断罪された公爵令嬢でしたが、今さら後悔してももう遅いです ~第二の人生は最愛の隣で~

nacat

文字の大きさ
2 / 4

第2話 目を覚ませば、すべてが始まる前

しおりを挟む
冷たい風が頬を撫でた。  
その感触にレティシアは小さく息を呑む。  

――痛くない。  
あの夜、牢の中で眠るように意識を失った最後の感覚は、確かに血の温度だった。首筋を伝うぬるい液体。衛兵の刃が、何の慈悲もなく彼女を突き刺した。その瞬間、朦朧とした意識の中で思った。  
「これで、やっと終われる」と。  

なのに、今、彼女は呼吸をしている。  

「……夢?」  

かすかに目を開けると、木漏れ日が差し込む豪奢な寝室があった。淡いベージュのカーテン、繊細なレースの縁取り、そして――見覚えのある天蓋付きのベッド。そこは、彼女が“断罪の日”など訪れるはるか以前、幸福の中で暮らしていたアルヴィオン公爵家の自室だった。  

「な、なぜ……ここに……?」  

自分の手を見る。指輪は見当たらない。だが、血の跡も、処刑の痕もない。鏡の中に映る自分の顔は十七歳の頃のままだ。  

喉がからからに乾きながら、レティシアは寝台を飛び降りた。  
部屋の扉を開けると、待機していた侍女が驚いた顔をした。  

「お嬢様!? お加減でも……?」  
「リナ……あなた……生きてるの?」  

リナ・フォーリア。断罪の後、主を庇って収監され、消息を絶った忠実な侍女。  
だが、今の彼女は何事もなかったかのように、いつも通りレティシアの前で微笑んでいた。  

「まあ、お嬢様たら。まだお目覚めになったばかりですのに、不思議なことをおっしゃいますのね。」  
「……今日の日付を、教えてちょうだい。」  

「え? ええと……王暦八百七十二年、五月十七日でございます。」  
レティシアは息を飲んだ。  
彼女が断罪されたのは、八百七十四年。――つまり、二年前に戻っている。

足元から震えが走る。  
これは夢ではない。確かに、時間を巻き戻っているのだと、肌が理解していた。  

「……神様が、哀れな令嬢に二度目の人生を与えたとでもいうの?」  

小さく笑いが零れた。  
けれどそれは安堵ではなく、苦い自嘲だった。  
もう一度やり直せというのなら、今度は誰も信じない。愛など、もういらない。  

“王太子妃”なんて肩書きなど燃やしてしまえばいい。  
望むのはただ一つ――“自由”だ。  

「リナ、今日は社交界のお茶会の予定は?」  
「はい、マルセル伯爵夫人の午餐会が。殿下もご同席なさるとか……」  
「そう……なら、ちょうどいいわ。」  

あの時と同じ道を辿れば、また同じ結末に行き着く。  
ならば、そこから“違う道”を選ぶだけ。  
レティシアは衣装箱を開け、いつもの白いドレスの代わりに、濃いルビー色のドレスを引き抜いた。  

「お嬢様、それは少々派手では――」  
「今日は、目立ちたいの。」  

その微笑みは、以前のどんな時よりも静かで強かった。  

***  

王城の大広間には、上流貴族たちが集っていた。金糸の装飾が施されたステンドグラスから光が差す。誰もがアレクシス殿下に視線を向けている。  

「おや、レティシア嬢。ようこそ。」  
気さくに声をかけてきたのは、王太子ではなく、第二王子カイルだった。  
彼の声を聞いた瞬間、レティシアの心が微かに揺れた。  
“真実を確かめに来た”――その時の言葉が脳裏をかすめる。  

「久しぶりでございます、カイル殿下。」  
「いつになく印象的な色をお召しですな。よくお似合いだ。」  
「ありがとうございます。たまには殿下方の目にも留まる色を選びたくなりまして。」  

意味深な微笑に、彼はわずかに眉を動かした。  
その視線が、何かを見抜こうとしているようで胸がざわめいたが、今は表情を崩さない。  

場が静まりかえったのは、アレクシスが入場した時だった。  
完璧な微笑。誰もが羨む王太子。  
だがレティシアにとって、その笑みは毒にも等しい。  

「レティシア、よく来てくれたね。」  
「ええ、殿下。お誘いありがとうございます。」  

以前の彼女なら、少しも疑わずに微笑み返していただろう。  
けれど今は違う。  
“この男は、いずれ私を断罪する”。  
その未来を知る彼女の瞳に、恐れはなかった。  

