婚約破棄された令嬢はもう振り向かない〜見下してきた王太子が涙で許しを乞う時、私はもう別の愛を選んでいた〜

nacat

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第4話 涙を見せない令嬢

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裁定会議が終わった夜、クラウディアは王城の一角にある客間に身を置いていた。  
戦いにも似た一日が終わり、灯された蝋燭の火だけが部屋を照らす。  
机の上には証言書の控えと、王太子の印が押された謝罪文が並んでいる。  
それは、彼女の潔白が正式に認められた証だった。

「……終わったわけでは、ないのよね。」

窓に寄りかかりながら、クラウディアは夜空を見上げた。  
王太子が頭を下げたのは形式だけだ。彼の目に宿っていたのは悔しさと屈辱。  
権力の座にある者が一度向けた敵意を、そう簡単に引っ込めるはずがない。  
彼は再び牙を研ぎ、次の機会を狙ってくるだろう。

部屋にひとり残ったクラウディアの指先が震える。だが彼女はそれを押し隠し、深く息を吸った。  
泣きたい衝動を喉元で押しとどめる。  
泣いたところで、過去は変わらない。怒りが鎮まるわけでもない。  
涙を流すのは、弱さではなく愚かさと同じだ――それを誰よりも自分が知っている。

「クラウディア様。」

扉の向こうから控えめな声がした。ヒューだった。  
入室の許可を与えると、彼は丁寧に頭を下げ、銀鎧の音を鳴らして近づいてきた。

「殿下は表向き謝罪なさいましたが、宮廷の反応は芳しくありません。  
『王族を敵に回した令嬢』という形で、再び噂が広がるでしょう。」

「覚悟のうえよ。」

クラウディアは微笑んだ。  
「けれど、ありがとう。あなたのおかげで私は“罪人”から“生還者”になれた。」

「私はただ、偽りを許せなかっただけです。」

ヒューはそう言いながら少し表情を曇らせた。  
「ですが、この件で殿下の不興を買いました。おそらく、私は近衛の任を解かれるでしょう。」

「そんな……私のために、あなたまで。」

クラウディアが思わず身を乗り出すと、ヒューはやわらかく首を振った。  
「後悔はありません。むしろ、貴女のような方を救えたことを誇りに思います。  
それに、私は殿下に忠誠を誓ったのではなく、この国に忠義を誓ったのです。」

まっすぐな瞳。その言葉に、クラウディアの胸が痛んだ。  
嬉しさと同時に、どこか遠い懐かしさを覚えた。  
前世――この記憶が甦ってから、彼女の中にはいつも“彼”の影があった。  
あのときも、たった一人で自分を信じ、盾となってくれた騎士がいたのだ。  
やがて彼は王の怒りを買い、処刑された。  
それを知った時、彼女は涙と血の中で息絶えた。

「……どうして、人は正しい者から傷つくのかしら。」

思わずもらした呟きに、ヒューは静かに首を振る。

「傷つくことは、決して無駄ではないと思います。  
守りたいもののために痛むことができる心。それこそ、人の強さだと私は信じます。」

クラウディアの胸に温かいものが広がる。  
気づけば彼女は、ほんの少しだけ目を伏せていた。  
涙はこぼさなかった。けれど、その瞳の奥にかすかな潤みがあった。

***

翌朝、城下の大広間で開かれた朝議に、クラウディアの名が呼ばれた。  
形式的な質問への応答を終えた後、王太子ハロルドが立ち上がる。  
昨日までとは違い、冷笑の裏にかすかな焦燥があった。

「クラウディア・エルンスト公爵令嬢。  
汝の潔白は一旦認めよう。だが、国への忠誠を改めて見せる必要がある。  
そこで命ずる。北の辺境に設けられた新領地の監察官として派遣されよ。」

「北の……辺境と申されますと?」

「氷壁の砦だ。狼と雪に囲まれた土地。貴族が容易に赴く場所ではない。」

彼の声の裏には“追放”という響きがあった。  
表面上は任命、実際は流刑と変わらない。  
クラウディアを宮廷から遠ざけ、再び声を奪う策略。

会場の空気が凍る中、クラウディアは薄く笑った。  
「承知いたしました、殿下。職務を頂けること、感謝いたします。」

「……なに?」

「与えられた場所がどこであれ、務めを全うするのが貴族の責任ですから。」

その毅然とした言葉に、ハロルドの表情がゆがむ。  
しかし誰も彼女を守ろうとはしなかった。  
静寂の中、クラウディアは深く一礼し、その場を退いた。

***

荷造りを終え、屋敷に戻ると、マーサが泣きながら腕にすがりついた。

「お嬢様! あんな極寒の地へ行かれるなんて……死にに行くようなものです!」

「泣かないで、マーサ。大丈夫よ。」

「でも……!」

クラウディアはそっと彼女を抱きしめた。  
「泣く分は、私の代わりにお願いね。私はもう、涙を置いていくわ。」

マーサの頬を撫で、笑みを見せる。  
「ここまで来たなら、最後まで立っていたい。逃げるのは一度で充分だもの。」

背後の扉が控えめに開き、ヒューが姿を見せた。  
「クラウディア様、お供いたします。護衛の任は解かれましたが、個人として、ご同行を。」

「いいの? 本当に危険な場所よ。」

「それでも、あの北で貴女が一人きりになることの方が、私には怖い。」

短い沈黙のあと、クラウディアはやわらかく微笑んだ。  
その瞳には、確かな意志と微かな温もりが共に宿っていた。

「……ありがとう。なら、一緒に行きましょう。あの冷たい地で、私たちはきっと何かを見つけられるはず。」

雪国への旅立ちは、彼女にとって逃避ではなかった。  
それはこの国の腐った根を見据えるための一歩。  
そして、自分を裏切った男への最初の“ざまあ”の導火線でもあった。

窓の外では、灰色の空に風花が舞う。  
冷たい風が吹き抜けても、クラウディアの背筋はまっすぐだった。  
もう、涙は必要ない。  
それでも心の奥には、誰かへのかすかな情がまだ残っていた――  
それがいつか、彼女を温める炎に変わるとも知らずに。

(第4話 終)
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