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第1話 婚約破棄の日、悪女の烙印
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王立学院の卒業式。絢爛なシャンデリアが光を散らし、会場は笑顔と祝福の声に満ちていた。だが、その中心でただ一人、リリアナ・グランシュタインは冷たい視線に晒されていた。
彼女の胸元に飾られた公爵家の紋章。それは一目で高貴さを示す印だったが、今この瞬間、それはまるで罪人の烙印のように感じられた。
「リリアナ・グランシュタイン、公衆の面前で告げる。お前との婚約を破棄する!」
響き渡る声。王太子エドワードの澄んだ金の瞳が、冷たく彼女を切り裂いた。
会場のざわめきが波となって押し寄せる。「まぁ……」「あのリリアナ様が?」囁きと驚き、好奇心と侮蔑が入り混じり、そのすべてが彼女の肌を刺した。
リリアナは、動かなかった。白磁のような肌、完璧な微笑みを崩すことなく、エドワードをじっと見返した。
「……理由を、お聞かせ願えますか?」
凛とした声。震えていなかった。けれど内心では、拳が痛いほど握り締められている。
エドワードは演壇上で、あからさまにため息をついた。
「お前が他の令嬢たちを陥れ、嫉妬から嫌がらせを行っていたと報告を受けた。挙げ句の果てに、ルシア嬢を階段から突き落とそうとしたそうだな。リリアナ、きみに淑女としての品格はもうない」
「根拠のない噂にすぎませんわ」
毅然とした声が返る。しかし、彼の隣に立つ令嬢――ルシア・アルメリアが怯えた仕草で袖を握る。
その瞬間、周囲の同情の視線はすべてルシアへと流れた。
「殿下……どうか、もうリリアナ様を責めないで……わたくしのために争わないでくださいませ……」
ぽろりと零れた涙が、決定打だった。
エドワードの顔が苦悩の色に染まり、会場の空気が一瞬で“悪女と純白の被害者”へと塗り替えられる。
リリアナは深く息を吸った。肺の奥が焼けるように熱い。
「承知いたしました。殿下のお心に疎まれるような者が、傍にいるべきではありません。……婚約の破棄、謹んでお受けいたしますわ」
完璧な微笑のまま、一切の涙を見せずに答える。
だが、その瞳の奥には、凍てつく光が宿っていた。
会場の誰も気づかず、唯一、端に立って彼女を見つめる男――黒髪の青年だけが、その光を見逃さなかった。
冷静な青年、セドリック・ヴァルハイト。王国宰相にして、氷の理性を持つと言われる男。
彼は誰より静かに、リリアナを注視していた。
王族の無様な茶番劇、その裏に潜む香ばしい腐臭を見逃すほど、彼は愚かではない。
式が終わると同時に、リリアナは人々の視線を背に、静かに立ち去った。
華やかな祝賀の音楽の中で、彼女の靴音だけが冷たく響く。
彼女の護衛である侍女マリアが慌てて寄り添う。「お嬢様、本当にそれでよろしいのですか?殿下があんなことを……!」
リリアナはふっと息を吐いた。
「泣いてもわめいても、醜いだけですわ。あの人たちは、私を悪女として見たいのですもの。なら、期待通り踊って差し上げましょう」
その声は静かで、けれどどこか誇り高かった。
屋敷に戻ると、父であるグランシュタイン公爵が憤怒を隠さず立ち上がった。
「なんという侮辱だ! 王家がこの家を愚弄するとは!」
「父上。お気持ちはありがたく思いますが……お静まりくださいませ。無用な反発は、無実を証明するよりも面倒な禍を招きます」
公爵は食いしばった歯を鳴らし、やがて沈黙した。
政治家としての血が、娘の冷静さを理解してしまうのだ。
その夜、リリアナは鏡に向かって長い髪をほどいた。
金糸のような髪が肩を滑り落ち、淡い灯の中で揺れる。
「悪女……ね。滑稽な呼び名ですこと」
口元に浮かんだ笑みは、どこか哀しげだった。
しかし夜更け、屋敷の執務室を訪れたのは、意外な人物だった。
セドリック・ヴァルハイト宰相本人である。
扉がノックされ、メイドが慌てて入室を告げる。「グランシュタイン公爵令嬢、ヴァルハイト宰相殿下がお越しです」
リリアナは一瞬だけ目を見開いた。
「宰相殿下が……?今この時間に?」
