冷遇された令嬢は婚約破棄されましたが、最強王子に一途に溺愛されています

nacat

文字の大きさ
1 / 15

第1話 婚約破棄の宣告

しおりを挟む
冬の王宮は静寂に包まれていた。高い窓から注ぎ込む光は青白く、深紅のカーテンの上を淡く照らしている。舞踏会の準備が進む大広間の片隅に、リシェル・グレイス侯爵令嬢は立っていた。  
手に持つ扇の先が微かに震える。だが、その表情にはわずかな揺らぎもない。長い睫毛の影が、白い頬に落ちている。

「リシェル・グレイス。今日をもって、我らの婚約を破棄する」

朗々と響いた王太子・エドワードの声は、場の空気を切り裂いた。楽団の手が止まり、貴族たちが息を呑む。誰もが驚いたように二人を見つめていた。

リシェルは、その瞬間まで薄々、この日が来ることを悟っていた。  
彼が最近、妹のミリアに向ける視線を知っていたからだ。幼いころから、完璧と讃えられ、婚約者としての役割をこなしてきた彼女は、王太子の隣に立つことが義務のように感じていた。  
けれど、愛されていないこともずっと感じていた。

「理由を伺ってもよろしいでしょうか、殿下」

リシェルの声は静かだった。わずかも震えず、会場の誰よりも落ち着いている。

エドワードは軽く眉をひそめた後、誇らしげに口を開いた。  
「おまえは冷たい。愛のない女だ。いつも冷静に義務をこなし、俺への想いも感じられぬ。婚約者としてふさわしくない。俺は真に心を通わせられる人と添いたい」

背後で、刺すような沈黙の中、誰かが小さく笑う声がした。  
ミリアだ。  
薄桃色のドレスに包まれた若い妹は、演技めいた涙をその大きな瞳に浮かべながら、悲しげに頭を下げている。まるで、巻き込まれた可哀想な存在を装うように。

リシェルは背筋を伸ばし、微笑んだ。  
会場中が凍りつくほどの冷静な微笑。  
「……そうですか。殿下のお望みでしたら、異論はございません」

ざわ、と人の波が揺れた。婚約破棄を言い渡されたにも関わらず、この女は泣かない。恥をかかされても取り乱さない。それが逆に、彼らの心をざらつかせた。

「そんな態度だ。おまえはいつもそうだ! 他人のように遠い。ミリアのような真心を持てぬのか!」  
エドワードの声が高く響く。

リシェルはゆっくりと視線を上げた。  
「真心……それは、隣にいる方を踏み台にしてでも、自分が愛されようとする心でしょうか。もしそうであれば、わたくしには生涯、持ち合わせませんわ」  

ミリアの顔が一瞬、引きつる。周囲の視線が一斉に妹へと向かう。  
エドワードは何かを言いかけたが、リシェルは静かに礼をして歩み出た。  
「殿下、これまでありがとうございました。どうか末永くお幸せに」

会場の扉に向かって進むリシェルの背中に、誰かの囁きが聞こえた。  
“負け犬令嬢”  
“あれが噂の冷たい女か”  
“可哀想に”

それでも彼女は立ち止まらなかった。かかとの音だけが静まり返った広間に響く。  
だが、そのとき——。

「待ちなさい」

沈んだ広間に低く落ちる、冷たい声。  
誰も見たことのない形相で、第二王子アーロンが歩み出てきた。黒い髪が光を吸い込み、鋭い金の瞳が獲物を見据える狼のように輝いている。

「おもしろいことをしてくれたな、兄上」  
「アーロン、これは我らの——」  
「兄上の“恋愛ごっこ”など興味はない。ただ、王太子としてあまりに愚かだと思ってな」  

ざわめきが広がる。アーロン王子はリシェルの前に立ちはだかり、そっとその手を取った。  
「殿下っ……! な、何を——」  
「この婚約破棄、正式な手続きを経ていない。王家に提出した婚約証書にも、破棄のための合意はない。よって現時点でリシェル・グレイスは王家に連なる存在だ。つまり、兄上、貴殿は婚約者に公の場で不名誉を与えた。これは不敬にも等しい」

