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1巻
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「あ~、まじか……」
俺、田中智行は手元の白い紙に目を落としながら呟く。
『採用試験選考結果のご通知。
拝啓 時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、先日は当社入社試験にご応募いただき誠にありがとうございました。
厳正なる選考の結果、残念ながら採用を見送りましたことをご通知いたします……』
そんなテンプレートな文面だった。
「今回は、手ごたえがあったと思ったんだけどなぁ」
狭いアパートの一室で、今日何度目かわからないため息をつきながら、また呟く。
大学四年の秋、この不景気の中、いまだ就職の決まっていない俺は焦っていた。
周りの連中は八割がた就職を決めて、卒業旅行やらなんやら、気ままに過ごしている。
俺はもう何社まわったのか、何通の履歴書を書いて送ったのか、覚えていない。
「俺、そんなにだめなやつかな……」
思えば、今まで俺の人生は苦難の連続だった。まあ、今でもだけど……。
小さい頃に父親が事故で死に、母親の再婚相手に虐待され、母親がそいつと離婚してもう安心と思ったら、今度はそいつが母親をストーキング。挙句に、母親を階段から突き落とした。
母親は長期入院となり、俺は母方の祖父母に預けられたわけだが、そこでまたしても虐待を受ける。
なんとか高校に入ったはいいが、アルバイト三昧でこれといった友達もできず。奨学金で大学に入ったものの、去年母親が癌で他界。
よくグレずにここまで生きてこられたと、自分でも思う。
俺は不採用通知を丸めて、ゴミ箱に投げた。
ゴミ箱から外れたそれは壁に当たって床に転がる。
何をやってもうまくいかない。
「……寝るか」
ため息をついて俺は布団に倒れこんだ。
明日も面接の予定が入っているのだ。
深夜、ふいに目が覚めた。なんというか、イヤ~な予感。
後頭部から首の付け根のあたりがぞわぞわしている。
ああ、これは来るな……最近はあまりなかったんだけど。
そう思った瞬間、俺の体は硬直した。
腕や足はおろか、指の一本すら動かせない。
そう、金縛りだ。
正直なところ、金縛りには慣れている。
そりゃ、初めての時はびびったが、今はもう怖くない。
嫌な感覚だが、時間が経てば解けるのはわかっているからだ。
だが、今夜は一味違った。
解けないぞ?
……まあいいや、寝ちまおう。
『寝るな、バカ』
なにやら幻聴が聞こえる。
これも今日に始まったことじゃない。声らしきものが聞こえたことは、今まで何度もある。
つまり、ここはシカトだ。
『聞こえてんならシカトするな!』
おお? 今日はやけにはっきりした幻聴だ。
『幻聴じゃないって』
ん~、あんた誰よ?
眠いせいもあって俺の口調はおざなりだ。そもそも、心の声が相手に通じているかもわからんし。
『そうだな、お前の守護霊ってとこかな』
……なるほど、守護霊か、わかったから早く金縛り解いてくれ。
『動じないな、さすが俺の子孫だ』
え? 守護霊って、俺のご先祖様なんだ?
『当たり前だろう、守護霊ってのはそういうもんだ』
ふ~ん……で、ご先祖様が何の用? 明日も午前中から面接だから、寝かせてもらえる?
『まあそう言うな、やっと俺の声が届いてるんだ、少し話を聞きな……まあ、聞きたくなくても聞こえちまうし、寝かせないけどな』
……しょうがないな、聞こうじゃないか。
『最初に聞くが、お前、今、幸せか?』
また難しい質問をしてくるな、ご先祖様。
『難しいか?』
そんなもん、人それぞれじゃないか。
俺にとって不幸なことも、人によっては幸せと感じるかもしれないし、逆もまた然りだ。
『まあな』
下を見ればキリがないし、上を見たってそうだろ? まあ今生きてるし、幸せなんじゃないかな。
『そりゃ良かった。守護霊冥利につきるね』
いや、あんた正直、守護霊としてはダメダメだろ。
これまでの俺の人生、けっこう大変だったぞ。
守護霊なんだったら、もうちょっとしっかり俺を守ってくれよ。
『おま!? 俺だって、かな~りがんばってるんだぞ!?』
いや、そんなこと知らないし。だったらせめて、いい就職先を見つけてくれよ。
『おぉ!! それそれ!!』
ん?