「最近、君が体調を崩していると聞いたけど?」  
「ご心配なく。むしろ今は、すこぶる気分が良いのです。」  
「それは何よりだ。」  

アレクシスが短く視線を逸らす。その先にはエミリアがいた。  
その仕草だけで、彼女の中に小さな炎が灯る。  
だが、燃やすのは復讐の炎だけ。嫉妬ではない。  

「殿下、後ほどお話ししたいことがございます。少しお時間をよろしいでしょうか?」  
「君から? 珍しいね。いいだろう、控え室で話そう。」  

周囲の貴族たちが興味深げに囁き合うのを背に、二人は部屋を移した。  

扉を閉めると、レティシアは静かに一礼した。  
「今日、改めて申し上げます。アレクシス殿下。婚約の件、白紙に戻していただきたいのです。」  

「……なんだと?」  
驚きの色が彼の顔に浮かぶ。  
「理由を聞こうか。」  

「殿下がどれほど立派なお方かは、よく存じています。ですが私は、王太子妃として相応しい器ではございません。家のために、己を偽るのはもうやめます。」  

「馬鹿な……君は何を――」  
「これでお分かりになるでしょう? 殿下。私は貴方を愛しておりません。」  

静寂が落ちた。  
アレクシスの双眸が鋭く光る。  
彼の誇り高い心が、初めて拒絶に触れてざらついた音を立てた。  

「……誰かに吹き込まれたのか?」  
「いいえ。自分で決めたことです。」  

その間、レティシアの胸の奥では別の想念が渦巻いていた。  
――あの時、私が沈黙していたから滅びた。  
だから今度は、“言葉”で自分を守る。  

「アレクシス殿下。私どもはこれからも臣民として貴方を敬いましょう。ですが、夫婦になる縁はありません。」  

しばらく沈黙したのち、アレクシスが低く言った。  
「……後悔するぞ。」  
「いいえ。もう後悔は済ませました。」  

その微笑みを見て、殿下の眉が僅かに動いた。  
まるで彼女が、想定していた“従順で愚かな令嬢”ではなくなったことに気づいたかのように。  

***  

会場に戻ると、あちこちから視線が集まった。だがレティシアは構わず歩く。  
一瞬、カイルと目が合った。彼は何も言わず、ただ穏やかに頷いた。  

“この先の未来を変えたいなら、まずは己を変えろ”――  
そう語るようなその瞳に勇気をもらい、レティシアは再び微笑んだ。  

「さて――これで、もう一度人生をやり直せる。」  

彼女の小さな呟きは、誰にも届かぬほど静かだったが、運命の歯車は確実に音を立て始めていた。  

(続く)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄した王子が見初めた男爵令嬢に王妃教育をさせる様です

Mr.後困る
恋愛
婚約破棄したハワード王子は新しく見初めたメイ男爵令嬢に 王妃教育を施す様に自らの母に頼むのだが・・・

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

ざまぁはハッピーエンドのエンディング後に

ララ
恋愛
私は由緒正しい公爵家に生まれたシルビア。 幼い頃に結ばれた婚約により時期王妃になることが確定している。 だからこそ王妃教育も精一杯受け、王妃にふさわしい振る舞いと能力を身につけた。 特に婚約者である王太子は少し?いやかなり頭が足りないのだ。 余計に私が頑張らなければならない。 王妃となり国を支える。 そんな確定した未来であったはずなのにある日突然破られた。 学園にピンク色の髪を持つ少女が現れたからだ。 なんとその子は自身をヒロイン?だとか言って婚約者のいるしかも王族である王太子に馴れ馴れしく接してきた。 何度かそれを諌めるも聞く耳を持たず挙句の果てには私がいじめてくるだなんだ言って王太子に泣きついた。 なんと王太子は彼女の言葉を全て鵜呑みにして私を悪女に仕立て上げ国外追放をいい渡す。 はぁ〜、一体誰の悪知恵なんだか? まぁいいわ。 国外追放喜んでお受けいたします。 けれどどうかお忘れにならないでくださいな? 全ての責はあなたにあると言うことを。 後悔しても知りませんわよ。 そう言い残して私は毅然とした態度で、内心ルンルンとこの国を去る。 ふふっ、これからが楽しみだわ。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

悪役令嬢は断罪の舞台で笑う

由香
恋愛
婚約破棄の夜、「悪女」と断罪された侯爵令嬢セレーナ。 しかし涙を流す代わりに、彼女は微笑んだ――「舞台は整いましたわ」と。 聖女と呼ばれる平民の少女ミリア。 だがその奇跡は偽りに満ち、王国全体が虚構に踊らされていた。 追放されたセレーナは、裏社会を動かす商会と密偵網を解放。 冷徹な頭脳で王国を裏から掌握し、真実の舞台へと誘う。 そして戴冠式の夜、黒衣の令嬢が玉座の前に現れる――。 暴かれる真実。崩壊する虚構。 “悪女”の微笑が、すべての終幕を告げる。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

処理中です...