「理由は……“個人的な用件”とのことです」
公爵も駆けつけたが、セドリックは一礼だけして静かに言った。
「公爵閣下。少し、令嬢と二人でお話させていただけますか」
その声音に逆らえる者はいない。
重苦しい空気の中、二人きりになった部屋で、リリアナは静かに問いかけた。
「……宰相殿下が私に何のご用で?」
セドリックは無表情のまま、懐から一通の文書を取り出した。
「これを、読んでみてください」
羊皮紙に記された印章。そこには、王太子と側近、そして一部の貴族たちの名が並んでいた。裏金、贈賄、地位取引。摘発すれば一瞬で王国上層が揺らぐ規模だ。
リリアナは読み進めるうちに、息を呑んだ。
「これは……」
「貴女の婚約破棄も、その一環です。――“邪魔な家門”を排除するための」
セドリックの声は淡々としていた。だがその奥に確かな怒りが滲んでいる。
「殿下は、罪を隠すために私を悪者に仕立て上げた……ということですか」
「正確には、殿下の側近とルシア嬢の家が仕掛けた。王太子自身は、それに甘んじた愚か者だ」
乾いた笑いが唇に浮かんだ。
「……滑稽なものですわね。愛されると思っていた相手が、権力の鎖に繋がれていたなんて」
セドリックは一歩、歩み寄った。
「リリアナ・グランシュタイン。きみは今日、全てを失ったように見える。だがこの国を動かす者として言おう――まだ終わりではない」
その瞳が、氷の中に灯る炎のように光った。
「君の誇りがまだ折れていない限り、私が手を貸そう」
リリアナはしばし黙り込んだ。沈黙の中、暖炉の火がぱちりと鳴る。
そして静かに問いを返す。
「……それは、宰相殿下の“政治的な興味”ですの?」
「いいや。それも少しはあるが、今はそれ以上だ」
その言葉には、揺るぎのない確信がこもっていた。
彼女の唇に再び、あの完璧な微笑が浮かぶ。
「……わかりましたわ、殿下。ならば取引しましょう。あなたの手を取るかわりに――私は、己の誇りを取り戻す」
その夜、リリアナはもう泣かなかった。
むしろ心のどこかで、冷たい快感があった。
奪われ、裏切られ、落とされた先に、まだ立ち上がれる力が残っていたのだ。
「見ていてくださいまし、殿下。悪女と呼ばれた令嬢が、どれほど恐ろしいかを」
炎が揺れ、二人の影が重なった。やがて夜が更け、王都の空に新たな幕が下ろされる。
(続く)
彼女の胸元に飾られた公爵家の紋章。それは一目で高貴さを示す印だったが、今この瞬間、それはまるで罪人の烙印のように感じられた。
「リリアナ・グランシュタイン、公衆の面前で告げる。お前との婚約を破棄する!」
響き渡る声。王太子エドワードの澄んだ金の瞳が、冷たく彼女を切り裂いた。
会場のざわめきが波となって押し寄せる。「まぁ……」「あのリリアナ様が?」囁きと驚き、好奇心と侮蔑が入り混じり、そのすべてが彼女の肌を刺した。
リリアナは、動かなかった。白磁のような肌、完璧な微笑みを崩すことなく、エドワードをじっと見返した。
「……理由を、お聞かせ願えますか?」
凛とした声。震えていなかった。けれど内心では、拳が痛いほど握り締められている。
エドワードは演壇上で、あからさまにため息をついた。
「お前が他の令嬢たちを陥れ、嫉妬から嫌がらせを行っていたと報告を受けた。挙げ句の果てに、ルシア嬢を階段から突き落とそうとしたそうだな。リリアナ、きみに淑女としての品格はもうない」
「根拠のない噂にすぎませんわ」
毅然とした声が返る。しかし、彼の隣に立つ令嬢――ルシア・アルメリアが怯えた仕草で袖を握る。
その瞬間、周囲の同情の視線はすべてルシアへと流れた。
「殿下……どうか、もうリリアナ様を責めないで……わたくしのために争わないでくださいませ……」
ぽろりと零れた涙が、決定打だった。
エドワードの顔が苦悩の色に染まり、会場の空気が一瞬で“悪女と純白の被害者”へと塗り替えられる。
リリアナは深く息を吸った。肺の奥が焼けるように熱い。
「承知いたしました。殿下のお心に疎まれるような者が、傍にいるべきではありません。……婚約の破棄、謹んでお受けいたしますわ」
完璧な微笑のまま、一切の涙を見せずに答える。
だが、その瞳の奥には、凍てつく光が宿っていた。