『今後のお前のことだけど、なんとかなりそうだわ』
おお!? まじで?
『おお! 神様に頼んで、いいとこ紹介できることになったから、期待してろ』
そりゃ嬉しいわ、それどこの会社? 給料いい?
『それはまだ言えない……つ~か俺も知らん、今後のお楽しみってやつだ』
知らないのかよ!?
期待外れにならなきゃいいけど……まあこの際、働けるんならなんでもいいか。
……ところでさ。
『ん?』
母さん、元気なん? 父さんも。
『ああ、今はこっちで修行をがんばってるぞ。俺とは霊層が違うから会ってないけどな』
……そっか。
『んじゃ、そろそろ行くわ』
あいよ、長い幻聴だったな。
『幻聴じゃね~って』
はいはい、そういうことでこれからもよろしくお願いします、ご先祖様。
『んじゃな』
そのまま意識が沈んでいくのがわかった。
――翌日。
どうにも微妙な手ごたえでいくつもの面接を終えた俺は、駅のホームで電車を待っていた。
仕事帰りのサラリーマンや学生なんかが、俺を先頭に列を作っている。
『――に、快速電車が通過します。危ないですから黄色い線の内側にお下がりください』
少し遠くのスピーカーからアナウンスが聞こえてくる。
俺は携帯で、就職情報サイトを閲覧していた。
遠くから、目の前のホームを通過しようとする電車の音が聞こえてきたその時――。
ドンッ――!
俺は背後からの衝撃に耐えられず、前のめりに線路に転落していくのだった。
†
見渡す限り、まっ白い空間が広がっている。
ここはどこだ?
周囲には誰もいないし、何もない。
「誰かいますかー!?」
声をあげてみるが、反応もない。
もっとでかい声で叫んでみればいいのだろうか?
それじゃ――。
「やめんか」
「うお!? いつの間に!?」
背後からの声に振り返る。
そこには、白く立派なあごひげの爺さんが立っていた。
もしかして初めからいたんだろうか? ……恥ずかしすぎる!
「おぬし、あんまり驚いておらんな」
「いや、驚きましたよ。いきなり声かけられて」
それよりも、恥ずかしい気持ちのほうが今はウェイト高いんです。
「そうではなく、この空間についてじゃよ」
なるほど。だけど、大体予想はついてますよ。
「俺、死んだんですよね? ……それで、あなたは神様?」
「そのとおりじゃ」
やっぱり。
なんだか神々しいオーラを感じるし、存在感も半端ないもんな。
「そうですよね……ちなみに死因はわかるんですけど、俺、誰かに押されたんですか?」
「うむ、おぬしは転落して電車に轢かれたわけじゃが、押したのはおぬしの元父親じゃ」
「……あいつか」
母親をストーキングしてたあいつならやりかねない。昔、首を絞められたり、バットで殴られたりと、殺されそうになったこともあったしな。だけどまさか本当に、それも今になって殺されるとは思わなかった。
「それで、今あいつはどうなってるんです?」
「目撃者がたくさんいたしの、もちろん逮捕されて刑務所の中じゃ」
「そうですか……あの守護霊、やっぱり俺のこと全然守れてないじゃんか」
「おっほん」
神様は咳払いをして、言葉を続ける。
「それで、今後のことじゃが、おぬしにはこのまま、転生してもらうことになった」
「転生?」
「うむ、先日開かれた神々の会議で決まっての。実を言うとこれまでの人生は、おぬしを成長させようとした、わし等からの試練じゃったんじゃよ。じゃが、加減を間違えてしまっての。あの守護霊に力がなかったわけではないんじゃ。ほんとすまんの」
そう言って、神様は頭を下げてくる。
「正直、納得いかないですけど、いいですよもう……それで、なんでそれが転生に繋がるんです?」
