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2話
舞踏会の夜が明けてから、王立学園の空気は、どこか変わっていた。
廊下を歩けば、どこからともなく囁き声が聞こえてくる。教室に入れば、私が現れると急に会話が途切れる。窓辺で談笑している女生徒たちが、私を見ると、そっと視線を逸らす。
――噂は、もう広まっているのだろうか。
私は、胸の奥で静かにため息をついた。貴族社会というのは、いつだってそうだ。些細な出来事が、たちまち大きな波紋を広げていく。ましてや、婚約者の関係に亀裂が入ったとなれば、それはもう、格好の話題に違いない。
「……シンディ」
背後から、誰かが私の名を呼んだ。その声は、少しだけ低く、しかし確かな決意を帯びていた。振り返れば、バスターが立っていた。彼の顔は、いつもより少し疲れているように見えた。
「バスター様」
私は、そっと一礼した。学園内では、私たちは婚約者同士として振る舞うべきだ。しかし、その関係は、もう形だけのものになってしまったのかもしれない。
「……話がある。放課後、中庭で会おう」
バスターは、そう言って、私の目をまっすぐに見つめた。その視線は、逃げ場のないほどに真剣だった。
「……はい」
私は、小さく頷いた。彼が何を話そうとしているのか、おおよそは想像がついた。昨夜の舞踏会で、彼はエマと話をした。そして、私に「もう一度考え直す」と言った。その結果が、今、彼の口から語られるのだろう。
放課後の中庭は、春の訪れを告げる花々が咲き始めていた。白い花びらが風に揺れ、その香りがそっと漂ってくる。私は、ベンチに腰かけ、その花々を眺めながら、バスターを待っていた。
「……遅れたな」
バスターが、息を切らしながら現れた。その顔は、少し赤らんでいた。どうやら、急いで駆けつけたようだ。
「お疲れ様です、バスター様」
私は、立ち上がって一礼した。彼は、その仕草に少しだけ眉をひそめた。
「……もう、そんな堅苦しいことはいい。ここには、誰もいない」
「……そう、ですね」
私は、少しだけ笑った。その笑顔は、どこか虚ろに感じられた。
バスターは、私の隣に腰を下ろした。ベンチは、二人が座るには少し狭かった。私たちの肩が、かすかに触れ合う。その触れ合いが、私の胸をわずかに締め付けた。
「……シンディ」
バスターは、ゆっくりと口を開いた。
「昨夜、俺はエマと話した」
「……はい」
「そして、俺は……お前の言う通りだと思った」
その言葉は、私の胸に、静かな衝撃として響いた。
「……どういう、ことでしょうか」
「お前が言った通りだ。俺は、エマのことを、まだ忘れられない。そして、その気持ちを抱えたまま、お前と婚約者であり続けるのは……お前にとって、不公平だ」
バスターは、そう言って、私の目をまっすぐに見つめた。その瞳の奥には、迷いの色はなかった。ただ、確かな決意だけが、きらめいていた。
「……バスター様」
私は、その決意を見て、胸の奥で何かが熱くなるのを感じた。彼が、私の気持ちを理解してくれたのだ。私の苦しみを、認めてくれたのだ。
「だから、俺は……お前との婚約を、解消したい」
その言葉は、私の耳に、ゆっくりと、しかし確実に届いた。私は、その言葉を聞きながら、胸の奥で何かが解き放たれるのを感じた。
「……本当に、よろしいのですか?」
「ああ。俺は、もう決めた」
バスターは、きっぱりと言った。その声は、揺るぎないものだった。
「しかし……問題は、山積みだ」
彼は、そう付け加えた。その表情は、少し曇っていた。
「貴族社会のしきたり、両家の面子、学園での立場……婚約解消は、ただ二人の気持ちだけで済む話ではない」
「……はい。それは、承知しております」
私は、小さく頷いた。その重さは、私もよくわかっていた。婚約は、二人の関係だけではなく、二つの家の結びつきでもある。それを解消するということは、両家の関係に亀裂を入れることにもなりかねない。
「……シンディ」
バスターは、私の名を呼んだ。
「お前は……まだ、婚約解消を望んでいるか?」
その問いかけは、私にとって、最後の確認だった。私は、少しだけ間を置いてから、ゆっくりと答えた。
「……はい。望んでおります」
その言葉は、私の心から、自然に溢れ出たものだった。
「私も、バスター様と同じ気持ちです。このまま、形だけの婚約者であり続けるのは……お二人にとっても、私にとっても、幸せではないと、思います」