会場の誰も気づかず、唯一、端に立って彼女を見つめる男――黒髪の青年だけが、その光を見逃さなかった。
冷静な青年、セドリック・ヴァルハイト。王国宰相にして、氷の理性を持つと言われる男。
彼は誰より静かに、リリアナを注視していた。
王族の無様な茶番劇、その裏に潜む香ばしい腐臭を見逃すほど、彼は愚かではない。
式が終わると同時に、リリアナは人々の視線を背に、静かに立ち去った。
華やかな祝賀の音楽の中で、彼女の靴音だけが冷たく響く。
彼女の護衛である侍女マリアが慌てて寄り添う。「お嬢様、本当にそれでよろしいのですか?殿下があんなことを……!」
リリアナはふっと息を吐いた。
「泣いてもわめいても、醜いだけですわ。あの人たちは、私を悪女として見たいのですもの。なら、期待通り踊って差し上げましょう」
その声は静かで、けれどどこか誇り高かった。
屋敷に戻ると、父であるグランシュタイン公爵が憤怒を隠さず立ち上がった。
「なんという侮辱だ! 王家がこの家を愚弄するとは!」
「父上。お気持ちはありがたく思いますが……お静まりくださいませ。無用な反発は、無実を証明するよりも面倒な禍を招きます」
公爵は食いしばった歯を鳴らし、やがて沈黙した。
政治家としての血が、娘の冷静さを理解してしまうのだ。
その夜、リリアナは鏡に向かって長い髪をほどいた。
金糸のような髪が肩を滑り落ち、淡い灯の中で揺れる。
「悪女……ね。滑稽な呼び名ですこと」
口元に浮かんだ笑みは、どこか哀しげだった。
しかし夜更け、屋敷の執務室を訪れたのは、意外な人物だった。
セドリック・ヴァルハイト宰相本人である。
扉がノックされ、メイドが慌てて入室を告げる。「グランシュタイン公爵令嬢、ヴァルハイト宰相殿下がお越しです」
リリアナは一瞬だけ目を見開いた。
「宰相殿下が……?今この時間に?」
「理由は……“個人的な用件”とのことです」
公爵も駆けつけたが、セドリックは一礼だけして静かに言った。
「公爵閣下。少し、令嬢と二人でお話させていただけますか」
その声音に逆らえる者はいない。
重苦しい空気の中、二人きりになった部屋で、リリアナは静かに問いかけた。
「……宰相殿下が私に何のご用で?」
セドリックは無表情のまま、懐から一通の文書を取り出した。
「これを、読んでみてください」
羊皮紙に記された印章。そこには、王太子と側近、そして一部の貴族たちの名が並んでいた。裏金、贈賄、地位取引。摘発すれば一瞬で王国上層が揺らぐ規模だ。
リリアナは読み進めるうちに、息を呑んだ。
「これは……」
「貴女の婚約破棄も、その一環です。――“邪魔な家門”を排除するための」
セドリックの声は淡々としていた。だがその奥に確かな怒りが滲んでいる。
「殿下は、罪を隠すために私を悪者に仕立て上げた……ということですか」
「正確には、殿下の側近とルシア嬢の家が仕掛けた。王太子自身は、それに甘んじた愚か者だ」
乾いた笑いが唇に浮かんだ。
「……滑稽なものですわね。愛されると思っていた相手が、権力の鎖に繋がれていたなんて」
セドリックは一歩、歩み寄った。
「リリアナ・グランシュタイン。きみは今日、全てを失ったように見える。だがこの国を動かす者として言おう――まだ終わりではない」
その瞳が、氷の中に灯る炎のように光った。
「君の誇りがまだ折れていない限り、私が手を貸そう」
リリアナはしばし黙り込んだ。沈黙の中、暖炉の火がぱちりと鳴る。
そして静かに問いを返す。
「……それは、宰相殿下の“政治的な興味”ですの?」
「いいや。それも少しはあるが、今はそれ以上だ」
その言葉には、揺るぎのない確信がこもっていた。
彼女の唇に再び、あの完璧な微笑が浮かぶ。
「……わかりましたわ、殿下。ならば取引しましょう。あなたの手を取るかわりに――私は、己の誇りを取り戻す」
その夜、リリアナはもう泣かなかった。
むしろ心のどこかで、冷たい快感があった。
奪われ、裏切られ、落とされた先に、まだ立ち上がれる力が残っていたのだ。
「見ていてくださいまし、殿下。悪女と呼ばれた令嬢が、どれほど恐ろしいかを」
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