「うむ、一つはわしらの間違いでおぬしに過酷な人生を歩ませてしまったこと。それから、通常、死後は幽界で最低三百年は修行しなければならないのじゃが、おぬしの魂はそれなりに鍛えられていて、しかも汚れていないこと。以上の理由から、すぐに別の人生をやり直してもらうこととなったのじゃ。というか、他の神様から、さすがにかわいそうだとの意見が出てのう。転生先はわしの管轄外の世界なのじゃが、優遇させてもらうぞい」
「そうですか」
「転生にあたって、何か希望はあるかの?」
「えっと、そんな、いきなり言われても考えつかないんですけど」
「焦らんでも、ゆっくりと考えるがよい」
神様の言葉は優しかった。
俺は、これまでの人生を振り返ってみた。
ほんとうに散々だった。
ひどく貧乏だったし、家族の仲もよくなかった。
そのうえ家系なのか、母も祖父も祖母もみんな早死だったから、俺もあのまま生きていてもそんなに長生きできなかったかもしれない。
俺はただ、普通に生きたかっただけだ。ただ、普通に。
「……普通に、生きたいです。普通に親が、友達が、恋人がいて、普通に結婚して、子供を持って、年をとって……俺は、そんな人生を送ってみたい」
なぜか涙が溢れていた。
「ふむ、なるほどのう」
「……多くを望みすぎですか?」
「いや、それは人として当然の願いじゃ」
神様はにっこりと笑い、手をかざして金色の光で俺を包んでいった。
「おぬしの願いは聞いた。そなたが正しい道を行くかぎり、それは与えられるであろう。それでは、転生先でもがんばっての。さっきも言ったが、担当の神様が違う故、ここでお別れじゃ」
暖かい光に包まれて、俺は意識を失っていく。
「謙虚なお前さんに、特殊能力をひとつだけ、さあびすじゃ」
そんな神様の言葉を聞きながら。
第一章
肌を包む柔らかい何かと、瞼の裏に感じる光。
目を開けてみるが、視界はぼやけている。
音もどこか遠く、ただただ眠い。
少しずつ、視界がはっきりしてきた。綺麗な女性の顔が、目の前に見える。
距離はこぶし一つぶんくらい……っていうか、近づいてきてる!?
ゼロになる距離。唇に感じる、柔らかい感触。
キスされてしまった……。嗚呼、俺のファーストキスが……。
こんな綺麗な人なら、文句はないけど。
あれ、体が思うように動かない。
なんというか、自分の体であって自分の体じゃないような……とにかく不思議な感覚だ。
言葉を話そうと思っても、舌が回らなくて「あうあうあー」としか発言できない。
……どうやら今の俺は、赤ん坊のようだ。
……本当に、転生したんだ。
この世界に生を受けて、一週間が経った。
どうやら、ここの文明はそれなりに高度らしい。
といっても、俺に見えるのはこの子供部屋だけなんだが。
室内は清潔だし、夜は蛍光灯みたいな明かりもつく。
ちなみにこの明かり、ガラスっぽい透明な器の中に白い光が浮いているように見える。電気ではなさそうだが。
しかも、母親が手をかざすだけで、ついたり消えたりするのだ。センサーライトの類だろうか? ……それとも、やっぱり魔法? どちらにしろ、俺の知らない技術であることは確かだった。
母親に抱かれながら見る窓の外には、煉瓦の壁と瓦屋根の建物が並んでいる。二階建てや三階建てが多いようだ。
夜になるとこの部屋と同じように、白い光があちこちの建物の窓から漏れる。
言葉は、なぜか理解できるのでありがたい。
そしてどうやら、俺のファーストキスの相手である美人さんが、俺の母親らしい。
長く艶やかな黒髪は絹のように柔らかくて、肌に触れるのがなんとも気持ちよい。香りも最高だ。
日本人みたいな黄色がかった肌をしているが、顔の造りは違う。
