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3章

回想 ~王太子宮の侍女~ 後編

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 そしてあの日が来た。
 アリシアがレイヴンへ側妃候補を選ぶよう告げるのを、エレノアは部屋の隅で聞いていた。
 侍女の嗜みとして主の会話を耳にしても、口を出したり表情を変えたりすることはない。だけどこの時エレノアは、口の端が上がるのを止めることができなかった。

 エレノアはもうずっと、レイヴンに怒っているのだ。
 
 レイヴンがアリシアを特別に思っているのではないかという疑惑は、この頃には確信に変わっていた。
 それなのにレイヴンは一向に態度を変えようとしない。
 アリシアはいつも1人きりだ。
 
 レオナルドが来ている時だけは楽しそうにしているが、アリシアが感情を動かすのはその時だけである。
 レイヴンは朝早くから執務室へ向かい、夜遅くまで帰ってこない。
 アリシアは1人で食事を摂り、淡々と公務をこなしている。定期的に開かれるお茶会も、招かれているのは友人ではなく、あくまで公務のひとつだ。
 執務が終わり、食事を終えるといつも1人で読書や刺繍をして過ごしている。
 近くに控える侍女に親しく声を掛けることも無い。
 アリシアには意味のない雑談をする相手がいないのだ。

 公爵家の侍女がここにいれば――。

 幼い頃から傍にいた侍女であれば気安く話もできただろう。
 そんな相手が1人でも傍にいれば良いのに。
 
 エレノアはいつしかそう思うようになっていた。

 
 エレノアはちらりとレイヴンを窺った。
 レイヴンは真っ蒼な顔をしている。
 そうしてしばらく呆然とした後、おもむろに腕を伸ばすとアリシアをぎゅっと抱き締め、「愛している」と言ったのだ。
 
 それはあまりにも遅い告白だった。

 
 それから突如としてレイヴンの溺愛が始まった。

 あの日、レイヴンの言い分を部屋の隅で聞いていた侍女たちは、皆信じられないものを見る目でレイヴンを見るようになった。
 だけどレイヴンが気にする素振りは少しもない。他人の目を気にしていられるほどの余裕がないというのが正しいだろう。

 アリシアへ贈り物をする為に毎日商人を呼び、少しでも時間ができるとアリシアに会いに来る。お茶会に乱入したと聞いた時は耳を疑った。
 残念なことにアリシアはただ戸惑っているばかりだったけれど、それでもアリシアが1人きりで過ごすことはなくなったのだ。
 エレノアはホッとして胸を撫でおろした、
 

 

 それからは怒涛の様に色々なことが起きた。

 かつてレイヴンと噂になっていた令嬢が王太子宮に運び込まれた時は騒然となった。その令嬢がレイヴンの子を身籠っていると思われたからだ。
 だけどそれもすぐに誤解だとわかった。
 令嬢は実の父と義母に暴力を振るわれていたのだ。
 

 レイヴンとアリシアはこの事件を切っ掛けにしてどんどん距離を縮めていった。
 戸惑いながらレイヴンに心を開いていくアリシアを、エレノアは微笑ましく見守っていた。
 勝手ながらアリシアを妹のように感じている。
 勿論そんなことを言葉にも態度にも出すつもりはないけれど、アリシアの幸せをこれからも見守ろうと決めていた。

 だけど――。


「殿下、妃殿下の支度は私たちの仕事です。どうぞ妃殿下をお放し下さい」

「嫌だ。アリシアのことは僕がやる。お前たちは下がっていい」
 
 レイヴンがアリシアを抱き締める腕に力を込めて、アリシアを隠そうとする。

 湯浴みの手伝いやその後のお手入れは侍女の仕事だ。
 以前エレノアに、「お手入れが疎かになって妃殿下が他の夫人方から侮られてもよろしいのですか」と言われたのが余程悔しかったらしく、どこで学んだのか、レイヴンは最近肌のお手入れの仕方を身につけていた。それもどんどん上達している。

「僕がマッサージしてあげるからね」

 レイヴンが腕の中のアリシアへ囁く。
 アリシアは真っ赤な顔で首を横に振った。

「エレノアがおりますから…」

「アリシアは僕じゃ嫌なの?」

 途端にレイヴンが哀しそうな顔をする。
 レイヴンがマッサージを始めると初めの内は良いのだが、すぐに手が違う目的の動きになっていく。
 アリシアは散々喘がされ、最後には2人してオイル塗れになってしまうのだ。

 ただ、それが嫌かというとそうでもない。

 黙って俯いてしまったアリシアの旋毛にレイヴンは嬉しそうに口づける。
 エレノアは呆れたようにその姿を見つめていた。

「妃殿下、早く湯浴みに参りましょう」

「だから!アリシアの湯浴みは僕が手伝うんだ!」


 アリシアの取り合いは暫く続きそうである――。



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