い頃から仕えてきた年上の女性で、クラウディアにとって第二の母のような存在だった。
「お嬢様……どうかお気を強く。」
「大丈夫よ、マーサ。泣いてなんかいないわ。」
「ですが、あんな無礼な王太子殿下に……! お嬢様がどれほど誠実に尽くされてきたか、それを知らぬとは!」
マーサの言葉に、クラウディアは小さく首を振る。
「いいの。……王太子は、自分が見たいものしか見えない人なのよ。」
窓辺に立ち、薄く開いたカーテンの隙間から夕焼けを仰ぐ。赤く染まる空が、まるで燃えさかる心を映しているようだった。
「それより、マーサ。これから少しの間、屋敷を離れようと思うの。」
「え? どちらへ?」
「領地へ帰るわ。空気を吸いにね。父からも、少し距離を置きたいの。」
マーサは驚いたように目を丸くした。
けれど、クラウディアの表情はどこか穏やかだった。涙ではなく、静かな決意がそこにある。
「……きっと、このままだと、私は前と同じように壊れてしまう。だから、離れるの。自分を取り戻すために。」
「お嬢様……」
クラウディアはマーサの手を握り返し、微笑みかけた。
「大丈夫。私は、もう泣かないわ。」
***
その夜、王城では別の騒ぎが起きていた。
王太子ハロルドが、セリーヌと寄り添いながら舞踏会を開いたのだ。社交界の貴族たちは彼を祝福し、セリーヌの可憐な笑顔に酔いしれていた。
「クラウディアのような女より、やはり純真無垢な乙女が良い」と口々に誉めそやす声が響く。
だがその隅で、ひとりの青年騎士が黙ってその光景を見ていた。銀髪の若者。王国近衛騎士団に所属する、ヒュー・レオンハート。
彼はわずかに眉をひそめながら、ワイングラスを傾けた。
「……あの方は、殿下の見立てほど単純なお人ではない。」
誰にともなくそう呟く。その声音には、ほんの僅かな敬意が混ざっていた。
ヒューは一度だけ、クラウディアと話したことがある。花園の手入れを手伝った際、偶然声を掛けられたのだ。公爵令嬢でありながら、気取らずにありがとうと微笑んだ彼女の笑顔。それが妙に印象に残っていた。
だからこそ、あの冷たい婚約破棄の場面を見て、胸の奥がざらついた。
「……殿下、いずれ後悔なさるだろうな。」
そう呟き、ヒューは杯を置いた。彼の瞳が、遠く離れた公爵邸の方向を見つめる。
まるで、何かが始まるのを予感しているかのように――。
***
翌朝。クラウディアはわずかな荷をまとめ、マーサと共に馬車に乗り込んだ。
王都を離れる道。遠ざかる城壁の向こう、春の風が吹き抜ける。クラウディアは小さく息を吐き、心の中で静かに誓った。
――もう二度と、同じ苦しみを味わわない。
――そして、もし誰かを愛することがあるなら、今度こそ自分を信じられる愛を。
遠くの空で、白い鳥が群れを成して飛び立った。新しい人生が、ゆっくりと動き出す。
(第1話 終)
静かな謁見の間に、国王代行の文官の声が響いた。その場に居合わせた貴族たちが一斉に息をのむ。広間の中央、真紅の絨毯の上にはふたりの姿。ひとりは蒼い軍服をまとった王太子ハロルド、金髪に碧眼、誰もが憧れる容姿をもつ青年。そして対するは、白いドレスを身にまとった公爵令嬢クラウディア。長く整った栗色の髪が陽光を受け、静かに揺れた。
「……婚約、破棄……ですか?」
その声は震えていなかった。ただ冷静に事実を確かめるような調子で、クラウディアは静かに問い返す。目を閉じ、薄く笑う。その仕草は、どこか諦めにも似て、誇り高い。
「そうだ。」ハロルドは腕を組み、冷ややかに告げた。「おまえの行動は妃としてふさわしくない。身分を笠に着て他の令嬢を見下し、侍女を泣かせたと聞く。そんな女を妃にはできぬ。」
「そんなこと……」
否定しかけた彼女を遮るように、ハロルドの隣に立つ少女が口を開いた。淡い桃色の髪、儚げな瞳。辺境子爵家出身の令嬢セリーヌ。いま王宮で“慈愛の天使”と呼ばれる令嬢であり、王太子の寵愛を一身に受けていると噂される娘だ。
「クラウディア様、わたし、本当につらかったんですの……。『平民上がりの分際で』って……お言葉が……」
そう言ってセリーヌが泣き真似をすると、周囲の令嬢たちは一斉にハロルドを見た。王太子は苛立ったように唇を歪める。
「見苦しい。クラウディア、おまえはもう退廷してよい。」
クラウディアはしばらく沈黙した。瞳の奥で、何かが静かに壊れる音がした。だが彼女は涙を見せなかった。代わりにゆっくりと一礼し、静かに口を開いた。
「承知いたしました、殿下。」