「……そうか」
バスターは、少しだけ笑った。その笑顔は、どこか安堵に似ていた。
「ならば……俺たちは、協力しよう」
「……協力、ですか?」
「ああ。婚約解消を、正式に申し出る。そして、その過程で起こるであろうあらゆる問題に、一緒に立ち向かう」
バスターは、私の手を取った。その手のひらは、少し冷たかった。しかし、その冷たさの中に、確かな熱を感じた。
「……シンディ、お前は……俺の味方でいてくれるか?」
その問いかけは、私にとって、どれほど重いものだったか。味方であること。それは、単に婚約解消を支持するだけではない。貴族社会のしきたりに逆らい、家族の反対に立ち向かい、学園中の噂に耐えながら、彼と共に歩むことを意味する。
「……はい」
私は、迷わず答えた。
「私も、バスター様の味方でいたいと思います。この婚約解消が、お二人にとっても、私にとっても、本当の幸せにつながるのであれば……そのために、私も協力いたします」
その言葉は、私の心から、自然に溢れ出たものだった。私は、初めて自分の気持ちに正直になれたような気がした。
「……ありがとう、シンディ」
バスターは、そう言って、私の手を強く握った。その力は、私の心に、確かな勇気を与えてくれた。
しかし、その勇気は、すぐに試されることになる。
「――シンディ!」
背後から、鋭い声が響いた。振り返れば、エマが立っていた。その顔は、怒りに歪んでいた。
「あなた……本当に、バスター様との婚約を解消するつもりなの?」
「……はい」
私は、そっと頷いた。
「なぜよ! あなた、バスター様の婚約者でしょう? そんな簡単に、婚約を解消するなんて……貴族の令嬢として、どういうつもりなの!」
エマの声は、学園中に響き渡るほどに大きかった。周囲には、ちらほらと生徒たちの姿が見え始めていた。噂は、もう完全に広まっているようだ。
「エマ」
バスターが、静かに口を開いた。
「これは、俺とシンディの決断だ。お前には、関係ない」
「関係ないですって? そんなこと、あるわけないでしょう!」
エマは、バスターに詰め寄った。
「バスター様、あなた……わたしのことを、まだお忘れになれないのでしょう? だったら、なぜシンディ様と婚約を続ける必要があるの? わたしが、あなたのそばにいればいいじゃない!」
その言葉は、私の胸を、鋭く突き刺した。エマは、バスターの気持ちを、当然のことのように主張する。彼女にとって、バスターの心は、自分のものなのだろうか。
「……エマ」
バスターは、少しだけ眉をひそめた。
「俺は、お前の気持ちも、理解している。しかし……今、俺が決めなければならないのは、俺自身の生き方だ。お前のためでも、シンディのためでもない。俺自身のためだ」
「……そんな」
エマは、唇を噛んだ。その目には、涙が浮かんでいた。
「バスター様……あなた、わたしを……捨てるつもりなの?」
「捨てるなんてことは、ない」
バスターは、きっぱりと言った。
「俺は、ただ……今の関係を、正しく終わらせたいだけだ。そして、新しい道を、俺自身の足で歩みたい」
その言葉は、エマにとって、どれほど残酷なものだったか。彼女は、涙をぬぐいながら、私を睨みつけた。
「……あなたのせいよ、シンディ」
その声は、低く、しかし鋭かった。
「あなたが、バスター様に……そんなことを吹き込んだんでしょう? 婚約解消なんて……そんなこと、貴族の令嬢として、ありえないわ!」
「……エマ様」
私は、そっと口を開いた。
「これは、私一人の決断ではありません。バスター様も、同じ気持ちでいらっしゃいます」
「そんなこと、信じられるわけないでしょう!」
エマは、叫んだ。
「バスター様は、わたしのことを……まだ、好きなはずよ! そうでしょう、バスター様!」
バスターは、しばらく黙っていた。その沈黙は、エマにとって、どれほど長く感じられたことか。
「……エマ」
彼は、ようやく口を開いた。
「俺は、お前のことを……確かに、忘れられない。しかし……それと、婚約を続けることは、別の問題だ」
「……どういう、こと?」
「俺は、お前の気持ちも、シンディの気持ちも、傷つけたくない。だから……今の関係を、きちんと終わらせたい。そして、新しい関係を、ゼロから築き直したい」
その言葉は、エマにとって、救いにも見えたかもしれない。しかし、私には、それがどれほど難しい道であるかがわかっていた。貴族社会のしきたりは、そう簡単に新しい関係を許してはくれない。