一瞬にして空気が凍りついた。  
エドワードが立場を取り繕うように声を荒げる。  
「なんだと!? そんな——」  
「法を軽んじるのは勝手だが、王族としての品位を忘れるな」

アーロンの声は冷えきった鋼のようだった。  
リシェルは思わず見上げた。こんなふうに彼と向かい合うのは初めてだ。  
懐かしい記憶がよぎる。幼いころ、城の庭園で隅に咲いた花を「これは君のようだ」と微笑んで渡してくれた少年がいた。その横顔が、今ここにいるアーロンと重なる。  
「アーロン殿下……」  
「君には、俺が必要だろう?」

リシェルは一瞬、言葉を失った。会場中が息を呑む。  
そのままアーロンは、彼女の肩を抱きながら言葉を続けた。  
「この場で君を守る。王太子がくだす無礼な処分など、俺が無効にしよう。今日からは、俺の庇護下に入ってもらう」  
低い声は断固としていた。まるで命令のように。

エドワードが何か言い返そうとするが、周囲の貴族がすでにざわめきを抑えられない。  
「第二王子が……」「なんという展開だ」「これは王位継承争いにも関わるぞ」  
その囁きが次第に渦となり、広間を満たしていった。

リシェルは深く頭を下げた。  
「ありがとうございます。ですが……わたくしは、誰の保護も不要です。破棄されたのなら、ただ自分の道を歩くだけですから」  
その凛とした声は、小さく震えていた。心の底のわずかな痛みを押し殺しながら。  
アーロンはその肩を軽く掴み、そっと囁く。  
「だが君の道は、ひとりで進むにはあまりにも冷たい」  

扉の外では雪が降り始めていた。  
白い結晶がゆっくりと舞い、王城の庭を包み込む。  
リシェルは一歩を踏み出す。背後から、アーロンの低い足音がついてきた。  
遠くで、エドワードが叫ぶ声が微かに響く。  
「待て、リシェル! おまえは俺の……!」  

彼女は振り返らない。  
今、その声が何よりも虚ろに聞こえた。

扉が静かに閉まる音が響いたとき、リシェルの中で何かが確かに終わった。  
そして、終わりと同じくらい静かに、新しい何かが動き出した。

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上
恋愛
【全18話完結】 「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。 そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。 自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。 そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。 一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。 しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが── 「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」 なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。 さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。 「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」 驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。 ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。 「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」 かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。 しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。 暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。 そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。 「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」 婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー! 自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。

家を乗っ取られて辺境に嫁がされることになったら、三食研究付きの溺愛生活が待っていました

ミズメ
恋愛
ライラ・ハルフォードは伯爵令嬢でありながら、毎日魔法薬の研究に精を出していた。 一つ結びの三つ編み、大きな丸レンズの眼鏡、白衣。""変わり者令嬢""と揶揄されながら、信頼出来る仲間と共に毎日楽しく研究に励む。 「大変です……!」 ライラはある日、とんでもない事実に気が付いた。作成した魔法薬に、なんと"薄毛"の副作用があったのだ。その解消の為に尽力していると、出席させられた夜会で、伯爵家を乗っ取った叔父からふたまわりも歳上の辺境伯の後妻となる婚約が整ったことを告げられる。 手詰まりかと思えたそれは、ライラにとって幸せへと続く道だった。 ◎さくっと終わる短編です(10話程度) ◎薄毛の話題が出てきます。苦手な方(?)はお気をつけて…!

