441 / 697
第2部 4章
65 牧場③
しおりを挟む
子どもたちの勉強を見届けた後は昼食の時間になった。
レイヴンもアリシアも、元からこの牧場で昼を摂る予定だったのだ。牧場側でも心得ていて、女たちがしっかり準備をしている。
ここで予定外のことがあった。
子どもたちがレイヴンたちと一緒に食事をしたがったのだ。
これに慌てたのは大人たちである。
「いっしょがいいーっ!」
「でんかもこっちーっ!」
子どもたちは両側からレイヴンとアリシアの手を引っ張っている。抗えないわけではないが、ついて行きたいとアリシアは思った。
レイヴンを窺うと、アリシアの気持ちを察したようで軽く頷く。
「良かったら、子どもたちと一緒に食事をさせてくれないかな?」
レイヴンがそういうと、牧場主が困ったような顔をした。
それも当然のことで、食事の支度は警備をし易い場所で整えられている。食事の場所を急に移すのは危険なのだ。
「ルース、無理かな?」
レイヴンが訊くと、ルースは嫌な顔をした。
かつてアリシアに毒見を進言して左遷されかけたルースである。嫌なことを思い出しているに違いない。
「………」
ルークは子どもたちに見上げられて、しばらく黙った後渋々といった様子で頷いた。
子どもたちが歓声を上げる。レイヴンとアリシアは小さな手にグイグイと引かれながら、従業員たちが揃うテーブルへ向かった。
これまで経験したことのないような食事は楽しかった。
子どもたちは皆牧場で働く従業員の子どもである。当然同じテーブルで両親も食事をする。
突然王太子夫妻と食事をすることになった大人たちは可哀想なほど狼狽えていたが、子どもがいてはいつまでも畏まっていられない。
いつの間にかいつも通りの調子を取り戻した彼らは、最低限の礼儀を守りながらも楽し気な笑い声を上げていた。
アリシアに特別懐いてくれた子どもがいた。
ターニャという女の子で、今年6歳になるという。11歳になる姉のサーシャと一緒に授業を受けていたのだ。
この姉はしっかり者のようで、授業の時も食事の間もターニャの面倒を良く見ていた。
子どもたちは食事を終えると母親に連れられて家に帰っていく。
家といっても同じ集落なので、午後は年長者が下の子の面倒を見るのだ。サーシャも年長組である。
ターニャはこの日、家に帰るのを嫌がった。
アリシアともっと一緒にいたいと駄々を捏ねる。母が宥めてもサーシャが宥めても、ターニャは泣きながらアリシアに抱き着いている。
困り果てた様子の2人に、もう少しだけアリシアは一緒に過ごすことにした。
レイヴンに許可を取り、4人で散歩に出る。さり気なく家の方へ向かい、途中でアリシアだけが引き返してくる作戦だ。
レイヴンも一緒に来たがっていたけれど、レイヴンも他の子どもに抱き着かれていた。
しばらく歩くと森のようなところへ入った。
護衛がいるとはいえ、あまり離れすぎるわけにはいかない。
そろそろ引き返し時だとアリシアが思った時、一際大きな木の幹に注連縄のようなものが見えた。
「あれは……?」
アリシアはつい言葉に出していた。
ここはまだ牧場の敷地であり、神殿の様な建物はない。だけどあの木に結ばれているものは、神聖なものを表す印である。
「ああ、あれはご神木ですよ。子を授けて下さるんです」
アリシアの視線を追ったターニャの母が答えた。
この地が牧場になる前から伝わる民話があるらしい。
曰く、子宝に恵まれない夫婦が毎日あの木の元で祈っていると、憐れに思った女神が現れ、子を授けてくれたという。
そのことから、この地では子を望む女があの木の元で祈ると子を授けられると信じられている。
祈った後は葉を1枚持って帰ると尚良いというが、木が高くて中々手に入らない。だからこそ手に入った時のご利益は抜群だという。
いわゆる土着信仰だった。
「どうですか?妃殿下もぜひ……」
「母さんっ!!」
母親の言葉をサーシャが遮った。
それでサーシャの母もハッとした顔をする。
彼女に悪気があったわけではないのだ。
ただ思いついた通りのことを口に出してしまったのだろう。
だけどアリシアに言って良い言葉ではなかったと青くなっている、
「そうですね。祈ってみましょうか」
アリシアはにっこり笑った。
サーシャもサーシャの母も驚いた顔をする。
それを気にせずアリシアは木に向かって歩いた。
木の前まで来ると、アリシアは木に向かって祈った。
深刻になり過ぎないように、2人が気にしないように考えただけである。
アリシアにとっては言われたことよりも、その後の2人の反応の方がショックだった。
ただの世間話ならあんな反応をすることはない。平民の間でさえ、もう触れてはいけないことだと思われているのだ。
祈り終わると、その場で別れることにした。
これ以上一緒にいても気まずいだけだと思ったのだ。
ターニャはまだむずがったけれど、母と姉の様子に何かを感じ取った様ですぐに大人しくなった。
サーシャの母とサーシャが何度も頭を下げながら遠ざかっていく。
3人を見送ったアリシアは、もう一度木の方を振り向いた。
その時、季節に合わないような緑色の葉が、1枚舞い降りて来た。
「レイヴン様には言わないで」
木を背にしたアリシアが一言呟く。
エレノアが無言で頭を下げた。ルークは初めから聞こえない振りをしている。
最後まで貫いてくれるならそれでいい。
アリシアはもう二度と木の方を振り返らずに歩き去った。
外套の内ポケットに緑色の葉を隠しながら。
レイヴンもアリシアも、元からこの牧場で昼を摂る予定だったのだ。牧場側でも心得ていて、女たちがしっかり準備をしている。
ここで予定外のことがあった。
子どもたちがレイヴンたちと一緒に食事をしたがったのだ。
これに慌てたのは大人たちである。