「……新しい関係?」
エマは、少しだけ希望を込めて、バスターを見つめた。
「そう。俺は……お前とも、シンディとも、もう一度、きちんと向き合いたい。しかし、そのためには……今の婚約を、まず解消しなければならない」
「……それなら」
エマは、涙をぬぐいながら、少しだけ笑った。
「それなら……わたしも、協力するわ。バスター様が、本当に望むのであれば……わたしも、そのために動く」
その言葉は、私にとって、意外なものだった。エマが、バスターの決断を支持するとは。しかし、その表情には、確かな決意が宿っていた。
「……エマ」
バスターは、驚いたように彼女を見つめた。
「本当に……いいのか?」
「ええ。だって……わたしも、バスター様の幸せを願っているから」
エマは、そう言って、私を見た。その視線は、まだどこか敵意を帯びていたが、しかし、その奥には、わずかな理解も見えていた。
「……シンディ様」
彼女は、私の名を呼んだ。
「あなたも……本当に、バスター様の幸せを願っているの?」
「……はい」
私は、迷わず答えた。
「私も、バスター様の幸せを願っています。そして……その幸せが、この婚約解消につながるのであれば……私は、それを受け入れます」
「……そう」
エマは、少しだけ頷いた。
「ならば……わたしたち三人で、この問題に立ち向かわないといけないわね」
その言葉は、私にとって、どれほど重いものだったか。三人で。それは、単に婚約解消を目指すだけではない。貴族社会のしきたりに逆らい、家族の反対に立ち向かい、学園中の噂に耐えながら、新たな関係を築いていくことを意味する。
「……そうだな」
バスターは、そう言って、私たち二人を見つめた。
「俺たち三人で……この問題に、立ち向かおう」
その決意は、私の胸に、静かな熱として広がっていった。この道が、どれほど険しいものであっても――私は、もう後戻りはできない。
貴族社会のしきたり、家族の反対、学園中の噂……すべてが、私たちの前に立ちはだかる。しかし、それでも私たちは、自分の気持ちに正直になりたい。
――いっそのこと、別れてしまえばいい。
その考えは、私の心の中で、静かに、しかし確実に花開いていた。
廊下を歩けば、どこからともなく囁き声が聞こえてくる。教室に入れば、私が現れると急に会話が途切れる。窓辺で談笑している女生徒たちが、私を見ると、そっと視線を逸らす。
――噂は、もう広まっているのだろうか。
私は、胸の奥で静かにため息をついた。貴族社会というのは、いつだってそうだ。些細な出来事が、たちまち大きな波紋を広げていく。ましてや、婚約者の関係に亀裂が入ったとなれば、それはもう、格好の話題に違いない。
「……シンディ」
背後から、誰かが私の名を呼んだ。その声は、少しだけ低く、しかし確かな決意を帯びていた。振り返れば、バスターが立っていた。彼の顔は、いつもより少し疲れているように見えた。
「バスター様」
私は、そっと一礼した。学園内では、私たちは婚約者同士として振る舞うべきだ。しかし、その関係は、もう形だけのものになってしまったのかもしれない。
「……話がある。放課後、中庭で会おう」
バスターは、そう言って、私の目をまっすぐに見つめた。その視線は、逃げ場のないほどに真剣だった。
「……はい」
私は、小さく頷いた。彼が何を話そうとしているのか、おおよそは想像がついた。昨夜の舞踏会で、彼はエマと話をした。そして、私に「もう一度考え直す」と言った。その結果が、今、彼の口から語られるのだろう。
放課後の中庭は、春の訪れを告げる花々が咲き始めていた。白い花びらが風に揺れ、その香りがそっと漂ってくる。私は、ベンチに腰かけ、その花々を眺めながら、バスターを待っていた。
「……遅れたな」
バスターが、息を切らしながら現れた。その顔は、少し赤らんでいた。どうやら、急いで駆けつけたようだ。
「お疲れ様です、バスター様」
私は、立ち上がって一礼した。彼は、その仕草に少しだけ眉をひそめた。
「……もう、そんな堅苦しいことはいい。ここには、誰もいない」
「……そう、ですね」
私は、少しだけ笑った。その笑顔は、どこか虚ろに感じられた。
バスターは、私の隣に腰を下ろした。ベンチは、二人が座るには少し狭かった。私たちの肩が、かすかに触れ合う。その触れ合いが、私の胸をわずかに締め付けた。
「……シンディ」
バスターは、ゆっくりと口を開いた。