その一言だけを残し、彼女は踵を返した。大広間の視線が背中に突き刺さる。誰もが興味本位の目を向け、同情や嘲笑が入り混じる空気が、背後に渦巻いていた。
だがクラウディアは歩みを止めなかった。肩を張り、顔を上げ、扉の外へと進む。そこには春の陽射しが降り注ぎ、城の白壁がまぶしく輝いていた。
一歩外に出た瞬間、彼女は深く息を吸い込む。
その胸の奥に、遠く懐かしい幻のような声が蘇った。
――泣かないで。あなたはもう、一度愛に裏切られたことがあるのだから。
それは夢の断片か、記憶か。クラウディアは思わず目を細める。彼女の中で眠っていた「前世の記憶」が、いま静かに目を覚まそうとしていた。
***
夕刻。公爵邸の私室。大理石の床に差し込む西陽が、金色に染めたカーテンを揺らしていた。クラウディアはドレスを脱ぎ、鏡の前に立つ。映るのは、整った容姿の令嬢。しかしその瞳はどこか遠く虚ろだった。
「……これで、本当に終わったのね。」
小さく呟く。鏡の中で唇が震えた瞬間、彼女の胸の奥に再び疼くものがある。前世――それは、かつて別の国で公爵令嬢として生き、同じように愛した男に裏切られ、婚約破棄された過去。死の間際に、彼女はこう誓ったのだった。
――二度と、裏切る人を愛さない。
その誓いを、きっと女神は聞いてくれたのだろう。もう一度、この世界に生まれ直す機会を得たのだから。
「でも、皮肉ね。前世と同じ相手を、またも婚約者に選ぶなんて。」
クラウディアは自嘲気味に微笑んだ。きっと、この運命は試練なのだ。
けれど、今度こそ“運命”には従わない。泣くよりも前に、立ち上がってみせる。
コンコン、と扉が叩かれた。
侍女のマーサが入ってくる。彼女は幼い頃から仕えてきた年上の女性で、クラウディアにとって第二の母のような存在だった。
「お嬢様……どうかお気を強く。」
「大丈夫よ、マーサ。泣いてなんかいないわ。」
「ですが、あんな無礼な王太子殿下に……! お嬢様がどれほど誠実に尽くされてきたか、それを知らぬとは!」
マーサの言葉に、クラウディアは小さく首を振る。
「いいの。……王太子は、自分が見たいものしか見えない人なのよ。」
窓辺に立ち、薄く開いたカーテンの隙間から夕焼けを仰ぐ。赤く染まる空が、まるで燃えさかる心を映しているようだった。
「それより、マーサ。これから少しの間、屋敷を離れようと思うの。」
「え? どちらへ?」
「領地へ帰るわ。空気を吸いにね。父からも、少し距離を置きたいの。」
マーサは驚いたように目を丸くした。
けれど、クラウディアの表情はどこか穏やかだった。涙ではなく、静かな決意がそこにある。
「……きっと、このままだと、私は前と同じように壊れてしまう。だから、離れるの。自分を取り戻すために。」
「お嬢様……」
クラウディアはマーサの手を握り返し、微笑みかけた。
「大丈夫。私は、もう泣かないわ。」
***
その夜、王城では別の騒ぎが起きていた。
王太子ハロルドが、セリーヌと寄り添いながら舞踏会を開いたのだ。社交界の貴族たちは彼を祝福し、セリーヌの可憐な笑顔に酔いしれていた。
「クラウディアのような女より、やはり純真無垢な乙女が良い」と口々に誉めそやす声が響く。
だがその隅で、ひとりの青年騎士が黙ってその光景を見ていた。銀髪の若者。王国近衛騎士団に所属する、ヒュー・レオンハート。
彼はわずかに眉をひそめながら、ワイングラスを傾けた。
「……あの方は、殿下の見立てほど単純なお人ではない。」
誰にともなくそう呟く。その声音には、ほんの僅かな敬意が混ざっていた。
ヒューは一度だけ、クラウディアと話したことがある。花園の手入れを手伝った際、偶然声を掛けられたのだ。公爵令嬢でありながら、気取らずにありがとうと微笑んだ彼女の笑顔。それが妙に印象に残っていた。
だからこそ、あの冷たい婚約破棄の場面を見て、胸の奥がざらついた。
「……殿下、いずれ後悔なさるだろうな。」
そう呟き、ヒューは杯を置いた。彼の瞳が、遠く離れた公爵邸の方向を見つめる。
まるで、何かが始まるのを予感しているかのように――。
***
翌朝。クラウディアはわずかな荷をまとめ、マーサと共に馬車に乗り込んだ。
王都を離れる道。遠ざかる城壁の向こう、春の風が吹き抜ける。クラウディアは小さく息を吐き、心の中で静かに誓った。
――もう二度と、同じ苦しみを味わわない。
――そして、もし誰かを愛することがあるなら、今度こそ自分を信じられる愛を。
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