結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。

山田 バルス
恋愛
 結婚三年目の春、エマは伯爵家の夫アンドレオから突然、側室を迎える話を告げられる。子をなせなかったことを理由に、彼女は僅かな補償のみで離縁された。妻として過ごした三年間は「無価値だった」と突きつけられ、エマは貴族社会から静かに切り捨てられる。  また実家の父母の墓参りに行くと、当主になっていた兄に離縁金を奪われてしまう。  大ピンチのエマには、秘密があった。なんと彼女は幼少期に前世の記憶を思い出していたのだ。  かつて観光地で石を磨き、アクセサリーを作り、人に喜ばれる仕事をしていた人生。何も持たない今だからこそ、もう一度「自分の手で生きる」ことを選び、あの人が住む商業国家スペイラ共和国へ向かう決意をする。  国境への道中、盗賊に襲われるが、護衛兵ロドリゲスの活躍で難を逃れる。彼の誠実な態度に、エマは「守られる価値のある存在」として扱われたことに胸を打たれた。  スペイラ共和国では身分に縛られず働ける。エマは前世の技術を活かし、石を磨いてアクセサリーを作る小さな露店を始める。石に意味を込めた腕輪やペンダントは人々の心を掴み、体験教室も開かれるようになる。伯爵夫人だった頃よりも、今の方がずっと「生きている」と実感していた。  ある朝、ロドリゲスが市場を訪れ、エマの作ったタイガーアイの腕輪を購入する。ところがその夜、彼は驚いた様子で戻り、腕輪が力を一・五倍に高める魔道具だと判明したと告げる。エマ自身は無意識だったが、彼女の作るアクセサリーには確かな力が宿っていた。  後日二人は食事に出かけ、エマは自分が貴族の妻として離縁された過去を打ち明ける。ロドリゲスは強く憤り、「最悪な貴族だ」と彼女と一緒になって怒ってくれた。その気持ちが、エマにとって何よりの救いだった。彼は次に防御力を高める腕輪を依頼し、冒険者ギルドで正式な鑑定を受けるよう勧める。  翌日、冒険者ギルドで鑑定を行った結果、エマの腕輪は高い防御効果を持つことが判明。さらに彼女自身を鑑定すると、なんと「付与特化型聖女」であることが明らかになる。聖女が付与した魔道具は現実の力として強く発現するのだ。  価値がないと切り捨てられた人生は、ここでは確かな力となった。スペイラ共和国で、聖女エマの新しい人生が、静かに、そして輝かしく始まる。

どうやら婚約者の隣は私のものではなくなってしまったようなので、その場所、全てお譲りします。

皇 翼
恋愛
侯爵令嬢という何でも買ってもらえてどんな教育でも施してもらえる恵まれた立場、王太子という立場に恥じない、童話の王子様のように顔の整った婚約者。そして自分自身は最高の教育を施され、侯爵令嬢としてどこに出されても恥ずかしくない教養を身につけていて、顔が綺麗な両親に似たのだろう容姿は綺麗な方だと思う。 完璧……そう、完璧だと思っていた。自身の婚約者が、中庭で公爵令嬢とキスをしているのを見てしまうまでは――。

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜

終日ひもの干す紐
恋愛
一目惚れ──その言葉に偽りはないのに、彼の愛の囁きは嘘に塗れている。 貧乏伯爵家の娘ウィステルのもとへ、突然縁談が舞い込む。 相手はキャスバート公爵家当主フィセリオ。彼は婚姻を条件に援助を申し出る。 「一目惚れとはいえ、私はウィステル嬢を心から愛している。必ず大切にすると、キャスバートの名に誓いましょう」 けれど、ウィステルには『嘘を匂いで感じ取る』秘密の力があった。 あまりにもフィセリオに得のない縁談。愛もなく、理由は謎に包まれたまま、互いに秘密を抱えて時間を重ねる。 全ては信頼される妻になるために。 甘い嘘で“妻を愛する夫”を演じきる公爵と、夫の嘘を見抜き、共犯者になると決めた令嬢の恋愛物語。 * * * 毎日更新(1日あたり2〜3話更新) ※主人公ウィステル以外の視点の話は【】にそのキャラを表記しています。同じ話の別視点ではなく、基本的に物語は進行していきます。 他のサイトでも投稿しています。

処理中です...