「昨夜、俺はエマと話した」
「……はい」
「そして、俺は……お前の言う通りだと思った」
その言葉は、私の胸に、静かな衝撃として響いた。
「……どういう、ことでしょうか」
「お前が言った通りだ。俺は、エマのことを、まだ忘れられない。そして、その気持ちを抱えたまま、お前と婚約者であり続けるのは……お前にとって、不公平だ」
バスターは、そう言って、私の目をまっすぐに見つめた。その瞳の奥には、迷いの色はなかった。ただ、確かな決意だけが、きらめいていた。
「……バスター様」
私は、その決意を見て、胸の奥で何かが熱くなるのを感じた。彼が、私の気持ちを理解してくれたのだ。私の苦しみを、認めてくれたのだ。
「だから、俺は……お前との婚約を、解消したい」
その言葉は、私の耳に、ゆっくりと、しかし確実に届いた。私は、その言葉を聞きながら、胸の奥で何かが解き放たれるのを感じた。
「……本当に、よろしいのですか?」
「ああ。俺は、もう決めた」
バスターは、きっぱりと言った。その声は、揺るぎないものだった。
「しかし……問題は、山積みだ」
彼は、そう付け加えた。その表情は、少し曇っていた。
「貴族社会のしきたり、両家の面子、学園での立場……婚約解消は、ただ二人の気持ちだけで済む話ではない」
「……はい。それは、承知しております」
私は、小さく頷いた。その重さは、私もよくわかっていた。婚約は、二人の関係だけではなく、二つの家の結びつきでもある。それを解消するということは、両家の関係に亀裂を入れることにもなりかねない。
「……シンディ」
バスターは、私の名を呼んだ。
「お前は……まだ、婚約解消を望んでいるか?」
その問いかけは、私にとって、最後の確認だった。私は、少しだけ間を置いてから、ゆっくりと答えた。
「……はい。望んでおります」
その言葉は、私の心から、自然に溢れ出たものだった。
「私も、バスター様と同じ気持ちです。このまま、形だけの婚約者であり続けるのは……お二人にとっても、私にとっても、幸せではないと、思います」
「……そうか」
バスターは、少しだけ笑った。その笑顔は、どこか安堵に似ていた。
「ならば……俺たちは、協力しよう」
「……協力、ですか?」
「ああ。婚約解消を、正式に申し出る。そして、その過程で起こるであろうあらゆる問題に、一緒に立ち向かう」
バスターは、私の手を取った。その手のひらは、少し冷たかった。しかし、その冷たさの中に、確かな熱を感じた。
「……シンディ、お前は……俺の味方でいてくれるか?」
その問いかけは、私にとって、どれほど重いものだったか。味方であること。それは、単に婚約解消を支持するだけではない。貴族社会のしきたりに逆らい、家族の反対に立ち向かい、学園中の噂に耐えながら、彼と共に歩むことを意味する。
「……はい」
私は、迷わず答えた。
「私も、バスター様の味方でいたいと思います。この婚約解消が、お二人にとっても、私にとっても、本当の幸せにつながるのであれば……そのために、私も協力いたします」
その言葉は、私の心から、自然に溢れ出たものだった。私は、初めて自分の気持ちに正直になれたような気がした。
「……ありがとう、シンディ」
バスターは、そう言って、私の手を強く握った。その力は、私の心に、確かな勇気を与えてくれた。
しかし、その勇気は、すぐに試されることになる。
「――シンディ!」
背後から、鋭い声が響いた。振り返れば、エマが立っていた。その顔は、怒りに歪んでいた。
「あなた……本当に、バスター様との婚約を解消するつもりなの?」
「……はい」
私は、そっと頷いた。
「なぜよ! あなた、バスター様の婚約者でしょう? そんな簡単に、婚約を解消するなんて……貴族の令嬢として、どういうつもりなの!」
エマの声は、学園中に響き渡るほどに大きかった。周囲には、ちらほらと生徒たちの姿が見え始めていた。噂は、もう完全に広まっているようだ。
「エマ」
バスターが、静かに口を開いた。
「これは、俺とシンディの決断だ。お前には、関係ない」
「関係ないですって? そんなこと、あるわけないでしょう!」
エマは、バスターに詰め寄った。
「バスター様、あなた……わたしのことを、まだお忘れになれないのでしょう? だったら、なぜシンディ様と婚約を続ける必要があるの? わたしが、あなたのそばにいればいいじゃない!」
その言葉は、私の胸を、鋭く突き刺した。エマは、バスターの気持ちを、当然のことのように主張する。彼女にとって、バスターの心は、自分のものなのだろうか。
「……エマ」
バスターは、少しだけ眉をひそめた。
「俺は、お前の気持ちも、理解している。しかし……今、俺が決めなければならないのは、俺自身の生き方だ。お前のためでも、シンディのためでもない。俺自身のためだ」
「……そんな」
エマは、唇を噛んだ。その目には、涙が浮かんでいた。
「バスター様……あなた、わたしを……捨てるつもりなの?」
「捨てるなんてことは、ない」
バスターは、きっぱりと言った。
「俺は、ただ……今の関係を、正しく終わらせたいだけだ。そして、新しい道を、俺自身の足で歩みたい」
その言葉は、エマにとって、どれほど残酷なものだったか。彼女は、涙をぬぐいながら、私を睨みつけた。
「……あなたのせいよ、シンディ」
その声は、低く、しかし鋭かった。
「あなたが、バスター様に……そんなことを吹き込んだんでしょう? 婚約解消なんて……そんなこと、貴族の令嬢として、ありえないわ!」
「……エマ様」
私は、そっと口を開いた。
「これは、私一人の決断ではありません。バスター様も、同じ気持ちでいらっしゃいます」
「そんなこと、信じられるわけないでしょう!」
エマは、叫んだ。
「バスター様は、わたしのことを……まだ、好きなはずよ! そうでしょう、バスター様!」
バスターは、しばらく黙っていた。その沈黙は、エマにとって、どれほど長く感じられたことか。
「……エマ」
彼は、ようやく口を開いた。
「俺は、お前のことを……確かに、忘れられない。しかし……それと、婚約を続けることは、別の問題だ」
「……どういう、こと?」
「俺は、お前の気持ちも、シンディの気持ちも、傷つけたくない。だから……今の関係を、きちんと終わらせたい。そして、新しい関係を、ゼロから築き直したい」
その言葉は、エマにとって、救いにも見えたかもしれない。しかし、私には、それがどれほど難しい道であるかがわかっていた。貴族社会のしきたりは、そう簡単に新しい関係を許してはくれない。
「……新しい関係?」
エマは、少しだけ希望を込めて、バスターを見つめた。
「そう。俺は……お前とも、シンディとも、もう一度、きちんと向き合いたい。しかし、そのためには……今の婚約を、まず解消しなければならない」
「……それなら」
エマは、涙をぬぐいながら、少しだけ笑った。
「それなら……わたしも、協力するわ。バスター様が、本当に望むのであれば……わたしも、そのために動く」
その言葉は、私にとって、意外なものだった。エマが、バスターの決断を支持するとは。しかし、その表情には、確かな決意が宿っていた。
「……エマ」
バスターは、驚いたように彼女を見つめた。
「本当に……いいのか?」
「ええ。だって……わたしも、バスター様の幸せを願っているから」
エマは、そう言って、私を見た。その視線は、まだどこか敵意を帯びていたが、しかし、その奥には、わずかな理解も見えていた。
「……シンディ様」
彼女は、私の名を呼んだ。
「あなたも……本当に、バスター様の幸せを願っているの?」
「……はい」
私は、迷わず答えた。
「私も、バスター様の幸せを願っています。そして……その幸せが、この婚約解消につながるのであれば……私は、それを受け入れます」
「……そう」
エマは、少しだけ頷いた。
「ならば……わたしたち三人で、この問題に立ち向かわないといけないわね」
その言葉は、私にとって、どれほど重いものだったか。三人で。それは、単に婚約解消を目指すだけではない。貴族社会のしきたりに逆らい、家族の反対に立ち向かい、学園中の噂に耐えながら、新たな関係を築いていくことを意味する。
「……そうだな」
バスターは、そう言って、私たち二人を見つめた。
「俺たち三人で……この問題に、立ち向かおう」
その決意は、私の胸に、静かな熱として広がっていった。この道が、どれほど険しいものであっても――私は、もう後戻りはできない。
貴族社会のしきたり、家族の反対、学園中の噂……すべてが、私たちの前に立ちはだかる。しかし、それでも私たちは、自分の気持ちに正直になりたい。
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感想
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