一言でいえば西洋人っぽく、大きな黒い瞳は常に慈愛に満ちていて、まるで聖母。
名前はマリア・ファー・レイナル。名前も聖母でした。
父親のほうはといえば、こちらもかなりのイケメン。
ヤン・ファー・レイナルという名前らしい。
初めて部屋に入ってきた時、「やわらけー! ちっせー! なんだこの生き物!」とか言いながら頬をつんつん突いてきたので、俺は泣いて抗議した。
この父は、髪が赤くちょい天パ入ってて、日に焼けた肌と鍛え抜かれた肉体のいかにもワイルドな風貌に、それがすごく似合っている。
俺を見て子供みたいにはしゃぐ姿や、母とのやりとりを聞いていると、本当に家族を大切に思ってくれていることが伝わってきた。
歳はかなり若いようだけど、いい父親だと思う。
俺は笑顔の父を見て、そう思った。
――前世でもこんな感じで、俺が生まれたとき両親は喜んでくれていたのかな?
俺は、アラン・ファー・レイナルと名付けられた。
この、美形の両親の子供である俺は、一体どんな容姿をしているのだろうか? どちらに似ても、かなりレベル高そうだ。ぜひ鏡とか見せて欲しい。
神様の最後の言葉、「さあびす」してくれた能力についても、どんなものかわかってきた。
与えられた能力――。
それは「他者強化能力」だった。自分自身じゃなくて、他者の何らかの能力を上昇させる力。
条件は対象との接触。その状態で念じれば、能力が発動するみたいだ。
どこかの星の最長老様のごとく、他人のさまざまな能力を引き上げることができるらしい。
対象の能力の上昇具合は、どうやら俺との親密度によるみたいだ。
自分が他者強化能力を持っていることには偶然気づいた。父に抱っこされている時に、何かができるような気がしてきて、なんとなく念じてみたのだ。そうしたら父の肉体がいきなり巨大化して……なんてことはもちろん起こらなかったが、少し経った頃、「どうも体の調子がすばらしくいいんだが」と母に興奮気味に言っているのが聞こえた。
これまでに経験したことがないほどの快調だったようで、しかも一時的なものではなく、ずっと続いているらしい。「生まれ変わったみたいだ」とまで言っていたのが印象的だった。
もちろん母にも試してみたのだが、目に見える肉体の変化はなさそうだった。もしかしたら俺の知らないところで何か変化があったのかもしれないけど、俺はまだ赤ん坊だから母に聞いて確かめるわけにもいかない。
ちなみに目下最大の悩み……それは排泄!
超恥ずかしい! 何この羞恥プレイ!?
それにおむつを換えるのは、あの美人の母親だよ!?
換える時「いっぱい出たね~」とか、すっげえニコニコ話しかけてくるんだよ!?
とはいえ自分でトイレに行けるはずがないし、たまったものを出さないわけにもいかないし、出したままほっといたら気持ち悪いし……。
自分が赤ん坊だってわかってはいるけど、やっぱりきついです。
できるだけ夜中にやらないように心掛けてはいるよ。夜泣きされると親は大変だって、聞いたことあるし。
あんないい母親に、迷惑はかけられないです。はい。
「アラン、ご飯ですよ~」
寝ている俺に、母が話しかけてくる。
抱き上げられ、頭を撫でられる俺。
……もう一つ悩ましい問題があったのを、忘れてた。
食事である。
赤ん坊の食事といえば、そう、母乳。
目の前に迫ってくるのは、母性の象徴ともいうべき双子山。
赤ん坊の俺に、抗う術はない。
ええい、ままよ!
山の頂点にある魅惑の果実に、俺は無心でむしゃぶりつくのだった。
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