「いっしょがいいーっ!」
「でんかもこっちーっ!」
子どもたちは両側からレイヴンとアリシアの手を引っ張っている。抗えないわけではないが、ついて行きたいとアリシアは思った。
レイヴンを窺うと、アリシアの気持ちを察したようで軽く頷く。
「良かったら、子どもたちと一緒に食事をさせてくれないかな?」
レイヴンがそういうと、牧場主が困ったような顔をした。
それも当然のことで、食事の支度は警備をし易い場所で整えられている。食事の場所を急に移すのは危険なのだ。
「ルース、無理かな?」
レイヴンが訊くと、ルースは嫌な顔をした。
かつてアリシアに毒見を進言して左遷されかけたルースである。嫌なことを思い出しているに違いない。
「………」
ルークは子どもたちに見上げられて、しばらく黙った後渋々といった様子で頷いた。
子どもたちが歓声を上げる。レイヴンとアリシアは小さな手にグイグイと引かれながら、従業員たちが揃うテーブルへ向かった。
これまで経験したことのないような食事は楽しかった。
子どもたちは皆牧場で働く従業員の子どもである。当然同じテーブルで両親も食事をする。
突然王太子夫妻と食事をすることになった大人たちは可哀想なほど狼狽えていたが、子どもがいてはいつまでも畏まっていられない。
いつの間にかいつも通りの調子を取り戻した彼らは、最低限の礼儀を守りながらも楽し気な笑い声を上げていた。
アリシアに特別懐いてくれた子どもがいた。
ターニャという女の子で、今年6歳になるという。11歳になる姉のサーシャと一緒に授業を受けていたのだ。
この姉はしっかり者のようで、授業の時も食事の間もターニャの面倒を良く見ていた。
子どもたちは食事を終えると母親に連れられて家に帰っていく。
家といっても同じ集落なので、午後は年長者が下の子の面倒を見るのだ。サーシャも年長組である。
ターニャはこの日、家に帰るのを嫌がった。
アリシアともっと一緒にいたいと駄々を捏ねる。母が宥めてもサーシャが宥めても、ターニャは泣きながらアリシアに抱き着いている。
困り果てた様子の2人に、もう少しだけアリシアは一緒に過ごすことにした。
レイヴンに許可を取り、4人で散歩に出る。さり気なく家の方へ向かい、途中でアリシアだけが引き返してくる作戦だ。
レイヴンも一緒に来たがっていたけれど、レイヴンも他の子どもに抱き着かれていた。
しばらく歩くと森のようなところへ入った。
護衛がいるとはいえ、あまり離れすぎるわけにはいかない。
そろそろ引き返し時だとアリシアが思った時、一際大きな木の幹に注連縄のようなものが見えた。
「あれは……?」
アリシアはつい言葉に出していた。
ここはまだ牧場の敷地であり、神殿の様な建物はない。だけどあの木に結ばれているものは、神聖なものを表す印である。
「ああ、あれはご神木ですよ。子を授けて下さるんです」
アリシアの視線を追ったターニャの母が答えた。
この地が牧場になる前から伝わる民話があるらしい。
曰く、子宝に恵まれない夫婦が毎日あの木の元で祈っていると、憐れに思った女神が現れ、子を授けてくれたという。
そのことから、この地では子を望む女があの木の元で祈ると子を授けられると信じられている。
祈った後は葉を1枚持って帰ると尚良いというが、木が高くて中々手に入らない。だからこそ手に入った時のご利益は抜群だという。
いわゆる土着信仰だった。
「どうですか?妃殿下もぜひ……」
「母さんっ!!」
母親の言葉をサーシャが遮った。
それでサーシャの母もハッとした顔をする。
彼女に悪気があったわけではないのだ。
ただ思いついた通りのことを口に出してしまったのだろう。
だけどアリシアに言って良い言葉ではなかったと青くなっている、
「そうですね。祈ってみましょうか」
アリシアはにっこり笑った。
サーシャもサーシャの母も驚いた顔をする。
それを気にせずアリシアは木に向かって歩いた。
木の前まで来ると、アリシアは木に向かって祈った。
深刻になり過ぎないように、2人が気にしないように考えただけである。
アリシアにとっては言われたことよりも、その後の2人の反応の方がショックだった。
ただの世間話ならあんな反応をすることはない。平民の間でさえ、もう触れてはいけないことだと思われているのだ。
祈り終わると、その場で別れることにした。
これ以上一緒にいても気まずいだけだと思ったのだ。
ターニャはまだむずがったけれど、母と姉の様子に何かを感じ取った様ですぐに大人しくなった。
サーシャの母とサーシャが何度も頭を下げながら遠ざかっていく。
3人を見送ったアリシアは、もう一度木の方を振り向いた。
その時、季節に合わないような緑色の葉が、1枚舞い降りて来た。
「レイヴン様には言わないで」
木を背にしたアリシアが一言呟く。
エレノアが無言で頭を下げた。ルークは初めから聞こえない振りをしている。
最後まで貫いてくれるならそれでいい。
アリシアはもう二度と木の方を振り返らずに歩き去った。
外套の内ポケットに緑色の葉を隠しながら。
0
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
すれ違いのその先に
ごろごろみかん。
恋愛
転がり込んできた政略結婚ではあるが初恋の人と結婚することができたリーフェリアはとても幸せだった。
彼の、血を吐くような本音を聞くまでは。
ほかの女を愛しているーーーそれを聞いたリーフェリアは、彼のために身を引く決意をする。
*愛が重すぎるためそれを隠そうとする王太子と愛されていないと勘違いしてしまった王太子妃のお話
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる